BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

さくらももこさんの旅立ちによせて。-180827。

漫画家の さくらももこさんが
お空に旅立った。

「ちびまるこちゃん」の
単行本なら
自宅にもずらりと ならべられている。

だがわたしは
さくらももこさんの作品は
エッセイこそ 圧倒的にすきだ。

とくに
もものかんづめ
さるのこしかけ
たいのおかしら
の三部作は
あきれるほどよく読んだ。

ハードカバーは表紙が白色だから
冗談抜きで 指紋と手あかまみれだ。

わたしになにかあったら自宅から
もものかんづめ」を回収して
指紋を採取したらいいとおもう。
兄や弟のも 付着しているだろうが
わたしの指紋がぜったいに一番多い。
しっかり比較検討すれば
良質のサンプルがとれるにちがいない。
いみわからんが。

専攻だった「源氏物語」だって
ああまで読みつぶしはしなかった。

おじいさんのお葬式、
親戚から贈られたシャープペンとボールペンのセット、
お父さんやお姉さんのこと、
多感な時期に「水虫」になったこと、
会社か漫画かどっちかにしろと、
勤務先の上司に決断をせまられたほど、
職場で居眠り常習犯であったこと、
こつこつためた100万円を握りしめて単身上京したこと、
引っ越しがだいすき、
ネコのミーコ、
ビートルズの大ファンであった当時の夫が
ポール・マッカートニーのライブに行った話、
インド旅行
・・・
などなど、
第1作の「もものかんづめ」を中心に、
読んだエピソードの数々を、
いまでもよくおぼえている。

何年も経ってふと読み返しても
はじめて読んだかのように
ゲラゲラ笑うことができたので
父に
「おまえはほんとに安上がりだ」
といわれたこともあった笑

ちなみにわたしは
「練馬」を「ねりま」と読むことも
たしか
さくらさんのエッセイで学んだ。
漢字の学習までしてたわけだ。

どのエッセイか失念したが
さくらさんの友人が
さくらさんにあるものを渡すか、
見せるかするために、
来なくていいと止めたのに、
真夜中に練馬から自転車で
何キロも飛ばして家までやってきた、
というエピソードがあった。
さくらさんの当時のおすまいは
都内と書かれていたと記憶してる。
都内のどこであるかは、
いま思い出すことができないが
東京といってもとても広い。
常識ではかんがえにくい距離だ、
というかんじのニュアンスを
書きぶりから 感じた。
当時のわたしは、まだ辞書がひけなかったし、
東京都練馬区を、実感として よくしらなかった。
「練馬」が読めない。
どこにあるかもよく知らない。
馬のつく地名というと
群馬県くらいしか、イメージできない。
群馬は「ぐんま」であるから
「練馬」が地名ならば
「れんま」かな、と当時のわたしはおもった。
このへんからもう
「れんま」を群馬とかさねて、
というかほぼ イコール群馬として
考えてしまっている。

まるちゃんのお友だちは
「れんま/群馬」から東京に
自転車できたんだ!すごい!
という驚きに わたしは興奮した。
さめやらず
仕事から帰ってきた父に
本を読んで聞かせた。
れんまからおうちまで
自転車でくるなんてすごいよね!
父はウンウンと聞きながら
なにもかも理解したみたいだった。
「『ねりま』は東京で、群馬じゃないけど・・
でも まるちゃんのおうちまで
自転車でくるなんて たしかにすごいな。」
「練馬」のただしい読みを知らされたうえに、
「群馬から東京にきた、と 
いつのまにかまちがったイメージを
ふくらませてしまっているかわいそうな子」
へのフォローも怠りなかったものだ。


さくらさんのエッセイは
エンタメ本だ。
教養とかそんなものじゃない。
深いことなんか書かれてない。
たまにはそういったことも書かれてるが
なにごともあまり深刻に書くまいという、
からっとした姿勢が
どの著書からも感じられる。
キレのいい文体で
毒にも薬にもならねえよしなしごとを
圧倒的におもしろおかしく読ませてくれる、
それだけ。
だが
子どもだったし 世間知らずだったわたしは
「まるちゃんが一足先におとなになって
いろんなことを教えてくれている」
みたいな感覚を
おそらく、さくらさんのエッセイに感じていて
バカみたいにまじめに貪欲に
いろんなことをそこから吸収していた。


印象ぶかいのは、先にちょっと挙げたが、
実のおじいさんの葬儀に関するエピソード。
「ちびまるこちゃん」は
作者の自伝的なマンガであることが しられている。
まるちゃんのおじいちゃん「友蔵」さんは、
とっても孫思いでやさしい人だ。
だがさくらさんは 実の祖父を好いていなかったと、
お葬式のエピソードにおいて 明言している。
いじわるで、ぼけたふりをしてうそをつくし、
がめついところがあり、大嫌いであったと。

この、祖父の葬儀に関するエッセイは
初出の段階から
ずいぶん物議をかもしたようだ。
もものかんづめ」の著者あとがきによれば、
読者から
「死んだ家族のことを悪く書くなんて」
「さくらさんがきらいになった」
などという反響が、すくなからずあったとのこと。

しかしさくらさんは、
それらを受け止めたうえで
堂々と反駁していた。
ほんとうのことを書いたまでである。
家族だからといって
なかよし円満とはかぎらない。
「ちびまるこちゃん」の友蔵じいさんは、
「わたしもほんとうは祖父と
こういう関係を築きたかったのに」
という願望を込めたキャラクターである。
祖父の葬儀のエピソードを読んで
わたしを嫌いになったというなら、それでけっこう、と。

家族だからってなかよしこよしとは限らない、
嫌われることをおそれて
書きたいことをがまんするようなことはしたくない
そのスタンスに
子どもながら共鳴したことを記憶している。


享年から逆算すると
わたしはたぶん いま
もものかんづめ」執筆当時の
さくらさんより年上だ。


エッセイはだいじにしまっておき
また読み返してゲラゲラやりたい。


やすらかに。