BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

30歳になることをすごくいやがっている職場仲間-181003。

20代後半の職場仲間が
30歳になることを
ひどくいやがっている。

ほとんど毎日
もう自分は20何歳だ、
30なんてありえない
と言って、けっこう真剣に嘆くのだ。

「ありえない」だなんて、ふつうにありえるよ・・・。
30歳になるまえに死のうとでもおもっているの・・・?
かなしくなるから そんなふうにいわないで、とか。
言いたくなる。
だが
毎日の嘆き節が
はたで聞いてる30代のわたしを
どんなきもちにさせているかなんて
気にする余裕がないくらい
「30歳」という記号が
怖くて、いまいましくて、はずかしくて、
しょうがないんだろうな、
とおもうと
なにもいえない。
それに、ふりかえれば
どうもたまたまわたし自身はそこまで
「そのこと」を怖がらなかったみたいなのだが
しかし、きもちはわかるような気もする。

というか
わたしが
30代がイヤなものだと、
あの職場仲間に
そうまでおもわせてしまうような
振る舞いをしている
ということだとしたら、
責任を すくなからず感じる。
こういうふうだったら
30代になるのもわるくないなあ、
怖くないなあと
わたしの立ち居振る舞いや
有りようから
おもわせてあげられないのは
わるいなあと。

わたし個人の心は
もろもろの事情あって、いま、幸福ではない。
だけどそれは自分が
30代だから、じゃないんだよなあ。

それで考えるとわたしは
ものごころついてより
10歳になるまでも
10代のときも20代のときも
別個の事情でずっと
くるしかった。
ずっと寂しかった。
休むまもなく 苦悩していた。
自分が生きていていい人間だと
おもえたときなんか、
つまりあるいみでの自信が もてたときなんか
一瞬もない!
輝いていたときも
美しかったときも
愛した人に愛されたときも
なかった、わたしにかぎっていえば
最もうぬぼれていてよかったような
ときでさえ
自分が輝いているとか 美しいとか
おもうことができなかった
まわりが判断するものじゃなく、
じぶんが感じることができなきゃ。

感じることができていたらよかったなあ笑

そしていまもまた
いまの事情でしんどいのだが
それでもこれまでよりは
だいぶましというかんじが
いままででいちばんまし、
というかんじが
かんがえてみれば、する。
ような気がする。
ただ、それもべつに
30代だから、じゃない。
年齢はいつだって
ぜんぜん関係がない。


わたしが30歳になってから
こっちといえば
つらく傷ついたこと
まいったこと
寿命がちぢんだことばっかり、
しかし

すさまじく刺激的な仕事に
出会うことができた
おのれの能力のリミッターが
はずれるという体験を
わずかながら、した
こういうことが自分にもできるんなら、
命とひきかえにしても
かまわない、とおもうような
感覚だった
あんな取り組みかたは
二度とはむりかもしれないが、
なんか、すごかった。

長年とらわれてしまってたきもちを
手放すことができたのも
たまたまだが30代になってからだった。
らくになれることが
これから先、あるだなんて、
とらわれてたそのときには
思えなかったが、
意外と意外なとこにきっかけがあった。

むくわれなかったけど
ほんとうにひさしぶりに恋をした。
人をすきになるってのは
美しいものでも たのしいものでもない。
ただひたすらに
みっともないものだ。と知った。
みっともないまねはしたくない。
だけどそれでも好きにならないでは
いられなかった。
しょうがないとおもう。

これは30代もなにも
つい きのうのことだが
自分は 人に飢えていながら
関係の喪失や瓦解のかなしみに
ふれたくないあまり
傷つきたくないあまり
人と関係を深めることを
強く恐れているんだなと、
いままで考えたことが
なかったかもしれないことに
思いがいたった。
どうもそうとう
めんどうくさいたちらしい。
たいへんなことになるとおもう、
これから生きれば生きるほど。
人の愛しかたがドヘタということだから。
だけど
理屈でかんがえてさえ わかるのだが
恐れているだけでは、
「傷つきたくないので
優しくしてくれなくては
こまります!」などと
首から看板をさげて
歩くような生きかたを
しているだけでは、
いきつくさきは、ひとりだ。

生きているかんじがしない、
という感覚も はじめてしったな。
この数年で。
それがすごく怖くて
不安になる感覚だということ
からだのなかから
発火しそうなほどの怒りと
いらだち、憎悪、屈辱感
自殺をかんがえるほどの後悔、
自己嫌悪、無力感、絶望、
さびしさ
感情の奔流をおさえこむために、
もどってくるために
すごい労力がいること

こういうことはすべて、
たまたまではあるが30代になって
はじめてきづいたり
体験したりしたことで、
それまでの年代のどこにおいても
わたしは気づくことができなかった。

いまは、
わたしの心におこることの
ほとんどどれも、
くそくらえ以外のなにものでもない
わたしはとても苦しい。
だけどもっとずっと
あとになったとき
らくになれるのではないか、
時間がたてば。
とおもいたい。
そのときは
にたようなさびしさや苦しさを
かかえた人の
背中をさすってあげるくらいのことは
できるかもしれない。

わたしもべつに
それだから30代になってよかった、
とか おもってるわけじゃなく
かなしいことがあった人は
他人にやさしくなれるからよかった、
などとおもってもいない。
そんなのはまわりの人が
なぐさめの言葉に窮したときの
くるしまぎれの ひと言であり
本気で自分で
そうおもってなんかいないもんだ。
本気で自分はおもっています、なんて人がいたら
「いい子ぶらなくていいんだぞ!」
と 背中をぶったたいてやりたい。

わたしはただ
いつも苦しくて、
よかったときなんて 一瞬もなくて、
自分に自信なんか ひとかけらもないけど
生きていられている、
それは事実だといいたいだけだ

だめか、これじゃあやっぱり
あの30歳になるのを怖がってる
職場仲間を安心させてあげることは
できないよなあ涙