BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『ウインド・リバー』-180908。

※公開中の映画の内容に触れています。

・・・


原題:Wind River
テイラー・シェリダン監督
2017年、米

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www.youtube.com



ジェレミー・レナー  いい。
ハンサムなパグみたいな、渋いルックス。
のっぴきならぬ事情をかかえつつも
懸命に生きる、
まじめな男の役が似合う。
素顔の彼も、
好人物なんじゃないかな?
東のジェット・リー
西のジェレミー・レナー
そのくらい だいすきだ。

それはそれとして
本作は、そうとうな秀作。

レオナルド・ディカプリオ
アカデミー男優賞をもらった
『レヴェナント』と、
テーマ的に通底する。
本作は2017年発表で、
『レヴェナント』よりあとだから、
インスパイアされた部分は
あったかもしれない。

だけど
決定的に異なる点がある。
本作の舞台は現代の米国だ。

レヴェナントはアメリカが
国として形をなしたか なしてないか
くらいの時代の、物語だった。
それに、レヴェナントでは
はっきりとは描かれなかった。
というか、描かれたけれども
印象に残る重さでなかった。
「違う者」への生々しい差別、
男のストレスのはけ口にされる女たち、
弱い者への暴力の実際が。
それはなぜかといえばやはり、
いわば荒ぶる神代、
国造りの神話であるから
現代の常識にてらして 
むごいことが 起こっても 
ある程度まではアリとする、
そういうことだった気がする。

でも本作の舞台は現代のアメリカだ。
ふつごうな「本音」が、
彫りつけるように描写されていた。
目のそらしようがなかった。
時がいつであろうが、
あるものはある、ということだろう。

ところで、
本作を「ミステリー」だとは、
わたしはまったくおもわなかった。
だれがなにをされたか、
早い段階で明確になった。
なぜそうなったか、
想像はついた。
うそをついている人物は
すぐにわかった。
コリーがなにをするつもりかも、
言われなくてもわかった。
考えてつきとめるまでもなく、
すべて順をおって予告される。
観ていればわかる。
それをミステリーとはわたしは思わない。
映画サイトなんかで本作が
「ミステリー」と紹介されているのの
意味がわからない。
ただ、わかっているからといっても、
想像とじっさいに映像でみるのとでは
体感がちがったことはたしかだ。

冒頭と終盤の
コントラストがきいていた。
闇夜に起こったことが
明るい昼間に再現され、
死に追いやられた彼女の体験が
より深く理解できた。

マットは、
あの状況では
挑発に乗るべきではなかった。
せめてその前に、
彼女を逃がすべきだった。
車に乗り込むのを見届けるべきだった。
だがあの状況に実際にほうりこまれて、
適切に行動できる、と自信をもって
いえる人はいないだろう。

コリーは、
呼ぶならば 妻だけでなく
家族全員を呼び寄せればよかった。
でも、
そうしたくなかったきもちもわかる。

バナー捜査官だが
あの状況であれは、人死にを出しすぎだ。
(あまりにショッキングなシーンで、
おもわず声をあげてしまったし、
かるく10分は手のふるえが止まらなかった。)
そもそも「射殺もやむなし」
というケースでも容疑でもなかった。
経験が浅いとはいえ、
申し開きの余地もない判断ミスでは。
視界がきかない状態で深追いしたのも、
なにもなかったからよかったものの、失策。
でもそうしなくちゃしょうがない状況に、
彼女はおいこまれていたのだ。

考えるにつけ
みんななにかに追われ、
抑えつけられ、
責め立てられていた。
その苦しみに耐え切れず
傷つけあった結果、
かけがえのないつながりを喪った者がいた。
「世界」やら「社会」やらのせいにして、
自分の人生に背を向けた者がいた。
背負いようがないものまでしょいこんで
自分をいじめぬいたあげく、
心を病んだ者がいた。
口をついて ふきだしかける泣き言を
ひとつひとつグッと飲み込み、
もがくように生きている者がいた。

どうすることがその人の
心のやすらぎのためによいのか
まるでわからなかった。

我が子をうしなったあの夫妻が、
コリーの来訪を待たずに
自死を選択しても
しょうがないだろうなと
おもって観ていた。
もちろん、帰ってきたとき、
彼らを救えなかったと
コリーは自分を責めるだろう。
でも、何をしようとももう
死んだ子は帰らないのに
永劫癒えない心をかかえて
これからも生きていく・・・
わたしなら、むりだ。
死んで苦しみから逃れたいと
考えるのも当然だ。
あれほど深く傷ついた人に
死ぬな、生きろ、だなんて
エゴのようにも
酷なようにもおもえてならない。

でも彼らは生きていた。
生きていてくれた。
ほっとした。
でも切なかった。
ちいさく体をまるめて
「もうすこしだけここであの子を想いたい」。
それに、
じつは自殺しようとした、と。
自分の顔に部族の「死に化粧」を施してみた、
でも正式なやつなんて知らないから、
適当にやった、と彼は語った。

ネイティブアメリカン・・・
羽飾り、民族装束
スピリチュアルな格言
古式ゆかしい儀式や舞踊
連綿とつらなる血統
朽ちた先入観を尻目に
彼らは現代に生きている。

ふつうに
いろんな家族があり
離れたり死別したり
みちびいてくれる年長者が
身近にいない
まさに、現代の人だ。
なのに環境だけは いまだに
昔とおなじ窮屈で
薄汚れたものを
おしつけられて・・・。
そんなことを思った。

たとえば
「苦しければその環境をとびだして
ほかの場所でチャンスをつかめ」
正論だ。
だけど人は弱い。
ただ生活しているだけで
いろいろなことが起こる。
すべておもいどおりに
生きることは不可能だ。
その現実と なかなか
折り合えない人もいる。

人間は弱い。
励まし合い、いたわりあって
生きられたらよいのに、
それができない。

いったい
どうしてこんなことに
なっちゃったんだと
観ていて 何回もおもったが
わが国ひとつとってみても
被差別部落アイヌハンセン病
精神障害者身体障害者在日韓国人
いじめ、性的少数者
もろもろ社会的弱者
おなじ人間なのにやさしくできない、
うまくやれないっていうことが
いくらでもあるではないか。

「撃たれるシカは
不運なんじゃない、弱いんだ」
「この土地では『死ぬ』か
『あきらめて生きる』かしかない」

コリーの言い分の
是非、好悪ではない。
彼がこのように考えるようになった
そのわけは、ということだとおもう。