BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

そもさん-5-180427。

働くことが、しんどいだけのことだというわけでは
ありえないはずだ。
働いてきて困らされたこと、体を壊したことは多々あった。
それらは今このように考え込むきっかけともなったが
いつでも、楽しく刺激的だった。

働くことのつらさきつさをだれもが言う。
でも、もしほんとうにつらいことなら、
「就職祝い」はないし、
無職の人は羨望の的ではないのかな。
定年までつとめあげ自適の生活を獲得した人が
死んだ魚のごとき目をして公園を徘徊することもない、
だって「つらいこと」がおわったのだから。

逆に、そんなにもつらいという労働から解放された
おじさまおばさまが、
せっかくの自由時間を堪能しているようには
とても見えないのはなぜ?
彼らが楽しそうにしていてくれないから、
年齢を重ねることが怖くなる。
たのむからもっといきいきとしていてくださいよと
おもわれてならないものだ。

どうして自分は働くか、わたしのいままでの答えは
働いていないと生きている感じがしないから、だった。
けど、それをまじめに言うと、「重い!」と、引かれる。
ということは、べつの「重くない」動機づけがあることになる。

商社の営業事務として働いていたことがあった。
組まされた男性営業マンが毎日グチ、文句、ため息ばかり。
聞いていてこちらまでイヤな気持ちになったものだ。
そんな彼が、始業時刻になっても出社してこなかったことがあった。
わたしが知る限りそんなこと初めて。
昼ごろ、本人から連絡がはいった。
出勤途中、駅で倒れ、救急搬送されたという。
検査の結果、ひどい高血圧の状態にあることがわかり、
その後数日、彼は自宅休養となった。
やがて復帰してきた彼が、同僚に
「自分にとって仕事ってなんなのか、
なんのためにこんなに一生懸命やってんだ、と
つくづく考えてしまった…」
と、話しているのを聞いた。
すこしたって、わたしは彼に、
「このまえ、自分はなんのためにこんなに一生懸命
仕事してるんだと考えた、とおっしゃってましたね。
その答え、でましたか?」と聞いてみた。
彼は、しばらく考えたあと、
「まあやっぱり、生活のためだよね、家族のため。…」と。

自分が知る人すべてに
同じ質問をしたわけじゃないから自信はないけど、
なぜ働くのかという問いに
「生活のため」
「家族や自分が、将来、やりたいことがやれて、
最低限困らない、豊かな生活を送るため」
という答えを用意している人は多い気がする。

すくなくともそうだった時代があったことを知ってる。
高度経済成長期だ。
あのとき努力したから今がある、と
将来思えるように今こそがんばる、
そんなふうにみんなが前をみつめ上を向いて
せいいっぱい働いていた。
その姿勢がほんとに効果的だと
(がんばっただけほんとにちゃんと返ってくると)
だれもが前向きに信じられた、そんな時代だったと聞く。

あのときがんばったから今がある、
と振り返るその「今」とは、
歳をとってこたつでお茶を飲みながら昔話をしている
満ち足りた老年としての「今」だとおもう、イメージとしては。
過去の自分の業績のうえにある、こたつでありお茶なのだ。

ある意味では
「将来のために今がんばろう」と
がんばりはじめたそのときから、もうおのれを、
心おだやかなこたつとお茶の日々に向けて
閉じ込めてきた、と言えなくもない。
ほしい将来を想定してがんばってきたんだから。
獲得したその未来は、あらかじめ設定した枠のうちだ。

でも おもうんだけど・・・そうなると、いつも、
欲するのは「将来」のなにかでしかない。
将来、今よりもよくなりたいから今がんばる、
老いては「昔はがんばった、昔はよかった」となつかしむ、
夢見るためのであれ懐古のためであれ
その基点かつ帰点であるところの
「今」の充足は、どこにあるのかな。
今は、将来〇〇になるための今でしかないんだろうか。
高度成長期のそのときにはそれでも
ほんとにうまくいっていたんだろう。
うまくいっているときには人は考えないから、
「問題」もない。
だからよかったんだろうけど、いまは、ちがうだろう。
社会が大きく変わってしまったからなのか、
人の心が一億抑うつ化しつつあるからなのか、
どちらがどう影響し合ってこうなったか、
答えを出すのはむずかしいだろうが。
身を粉にして働いても働かなくなってもこの際関係なく
今このときを輝かせることに注力してないんだと
今のわたしたちはちゃんと感じているのかもしれない。
なんとなく、だから心が満たされなくて、
それだからこそ
「自分は何のためにこんなに一生懸命…」と思うのかも。
じっさい イメージとして例をあげただけのもので、
こたつにあたってお茶をすすりながら
あのときがんばったから今があるんだよとか言えている
おじさまおばさまなど身近に何人いるか知れたものじゃない。
うまくいってるときは人は考えないから問題もないことになる、
ただそれだけのことであり、ふたをあけてみれば
うまくいってはいなかった、ということになるのだとおもう。