BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

手記-其の肆(仮題)-そもそもの話をそろそろ-きかんしゃトーマスはまたこんど

直接面識がある友だちとかが
もしかしたら 読んでくれるかもなー
でもみんな本とか ふだんあんまり読まないみたいだしなー
こんな長くてたいくつなの 読んでくれないなー(^^)
まあいいかあ
みたいな。

そんな気持ちでわりと書いている。

身近な人たちの顔を思い浮かべながら書いている、
そのことも、この「手記」を 
わけのわからないものにしている
要因だろう。
わたしの周囲の人びとが先刻承知の、
「基本情報」のたぐいを
すっかり省いて 気の向くままにやっちゃってるわけだ。

けど なんとなくそれにも
限界がある、という
かんじがしてきたから

で、なんですか結局。そもそもなんですか。の話を
ここですこししておきたいとおもう
礼儀として。
?。

だがぜんぶ話そうとすると これは 長くなる。
ほんとうの必要事項か否か、
すべてのことについて精査するよゆうも あまりない
それってさ、だいじじゃない??!!ってことを
平気で書き落とすこともあれば、
たいしてだいじとも言えないことに 
やたら筆をさくことも
やっぱりあるかもしれないね。

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もうしおくれたけれど あらためて自己紹介を。

わたしはいま30代。独身の女だ。
もと、都内の某編集プロダクション勤務の
雑誌編集者。
会社には2013年の春に入社し、
2018年、つまり今年の1月下旬をもって退職した。
最終学歴は短大卒、私立大学 満期除籍だ。
学生の身分をはなれて おそるおそる社会にでたのは24歳のとき。
学習塾の事務兼・推薦入試志望の生徒を
対象とする小論文講師とか
総合広告代理店の原稿作成・営業事務とか
工業用部品などの専門商社の営業事務とか
その他いろいろ、
いろんな仕事をしてた。
だいたい3年くらいずつ。
※3年サイクルなのはただの偶然。

先述のうちの、あるキャリアにおいて、
職場の同僚たちとの関係が
最悪レベルと言ってさしつかえないほど悪化し、
業務遂行が 到底 不可能になったという事情から
(ま、要は「いじめにあった」ってこと(^^))
退職することとなった。
※自分の名誉のためにいうけど 会社は味方してくれたよ(^^)
 自分にまったく 落ち度がなかったとか いうつもりも
 ないけれども。※

失業し、これからどーしようかなと 考えたとき
「人生で一瞬でもいいから 本を作る仕事がしてみたい」という
ささやかな目標にいちど たちむかってみる気になった。
年齢的にこれがさいごのチャンスかもなーというのもあって。
その前に働いてた総合広告代理店が
声をかけてくれたのに甘えて
バイトをさせてもらいながら、就職活動を敢行。
未経験だから
出版社も編集プロダクションも150社以上受けて 
ほぼぜんぶ落ちたけど
1社だけ ひっかかった会社があった。
それが、先月まで働いてた編集プロダクションだ。
都心のマンションの居室2つを事務所とする会社
だいたい15人前後で増減する編集部員のひとりに
わたしはなった。

本を読むのも、自分で文を書いてみるのも
昔からすきなほうであったし、
本を作る、まさにそれをやる 
編集プロダクションでの仕事は
きわめて刺激的で、おもしろかった。
覚えることがあまりにおおく
Macにさわるのも
デザインソフトにさわるのももちろん初めて、
しかもコンピュータにくわしくなかったわたしは
(どのくらいくわしくないかというと
「ダウンロード」と「インストール」の違いがわからなかったくらい。
あと、Macの電源スイッチがどこにあるのかわからなくて、
ディスプレイのフロント部分の、あのリンゴのマークをさ、
とりあえず ぎゅーっと押したよね。)
教育係の先輩を ほとほとこまらせたが
なんとか必死に業務を身につけていき
最終的に
人の倍やって半人前、くらいのところまで
こぎつけることはできたようだ。

しかし、
これまでの3回の「手記」で述べたとおり、
旧年暮れ、体調をおおきく崩した。

・・・
村上龍の なにかの小説にもあったが
編集プロダクション(編プロ)、と聞いて、
どんな仕事か想像できる人は 世の中に
あんまりおおくないとおもう。
それはたしかだろう。

編プロというのは 発注元・・・おもに出版社から
「こんな本を作ってください」
「うちで出してるこの雑誌のこのページを作ってください」
と注文を受け、
デザインソフトなどを使用してそれを遂行する。
企画構成、取材、紙面へのレイアウト、執筆までぜんぶやる。
そして完成した原稿をおさめてお金をもらう・・・
ということをする、出版関連企業だ。
この仕事は、
たいへんな激務であることが わりと知られてる。
そのことをごぞんじでなくても、
局の依頼を受けてコンテンツ制作をする
テレビ番組制作会社や アニメ制作会社が
超忙しいんだってね、と 聞いたことがおありであれば、
編プロもまさに、ああいうかんじだ。
そのイメージを応用していただいて
ほぼさしつかえない。

ちなみに、
編集者っていうと、出版社の「あの編集者」・・・
作家先生のお屋敷に日参して 
うちで書いてくださいませんか、とかやる
あの編集者、がまず 想起されそうだが
編集プロダクションの編集者と
「あの編集者」は、ちがう。
・・・・・・
で、話がわきにそれたが、
そんなぐあいに 
まあ筆舌に尽くしがたい 
凄惨なまでの激務だったもので、
わたし、働いてきた数年間で何度も
調子が悪くなったことはあったのだが、

今回ばかりは 限界がきたみたいだ。

後述することとなるが、
倒れた2017年11月は まるまる1か月間
わたしだけでなく職場全体、みんながみんな、
これまでに例がないほど忙しく、
すごく・・・混乱した状態にあった。
肉体とともに神経もまいってしまったらしいわたしは
職場でぽっくり倒れ、入院となったしだい。

退院日の翌週 12月1日から、
いちど職場に復帰し、10日ちょっと がんばってみた。
会社もはれものをあつかうように
やれ 早く帰れ、それが終わったら帰れ、定刻で帰れ、・・・と
神経質なまでに配慮してくれた

けれども、それ以前も以前、
初日にデスクの前に座ってみた瞬間、
あ、こりゃむりだな。と自分でわかったものだ。

倒れるまえとはなにもかもがちがってしまっていた。
失われていた。
できのいい編集者とはいえないにせよ
それでも長く働くうちに
デザインソフトと自分の頭が 指先でもって
接続されてるかんじを たしかに獲得したのに、
その感覚がなくなってた。
頭とデザインソフトが 離れてしまってた。
また つなぐのは、骨だ。
1回はつないだんだから、またやればできるだろというのが
この場合の理屈だろうが・・
はっきりいって、できる気がしない。
なんでだろう。
それに、体がだるくてしょうがない。
なぜこんなに頭が痛むんだ???
出てくるべきじゃなかったかも・・・。
そのことを痛感するためだけに 来てたような
10日間だった。

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これは、おもえば
事情をよく知ってくれている友人などにも
いままで 話してこなかったことなんだけど、

わたしが
「今週は休んで、週明け12月1日から復帰だ」とか
はりきってた 休養中の土日のこと。
わたしの母が 勝手に会社に連絡をとってた。
社長(会社は一種の同族企業。専務の母が、社長だ。)に、

「もう働かせられない。死んでしまう。辞めさせます。
本人がどう言うかはしりませんが。親の意向はこうなので」
と、 宣言したようだ。

わたしは、それをあとになって専務の口からきかされた。
(母に厳重抗議したことはいうまでもない。)
復帰後、会社で
「早く帰れ」「定刻で帰れ」「ムリなら休め」と
だれもかれもが毎日のように言ってきたのは
そういう背景があったからだったのだ。
専務は
「おふくろさんに怒られちゃうから」と。

わたしは復帰最初期は
すくなくとも続ける気満々であったから
それを知ってほんとにまいった。
母も勝手なことをしてくれたものだと。
子どものケンカに親が出て、じゃないけど
なんていうか 言うまでもなく とてもみっともないことだ。
そんなことを言われてしまって
それがわたしの意思であるととられでもしたら・・・。

でも、復帰間もなく、先に述べたように
「これは、むりだ。もう前のようにはできない。」と
痛感させられることになった。
わたしは、
これは、だめだ、退職せざるをえないと。
休職ではなく 休養でもなく もうここにいることができないんだと
そう 自分自身で さとった。

母のしたことはまったく問題外と言えるけれど、
しかし、母の気持ちをおもえば 
ああいうことをしたのも、わからなくもない。
退院後しばらくたって、
叔父宅を訪ねた(母の実弟。)ときのことだ。
叔父の奥さん(わたしの義理の叔母。)に、
じつはわたしが退職を決める前に母がこんなことを、と
話した。
すると、叔母が
「あんたのお母さんは、今回のことですごく負い目を
感じたんだとおもうよ」と。
なんでも、夜中の電話で救急搬送の報をうけた母は
その場で腰をぬかした(と のちに叔母に話した)そうだ。
電通の元社員で 将来を嘱望された才媛だったにもかからわず
自死をとげた 高橋まつりさんの件など
過重労働、過労死問題が
いま、わが国でおおきな話題となっている。
でも母は、そういうことって テレビのなかのできごとみたいに
思っていたんだろう。まさか自分の家族に当事者がでるとはと。
わたしは まったく家にいつかず
休日も朝から家を出て仕事に行き 
家族が寝静まった深夜にようやく帰宅する、
毎月3日、4日泊まり込むのがあたりまえという
生活をずっとしていた。これはまぎれもない事実だ。
母は、それを見ていたんだけれども、
それでも 
テレビのなかのことと現実とをうまく重ねて
考えることはできなかった。
それに加えてなのだが、
・・・
さきほど、
自分のこれまでの職歴のうち ある期間において、
いじめが原因で退職を余儀なくされたことがあったと述べた。
このときのことなのだが、
わたしは、退職したことを 家族になかなか打ち明けられなかった。
しかし、国民健康保険の払込票が自宅に届いたことによって
知られるところとなってしまった(会社を辞めると保険の
変更手続きをしなくちゃいけないからね)。
母は 辞めた理由を激しく問い詰めてきたが、
とってもじゃないが話せなかった。
いじめにあい、会社はかばってくれたんだけれど
業務遂行が不可能な状態に追い込まれ、
最終的に辞めざるをえなくなった。
そんなこと、どうして言えるだろう。
当時のわたしにそんな複雑な事情をかみくだいて親に説明する
気力はまったくなかったし、
(いじめにあったことがないかたは想像することが
難しいかもしれないけれど、あれをやられると、
人として生きるための根本的な生命力、エネルギーが
ものすごく迅速に奪われる。退職した当時
わたしはじつのところふらっふらだった。)
話しても 火に油を注ぐだけのように思え
正直 だったらだまっていたほうがマシ、となるくらい
すべてが おっくうだった。
ムリだったのだ、当時の自分には。
でもそれじゃ、母にはわたしの境遇など伝わるはずもない。
母は 正当な理由もなく 転職先を決めることもなく
正社員の職をみだりにすてた
わたしをひどくなじり、
ほとんど人間失格さながらに非難した。
しんぼうのきかない人間は社会で生きていけない、
大変なことがあってもみんな耐えてがんばっているのに
おまえだけはいつもそれができない。
おまえはダメな人間だ。
正社員だったのに。
がまんということがなぜできないのか。
おまえは負けた人間。
・・・
たぶん、母も、不安だったのだろう。
落胆したのだし、困惑したのだろう。
そうしたやりばのない思いを
怒ることでわたしにぶつけた。
そういうのは、わかる気がする。
人ってそういうもんだ。
親が悪いのではなかった。
彼女はただわたしのことが心配だったのだ。
彼女は彼女で 傷ついていたのだ。
・・・
叔母の言う、 
母が 娘、つまりわたしに感じている「負い目」のヒントは
この点にあるというのが 叔父夫妻(あと兄も)の共通見解だ。
あのとき、ひどくなじってしまったために
「たとえ死ぬほどつらくとも、仕事ならがまんをするべきだ。
でなければ、社会人として、人として、合格とは言えない。
(この家においては。)」
そのように 娘に考えさせてしまった。
今回 娘が倒れたのは
強迫観念めいたその気持ちが悪いほうに作用して
文字通り死ぬ寸前まで 
がんばろうとしてしまったからなのではないか。
すくなくとも母は そう自分を責めているようだ。と。

まあ、母の考えかたの道筋として、
たしかにすごくありそうなかんじだ、
性格的に。
大筋で正解だろうと踏んでる。
でも、ほんとうにわたしが そんなきもちに駆られて
母にみとめられたくて「がんばった」結果
死にかけたのかどうか・・・でいえば、
明確に、それはちがう(^^)
たしかに当初、つまり前職を辞めたことが知られてひどく
非難された、あのときは、
「肉体も精神も壊れるまで頑張らなければ、
社会人として合格とは 言ってもらえないのか」
なんて考えた。 
深く傷ついた。それは認める。
「〇〇でなければ生きる価値を認めてもらえない」
そういう考えって、ふだんのわたしもけっこうしがちだから、
心になじみやすかったんだろう。
だから 最初はそう思ったこともあった。
でも、わりとすぐ そう思ったということじたいを忘れてしまった。
今回倒れたのの原因は、
母にああいわれたから がんばらなくちゃとおもって・・・
なんていうところには、ない。
おもに「不養生」に、ある。
体調が悪いことについて真剣に考えることができないくらい
体調が悪くなっていて、
つらいなら休むとかそんな当然の考えがわかず、
状況的にも休めなかったし・・・、
だから 最終的に倒れた。それだけのことだ。
母があのようにいったからがんばらなくてはならない、
それで死んだとしても、しかたがない。
なぜなら死ぬまでがんばらなくちゃ認めてもらえないからだ・・・
いかにわたしがバカでも 
まさかそんなふうには おもってなかった。

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話をもどす。
わたしは、辞めざるをえないと感じ
考えたすえ 退職することをきめた。

しかしながら、なんだけど、
このままなにごともなかったかのように
ばいばーい、とは できないとの結論にも
達した。

べつによかったんだけど、当初は。
・・・いままでに籍を置いたどの職場でもそうだったように
最後に職場のみんなに送別会を開いてもらい
いままでありがとう、つぎの職場でもがんばってね、
なんて言いあって おいしい食事をともにして
さよなら
そういう辞めかた。ふつうの、円満なおわかれ。
でも、その道を選ばないことにした。

そのような考えにいたった背景を次回以降
ふりかえりたい。
そして、いよいよ まあ使い古された表現だけども
ひとつところでうろうろしてる
時計の針を 先へとすすめたい。
そこからが 
この「手記」の主題となる。

ようやく
きかんしゃトーマスの話ができるな。
→イヤだれも待ってないよね(^^)!!