BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『ファンタスティック・プラネット』-180716。

原題:La Planète sauvage 
ルネ・ラルー監督
1973年
仏・チェコスロヴァキア合作

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フランス語版だったため ちょっとよわったが
セリフがおおくなかったし、英語に切り替えることで
あらすじくらいはどうにか理解できた。

ドラーグ族とオム族という
ふたつの種族が共生する、とある星の物語。

高度な科学技術力を有するドラ―グ族は
オム族を、虫けらかなにかのように扱い、
スナック感覚で定期的に大量虐殺している。
オム族は、ドラーグ族におびえながらも
小さな集落を各所に築き、しずかに暮らしている。
ある日、オム族の子どもであるテールは
ドラーグ族の少女に、ペットとして拾われる。
成長したテールはやがて逃走、
少女のもとで吸収したドラーグ族の知識とテクノロジーを 
同胞のために活用し、オム族の解放と未来を模索していく。
だが、ある事件をきっかけにドラーグ族のオム族殲滅作戦が激化。
テールたちの集落も危険にさらされる・・・

このストーリーをどこかで先に、
観るか読むかして、知っていたような気がする。
でも、なんだかはわからない。
ストーリー自体は、奇抜というほどのことはないので
なにか似たような小説や映画と混同しているのかもしれない。

このようなアニメ映画が40年以上も前にもうあったのか。

ボッティチェリとフラ・アンジェリコ
ヒエロニムス・ボスを細かく刻んでよく混ぜたあと
4世紀頃の宗教画から煮だしたスープをたっぷりかけて
煮こごりにしあげた・・・そんなビジュアルは
かわいくもなんともなく、ただただ生なましく、
気味が悪くて、生理的な嫌悪感さえあおってくる。
でも、仮に、キリスト教文化圏外の映像作家が
どんなにそっくりに本作をまねたものを作っても
絶対にこの感じは出せないだろうと確信できる。
何かどうしようもなくこびりついた、
文化特有の、においのようなものがあり、
そこに強くひかれる。

諸星大二郎の 
不安の立像 や カオカオ様がとおる 
夢見る機械 などを、アニメで観てみたいような
気がする人はきっとわたし以外にもいるとは思う。
でも、その人数は極めて少ないだろうし、
また、アニメ化して、それでどうする! と考えると
どうしようもない笑。
諸星大二郎のあっち系のマンガは
アニメ化はされないような気がするし、
変な話だが、アニメ化されても、なんか、困る笑。
早すぎたし、遅きに失したし、いつでもないのだ。
本作は諸星大二郎じゃないんだけど、でも
諸星大二郎ファンが 叶わないと知りつつも
胸のなかに熾火のように残しているかすかな希望を、
決してイヤなきもちにならない形で埋め合わせてくれた。

テールが 新天地への旅団に参加していたのか、
それとも 星に残り、どこかの段階で命を落としたのか、
はっきりとは描かれていなかった。
彼は「脱出してください」と 仲間に指示してはいたが
「自分も一緒に逃げます」とは言わなかったとおもう。

一方的な蹂躙と決死の抵抗、戦いののちの共存
という重大な事実を無視し、
無機質な記録だけをかたりついでいく・・・という
結末の描写には、強烈な皮肉を感じる。

こういう映画は子どものときにうっかり観て、
心の奥底に 傷として、しっかり刻み付けておくのが
良いような気がする。