BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

おのれをあざけるのはさもしいことである。それは、ひしがれた自尊心から来るようだ。

自分の思考、自分の志向と
信じてきたものが、
よくよく考えてみると 
どこかのだれかのお仕着せだったかも
って おもうことがある。
嫌われたくないばかりに 
受け入れてもらえそうな考えを 
さも自分のものかのように語り
怒られたくないばっかりに 
それを回避できそうな選択を
さも自分が望んだことかのように 
しつづけて、
そのうちに
自分は結局なんなんだ、
何を考えているんだ、
どうしたいんだ、
ってのが 見えなくなった。
そう考えるとき心底ぞっとする。
もし 
ほんとうにそうならば
いつにまでさかのぼって
考え直せばいいんだろう。

でも、きづいた。
わたしが人を想う気持ちだけは、
お仕着せられたものではない。
だれだかわからないだれかに
怒られたくないからなんて理由で
選び取った感情などではない。
そんな受動的な動機からは
わたしが人を想う気持ちはうまれない。
固有の、重要な気持ちだ。

わたしは 実際、
いつも人の眼を気にして恐々とし、
「非難されたくない」を第一義に
流されてきたのかもしれない。
たいくつな人間かもしれない。
でも、いつもぜんぶがそうではない。
想う気持ちだけは 自分のもの。

これに気づいて らくになった。
むりに気持ちをおさえこんだり
棄てようとしたりしなくてもいい、
そのままにしておいても
べつにかまわないという 
助言の意味が
よくわからなかったけど
たしかに棄てなくて正解だった、
なぜなら、
この気持ちを頼りにわたしはいま
わずかにこうして 
力を取り戻すことができた。

惑わない心が、うらやましい。
のびやかな心とは
なんて美しいのだろう。
でも自分の心は
どうやらそういうのじゃない。
どうしようもないことだ。

これだからこそ
人間関係っていうのは
人が生きるうえで
だいじなものなんだろうな。
人と人との関係ほど 
ときとしてたよりなく、
はかないものも、
ほかにないんだけど。

おもえばずいぶん 
後ろ向きなことを
ずっと考えてきたものだ。
短期間のうちに 
心も体も大幅に損なわれたためか。

おわってしまったことに
かかずらうのは
時間がもったいない。
とりかえす努力をする必要は、ない。
新しく積み重ねることを
考えるほかない。