BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

シュタイナー哲学の講読講座を受けだした-180428

ルドルフ・シュタイナーの、講読講座を受け始めた。
会場が近くてありがたい。

昨年暮れに倒れて仕事を辞め 体は壊れて動かず
心もなんだか死にたいおもいにさいなまれ
なにもかも失ったみたいなかなしいきもち。
それでも ぼんやりする頭のなか、
勉強したい、という欲求の残滓だけがあった。

退職の数か月まえから 
思うところあって通信制大学に入り、勉強を始めていた。
仕事辞めることになると夢にもおもってなかったし、
仕事は続けつつ今後のためにというつもりだった、もちろん。
それが、辞めて今やぼろぼろ。経済基盤も失った。
大学行ってる場合じゃない。やめたほうがいい。
それが妥当ってことくらいは考えればわかった。
でもとにかく、働くのをやめるのはアリでも 
学ぶのをやめるのはナシだった。
学ぶのまでやめたら今度こそおわりくらいのきもちさえあった。

わたしの「学ぶ」はしょせん
本を読んで知識をえて「へー」と感心する程度だ
病気でもできる。大学は辞めない。働けなくても。
だれになんといわれても。
死んだように生きるのだけは死んでもイヤだというののほうが
社会通念にはずれたおろかな選択をして
人に非難されることよりも だいじな気がしてたんだろう。
よくわかんない。バカだとおもうが、もう選んでしまった。

Facebookの「イベント」でみつけた、
シュタイナー哲学の講演会に出席してみた。
オランダの哲学博士イェッセ・ミュルダー氏が初来日し、
青山学院大学で開催したもの。なんでこれにしたのかなあ。
シュタイナーなんか何もしらない。

テキストは『自由の哲学』。
有名だから学生時代に何度か読んだが
当時はちんぷんかんぷん(そりゃそうだ)。
それが、講演会にそなえて読み返したところ、
かつて読んだときよりはなんか、わかる。かも??
これなら講演も大丈夫かも、という予感。
講演はおもしろかった。
博士はドイツ語で話された。
高校でならったとき以来の田舎っぽい言葉の響きが
なつかしくもあり、たのしい時間を過ごせた。
※その後、この講演会で通訳を担当した竹下哲生氏が
 開いた講演会にも参加。

「おもしろい」と感じたので、
シュタイナーもっと読んでみよう、と思ってた矢先
今回の講座のことを知った。

講座で読むのは
『教育の基礎としての一般人間学』『自由の哲学』だ。

第1回では、
シュタイナーの「人間」という存在のとらえかたは
一般的なそれと根本的にちがう。
それがわからなければ彼の理論のなにごとも理解できない。
講師の今井重孝先生がそう話された。
なんだろう、と不安になったがそうでもなかった。
シュタイナーの「人間」のとらえかた、は、すんなり理解できた。

シュタイナーは神秘思想家ともいわれる。
電波さん、非科学的などと敬遠されもする。
だが彼は彼のアプローチで、真理に到達していたと
考えて読んでみたいとおもう。
真理なんじゃないかな、無視できないなと
感じる人がいつの時代にも一定数おり、
その人たちが彼の思想を後世に伝え続けている。
教育の現場で実践を試み、一定の成果をえている。
電波の「思想」にはうらうちがなく、すぐ馬脚をあらわす。
こんなふうに後世まで残らないものだ。

シュタイナーは彼以前の人にこそ
理解されたはずだ(ヘンな言い方だけど)。
真理は不変で、多くない。
古いものは散逸し、体系的に見直せない。
仮に見直せても、見る者が見る者でなければ、
かつて願われたようには理解できない。
ものが「文学」だと文学研究者が文学研究の眼でみる。
壺におしこめられ洞窟の奥に隠されていた巻物は
歴史学者や考古学者がみる。
お互いが意見を交換し合うことはむずかしそうだ。
なぜそんなにわかりにくくなってしまうのかね。

でも、真理は不変だ。
「人がそれをわかるかわからないか」とは無関係に。

ぜんぜんちがうジャンルのことなのに
ふたつは同じことを言ってるって、気づいたりする。

シュタイナー教育における「子ども」についての
考えかたの基礎は、
ヘブライの民の言い伝えにあるという
月のなかの「神の館」につうじるとおもう。

シュタイナーのどれかの著書に、
われわれ人間は、宇宙の中心にいるのではなく、
その周辺にいるのだ、というようなことが書かれてた。
あれは、「ユリイカ」の
エドガー・アラン・ポー一流の宇宙論を 
思い起こさせる。

また、
バタイユが「呪われた部分」で扱った「蕩尽」
・・・国ごとや特定のエリアを分析対象とする経済学でなく
もっとグローバルな視点で見るべきとする「普遍経済」の、
基本的なスタンス・・・についての話も 
シュタイナーから連想させられる。

ちがうものだが、同じことを言ってる。打ち合わせたわけでもないのに、
別のルートをたどり、同じひとつの場所にたどりいている。
各人がそれぞれの言葉で その場所のことを論じている。

もっともっとたくさんの本を読み いろんな人に会って 
その考えにふれるようにつとめれば、
そうしたことのおもしろさを感じる機会も増えるんだろう。