BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

難治性かまってちゃん-180924。

書かないと
頭が活動しない
ものが考えられない
そんなところがかなり顕著にある。
書いてないときは役立たず。
手書きでもパソコンでもいいが
手を動かさないと
うまくない。
それはしかも自分のなかだけのことで
なにをどう考えたかを
人に説明することがむずかしい。
おおくの場合、
結論しか見せられない。
勤務先で後輩などに
ここどうすればいいでしょうか、と
案件をみせられ相談されても
まともなアドバイスができたと
おもえたためしがない。
相談じゃなくてその案件を
こっちでそのまんまあずかって
パソコンでひらき
5分ばかりいじれば
ちゃんと答えが出せる。
でないと答えは出せない。
でもそれじゃあ後輩のためには
ならない、とおもう。
わたしもいつまでたっても
人に教えられるような
先輩にはなれない。


言葉よりも饒舌にかたる
眼、体をもつ人が
わたしはいますごくうらやましい。
だけどわたしに
実際的に必要なのは
そういうのじゃないというか
それ以前のことで、
なんというか・・・
自分だけで完結するのでなく
まわりとつながる、という
発想そのものに
慣れること、の気がする。
めんどうくさがりであり
言うのも言われるのもやだ。
傷つけたくない。傷つきたくない。
自分でおもうよりはるかに神経質で
ストレスをためやすく
そのくせたまったストレスに鈍感。
孤独がつらいが
ひとりでいないと疲れる。
人とかかわることでどうしたって
うまれる くいちがいとか
(ぶつかることとか
ネガティブなことだけじゃなく、
心のふれあいとかいうような
ポジティブなこともすべて)
処理していくことを
想像するだけでたまらない。
「処理」という表現が
すぐでてきたとこからして問題だ。
なにごとも自分でやったほうが
めんどうがなくていいと考える。
ひとりでやるのがあたりまえ、
つながっていくことのたいせつさを
つくづく実感することもあるが
それは緊急時、一時のことで
基本は
つながりなどというものが
自分のために生じることなんて
ない、とおもっているふしがある。
つまり・・・
再構成してみるとすれば
かなりこじれた
「かまってちゃん」だ。
人をもとめながら人に背を向けている。
ひとりで生きているつもりに
なっている。
・・・
めんどうがなくていいもなにも
まわりからみて わたし自身が
人の輪をみだしかねない
めんどうくさい部類の人間なのは
あきらかだ。

自分と
かかわる相手との
中間に
もろもろ発生することの
クッションになってくれるような
専属のだれか、もしくはなにかが
あってくれたら
三者に疲労物質が分散されて
いいだろうなあ笑


きもちを書くのには
携帯電話の画面で
親指一本
ぽちぽちボタンをおすので
じゅうぶんまにあう


だけど思考をまとめるのには
それじゃ微妙にだがスピードが
おいつかない。
あと、疲れる。


パソコンを買いたいのだが・・・。