BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

手記-其の弐(仮題)-さかのぼって20171101~20171127

いまおもえば、
11月に入った頃から
加速度的に 体調が悪くなってきていた。
夜から朝方にかけて連日連夜 セキがとまらない。
咳止めの薬をのんでも あまりきかない。
なんというか うっとうしく重いセキなのだ。
もう セキをしすぎて胸部の筋肉痛がつらかった。
(ただ、1日か2日、凪の時期なのかとおもうほど
まったくセキがでない期間もあったりした。)
それにくわえて 頭痛、発熱などが
顕著にあることは感じていた。
カゼだろうとおもってた(おもってる ということにしてた)。
わたしは しんぼうがきかないほうであるので
体調が悪いと感じると とにかくすぐ治したくなって
病院にかかってしまうのだが、
このときは、お医者に診せることもなく、放置しつづけた。
というのもこの頃、離席することがはばかられるほど
仕事が忙しかった。

ちょうどこんなようなことが、
当時からさかのぼって1年半くらい前にもあった。
仕事がいそがしくて休憩がとれないから
病院にかかることもできず
結果 体調をくずす、という失敗が。
そのときにはわたしは腎臓などという部位をわずらい
寛解にいたるまで9か月以上ものあいだ
通院、服薬、経過観察をうけるはめになった。
今回も「これはあのときと同じだ、危険なやつだ」ということは、
わかってたとおもう。最初は。
でも、だんだん、なんにも、わからなくなっていった。

のちに別の側面から、
詳しく事情を述べていくことになるとおもうけど、
ちょっと近くのコンビニに、みたいなことさえ
なんとはなしに しにくい、というほど・・・・
とにかく11月は、
2017年の11月は、異様に忙しい時期だった。

ということは やらなくちゃいけないことが信じられないくらい
たくさんあって、しかもどれもこれも 急ぎだったってことだ。

けれども わたしはとにかく調子が思わしくなかった。
なんだか 自分の体を構成してるちっちゃなパーツや
おおきなパーツが ばらばらと音を立てて脱落していくのを
なすすべもなく見つめながら 
とにかく机にむかって仕事してる、というかんじ。
上司から矢継ぎ早に指示がとんでくるのだが、
一応聞いてはいても 頭にはいってこない。
指示内容が ぜんぜん遂行できない。
わすれてしまう。行動に移すことができない。
体も頭も すこしもおもいどおりにならないのだ。
通常、まあ2時間もかければ終わるかなという作業が
6時間経ってもなぜかとりかかれもしないという
(そのあいだなにをやっていたのかと叱られても
自分でもまったくわからなかった。)
なんだか 救えない状態におちいって いってた、
日をおうごとに。

2017年11月27日
22:30~23:30のあいだのどこかだったとおもう。

とりあえずなんとか 数ページ、原稿を
仕上げることができたので、
プリントアウトして上司の机に置いてこようとおもい、
数時間以上ぶりにイスから立ち上がった。
軽い立ちくらみのようなものを覚えた。
あ、くらっときたと思い
ちょっと座ろうと考えて
イスじゃなく仕事場の床にぺしゃっとすわりこんだ。
たしか、そのまま10分か20分くらいも
ぼんやりしてたような気がする。
はっと我にかえった。
そうだ、原稿をプリントアウトして上司の机に置いてくるんだった。
立ち上がって、歩こうとした。
卒倒したのはたぶんその瞬間だった。

このときわたしを懸命に介抱してくれた同僚たちに
あとで聞いたところによれば
わたしは 人としてちょっと考えにくいムリな姿勢で床に倒れてた。
(そんな変な姿勢になったのは
全身性のけいれんをおこしたからのようだ)

救急隊員さんたちの呼びかけに 答えることはできなかったが、
「会社に連絡をしなければならない」という意味のうわごとを
しきりにくりかえしてたらしい。
会社に連絡をもなにも、そこは会社だったのだが。

発見時、体が冷え切っていたせいもあるのか
首元や手首で脈がふれなかったそうで、
死んだんじゃないかと 同僚たちはすごくあわてたそうだ。
そりゃそうだろうな。
でも、死んでなかったし、死ななかった。
幸運だったとおもう。
わたしが助かったのは同僚たちのおかげだ。

搬送直後は救急の処置室みたいなところで
いろいろな応急処置と
脳の異状をみるための簡易的検査がおこなわれたそうだ。
通報の段取りをつけてくれた同僚が連絡をとったらしく、
処置室にまだ寝かされている状態だったところに
会社の実質的責任者である専務がかけつけてきた。

すごく印象的・・・というかこれだけははっきりと
覚えているんだけど
専務は
死んだ魚のように寝かされているわたしの頬を
指先でそっとたたき、
「おーい」と言って わたしをなかば覚醒させた。
そして
「ごめんね!働かせすぎちゃったね!」
「いつごろ仕事戻れそう?せかすわけじゃないんだけど」
「まあとりあえず休んでね。携帯だけはつながるようにしといて」
と、言い、さっそうと帰っていった。

わたしはぼんやりと
「携帯の充電切れてたんじゃないかなー」と思ってた覚えがある。

専務がきたのとだいたい前後して
母と兄が駆けつけてくれた。
時間帯から推測するに もう終電はなかったはずだ。
兄の運転かタクシーかで必死にきてくれたようだ。

母はこの処置と検査で 異状なしの診断がでれば、
朝いちばんでわたしを連れて帰ると主張したようだが、
処置も検査もごく応急的なもので
急変することも考えられるので、ということで、
さらに詳しい検査を行うためにも
しばらく入院、ときまった。

じっさい わたしの頭には
倒れたときにどこかにおもいっきりぶつけたらしく
巨大なたんこぶができていた。
足首をねんざしており、どこでひっかけたのか手指が血だらけ、
口のなかも血だらけであった。
よほどハデに倒れ、ハデにひきつけをおこしたんだろう。

診断は
肺炎による熱性けいれん発作ということだった。

しっかりしてきた頭で 先生がたの説明を聞いているあいだ
肺炎だったんだな。
どうりでいろいろ カゼにしては 重いとおもった。
ということを考えていた。

熱は入院中も上がったり下がったりしながらだんだんと
平熱ラインにおちついていった。
退院予定日の朝に39度の熱がいきなりでたのには
わがことながら正直 引いたが
もしかして、まだ休んでいたいよと
体が必死に訴えようとしたのかもしれない。と
今は思う。

診断は肺炎とひきつけ、だった。
それだけだ。
収容された あの神経内科病棟の大部屋で
ぜったいわたしがいちばん軽症だったとおもう。
おもう・・・のだが、
しかし、
体の不調ならまだよかった、
それだけではすまされないことになってしまった
ということを
わたしは 退院後、だんだんと認識していった。