BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

ふらつく

休養中の身だが、休養していない。
じっとしていることに耐えられないためだ。
月曜から金曜まで動き回っている。
土曜も日曜も動き回っている。
まわりに心配をかけている。そりゃそうだ。

ほんとうはだれもいない、なにもない部屋で、
日がな ねっころがっていたい。

でもそんなことを想像するだけでも もう
落ち着かない。

そもそも一日ねっころがっていたい、とは、よく考えると、
それが世にいう「休養」というもので
(誰がそんなことをわたしに教えたか知らないが、)
一種の「こういうものでしょ、ふつう。」・・・
そうしたものを 自分自身の考えかのように
思い込んで言っているだけ、という気が。

しずかな部屋で一日中でもねっころがる、
誰かにとって それは休養になるかもしれない。
でも、このわたしにとっては どうか。

ずっと動き回ってきた。
口では 休みたい眠りたいと いいつつ
そうしていいよ、と言われることを
心のどこかで恐れてきた。
休むといってもどうすればいいのかわからない。
休む、眠ることさえも 心置きなくはできない。
それで、絶えず何かをしてきた。動き回ってきた。
「そっちのほうが性に合っている」かどうかは知らない。
そんなに勤勉とも我ながらおもえないしなあ。
性に合っている、と発言したことはあったかもしれないが。
ただ、ずっと動き回ってきた。
そのほうが心があまりざわつかない
(心のなかをのぞき込みすぎずにすむ、とも。)
ことを知っている。だからこそできれば 今も、
動き回っていたい、のかも。
「本気でやりたいわけじゃないし 
それが最適ともおもわないけど、
まえからそうしてきたから 今もそうしてる」
そういうことって あるものだ。

問題は
さいきん たくさんの人がいるところや
狭い空間に多くの人がすしづめになっている場所に
身を置くと不安感におそわれる、 
そんなことに、自分がなっているということ。
音に敏感になっており
いつどこから どんな音が耳に飛び込んでくるかと
それが頭からはなれず びくびくしている。
不特定多数の人がいる、慣れない場所では
皆目「聞こえかもしれない音」の見当がつかず、怖い。
いまいましいフラッシュバックにおそわれ、倒れたら たまらない。

人があつまるところにはできるだけ
いかないほうがいいとわかる。
ただ、動き回っていたい。忙しくしていたときと
できるだけ近い頭の状態でいたがる自分を、無視することも困難だ。
わからない。それでも いいかげん
「一日ねっころがる」日を作らないと、また 倒れるのかも。
起き上がることさえも禁止、くらいのかんじに
一度、なってみないことには、 
自分の性根、性向はもはや見えない。

わからない。
代わりにまわりの人がちゃんと見ていてくれて
こいつダメそうだとおもったときには
力ずくでも止めると言ってくれている。
そのときがきたら すなおに従いたい。
いまの自分には、自分のことがわからない。
自分をただ 今迫りくる(と感じる)危険から守るので必死だ。

あしたは 午前は都内の図書館に行き、大学に寄って用をすませ
曙橋付近で行われるらしい 映像上映会にいくか
おなじく曙橋で開催される、版画家の個展にいき
オペラシティでモーツアルト聴こうかなーと。
図書館とモーツアルトは確定。
でも午前はほんとはどうするかわからない。
わたしがかよった大学は 千代田区に校舎をもつ。
皇居外堀にほど近く、お濠ぞいの桜がうつくしい。
お花をながめることができれば いいかなーと。

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主体性にかける、
何を考えているかいまひとつわからない、
怒られる・失敗することに臆病、
・・・そんなことは たいした問題ではない。

心根がすなお 人の話をまじめにきける
ほんとはがんばってるのにそう見えない、という点に
問題意識を感じていないようだが、しかし
ほんとは70%にもならないところでセーブしているくせに
100%だよ~!みたいな「フリ」もしない。
でも 今は一生懸命やるべき、とかいうことは
ちゃんとわかってる
そして
人に優しい。

人間、そういうのが一番だ。

今、関わっている人たちの多くは そういうかんじ。
本人たちがどうおもっているかはわからないが
彼らはある意味で等身大。すごく まぶしい。

ひきかえわたしは優しくない。
自分のことしか、考えてない。
わたしにもそれなりに、
気にかけずにはいられない人があるけれど、
わたしに気にかけられても困るだろうなあ。
とか 思ってしまうところが もう。
うっとうしい。
自分のことばかりに、思いわずらわないでいたい。

しかし・・・
今は、ほんとになにもかもが、絵に描いたなんとやら。
豆つぶみたいにちっちゃくなったようだ、自分てものが。

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「心」がひらがなで書かれることが あるが
わたし自身は 漢字以外には考えられない。
なぜ ひらがななのか。見るのもいやだ。

でも 数年前までは 
漢字、漢語がすきだったけど
いまは 書くときには積極的にひらがなや和語を用いる。
そう変わったように、
わたしもいつかは「心」をひらがなで書くことを
嫌悪しないばかりか みずから選ぶようになるのかも。