BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

耕してもらったから咲いていられる-181110。

晴れて一日じゅう暖かだった。
昼から
職場仲間の女性ばかり5~6人も
育児休暇中の同僚宅にあつまった。
お昼をつくって、みんなで食べた。
(つくったといっても、
わたしは言われたとおり
春巻きをまいただけだけど笑)


いまの勤務先に
この10年間で何回か
でたり入ったりしている。
大学をでて24のときに
はじめて就職したのがこの会社で
以後 転職をするときなどの節目に
つぎの職場がみつかるまで、というので
半年とか1年半とか1年とか
戻っては、バイトさせてもらってきた。
会社のほうもその間に
営業所の統廃合や
人のいれかわりがあり
バイトさせてもらうたび
勤務地は変わったし、
そこで出会う顔ぶれも
いろいろ変わった。
さいしょわたしが就職した
営業所はなくなって、
となりの市の営業所に統合された。
けど、
さいしょから今にいたるまで
どこにいこうとも、
そこにいる人がだれであろうとも、
さいわい
仕事でもそれ以外のときでも
ずっとつきあっていけるような
友人との出会いにめぐまれたし、
この会社であるかぎり
こと職場の人間関係がらみで
つらいことや傷つく目にあうこと
(たぶんわたしがだれかをつらいめに
あわせたりひどく傷つけたりしたことも)
一度としてなかった。
つらいのはむしろいつも
彼らとお別れすること、だった。
わたしは仕事がいつでも
たいへん好きなほうであるし
全人格的にとりくんでしまう
ほうでもある。
一日のうちのながい時間をすごす
場所だけに
だれにとっても「職場の人」との
関係やできごとは
すごくおおきなことだろうが
わたしもそれはおなじだ
わたしはいつも職場の人のことが
たいせつだし愛しもする。
そういうのってあまり
みっともいい心のもちようじゃ
ないんだろうなとおもうが
おもってはいても、
容易に変えられない。

いまの勤務先とのつきあいは
そんなわけでけっこうながく
たくさんの人とかかわったが
ぜったいもういやだとか
おむうような
つらい思いをしたことなんて
一度だってなかった。
ぎゃくに
べつの所で
いろんなことを経験して
傷つき神経がすりきれ
つかれたときに
わたしはこの場所に帰ってきて、
心が救われ、元気をとりもどす。
いまもそうだ。

なんかあんまりうまく説明できてる
自信はないが。

ただ
この会社においてはそうやって
心おだやかに楽にやれるのに
ほかではそれができない、のは
つまり自分に問題があるからだと
考えることももちろんある。
というか
そうなんだろうなとおもう。
本来の、ただひとりのわたしは、
目も当てられない
社会的生活をおくるうえでの
欠陥まみれだ。
未熟で幼稚、あまったれ
腺病質、攻撃的、ムラッケがつよい
神経質でめんどうくさい
うまくやれてると考えるなんて
思い上がりもはなはだしい
できそこないだ。
できているわけがない。
できているように感じるとすれば
それはまわりの人たちが
そう思わせてくれているからだ。

古巣であるいまの職場で
もどるたびに勤務地がかわり
人のうつりかわりがあったと
さきほどのべたが
以前会ったメンバーが
3年後にはひとりもいなくなってた
とかいうのではもちろんなく
まえの同僚がいまも勤続している
というのや
まえにA営業所でいっしょだった人が
B営業所に異動していて
そこにわたしも着任し
再会していっしょに仕事
といったことも、ある

わたしがこの会社に
一度やめたのにまた戻ったり
また出たのにまた戻ったり
そんなことができたのは
そんなことが可能なくらい
いつもどこでも
良好な人間関係をきずき
なんの問題もなくさよならができたのは

ひとえに
さいしょにここに就職したときに
上司だったひとのおかげだ。
彼女がずっと勤続していて
わたしが困ったときなどに
つぎがみつかるまで
バイトをしにこないかと
声をかけてきてくれた
彼女がわたしをそれなりに
つかいものになるように
育て上げてくれた。

きょう遊びに いった育児休暇中の
女性というのがまさにそのひと

わたしとそのひとは同年齢だが
わたしより彼女のほうが
たしか半年~1年はやく入社していた
わたしは仕事のなにもかもを
彼女から教わった。

能力スキルの発達に
すさまじい偏りがあり
できないことのできなさかげんや
苦手意識もいささか病的なレベル、
さらに対人コミュニケーションが
あんまりうまくない
自意識がすごくつよい
わたしみたいなのと
とてもうまくかかわってくれた。
それまでできなかった多くのことを
できるようにしてくれた。
もともとできたことは、見いだして
仕事で活かさせてくれ、
わたしに価値をあたえ、居場所を
つくってくれた。
みんながわたしを受け入れるために、
まず彼女がわたしを受け入れてくれた。

わたしにはできないことが
できるひとだといつもおもう。

わたしと彼女は見た目も性格も
得意分野も
すごくおおくのことが
正反対くらいちがう。
さいしょは彼女はたぶん
わたしのことすごく
扱いに困ったんじゃないかと
おもう。
すごい頑固者で頭でっかちで
いこじになるところが
当時のわたしはいまより
よけいにひどかった。
勝てるわけもないのに
ぶつかってしまうことも
しょっちゅうだった。
それでも、短絡的に
もうこいつはいけないと
決めつけたりあきらめたりしないで
いてくれたのだとおもう。
わたしはなにかあるとすぐ
いやになって相手を勝手に
見かぎったりしてしまうことがあるけど
彼女はそうじゃなかった。
雇ったからにはむだにならないよう
根気よくわたしのつかいみちを
探ってくれ、
みんなのなかに
とけこめるようにしてくれた。

いまは
おたがいになんでも話せて
こまったことがあれば
頼ったり頼られたりする準備がある
そういう友だちになれている。
(9割がた、わたしが頼る側。)

彼女は、わたしが悩むとき
いっしょになって悩んでくれる。

わたしがこの会社で
みんなと関わって働いていくとき
そこになんのさしさわりも
ひっかかりも起こらず
のびのびとしていられるのの
土台の部分には
彼女が力をつくしてくれたことが
ぜったいにあるとおもう。
この会社から外にでたときいつも
自分ひとりのときの無力や
弱さや不足を、欠陥を
骨身にしみておもいしらされる。

でもだからこそ
この会社にずっとは
いちゃいけないんだろうとおもう。
出ていって自分でやれるように
ならなくちゃいけない。

今回が最後だ。と感じる。


わたしはそういうこと
だいじそうなことなにもかも、
理解するのがあきれるほど遅い。
たぶんわたしの同年代の友人たちが
10年まえにとっくにすませてきた
心のなかのいろんなことを、
思考し実行すべきだったことを、
いま、やっている
なのに年齢だけがもう大人であり
それどころかもうすぐ
人生の半分のところにくる
でも過ぎてしまったことは
もうしかたがない。
わたしはとても恥ずかしいけども
もうまわりとくらべるべくもないし
自分は自分ひとりをこれからどう
燃焼させるかを
考えていくしかないんだとおもう


ただ
この同いどしの上司である
彼女のお膳立てなくしては
ありえなかったこととはいえ
わたしみたいなのと
ふつうにこんなに楽しく
つきあってくれる友だちたちが
いることはほんとに幸せだ。
きょうみんなといっしょに
あつまってお昼を食べたり
話したりしていて
ふっとその光景を
自分だけ遠巻きにみているような
感覚におちいり
わたしにこんなことが可能だなんて
ほんとうはありえないんだと
つくづく思った。

わたしはこの友だちたちに
なにひとつ
ほんのささいなことでさえ
してあげられたためしがない。
わたしにそんな力も余裕もない
いつも自分のことで必死、
しかもそれさえすべて的はずれ
いつもむだに疲れてて
おもえばいつだって
つまんないことで
この世のおわりみたいに哀しんでいて
ただただ助けてほしかった
有形無形をとわずとも
なにか人のためになるものを
人に与えることができたっていう
感覚がほとんどない。
なのに
この友だちたちは
ずっと仲良くしてくれている
というか数にいれてくれている。
それが、あらためてかんがえると
ほんとうにわけがわからない。

わたしひとりでは
いま与えられているものの
どれひとつだって獲得できなかった。

いま、すごく幸せだ。
ひとりだけど孤独感に傷つかない
やさしくしてもらえて、
笑顔や思いやりにふれられる。
口をきけば聞いてもらえる。
したことは評価してもらえる。
つまらないことで苦しまないでいられる
死にたいようなつらいきもちに
おしつぶされないでいられる。