BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

手記-其の捌(仮題)-201712**-初旬-起こり。

2017年暮れのできごとや 自分の心の変遷を
できるだけ正確に追いたいとおもうために
当時のメール、メッセージ履歴や
手帳の記載を ひっくりかえして たどっている。
その結果、前回までの項で書いてきたことに
誤りがあったのに 気づいた。
客観的には たいした問題ではないはずだけれど、
自分にとっては重要なことにおもわれるため、
ただしておきたい。

自分が退職の意思をかためた もっとも最初の時期は
職場復帰 初日(2017年12月4日)ではなく、
どうも入院中の いつかであったようだ。

退院した週の週末
2017年12月1日のこと、
自宅休養していた自分は
雑誌制作のための撮影に協力してもらった友人夫妻に
メッセージを送っていた。
そこに、自分の書いた 以下のような記述がみられる。
(※・・・)はわたしが補足のつもりで付加したもの。

「年内退職ということになりそうです。
入院中に くさるほど考えて。(※中略)
心残りや心配ごとはやまほどあり、心情的には、
(※仕事が)すきだから続けたいのですが・・・」

「ものに当たって大きな音を出されたり、
返答に困るような質問形式のイヤミを
ぶつけられることは、受け入れてきた
(※これまでの)こととは明らかにちがうので、
不当に感じ、耐えることが困難」

「怒鳴りたければそれでもいいし、
ものに当たるのもいいから、
せめて、みんなのまえでやるのだけはやめてほしかった
(※中略)
(※専務が)いつも
(※上司が怒鳴るところなどを)
そばでみていても
制止さえ してくれなかったので
これはこの会社ではアリなことなんだとおもうと・・。
危害を加えられても まだ吸収できることがあって、
そっちの価値のほうがおおきいから頑張ろうと 
おもえるかどうかで考えると、
そうは思えない、というほうに考えがかたむきました。」

・・・

時期が やや 前倒しにズレていた。

けれども、 
思考の道筋はたしかに自分のものだ。
まちがいない。
なるほど 
正直 当時は
あの発熱、あの頭痛、あの倦怠感だったもので
あまりよく覚えていないのだが
入院中に悶々と
このようなことを考えていたのだな。
これじゃ休まらなくて当然だ。
なまじ 時間があったのと
眠れなかったために
頭から離れないイヤな記憶、浮かんでくる考えと
真っ向から向き合ってしまったのかもしれない。
そういうことするの ぜんっぜん すきじゃないんだけど。

退院→自宅休養を経て
週明け2017年12月4日(月)に出社するや、
おのれの不調の深刻さを思い知り、
これはダメだと感じたことが
退職を決意したいちばんのきっかけではなかった。
これはダメだと 確認はしたが、
それではじめて「退職するしかない」と
思ったというわけではなかった。

2017年11月の約1か月間に
上司から受けた一連のひどい叱責が心外で、
このことだけには なんとしても どうしても
耐えることができなかったのだとおもう。
自分にとってたぶん、屈辱だった。
立場を不当に侵されるたぐいのものだった。

疲労や無茶がたたって病気になっただけなら、
何度でも治して、
何度でも職場に戻ろうとした。
これまで、じっさいに、そうしてきた。

けれど、心に負わされたものは。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記のメッセージを送った相手である友人夫妻だが、
(以後、G夫妻とお呼びすることにしたい。
※夫妻がこれを読んでくれていたら・・・
ご了承ください、アルファベットのチョイスにかんして)
奥さんのほうは、わたしが以前働いていたことのある
会社の元・先輩だ。
ただ、同じ会社とはいえ別の営業所のかたであった。
その会社に在籍していたころは、お互いあまり接点がなかった。
それがなぜか わたしも先輩も のちにくだんの会社を離れ
それぞれの道をすすむようになってから
たいへん親しくさせてもらうようになった。
そういうことって、あるもんだ。
(その最初のきっかけが なんだったかぜんぜん思い出せない。)
だんなさんのほうは、ふたりのご結婚後に知り合った。

G夫妻は
(ほんとは だから友人夫妻ではなく「先輩夫妻」だ)、
当ブログで今後しばらく 
つづっていくつもりであるところの
自分の とある闘いにかんして
絶大な協力、助言、支援を提供してくれた。
くれた、というか 今もしてくれている。
今後、当ブログ内で何度も 彼らとのやりとりのことを
書いていくとおもう。

わたしと夫妻とのコミュニケーションはつねに、
そう、いかなるときも、
彼らのとぎすまされたインテリジェンスと
わたしの ぼんくら度の コントラストが
それこそ眼にしみるほど あざやかだ。

そいつをなんとか 表現していきたいのだけれど。
まあ むずかしそうだ・・。

夫妻の承諾もいただいてあるので
メッセージ履歴をそのまま
ここにすべて書き写して みなさんに読んでいただけば
もうそれでいいかとも 一瞬おもったのだが

そっくり書き写すだけならば いつでもだれにでもできる。
どうしてもむりなら 最後はそうすればいいんだから
まあ もうちょっと頭を使って なにか 手を考えたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、
先にしるした G夫妻との
メッセージのやりとりは、
わたしが オフィシャルじゃないけれど対外的に
退職の意思的なものを表明した さいしょのものだった。

このラリーは けっこう長く続いた。

夫妻は
公的制度などを活用することによって
退職後の(おもに経済的なものを中心に)
不安をできるだけ払しょくすること、
つまり
「賢く退職」することを わたしにすすめてくれた。

奥さんいわく
以前から、ずいぶんな働きかたをしているらしいことは聞いていたし、
このとおり、体調を崩すという 重大な結果が出てしまっている。
退職するにあたり、受け取ってしかるべきものは受け取り、
公的支援制度もフルに活用すれば、
辞めてから 安心して休養しつつ、今後について考えることも
できるのではないか。

・・・

フラフラの病み上がりのうえに
基本的に考えなしのところがあるわたしは
この期におよんでも 
自分の今後について 具体的に思案してはいなかった。
とくに退職に関しては
週明けの復帰によって 漠然とただ 
これは会社を去らざるをえない、
もうここで、これまでと同じように働くことはできない
という
体感を得るにいたっただけだ。
それはつまり会社を去るということだけれども、
べつになにをどうしようとも 考えていなかった。
だが、辞めてからしばらくの間はまともに働けない、
まじめに休養に専念しないととても治らない、
ということは感じていたので

「安心して休養しながら今後について考える」
そんなことが可能になる道があるなら、
そうしたい、とだけ 思った。

奥さんは
もしも知りたければ、
自分の持つ総務関連の知識などを活かして
わたしが退職にさいして取りうる選択肢を
あらいだし、
それぞれの手続きなどについてアドバイスする、と
申し出てくれた。

わたしは、
「ぜひともおねがいしたい」と返答。
メッセージのラリーが開始した翌日の
12月2日から 奥さんによる
ウィザード形式のレクチャーが開始された。

奥さんは、
職場の 労務・総務関係の状況を
わたしから細かく 聞き取っていく。
そして
職場に どうも隠れているとおもわれる
長時間労働や 賃金の未払い的な・・・つまり
労働関係の法令に違反する?
(か、・・反しない程度に・意図してかしないでか
・上手にやっている(かもしれない) etc etc・・・)
黒い「穴」の存在を指摘してきた。

「穴」の存在を、うすぼんやりとしたこの頭で
認識したこと、

それが、わたしの とある闘いのはじまりだった。