BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『検察側の罪人』-180826。

※ねたばれというほどのことは書いていません。




検察側の罪人
英題:KILLING FOR THE PROSECUTION
原田眞人監督
2018年、日本
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www.youtube.com




原作はこちらの小説


books.bunshun.jp

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観た。
想像していたよりずっと重厚。
また、観る者に、きわめてまじめな
問題提起をしてくる映画だった。



だが、観ていてときどき
「まあしょせんは『おはなし』、
『エンタメ』なんだよな」
みたいな気持ちにはなった。
おはなしもエンタメもなにも、
映画は 映画であることによって
すでにおはなしであり、エンタメだ。
それなのに
なぜこのように感じたかといえば
言葉そのままの意味のことを思ったわけではなく・・・
つまり
まじめな物語だけに
こっちもすごくまじめに観ちゃうのだが
そうすると説得力の不足とか
設定のよわさとかがどうしても
みえてしまって たまにちょっと「しらけた」、
そういうことだとおもう。
本作が単独オリジナル脚本なら
それは脚本のまずさということにつきるが
原作ものなので、
原作も一定のレベルでまずかった
ということなんだろう。
たとえどんなに
「原作よりおもしろくしてやる」という
りっぱな気概があり
アレンジも巧みな映画化作品だとしても
いいミックスは
いいマスターなしにはできない。


まあ、たまにそんな感じで一瞬
「しらける」かんじがあったことは事実だった。
だが
じゃあこの映画は駄作かい、というと、
そうともわたしは感じなかった。


おもしろかったし、
何度もいうようだが
すごくまじめに
うったえかけてくる物語だった。

オープニングが工夫されていた。

また
らせん階段の描写は
ヒッチコック映画の映画や、
(なぜか)ジェームズ・エルロイの
小説を連想させた。

ラストの別荘のシーンで
ひとりは階上にむかい
ひとりは階下にむかう・・・というのが、
(これまたなぜなのか、)
エッシャーをおもわせた。


期待したとおり、
木村拓哉二宮和也両氏の
ダブル主演は
すばらしくみごたえがあった。
このふたりの演技バトルだけで
2時間じゅうぶんたのしめた。


若手検事の啓一郎/二宮と、
参考人・松倉の 対決は
すさまじかった。
「二宮くんってこんなにやれる役者なの!?」
心底おどろいた。

二宮くんの演技には・・・
一朝一夕ではきかない
準備と練習、台本読みの
努力がうかがえた。
「伸びがいい」というか
まだあれよりももっと
何かやってくれ、と頼めばいくらでも
「あ、いいっすよ♪ 」といって
別の演技プランを見せてくれそうな
おそるべき潜在能力を みたようにおもった。
ニノ検事が いきなり松倉を怒鳴りつけたとき
わたしは本気で驚いて
シートのうえで1センチくらい飛び上がった。
ニノ検事はそのあと(多分)2分以上も 延々と
怒鳴ったり、犠牲者の写真を投げつけたり、
松倉の変なクセをマネしてみせたり、
しずかな声でねちねちと脅しつけたり、
手を変え品を変えして
松倉にプレッシャーをかけつづけた。
気圧された。かたずをのんで観入った。
まばたきするのも惜しいような感じだった。
この取り調べのシーンがおわったとき
乾ききっていた眼から 涙がつーっとでた。
あのセリフのよどみのなさといい
『わたしがやりました、の一言をひきだすために、
 あえて怒った演技をしてプレッシャーをかけることも
 検事の仕事ではあるものなんです』
という意味での演技感といい
まとめると
「二宮くんスゲエ」。


木村拓哉さんは
気鋭のベテラン検事を演じていた。
ニノ検事は、研修生時代からこのベテラン検事に心酔している。

キムタク検事は、おのれの正義のために
ある決定的なボーダーラインを
踏み越えようとする。
いざ、という時、
彼の心は「やるんだ」と決めていても
体が拒否反応を起こす。
この場面がじつによかった。
脆い人間の姿。
ああいうとき、
人はたしかに「ああなる」だろうな、と思わされた。

一線を越えてしまってからの
キムタク検事の眼は、
(撮影時に、光の入れかたを
工夫したからなのだろうが)
ツヤ消しの黒メノウのようだった。
顔の筋肉のうごかしかたも、
不自然におもえ、
頬骨のあたりが緊張して
ひくひくしていたし、
うまくとりつくろっているつもりでも
ロボットみたいになっていた。

正しいことをしてやったぞ、
俺はなにもわるくないんだ、なんて
キムタク検事は絶対におもっていないだろう。

厳密にいえば
彼は正義を執行したかったのではなく
たいせつだったあの思い出を、
あのかわいらしい女の子を
汚されたかなしみ、
なにもできなかった くやしさを
わすれることができず、
「ああでもしなければ」、
もう苦しくて生きていけなかった。
というだけのことだとおもう。
日和って、正義を出したりひっこめたりする卑怯者、
というのとはちがう。
キムタク検事の正義は、あの女の子の思い出に
関することにだけ 発動した。
たまらない心の痛みに、
彼が「正義」と名前をつけただけなのだ。

キムタク検事は、検事の仕事に就いてかなり長い。
わたしが思うに、このような仕事をしていれば
「こいつ絶対にクロなのに、くやしい、
不起訴にするしかない」
なんてことは過去に何回もあった、
そういう背景があることを想定してもまったく
的外れではないだろう。
では、キムタク検事はこれまでにも別件で、
法で裁けない犯罪者に
ひそかに正義の鉄槌をふりおろす
そういうことをやったことがあるんだろうか。
すくなくとも映画をみていたぎりでは、
そのような設定はまったく感じられなかった。
もし別件で何度も 
今回みたいなことをやったことがあったら、
今回の物語の件でも、
今までにやってきたことを、またやるだけなので、
もっと手慣れた様子だったはずだ。

キムタク検事は あの女の子のことだけに反応したのだ。

かといって、あの子のために、と その一心で
検事を志した、とかいうほどでもなさそうだった。
あの女の子のことが キムタク検事の人生に
そこまで実際的に影響してきたようには、
(映画をみたかぎりでは、)
わたしは思えなかった。
長く検事を続けてきて、経験を積んできて、
今になって、
あの子の無念をはらせるチャンスが
たまたまめぐってきた。
そうなると、根がまじめなだけに
おもいこむと抑制がきかず
地位があり能力もむだに高いので、暴走した、
というかんじにはみえた。
まあでも人の心とはそういうもんだとも思う。
「●●したい一心で」なんて、そうそうありえない。
人は、日々の暮らしや気持ちを消化して生きている。
人は、きわめて雑多な人生を普通に生きている。
でも何か、いくつになっても、
どんなに人生経験を積んでも、心のこの部分だけは、
突かれると妙にムキになってしまう、みたいなのがある、
・・・そういった感じのものだと思う。


キムタク検事は、
「俺がまちがっていた」とか
「だれか俺を止めてくれ」なんて
言えなかったのだとおもう。
そりゃそうだろう。
恥を知っていたらそんなこと口が裂けても言えない。

だれよりもそんなことは自分が内心
いちばんわかってるんですよ・・・ってことを
かわいがってきたニノ検事に
ずばり言われてしまうシーンがあった。
あの時の、つらそうな、なさけない、
キムタク検事の表情は、リアルでよかった。


ニノ検事が
キムタク検事に心酔しているという
だいじなポイントの説明が
弱かったことは問題だったと思う。

二宮和也くんは見るからに
「サトリ系」というのか
なにやってても つまんなそうな顔だ。
いっちゃわるいが、例えば、
「僕はこの人についていくんだ! 」
とか殊勝なことを考えて、
職場のカッコイイ先輩とか上司を
メンターとして崇拝するような
キラキラおめめの純真な若者・・・とは
対極の人におもえる。
二宮和也くんその人がそういう顔で
冷めたキャラに見えるから、
二宮くんが演じる若手検事も
そういう冷めたキャラにしか見えない。
でも、ニノ検事は、まさに
メンターたる存在の登場を待ち望む、
目のキラキラした若者、
として造型されていたのだ。
だとすれば、もう少しわかりやすい、
「かわいげ」みたいなものが欲しかった。
先輩! 先輩! と子犬のように
キムタク検事にくっついてまわるかんじが、
もっとあってもよかった。
二宮くんの顔が、そっち系の面構えじゃないだけに、
多少やりすぎってくらい、いじらしい後輩キャラを
行動によってもっと強調した方が良かったと思う。
もしかしたら二宮くんは、
そういう演技をちゃんとやってたのかもしれないが
残念ながらわたしには伝わらなかった。
心のどこかで人をばかにしてる
(それはキムタク検事だけでなく、
基本的にだれのこともばかにしてる、
という感じだろうが・・・)
そういうのが感じられてしかたなかった。
はじめてキムタク検事に
牙をむくシーンが
すばらしかっただけに
もっとちゃんと丁寧に
「尊敬してるんです、
おねがいだからずっと
尊敬させてください、
あなたが犯罪者かもしれないなんて、
疑いたくありません、
どうか俺のかんちがいであってください」
的な・・・疑惑と葛藤の軌跡を
みせてくれていれば。

なにを考えてるんだか
さっぱりわからないかんじが
いまの若者、ってやつなのか
どうかわからないが。


だが 何度も言うけれども
基本的には
キムタク・ニノのふたりだけでなく
脇をふくめみんな
すばらしい仕事をしていた。


優秀な人、高い能力をもつ人は
社会に、国に求められる。
しぜんと
人々を牽引するような仕事のところに
あつめられていくものだとおもう。
三権のトライアングルの頂点とかに。
だからキムタク検事が検事になり
学生時代の仲間が
国会議員や弁護士になりして
それぞれにえらくなっても
まだ友人関係がつづき
たまに会っては超高級店で
食事をしてても
べつに
そんなうまい話があるかい、
とはならないだろう
そんなうまい話に
なることがふつうにあるのが
あるヒエラルキー
頂点にいる人たちなんだとおもう。
そこに自分がいないから
わからないだけだ。
優秀な人の一族は 
郎党そろって優秀である可能性がたかい
優秀であることによる
既得権益、地位、立場をまもるために
一族みんながささえあい
立場を保ち受け継いで
なにかあれば助け合ったりするように
なっている。
優秀な人の一族とは いってみれば
しがらみであり血であり呪いだ。
生きているうちは ほぼ絶対に
ぬけだせないレベルで
そこにどっぷりつかっている。
そうして彼らのうちのだれかは
崇高な理念の実現のために
ネオナチやらヤクザもんやら
人権派きどりだがおつむが気の毒な、
どこぞの業界の重鎮やらに
金をつかませ利用したり
やっぱりいらないとなれば
殺してみたり・・・
そんなこともあるんだろう。
べつにへンじゃない。
自分はそこまでのことをしなければ
身を守れないような世界にいないから
見えない、それだけのことだ。

だがそんな勝ち組?の友人で
現職国会議員の醜聞と
そんな彼らの共通の思い出である
あのかわいい女の子の
時効事件の再燃が
時間的に完全に
かさなることにかけては

そんなうまい話があるかい!

そこがまあ
しょせんおはなし、
エンタメなのではあるが。
サイドストーリーとして
学友たちのことを
ちりばめるのはかまわない。
でも、リンクさせるなら
せめてもうすこし
「あたかも関係があるかのように」
接着を頑丈にしてほしかった。
そうすればこちらも
だまされることができた。



ちょっとなんだかいろいろ
惜しい気はしたが
ひたむきであり、
ちゃんとした映画だった。
藁の楯』(2013年)ほどのズサンさは
感じなかった気がする。
いや『藁の楯』もそんなに
ヒドカッタとは思ってなくて
それなりに楽しんだ映画ではあったが。

この映画と同じようなテーマの映画で、
もっとお金をかけて作って、話題になっていても
結果ぜんぜんおもしろくない、という作品なんて、
ハリウッドなんかでいくらでも観たことがある笑
それにくらべたらずっとずっと意欲的で、
作品としてまじめであり、
一種の折り目正しさのようなものさえ感じた。
良作だった。

なんといっても
木村拓哉さんや二宮和也さん、
その他すべての役者さんの
名演をたのしむだけでも、
この映画はじゅうぶん、間がもつ。
とくに二宮和也の迫真のキレ芸に
ふるえあがりたい方には
自信を持っておすすめできる作品だ。