BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

2016年版ベルセルク-180704。

毎日暑くてつらい。
こんな日々がまだまだ続くのかと思うと
涙がでそうになる。

気温が 28度より上がらない土地に、引っ越したいかも。

・・・

2016年に放送されたアニメ「ベルセルク」を
放送当時は みなかったが、今、観ている。

このアニメは、最終的にどのように評価されたんだろう。

今の人たちに こうした物語がはたしてうけるんだろうか。

いろいろ言う人は、いろいろ言ったんだろうな。
いろいろ言う人が、おそらく言ったであろう箇所は、

CGの問題
音楽の問題
ガッツの顔が長すぎる
このあたりじゃないか。

フルCGアニメというやつだ。
人物の動きがぬるぬるとしてきもちがわるく
観慣れるのにかなり 時間がかかった。
あたまから否定するつもりもないけれど、
人間の「歩く」動作を自然に表現できるようになるまでは、
アニメの とりわけ人物に
CGを導入するべきではない、というかんじがする。
歩行の動きのあまりのしょぼさに
ああ まだまだまだまだ ぜんぜん・・・とおもわされる。

音楽は、
個性的で、1曲1曲をじっくりと
曲だけで味わってみたい気になるくらいだが、
「こういう路線」とはっきり言える曲調ではないので、
とらえどころがなく、また、覚えにくい。
そんな音楽が、いろんなシーンで流れまくるせいか、
物語がガチャガチャとして感じられる。

ガッツの顔だが、面長だ・・・ 
でも原作もこんなものだったかなあ?
黄金時代あたりのガッツはかわいらしかった。

だが、3話めくらいになってくると、
まずCGに、そこそこ慣れてきた。

音楽は、あいかわらずカオス感がすごいが、
物語それじたいが言わばカオスであるのだから、
いいではないか、という気がしてくる。
それに平沢進のテーマ曲はカッコイイ。

ガッツの顔のことは、もういい。
いまは、ドラゴンころしの鞘鳴りの音や、
敵の剣と、刃がぶつかりあったときの音が
自分のイメージとかけはなれていることが少し・・・。
いささか高すぎ、やや軽すぎの感がある。
わたしのなかでは、もう1オクターブ低く重く、不快な音なのだ。

・・・

このように あらたに気になる点が
少しばかり出てきてしまったものの、
10話くらい観た今、全体的には自分なりの落としどころがみつかり、
いまや すごく楽しんでいる。

画面におさまりきらない、
描こうにも描き切れない、そんな限界と
作る人たちがせいいっぱい戦っているかんじがして、
そこも いわばベルセルクらしく、いい気がする。

聖鉄鎖騎士団のところから話が始まる、と聞いたときには
当初おどろいた。
どうまとめるつもりなんだろう、と。
原作を読まずに初めて観る人には
たぶん(あるいは最後まで)
なにがなんだかわからないのであろうが、
原作を知って観てみると、
「こういう作りだったのか」
「別の場所ではこんなことがおこっていたのか」
多角的な理解のたすけになる。
マンガを3Dモデル化して、ひっくりかえしたり、
斜めからみたり、裏側からみたりしているような感覚だ。

・・・

ガッツの心の傷の深さを思うと胸が痛む。
「屈強」が人の形をとったような男なだけに
みためからはわかりにくいが、
彼のほど繊細で、深く傷ついてしまった心もない。
選ばれ、生き残ったために
ほかの者には決して代われないし理解もされない
運命を背負うことになった。
彼の心からは、血が流れつづけている。

たしか37巻、ガッツが傭兵をしていたころの
できごとが描かれていた。
囚われの身となった日の夜、
牢屋でみつけた花の精との交流の物語。

ガッツは、エルフが大嫌いだとつねづねいっている。
非力で弱くって、ひねりつぶしてやりたくなると。
なにか彼の性根の部分で、見るだけでいらいらしてくるような
そんな存在かのように言う。
でも、生まれて初めて出会ったエルフとおもわれる
あの女の子に、彼はけっして冷淡ではなかった。
それほど嫌いというのなら あのときだって、
無事に脱出できたら花畑に、などと 
約束をかわすこともなかったはずだ。
でも 約束した。彼女を出してやることはできなかったのだが。
ガッツが嫌悪するのは、エルフではない。
世界から憎まれていると骨の髄まで知ったつもりが
それでも求めてしまう
今度ばかりは信じてもいいのではとつい思ってしまう
そして残酷な現実に性懲りもなく傷ついてしまう
そんな自分の弱さ、ではないか。
花の一輪も守りとおせなかった、あの脱出劇の顛末は
おのれの弱さやうかつさ、甘えを痛いほど思い知らされた
ガッツにとって 苦い苦い記憶であるだろう。
ガッツは 自分への嫌悪を 丸ごとエルフの存在に転嫁して
やつらなんて大嫌いだ、と 言ってしまうしかないのだ。
おれは あきれるほど弱いやつなんだ、甘えていたのはおれなんだ、
ちょっとしたこともやりとおせなかった みっともない野郎なんだ
なんて、他人に 自己嫌悪や罪悪感を
さらけだして 語れるような男ではないんだから。

彼の心の傷はふとしたきっかけでうずきだし、休む間とてない。
彼が救われることを願っている。
ガッツにとっての救いとは何よ、
それを考えると わたしまで気分が落ち込むのだが。

そんなガッツにとってだけでなく この物語全体にとって
パックがいてくれることは、さいわいだ。
おしゃべりでちょっとうっとうしいが、
他者の心に敏感で、
人間ではないけれど人間的なあたたかみにみちた
心のもちぬしだ。
パックの存在が 日々ほんのすこしだけれども、
ガッツの心をうるおすように見える。
ガッツの心は、傷つきすぎていて
癒やしても癒やしても
そばから別の個所が裂けて血がふきだすが
でも、どんなにかパックによって、いたわられていることだろう。