BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

小林賢太郎さんのコント公演 KAJALLA #3 『働けど 働けど』。

ラーメンズ小林賢太郎氏主宰コント集団
「KAJALLA」第3回公演
「働けど 働けど」をみてきた。
神奈川芸術劇場 ホール 14:00開演)

kentarokobayashi.net

 

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音楽やパフォーマンスを観るのには
ライブがいちばんだ
そして、
ライブは、その完成のために、
鑑賞する側のコンディションてものが、とてもたいせつだ。
鑑賞者となる者は、コンディションが良いとは言えないと
自分でわかるくらいならば、
たとえプラチナチケットだろうが 
一緒にいく約束をしてる友人とかに迷惑をかけることになろうが
そのライブに行くべきでない。
(ほかのことではこんなふうにはおもわないんだけど。)
つまりいちばんだいじなのは
ライブそれ自体なんだとおもう。

わたしは今回、ギリギリどちらか 
微妙なラインの 真上にいた気がする。
観に行ってる場合じゃなかったかもしれない。
前日まで 行かないほうがいいようなかんじがしてた。
地元の最寄りの駅までとりあえず歩いて行ってみて、
ダメだとか イヤだとか かんじるなら 
引き返せばいい、とおもって
そのようにしてみた。
ダメだとまでは感じなかったので
そのまま日本大通り駅までいき、
そのまま神奈川芸術劇場にいき、
そのまま指定席につき、コートをぬいで、
だまって座って待ち、
そのまま開演時刻をむかえた。
客席が暗転していくのをみるあいだ、
「やっぱりくるべきだったんだろうな」
多分・・、というようなことを おもってた。

「働けど 働けど」は、よかった。
基本的にはただ
げらげら笑って観ていればいい 2時間だったんだけれども、
どのシーンも妙になにか 身につまされたのは
わたし自身のここ数か月の体験や
現在の境遇が多分に関係していたんだろう。
そうでなければ 笑って観ているだけで、
「笑ってればいいだけのはずなのになんか胸が苦しい」
などという変わった感覚を味わうこともなかったので、
演劇とか観に行ってる場合じゃないコンディションだったのかも
しれないけれど、
そういうコンディションだったから
ぎゃくによかった、ということにもなる。

舞台のタイトルはもちろん
石川啄木の「一握の砂」におさめられている歌

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る

から とられていたはずで、
じっさい この歌をおもわせるコントも
ひとつ用意されていた。

美しく晴れたある日のこと、
仕事をサボったのかなんなのか、
会社員風のスーツ姿の男が、しずかな砂浜にひとり。
バッグをほうりすて 革靴をぬぎすて
ズボンのすそをヒザまでからげ、
たまにカニとあそんだりしながら、
いっしょうけんめいに砂のお城をつくっている。
お城はうちよせる波?によって
つくったそばから すぐ崩されてしまうのだが、
男はそのたびにまた最初からやりなおし、
さらに高くそびえるお城をつくろうとする。
・・・

まだ公演が続いているから、ストーリーについて
これ以上くわしくは書かないが、

このコントで自分が よかったとおもうのは、
「だましだまし、いろんなことをがまんしながら
何かをやること」が
けっして否定されていなかったところだった。
また、
「多分にウソのまじった動機であったとしても、
また、動機そのものがたいしてなかったとしても、
それなりにやっているうちに、
真剣になっていく場合もある」。
そして、
「うちよせる波風に耐えることによって、かえって心の土台が
固められていき、当初まったくそのつもりがなかったほうへと
意思や方向性がさだまっていくことがある」。
「もし波風がまったく起こらず、起こってくれてもいいのになと
思うようであれば、起こるように みずから仕向けてもかまわない」し、
さらに、
「自分の意思ではないかもしれないものに流されて
今そこにいるのだとして、
べつにそれを 恥じなくてもよい。
たぶんあのときこういうことだったから、
それで自分はこうなったんだろう。
それでよかったんだ、と 
あとから理由付けをして現状を受け入れる・・
すなわち あとだしじゃんけんでも 悪いということはない」。

「どうであれ、生きるべし」。

わたしには、そのように言ってくれているようにみえた、
このコントが。

(この「一握の砂」のコントに出ていたのではないが、)
出演陣のなかでは、野間口徹さんがよかった。
なぜだか、彼がいるのをみるだけで妙に笑えた。
また、声がやわらかく、
空気にたいしてかすかに抵抗しつつも
すばやくとけていくのが いいような気がした。


ちなみに、
全編をとおして
いちばん自分が単純に 笑ったし大好きだったのは
「タイムカード」のコントだった(^^)
短いけれどもすごくよくまとまっていたとおもうし
作者の「っぽさ」がとくにはっきりと出ていたような気もする。

小林賢太郎作品のいいところは、

・流行りすたりがあまりない
・そこはかとない気品
・えげつない性のにおいを感じさせない
 (が、多層的であり、その意味では性的でもある)
・おしつけがましくないけれども
 ナルシシズムイデアみたいなものは
 かならずあり、しかも分量が適切である

このへんかなとわたしはおもう。
言葉にすると やすっぽいうえに
だからなんだよという話にもなるね。




それはそれとして、
いま、
寺山修司のことをやや頻繁に考えるようになっていて
できれば 身毒丸とか 毛皮のマリーとか観てみたい
けど そうそうみられるものでもないから
彼の著作をひっぱりだしてきて
ちょっとまた 読むくらいのことはしようかなあとおもう。