BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

新生活2日めと3日め-181022。

冷蔵庫と洗濯機と
掃除機が納品された
わたしの部屋はこれで
すこしだけ
文化的生活をいとなむ人間の
部屋っぽくなった。
冷蔵庫のぶーんという音が
なにせ、とても文化的だ。

作業をしにきてくれた
スタッフさんたちが、
快活で、手際もすばらしかった。
男性のふたりひと組で、
片方が軽度の知的ハンデを
おもちらしかった。
もうひとりのほうが彼を
すごく自然にサポートしたり
できることを指図したりして
うまくやっていた。
遅い時間にきてくださったお礼がしたく
帰りに、みかんをひと袋
おみやげにさしあげた。
家をでるときに
兄が持たせてくれたものだが
なんかこの2週間ほど
なにかを食べたいという
きもちにあまりならない
まったくならないわけじゃないが
やること考えるべきことが
たくさんあって、
そういうのをやっているうちに
2食3食へいきですっぽかしてしまう
本来みかん大好きのはずなんだが
ほうっておいたらだめになるなと
おもったから
搬入スタッフさんにさしあげた。


有能なスタッフさんのおかげで
家電の受け入れが
予想よりずっとはやく終わった
外にでて
周辺を散歩していたら
高校以来の友人から電話がはいった。
急きょちかくで会って
夕飯をいっしょにした。
このときは友だちといっしょだから
たのしかったのでもりもり食した。


テレビがないからとてもしずかだ。
すこしさびしいときや
なんとなく不安なときは
ラジオを聴いている。

テレビ番組をみるためのテレビは
今後もぜんぜんほしくないが
でも映画とかは
たまに部屋でも観たいなあ。
まあでも、ずっとさきのことでいい。


部屋をどんなふうにまとめていくか
どのように暮らしていくかという
ことにまつわる
わたしの唯一にして最大の夢は
壁一面、天井までぜんぶの
おおきな書棚だ。
それがあらゆることの中心。
それがないかぎり、
自分の生活ってかんじが、
いつまでもしないような気さえする。
そして、いまや実現できる。
自分の城を持ったから。
テレビなどより何より
それをかなえたい。


わたしはずっと実家ぐらしであったし
生活の運営委員長は親だったので
自分というひとりの人間が
独力で1か月生きていく場合の
必要経費がまったくわからない
水道光熱費とかいくらかわからない
そういうのぜんぶ謎だ
だいたい いくらくらいかかるのかという
一般論ではなくて
わたしがどのくらいつかうのかという
ことを、考えたためしがないのだ

1か月とりあえずやってみるしかない。
それでわかってきたことや反省を
つぎの1か月に反映させる、
それしかない。
うわー
スゴい。ふあん笑
なんか
お水つかうの怖いもんね笑
電気ももったいないかなとかおもって
いまもまっくらなとこに
ちいさなLEDライトの光をたよりに
ブログ書いているからな~。
やれやれ、
こんなにびくびくしているんじゃ
ほんとうの「自分運営経費」が
わからないよね笑
勇気をだして
いったん最大値をはからないと!


ガスがまだ通ってない
カーテンがまだない
パソコンがまだつかえない
ガスは今週末
カーテンは来週末かな
パソコンは回線敷設工事が2週間後
驚異的なのんびり屋だ。
わたしは。
極端なスロースターターのうえに
心身ともにひ弱ですぐ減速する
あきれたあまったれ。
うすうすそうなんじゃないかなと
おもってたが。


ガスの開栓点検のかたがくるのが
今週土曜の11時ごろだから
朝一番で市役所出張所の
休日窓口にいき、住所変更とかを
ぜんぶおそわってすませたい。
まにあうとおもう。
だが事前に書いといたほうが
いいものとかあるのかな。
あした役所に電話してきいてみるか。


ああ、本
読みたいかなあ、ちょっと
売るほどあるけどぜんぶ箱のなか、
10冊くらいずつきつく束ねてある
一部、箱のそとにあるのは
文語体聖書、
潤一郎版源氏物語
吾妻鏡
風姿花伝
ゲド戦記
予告された殺人の記録
テロルの決算、
天人五衰
オール・ユー・ニード・イズ・キル
・・・
気分じゃない笑
星新一とか読みたい
どこだ星新一の山は!


生活するってとてつもなく
大変なことだろうなというのは
すでにわかる。
まだほとんどなにもやってないけど。
だがなにしろ
まぬけでのんきで世間知らずだ
ぜんぜんあせってない。
もうすこしいろいろ本気でやれと
いわれてもしかたないとおもう
もっと自分は
あれやこれやと
起こってもいないことを心配し
神経過敏になり
もしかしたら
病んでいくかもなとおもってたが
ぜんぜんそんなふうにはならない
楽観している


心にこれといった支えはない
よりかからせてくれる人もいない
でも心をむしばむものもいまはない
自分のことを
穴があいたタイヤをつけた自転車
みたいだ、とか今はおもわない
空気いれたつもりでも
磨いて洗ってていねいに
メンテナンスしたつもりでも
なんかまたいつのまにか
空気ぬけて走れなくなる
そういうやつなんだわたしはと
あきらめ絶望しかけてた
そういうのはもう終わった
力ずくだが絶ち切ってここにきた

やりかたや、ことのはこびかたに
誤りがたくさんあったことを認める。
ただ、すぎたことは
もうとりかえせない
これがやっぱり正解だったんだと
ずっとあとになったときに
言えるようにしていきたい。