BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

無題-180529。

気分転換、気晴らしの方法がけっきょくよくわからない。
ひとつふたつは見つけた気もするが
いつでもすぐにできることではないために
ほんとうに煮詰まったときにかぎって 
逃げ込むことができず 苦しむはめになる。

それについて考えてじたばたすることじたいが苦しい。

社会生活をおくるためには、
自死を選択しないためには、
ごまかさなければならないことが多々ある。
それに
いかにさしせまった思いに苦しんでいようとも、
やさしい人たちが笑わせてくれたときには 
つられて笑顔になる場合もある。
そうさせてくれる彼らが心からいとおしい。
なぜなんだとか、自分のせいだったかもとか
彼らに万が一にも思わせないためには
やはりいまこの環境でこの状況で
自死だけは絶対に 選ぶわけにはいかないと 
そういう意味でひきとめてくれる人たちであるから。

食事は残さずに食べるもの、という意識があるし
味を感じないこともない。
きれいな絵をみれば心が動かないこともない。
音楽をきけば美しいと感じないこともない。
トイレにいきたいとちゃんと感じる。
そんなことって、
欺瞞だと、ごまかしだとおもわないですめばなあ。
罪悪感とか ウソをついてる感みたいなのを
こんなに感じなくてすめば。
人とかかわって生きる以上
見て見ぬふり、感じないふり、感じているふりは欠かせない。
人とかかわらなければ そういうのはないのだろうか。

昨年末からこっち、
気分転換、気晴らしの方法を
みつけることが生活のほぼすべて。

あんまり弱虫で、しんぼうがきかない。
そんな自分には、わきめもふらず闘い続けるって、できなかった。
へし折れた心、いたむ心、
なにもかも破壊したくなるような烈しい怒り、
傷、かなしみ、苦痛、孤独、
それらと向き合い続ける、というのがとうていできなかった。
向き合い続けることは、すなわち認めることであるとおもう。
へし折れたという事実を、
いたみを感じているという事実を、
解放したら最後 コントロールがきかないほどの
怒りが心の奥底にたぎっているという事実を、
傷を負った事実を、
かなしんでいるという事実を、
苦痛を感じているという事実を、
さびしいという事実を。
でも認めたとして、どうすればいいのかはわからない。
なんの力も自分にはない。それはそこなわれた。
そして、ここからはひとりだ。
助けてくれるものはなにもない。
なのにこのようなことどもとどう闘えばいいか、
それがわからないのに正面きって 受け入れたところで
負けが決まっているとおもうのだが。
負けとは、生きていけない、と結論を出すことだ。
自死をできれば選択したくない。

なにもかもダメになってしまった、と感じる。
今後たのしいことがあるかもとかいう
素朴で根拠のない希望は、もうみいだせない。

これほどつまらない、なさけなくて見苦しい、
賤しい人間がいるだろうか。こなごなで、なにもない人間が。

なんでそこまでおもうのかと 自分でもおもうことはある。

たかが 愛した仕事を失っただけ、
やや重篤に体調を崩して完全な復調に時間がかかるだけ、
たかが上司にたかが1か月、暴言をはかれつづけただけだ。
やめてくれといえばいいのに言えなかった、
そんなばかげたことのせいで。
自分がまちがっていた。不当な扱いを拒めなかった点で。
それだけのことだ。
凄惨な殺人の現場を目撃したとか乱暴をされたとか
心が焼き切れて当然の体験をべつに したわけじゃない。

なのに なぜこんなに挫折を感じるのか。
胸が痛む。わたしはかなしい。
かなしいつもりはないのに勝手に涙がでてくることはあるくせに
ほんとうにかなしいときにかぎって涙一滴でてこない。
感情を解き放つのが恐ろしくて、自分に許可できない。

わきめもふらず闘い続けるのは不可能。
でも 目をそらし続けることもできない。
逃げ道を確保しつつ、闘えるときに闘う。
そんな器用なことができるかわからないが・・・