BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「パンク侍、斬られて候(2018)」-180709。

※ねたばれはしていないつもりですが 内容には触れています。

先日、「万引き家族」を観るつもりが気が変わり、
パンク侍、斬られて候」を観た。
(石井岳龍監督、2018年、日本)

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監督の石井岳龍という人を存じ上げなかったが
以前は「石井聰亙」名義だったそうだ。
石井聰亙なら知っている。
「エレクトリックドラゴン80,000V」や
五条霊戦記」「ユメノ銀河」の監督だ。

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そうとわかったうえで考えてみれば
浅野忠信永瀬正敏綾野剛も 
このかたの監督作品で おなじみの顔ぶれだ。

・・・

本作は
賛否が極端に分かれそうだ。
わたしは賛。

心からたのしんで観た。
役者さんたち、開放的な表情だった。
脇役のなかには、演技経験のあさそうな人もたくさんいた。
あとで調べたところによれば
本職はファッションモデル、などのような。
そんなかたがたも、
きっとほかの監督の、ほかの作品であったなら
このような表情を見せてはくれなかったのだろうとおもわされる・・・
通常なら出ない領域の力まで引き出されているかのような・・・
そういう かなり何か・・・
役者としてだいじなところを超えた
開けたかんじの演技をしていた。
声とアクションが でかかっただけかもしれないけど笑。
現場の雰囲気、ベテランの役者さんたちの
(浅野忠信なんかはもうフリーダムすぎだ。)
サポートのたまものだろう。
だれもがのびのびと演じていたとおもう。

主演の綾野剛も、
わたしなどが言うまでもなくうまい役者さんだし、
とてもよくやっていた。だがまあ、本作ばかりは・・・。
いや、この人がまずかったのでは、けっしてない。
共演者が共演者であるので・・・。
具体的には 豊川悦司浅野忠信
完全に食われるどころか はらわたを引きずりだされ
骨までしゃぶりつくされるありさまであった。

やすっぽくムリのあるCG演出や、
凝りも凝ったり浮きまくりの衣装デザイン、
とってつけたように存在が不自然な舞台装置
どこもかしこも しょうもない映画だが、
もう、そんなのネタ、ツッコまれるところまでおりこみずみとしか。

原作をよく咀嚼している人が、
相当うまく脚本にした印象。
時間内におさめるためには原作中のシーンやセリフを
すべてうつしとるわけにはもちろんいかず
うまく取捨選択、エピソードの配置順を入れ替えるなど
する必要があったはずだ。それをかなり成功させていた。
おおくの制約のなか、原作のエッセンスを確信的にとらえ、
まじめに映像化していた。

本作でいちばんわたしが好きだったセリフは
「次は『お豆ぴょんぴょこぴょん』だ。」笑。
何としても吹き出してしまわないように、
二度とテイクを重ねずにすむように
あごや肩にギリギリと力を入れ 
死に物狂いでポーカーフェイスを
保っているのが痛いほど伝わり 
染谷将太に深く同情した。
まだお若いのにこの人も優秀だ。
ぶっとんだ演技を、造作もないという顔でやってのける。
濱田岳とかを見ていても同じような感想をいだくが。
本作の染谷将太は、ほぼ全編にわたり、ふんどし一丁。

北川景子さんは女神のようだった。
欲をいえばもうちょっと本気で踊ってほしかったが
まあ あんなものかもしれない。

・・・

映画そのものについては、全体的な感想とかは、言えない。
この映画について的確に語るための言葉を、わたしは持たない。
これだけ書いておいてなんだが、
説明できるとおもって書いてはいない。
お知りになりたければ、
1800円払って観ればいいじゃない。としか笑。

でも、原作についてならば、すこしは語れる。

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原作のすごいところは、「文学」である、という点にある。
見た目はエンタメ。おふざけ。
おさるの軍団と人間の大バトル、
あやしすぎるカルト集団「腹ふり党」・・・
マジメに理解しようとするのもばかばかしい
「荒唐無稽」をたっぷり詰め込んだ娯楽小説だ。
でも、
目を細めてすかしたり近づけたり遠ざけたりすると、わかる。
わたしたちが生きる社会、
人の恥ずかしさ、ずるさ、愚かさをたくみに風刺した
真摯な文学作品だ、ということが。

作者の表現力は 卓越の境地にある。
基本的には 
「おもいついたことぜーんぶ書いちゃうもんね!」
というかんじの 言葉の垂れ流し、
ぷんぷんの肥溜めみたいなのだが、
その実、いたってまじめに書かれている。
ゆるみきった文体、言葉の決壊状態が
たまにピリッと引きしまるのだ。

たとえば主人公と刺客のバトルシーン。
「おほほ。あなたに拙者が斬れるかな。というかこちらからいくよ。
『悪酔いプーさん、くだまいてポン』かなんか知らんが、じゃあ
これはどう?僕の秘剣、『受付嬢、すっぴんあぐら』を受けてみよ」
<中略>
「ううむ。まじできるな、お主。それでは今度は俺の秘剣、
『蜜蜂ハッチの目って狂気だよね』を受けてみよ」
「メルヘンで攻めてくるな、君は。こいっ。」
・・・
いちおう江戸時代を舞台とする物語で・・・
こんな会話表現がえんえんとつづく。

なんつうものを読ませてけつかるのだ、と
愛想がつきはてるかとおもいきや

きゅうに
「誰もなにも言わなかった。
土間に湿気がたちこめていた。
掛は頬に汗が流れるのを感じた。
内藤は焦げ臭い匂いを感じていた。
外から樹が風に揺れる音が聞こえてきた。」
・・・などと すらすらと書かれれば、 
どうしたって
太宰治の魚服記とかを 思い出さずにはいられない。

「違うんだよ。
奴らはそれが合理的だから信じるんじゃないんだよ。
奴らは自分が信じたいことを信じてるんだよ。
お前ら全員アホだから死ぬまで無給で働け、と言ったら信じないよ。
おまえらはそもそも楽して生きるべきでそれができないのは
世の中が間違ってるからだ、って言ったから信じたんだよ。」
このように言われたら、なにかびびっと、心に痛みがはしる。

「・・・言葉の世界は言葉によって派生したものによって
もうひとつの世界と串刺しにされていると言うことだ。
変な関係だよね。」
「根源にかかわる問題をきちんと解決しないとどうにもならない。
でもあいつらは当面の問題の処理にばかり終始しているんだ」
などと しれっと言われようものなら、 
え、なになに・・・どうした?
いつからこんな話になっていた??と 
くやしいながら数ページさかのぼって
まじめに読まなくちゃ。というかんじになるではないか。

物語ることによって人の世の一面の真実を切り出す
そういうありかたはつまりまさしく文学だから、
パンク侍は確実に 文学作品であるとおもうのだ。
言葉の扱いかたと選びかた、描きかたにも
もうむしろそんじょそこらの「文学」作品に
あんまり見いだせないくらいの 執念、感性を
わたしは感じるので、その点でまさしく文芸だ。
だから町田康を読むのを、わたしはやめることができない。

まあでも 町田康の作品に触れるのに
いきなりパンク侍となると
それでいやになって一生読まなくなる人もいるかも。
それはもったいない。となるとパンク侍を読むのは、
たとえば「告白」(中公文庫)など、
(少し)かっちりしたものを読んでからでもいいのかも。

告白|文庫|中央公論新社