BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

アルスラーン戦記9巻/読みたい本1冊/見失うことへの不安感

2週間くらいまえに道でつまずいて
足首の靭帯を何本かいっきに切る、
すなわち重度の捻挫というそこそこのケガを負った。
(いつも思うのだが、
遭遇するトラブルとその結果のバランスがおかしい。)
あんまりまじめに養生しなかったので
お医者さんに叱られたし
叱られてもけっきょくあんまりまじめに養生しなかったし
というか、いまも養生らしいことはしていないが
そのわりにはよくなってきている。
あと1週間くらいだろうか。

・・・

アルスラーン戦記」(荒川弘版)9巻で
シンドゥラ遠征編が完結した。
原作になかったけれども、もしこういうシーンが原作にあったら、
たしかによかっただろうな・・・とおもうような、
後日談的シーンが、ふんだんに挿入されていた。
いっぽうで原作の場面も、勘所をおさえて誠実に再現されており
屈指の名場面とわたしが認識する
ジャスワントアルスラーン麾下にはいるシーンも
ちゃんと描かれていた。
ラジェンドラとは、9巻をもってしばらくおわかれで、さびしい。
サリーマに袖にされるシーンの彼はよかった。
ラジェンドラを好きか嫌いかはもちろん人によるのだろうが、
器がちがうとわたしはおもう。彼は、あれでいい。
多面的で人間らしいキャラクターだ。
シンドゥラ勢には、物語の登場人物として、というかんじでなく、
現実にいそうな、人間的な「大人」が多いような気がする。
ラジェンドラやサリーマ、シンドゥラ先王、
マヘーンドラなんか、そういうかんじ。
「この人は、こういう生きかたで今まできたんだな」と
こしかたまでも、しのばれるものがある。

・・・

読む速度がいちじるしく低下した。
読みたいという気持ちも、減退ぎみだ。
必要にせまられないと、なにごともこうなるのかもしれない。
あれほどまでに読むことは、もう今後ないとおもわれる。
けっこうな本読みを自認してきたが、
その資格は返上したほうがよさそうだ。(誰にかは知らないが。)
手持ちの本をおもいきって処分してもいいかもしれない。
なければないで、案外平気だろう。
なんとなくさびしいきもちなどを本で埋めているのかも。
ゴミ屋敷のできあがりかたと考えかたがおなじではないのか。
ただ、少しまえよりは意欲はでてきている。
いま熱いのは
「貧困と自己責任の日本近世史」(木下光生、人文書院)。
貧困自己責任論がきかれる昨今だが、
この風潮がいまにはじまったことでないということを 
史料によって証しし、貧困自己責任論が生じた経緯を
考察するものだ、ザツにまとめると。
いまにはじまったことでないということがわかる史料
ってのが誇張でもなんでもなく垂涎もの。
書店でななめ読み済みだが、そのとき手がでないお値段で、購入せず。
細部を読みこまなかったことを後悔している。
初版は2017年の秋だが、県立図書館に早くも入っていることがわかった。
取り寄せの手続きをとった。

・・・

「頼られる」のは、
自分にこたえられる範囲内でならうれしい。
だが、たとえ自分にできることであっても、
「駆り出される」のは 
うれしくない。
属性でしか人を見ることができない人はどこにでもいる。
こういうふうに見られていたのか。とがっかりしたり
こういうふうにいつも見られてしまうんだよな。と
内心傷ついたりすることも、そうなるとでてくる。
自分だって人をそのように絶対に扱っていないかと言われると
自信がないし、おたがいさまだ。
まさにそれはおたがいさまで、おたがいに「そんなつもり」は
ぜんぜんないことがほとんどだとおもう。
ちゃんとすり合わせればたいがいのことはすっきりする。
こんなに性急に決めつけるんじゃなかった、
もっと早くちゃんと話せばよかった、
そんなふうに思うことばかりだったりする。
この「社会」でふつうに生活していくには、
いつでも自分に正直に、自分の人生のことだけを
考えているわけにはいかない。
その「いつも~なわけにはいかない」の許容量が
わたしはどうやら人よりすくないかもしれない。
神経質でワガママでしんぼうがきかない性格ともいえる。
あんまりそうとは考えたくないんだけど・・・、
冷静に考えると、そうとしかいえないとおもう。
いろんなことに耐えられなくなりやすく、
そのたび、からにとじこもりたくなる。
(そのくせ、からにとじこもることを承認されたかったりする。)
できるだけじっと自分のきもちの中身を見て考え続けていないと、
なにもわからなくなってしまい、
このわからなくなること、というのが
今やたいへんな損失、大事件のようにおもわれてしかたがないのだ。
原則、からにとじこもっていたほうが、心のためにはいいのかもしれない。
いろんなことをやりながら同時にきもちのなかも見続けるなんて
器用な作業は、不得手とおもわれるからだ。
すぐに疲れてしまうし、
ムラがありすぎてまわりを困惑させていないかも気になる。

わりといつも、思うように心のうちを話せないことを
感じて苦しい。その気持ちには本当に苦しめられる。