BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

いとこの3きょうだいと、わたし自身のきょうだいと、母-180708。

内田樹さんが ご自身のサイトで、

内田樹の研究室


「死刑の存否について、『どちらか』に与して、
断定的に語る人を私はどうしても信用することができない。
死刑は人類の歴史が始まってからずっと
人間に取り憑いている「難問」だからである。」

「『答えを求めていつまでも居心地の悪い思いをしている』方が、
『答えを得てすっきりする』よりも、
知性的にも、感情的にも生産的であるような問いが
存在するのである。」

と書いておいでなのを読み、
自分としては深く共鳴した。
ずっと考えていていいんだ、
どっちだかどうしてもはっきり決められない、
というきもちでいてもいいんだと思えた。
考える時間ができた気がして、ほっとしたのだろう。

・・・

叔父の長女(わたしのいとこ)が 
この夏、結婚するので
母と兄、わたしの分のお祝いをわたすため、
叔父宅をたずねた。

長女は精神科の看護師さんだ。
もとは、母(わたしにとっての義理の叔母)が
ひどいアレルギー体質に悩んできたのをみて
看護師をこころざしたという できたお嬢さんだ。
ひょうひょうとして、からっとした性格。
だれにもわけへだてなく接するのですごく周囲にしたわれ
友だちが多い。
でも、繊細なところもある。
後述する次女は、楚々とした美少女といったルックスとはうらはらに
案外さばさばして 自分の感情の処理がうまい。
つらいときにはウワーっと泣いて 思いっきり愚痴って
おいしいものを食べて、ぐっすり寝て、
・・・翌日にはけろっとしている。
それにたいし、長女はストレスをためやすい。
つらいことがあっても なかなか人を頼るといったことができず
胸のうちにためこんでしまう。泣くこともできない。
女の子であるので そうしたところが体調にも出て、
思春期のころから、まいってしまっているところをたびたびみてきた。
しかし、ひとりでどんどん海外旅行にいったり 
(韓国、台湾とかいった近場だけでなく ポーランド、エジプト、
チベットフィンランド、アフリカなど ちょっと行くのが
大変そうなところにも、ひとりで行く。)
クーポン雑誌を片手に食べ歩きをしたりする趣味もあり、
快活ないい子だ。
勉強が大変な看護大学、激務の看護師とずっと忙しく、
あんまり 浮いた話をきかなかったが、
このたびとてもすてきなかたと出会ったそうで、
とんとん拍子に話がまとまった。

わたしは彼女が生まれたばかりのときからしっている。
赤ちゃんのころは、おねむになると人の耳たぶをつまんで
「シンドーサンなっちゃった」との 謎の言葉を発し
眠いということをアピールするという 奇妙な習慣があった。
わたしはそれがあまりにもおもしろくて、当初
叔母に「シンド―サンて何!!!」と何度もきいたのだが
叔母も当然わからないので
「わからないんだけど、この子は
眠くなるといつもこういうのよ」と言っていた。
(のちに、これを叔母に話したところ
「あなたも8歳か9歳そこらだったのに
なんでそんなことを覚えているのか」と驚かれた。
なんでといわれてもこまる。)
うちに遊びに来ると、いつもわたしの部屋にやってきて
わたしのひざの上にすわり、いっしょに机にむかって
絵をかいたり本をよんだりしてすごした。
のちに妹ができたので、ひざに乗ってくる子ももうひとり増えた。
わたしが中学3年生のころ、彼女とふたりきりのときに、
「おねえちゃんには、お父さんいないの」と尋ねられ、
どう答えたものか苦慮したことを覚えている。
「おとうさんとお母さんの仲がわるくなって一緒に住めなくなり、
おとうさんは別のところにいるんだよ」と
普通に話したのかなとおもうが。
大人になった彼女は、いまは他県で婚約者といっしょにくらし、
県内の精神科病院で毎日いそがしく働いている。
実家に帰ってくるのは原則年1回、10月だけだという。

叔父の24歳の次女が 今日はさいわい在宅。
いろいろな話をすることができた。
彼女は
このくらいの年ごろの女の子が
まず読むかどうかとおもわれるような本を読む。
(菊池寛山本周五郎スタインベックヘンリー・ジェイムズ)
50歳代以降のおじさまおばさまとかが好むんじゃないかなと
おもわれるような・・・映画やテレビドラマを好んで観る。
(「ダーティー・ハリー」シリーズ、タル・ベーラ
名探偵ポワロ」テレビシリーズなど)
中2くらいの子が好きそうな音楽を聴く。
(ワンオク、RADWIMPSケツメイシBUMP OF CHICKEN)
お人形さんみたいに端正な顔立ちの、
すごく聡明な、かわいい子だ。
親を気遣い こまごまと家庭のために立ち働く、できた子でもある。
食事のあとにはちゃんとお茶をいれて みんなに配る。
夜になれば叔父や叔母のために ふとんをととのえる。
叱られるからとか 家族のなかで立場を保持できないからとか
そういうことで しているんじゃない。
彼女にとってはこれがあたりまえ。
彼女は両親にときに スパッとキレのある悪態をつくこともある。

叔父は3人の子のなかでも
彼女をとてもかわいがっているとおもう。
そりゃこれだけいい子でキャラが立ってて美人さんなら
ひいきもするもんだろう。

わたしは彼女とは話がとても合うから
何時間でもしゃべっていられる。
謙虚で賢く、思いやりのある彼女からは
おそわることがとてもおおい。

彼女の弟である22歳の末っ子は
叔父の母校である大学にはいったが
2回の留年ののちに勝手に中退してしまい
いまは映像制作の専門学校にかよっている。
でも、次女や叔父は、
彼がそっち系の分野に関心があるとは ぜんぜんおもえないという。
かといって これというような趣味もなく、
うちこめるようなものもなく、
この子は、いまひとつ何を考えているのか わからない。
次女も叔父も、彼を心配している。
厳格な父に叱られることがこわいらしく
おりいって相談などをもちかけることもない。
できるだけ叔父と顔をあわせないですむようにということなのか
とにかく基本的に部屋にこもっていて でてこない。
夜遅く帰ってきて、明け方まで自室でゲームなどをし
みんなが仕事などで家を出払ったころにおきだして
いつのまにか出かけ、学校にいっているのかバイトなのか・・・

でも おのれをないがしろにするような
乱れた生活をおくったり へんな行動をとるようすもない。

次女が、帰りが遅くなったとき、在宅の弟に
「駅まで迎えにきて」と頼めば、
イヤな顔ひとつせず迎えにいく。

一時、次女が、いつもとおる道のとちゅうで 
知らない男に連日まちぶせされ、尾行される不穏なできごとがあった。
このときは、彼女の毎朝の通勤に際し、末っ子が駅まで同行した。
次女が家を出発するのは毎朝6時半。
末っ子にとっては いつもの自分の生活リズムとかけ離れた
かなりきつい時間帯だったはずなのだが、
彼はこれにも 不平一つこぼさず、寝坊もせずに2週間つきあった。
(まちぶせ男は 数日後に、いなくなったそうだ。)

次女が、怪談話を聞いちゃって怖くなったから
きょうは一緒に寝て!とたのめば、
「考えとく」と返事をする笑。

まあ、こういうのを、
「姉思いのやさしい弟だ」とか単純に言えるかどうかは
人によって意見がわかれるところだろう。
単に 頼まれて、イヤじゃなければやる、というだけのこと
というか
彼の行動に、いちいち理由なんかは ないのかもしれない。
人の行動に、いちいち理由なんか求めてもしかたがないことが多いし。

だが、わるくない気性のもちぬしだ。ふつうにいいやつだ。
クスリも酒もタバコもやらない。
ふにゃふにゃしているだけだ。

この3人きょうだいはそもそも 
全員20代のいい大人でもけっこう仲が良く、
そろってディズニーランドにいったりもしているらしい。

もうずっと前のことだが 
やはりわたしが叔父宅をおとずれたときのこと、
当時 中学生~高校生あたりだったこの3人きょうだいが
わたしのもってきたケーキを 
大人とべつのテーブルにすわらされて
おとなしく たべていたのだが・・・
なにを話していたのかしらないが 突然
3人そろって爆笑しだした。

その光景がわたしにはきわめて新鮮だった。
わたしども きょうだいには、こういうことは起こらない。
きょうだいどうしにしかわからない 何か楽しいことを話して、
そろってゲラゲラ笑う・・・なんてこと、
わたしは 自分のきょうだいとしたためしがない。

わたしの所属する家庭ではそうしたことが発生する余地がなかったし、
(子どもは大人のじゃまをせず静かにしているもの。
きょうだい間の会話などは原則つつしむもの。)
もし仮に起こったとしても、
異常事態として見とがめられたとさえ考えられる。
いやいや、真実はたぶんそんなことはなかった。
つまり きょうだいと話したければ別に、話してもよかったし
笑ったら叱られるなんてこともまさかなかったとはおもう。
だがしかし、
そんなことが起こりうる、あるいは許される空気の家庭ではなかったと
わたしが認識している、ということだ。

ところで、
きょう、叔父宅でみんなで話していたとき、
ずっと自分の部屋にこもっていた末っ子が 
のそっと居間に はいってきた。
「新聞・・・(は ないかな?)」と聞いてきた。
叔父が夕刊をさしだすと、
そいつを丸め、しずかに台所へ。
流しの食器入れを裏返して、何かやっている。
叔父がようすをみにいくと
「さっき下に(Gがはいっていったみたい)。」

別に誰に何をいわれたわけでもないのに
発見したから、自分で退治しようとして、
もくもくと作業をしていたのだ。

叔父は
「(駆除剤を置いてあるんだけど)古いのかな・・・」
と つぶやき
新しいG駆除剤をもってきて 開封していた。

それをみて、
ああこういうのが なんというか
家族として正常に機能するっていうことなんだろうな、と。

叔父は父親として、
しっかり者の長女や 聡明な次女からすると、 
ちょっとふにゃふにゃしているように見える、この末っ子を
心配していると思う。
言いたいことは山ほどあるだろう。
たまに遊びにくる程度のわたしには到底わからない
父子のいろんな心の葛藤がある、と想像している。

でも、末っ子がふにゃふにゃしていても、
叔父はけっして彼をあたまから否定しない。
〇〇をすればふにゃふにゃしなくなるに違いない、
などと自分の意見を押し付けて ムリヤリ何かをさせ、
本人の意思の発露を、制限することもない。
彼が自分でいつか決めるのを、待っている。
当人がどうおもっているかはわからないにせよ、
叔父のほうは、末っ子の状況がどんなであっても
末っ子が家庭内において居場所を保つことを承認している。
末っ子が「G退治」という、家族の運営に関する作業をはじめれば、
G駆除剤をもってきて、その作業に参加するという行動によって、
おれはおまえのやっていること、居場所を承認しているぞと
ちゃんと知らせるのが 叔父だ。

そういうのが、この家族にはちゃんとある。

なにかをしなければ居場所が保持できないとか
そういうふうに 家で思いたくはない。
家の外では、そういうこともあるとおもうけど。

だが、家で思わなくてはならなかった。それは かなしい。

生育環境を憎悪しない。
いろいろわかったとしても
どうにかできたような頭のいい子どもではなかった。
惰弱な子どもであった。
らくなほうを選択したのは わたしだった。
あとあとになって動きづらくなると察知できる頭はなかった。

居場所を確保させてくれたのは 叔父夫妻。
わるいとはおもうが わたしは自分の母のもとではなく
叔父夫妻のもとで それをはぐくんだ。
わるいとはおもうが、という意識、
でもこの人たちは自分の家族ではない、という意識、
ほんとうは母にこそ受け入れてほしい、という気持ち、
それらがあったから叔父夫妻のもとでさえ はんぱにしか
居場所をつくれなかったけど。

母は傷ついたかもしれない。でも奪わなかった。行くなとは言わなかった。
わたしを正常に愛せないことにおそらく悩んでいて、
でも正常に愛そうとすると苦しくて、ときには逃げたかっただろう。
わたしが叔父夫妻のところにいるあいだは
単純に、わたしと向き合わずにすむので、
助かっていた部分もあったのかもしれない。
でも、
わたしがもし人の親で 同じ立場なら、
母のようにできたかはわからない。
だからその点でやはり深く感謝している。