BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

痛恨

だれよりも大切におもう人が
寄せてくれた厚意を、やさしさを、思いやりを
わたしはけっきょくのところ すべて無視した。
何度となくさしのべられた手を とろうとはしなかった。
無視していなかったら どうなっていたかなとおもう。
手をとっていたならば どうなっていたかなとおもう。
思いやりに気づいてないふりをしたことを
後悔してないわけがない。
後悔している。これ以上はないほど。
ここまで生きてきてしまったものだから、
どうしたってわたしは
ほかにもいろんな罪深いことを
いろんな人にしてきたのであり、
こんなことを考え出したら もちろんそのすべての人に
命とひきかえにしても謝り倒さなくっちゃ 
いけないわけだけれど。

わたしは心からあやまりたい。
立場を侵してしまったこと、
やさしい心をふみにじるようなまねをしたこと。
自分があの人の立場であったなら
このようにされて 
いったいどんな気持ちがしたことか。

けれども、当時はそうするよりほかにしかたがなかった。
いや、
そうしなくちゃいけないと おもってた
ということになるとおもう。
また同じシチュエーションのことが起こったならば、
たぶん また 同じようにしちゃうとおもう。

どうしようもなかった。
わたし自身の心情的にも どうしたものかわからなかったし
正常な判断などとってもじゃないができないときだった。

なぜ ああも無条件に ああも考えなしに
手をさしのべてくれたのかとおもう。
事情を話してもその手をひっこめずにいてくれたのかとおもう。

いや、ちがうんじゃないか。

そうか、ここまで書いてみてようやくわかった
いろいろ 格好のいいようなことを言ってきたけれど
畢竟
「事情を話してもその手をひっこめずにいてくれたのかどうか。」
それをまのあたりに確かめるのを 恐れたのだ。
わたしが。
どうだってよかったのに、そんなこと。
あなたの思いやりに救われていると ただそういえばよかった。
助けてほしい、どうすればよいのかわからないと
たとえ受け止めてもらえなかったとしても 
本心を話せばそれでよかったはずではないのか。

自分の臆病さに反吐がでる。
相手がどうであろうと関係がない。
わたしが自分を信じることができないからこうなった。
なんてつまらない、なんて貧弱な心の持ち主だろうか。
すごくばかばかしい。
あの人のことよりも、
わたしはつまるところ自分がだいじだったのだ。

また同じシチュエーションのことが起こったならば、
たぶん また 同じようにしちゃうとおもう。だと?

だからわたしはおろかだというんだ。
なんてことだ。
これほどばかだとは。