BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

ベルセルク-むかしのいくさについておもったこと-180714。

「覇王の卵」「ドルドレイ攻略」を
ゆうべ夜通し観なおした。
何度もみても、またみると、
それまで気づかなかったことに気づいたりする。
CGによる人の動作の表現が不自然で、
やっぱりどうしてもすこしは気になるが、
限界があるなかで 必死に伝えようとした
結果であることはよく理解できる。

黄金時代の ガッツはかわいらしい。
健康的に甘ちゃんで、
ちゃんと理解できる人間らしさで、いい。
助けてやったキャスカにかえってボコボコにされて
人がこんなにしてやったのに なんだその態度はと
怒ってみたはいいものの 彼女の涙をみてたじろぐ 
の流れはほんとうにいい。
そんな彼の心が 急速に変化し 凍てついていくようすが
いろんな制約があるなかでずいぶんうまく表現されているとおもう。

ドルドレイ攻略戦は何回みても 迫力にみち 劇的だ。
グリフィスによく似た容姿の美少年たちが
変わりはてた姿でうつしだされていくが
あれはグリフィスのあゆむ道を
ずいぶん端的に暗示していたんだなと 
あとでわかったりした。

ところで、
この映画にかぎったことではないのだが、
昔のいくさを描く映画では
たたかいが始まる前に、軍の総大将が、
スピーチをして兵士たちを鼓舞するシーンが かならずある。
あれなんだけど、
ほんの50人~100人ばかりの軍隊だとしても、
風向きなどによっては声が風に乗って 
流れてしまっただろう。
まして数千数万の軍隊のまえであんなことをやっても
たぶん兵士たちにはぜんぜん
大将がいっていることが聞こえなかったんじゃないかとおもう。
今みたいにマイクとか巨大スクリーンとかがあるわけじゃないし。

いまの技術を駆使したとしても 
おなじことをおなじ環境下でやったら
効果があったかどうか あやしいとおもうのだが

あんなことを 当時のいくさの現場で
ほんとにやっていたのかなーと。

グリフィスの声なんか
細くて高くてとおらないし
ふつうに映画として ちゃんと
グリフィスの声がきこえるように
音声などが加工されたものを聞いても、
兵士たちが気の毒になるくらい、
何をいってるんだかさっぱりだ。
並んでいる軍隊のいちばん前のところを
馬ではじからはじまで走りながら叫んでたが
もうあれじゃどうやったって
ぜんぜんきこえないとおもう。
カッコイイことはいっているんだけど。

全軍突撃のタイミングとかも、
いったいどうやってはかっていたのだろう、
当時の兵隊さんたちは。
おおきな軍隊であればあるほど
号令と行動の時間差がおおきすぎて
一斉突撃なんて
軍隊の最後尾のさいごのひとりが動き出すまでに
何分かかったことか。
早馬や信号旗などによる伝令はもちろんあったんだろうが、
「われわれは本日こういう目的でこういう作戦でたたかいます
あなたにやってもらうのはこういう行動です」
なんてことが 
各自に知らされたわけではないとおもうし
なにがなんだかわからなかっただろうね。
携帯電話もスマホもパソコンもないんだし
なんなら時計もないんだし
LINEで
「30秒後 右前方 赤い旗チェック!
旗があがったら全軍突撃」
とか回ってくるわけでもないからな・・・

さいごの一兵卒のほうなんかは、
自分が どんな命令で なんのために
なにをやっているのか
なんにもわかっていないで、
みんながやってるから自分もやるみたいな
かんじだったんだろうな・・・

そんななかで
自分がなんのために生きるのか
だれのために死ぬのか 
自分とはこの軍にとってなんなのかとか
考えてしまったとしたら とてもつらかっただろう。

なんのためにも生きられなかったろうし
だれのためにも死ねなかったろうし
その軍にとっても別になんでもなかったのに
命だけは失う、というのが
ほとんどの兵士の立場だったろうとおもうので。

人がゴミのようだ涙。