BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

父のことを知りたがりつづける。

叔父の家をたずねた。
今やっていることの進捗や見通しを報告するためだ。
確定事項はすくないけれど 把握できていることは
いちおうすべて話した。
複数のことをやっている。そのなかできょう叔父に話した案件にかんしては
あと2手順くらいふめば 完結するんじゃないかとおもっている。
あまりたのしいことじゃない。 早くおわらないかなーと
願ってる。
この案件に、叔父も関与したいといっているが どうかな・・・
正直やめたほうがいいとおもう。
調整中だ。

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わたしには父がいない。
わたしが14歳のときに両親が離婚し、
父は家をでていった。
それ以来父とは会っておらず 彼の消息は不明だ。
一時、死亡したという話や 再婚したという話を
聞いた記憶があるのだが、
死んだという証拠も再婚したという証拠も
ない。ない、で確定だ。
たしかに聞いた記憶があるんだけれど・・・・。
というかわたし父ののちぞえとなった女性に
(その時点で正式に結婚していたか内縁関係であったかは
わすれたが)
15年くらい前に
たしか会わなかったっけか・・・
そういう記憶があるんだけどなあ
でも事実、ないものはないのでしょうがない。
ほかのだれかの話と混同したのだろう。
家族のことですらそんな調子なのだ人の記憶ってのは。
・・・「人」ってまとめちゃうのもナニか。人間みんなじゃなく
わたしが、ってことだからね(^^)・・・
まあそんな 間の抜けたこともあったものだから 
今日きいた話は最新情報として 
書けることは書いとこうと、おもったしだい。

わたしは 両親の離婚などなどにかんしては すべて
しょうがないことだったんだろう、と 
ただそのように理解しており、
べつに彼ら大人の 当時の判断を うらみもつらみもしていない。

しかしながら 父はどうしているのかなあと、ずっと思ってはいる。
というのも 両親が離婚することは 父が家を出ていく前日に
突然知らされ、翌日の父の引っ越し日、われわれ3人の子どもは
早朝から叔父の家にあずけられ 父ときちんとお別れすることも
なかった。家に帰ったときには もう父はいなくなっていて、
それ以来会っていない・・・という なかなかむちゃな状況だった。
なんとなく変なかんじがするというか、
まあ どこか父がいなくなったということが腑に落ちてない
子ども時代の自分が まだわたしの心のなかにいる、
ってかんじなのかも。
さきほど、うらんでなどいないと書いたが、
うらんだりする気力がなかった というのもあるかもわからん。
べつに「かわいそうな子」ぶりたくてこういうことを書くのではないが、
それまでの何年ものあいだで
両親の不仲、険悪な家のムードに、恒常的に傷ついてきていた。
傷つかなかった日など なかった。
こういうのは体験してみないことにはわからんことだとおもうが
ただそこにいるだけで生命力を削られるものなのだ、
おだやかでない家庭というのは。
昔から神経が細く辛抱のきかない人間だったせいもあるのか
わたしは消耗がけっこうすごくて、
しかも学校生活もあったもんで、毎日を消化するだけで必死であった。
自分ではどうすることもできず、どうにかできるなどという頭も
なかったわたしは ただ傍観し、ただ傷つくだけ。
なさけないことに無力、無力そのものであった。
(のちに、同じく両親の離婚を経験した友人と話したとき、
その友人が、『あんなおやじとは早く離婚したほうがいい』と
自分の母親を説得したよ、と言っていて、この子はなんてすごいんだ、
それにくらべてわたしはなんて茫漠とした精神の子どもだったことかと
はずかしかったことを覚えているな。)
父がいなくなることを かなしんでいた・・・とはおもうのだが、
いられても去られてももう たいした問題におもえなかったんだろう。
わたしの兄も弟も そんなかんじだったんじゃなかろうか。
愁嘆場なんていっさいなく だまってそのときをうけいれた。
なんの話し合いもしてない。これからはお母さんとわたしたち子どもで
力をあわせてやっていこう!なんてことを言い合ったこともなし!
協力体制みたいなものはなく、それぞれに精いっぱい。
現実って、そんなもんだ。

ところで、
わたしは明確に、お父さんっ子であった。
娘だからか 父にはかわいがられたし、
わたしも父がけっこうすきだった。

母と折り合いがよいといえず、
家を心のよりどころと感じられてなかったわたしと、
相当早い段階から母との夫婦関係が崩壊し
家庭に居場所をみいだせなくなっていた父とは
(性格が似てるわれわれふたりが どちらも
 母とうまくいかなかったのは とうぜんっちゃとうぜんだ)
似た境遇の者どうし わりとうまくやっていて
週末になるとふたりで図書館にでかけたり
あてもなくドライブをしたりしたものだ。
ほかのだれもしらない わたしと父だけの思い出は多い。

父が家を出てから今日まで、
父はどこでなにをしているものか・・・と おもわない日は
ほんとに1日だって、ない。
メガネをかけて 白髪あたまをうしろになでつけた
70代くらいの男性をみれば 
父じゃないかと反射的に凝視してしまう。

べつに会いたくてたまらないとか会えなくてつらいとか
そういうふうには感じない。少しも苦しくはない。
わたしは凡庸な子どもであったけれども、
人並みの感性や思考力はもちあわせてた。
ちゃんと「わが父はしょうもない男である」と
認識してた。
好きだったきもちにウソはない。でも、
母とうまくやれないのにむりして深くかかわって
いやな思いをするよりは この人と一緒にいたほうが・・、
(母とうまくいかないという)境遇も似ていることだし・・、
なにかとらくだ。居場所を確保するために、仲良くしておかないと。
・・・といったかんじに
打算めいた考えかたをしてた部分もあったと 今はおもう。
(母も、けっして悪気があったわけではなく ただ一生懸命で、余裕がなかった
だけだろうに 血をわけた家族に心のなかでこんな扱いをうけて
気の毒ではある。)

そんなぐあい、そんな程度だったと言えば言える
・・・
が、それでも、
今も毎日、お父さんはどうしているのかな、と思う。

だからといって、
母に父のことを聞いても
けっして話さないだろうし、
また、ことがことであるし、
むこうが話さないことを こちらで聞くのは酷というものだろう。
(それに、どうも、母もほんとうに父の現在については
知らないようだ。)

父のことがなにか知りたいとき、
(というか「父のことが知りたい」と意思を表明したくなったとき、)
わたしは叔父や叔母に、それを言う。
くりかえしくりかえし そうしてきた。
叔父や叔母に「お父さんのことが知りたいのか」と聞かれれば
中学生のときから間髪入れず「知りたい」と答えたものだ。

兄と弟が わたしにはひとりずついる。
彼らとこの件にかんして
話し合ったことは一度もない。
彼らが父について 何をおもっていたか、
いま、何をおもっているか、わからない。
それを知りたいとも とくにおもわない。
父はしらふで手が出るたちであり、兄と弟には
乱暴をはたらくことがあったので
ふたりが父をうらんでいたり 家からいなくなったことに
ほっとしていたとしても まったく無理はないと考える。

叔父夫妻によれば
両親の離婚の経緯と顛末、
そして父の消息について 知りたがる姿勢を見せる者は
3人きょうだいのなかで わたしだけであるという。

これまでに(今日も含めて)叔父夫妻から聞き出した、父あるいは両親のこと
※わたしの直接体験分もこのさいだからまとめておくことにする。
・現在父がどこでどうしているかわからない。存命であるかもふくめ。
・弁護士に相談したこともあったようだが、両親の離婚は
 最終的には調停でなく 協議によった。
 ※両親が離婚にあたって相談した弁護士がだれであるかは じつは
  わたしも過去に勝手に調べた。弁護士事務所を訪ねて
  話をきかせてくれと頼んだこともある。が、その当時まだ15歳であり、
  両親のことを知ることはよい考えとは思えないと言って、拒まれた。
・離婚の要因に、父が内緒でつくった多額の債務の問題があった。
・母は父の洗濯物のポケットに入れっぱなしになっていた
 借用書らしきものを発見したことによって 父の秘密を知った。
・債務は離婚の決定的要因となったが、父には結婚当初から
 女性問題など、ほかにも母をまいらせることが多々あった。
・じつをいうと わたしは 父にあてた知らない女性からの
 暑中見舞ハガキが 家のポストに投函されているのを見たことがある。
 離婚前だったが、父はとうに家に居場所をなくし 日々別の場所で
 寝泊まりしているらしい状況だった。 ハガキを見たとき、
 これは母に知られてはいけないものだと直感し、秘密裏に回収して
 処分した(^^)
・母は実母(わたしにとっての祖母)によく 別れたいと相談したようだが
 祖母は 共感をしめしつつも 娘夫婦の離婚に消極的だったとか。
 われわれ3人の子どもの生活を 案じたからだ。
 母がようやく父と離婚したのは、祖母の死後4年がたったころ。
・父の債務は母の実弟(わたしの叔父)がかわってすべて返済した。
・債務の肩代わりの条件として離婚、養育費の支払い、
 すくなくとも成人までわれわれ子どもといっさい会わないこと
 という約束がかわされた。
・離婚後3か月で養育費の支払いはとどこおった。
・養育費の支払い額は父自身が提示してきたものだった。
 叔父と母は 父の懐をかんがみて もっと少なくてもよいと伝えたが
 父はあくまで自分が提示した額を払う、と言ったという。しかし遂行されず。
・母は早々に見切りをつけ、支払い督促を断念した。
・父は離婚後どこかの段階で、アルコールの問題で
 肝疾患をかかえるようになったようだ(たしかに酒は弱かった)。
・かつて我が家の2軒となりに住んでいたKさんが、F駅近くの地下道で
 父とばったり遭遇し、あいさつをかわしたと聞いたことがある。
 ※これは今から10年くらい前の情報。
・再婚のうわさはきかない。

まあ、よく聞く話だな。
元配偶者が子どもの養育費払ってくれないとか。
借金が原因で離婚。
アルコールで肝臓をこわす。
ある。ある。どこにでもある人生の失敗の話ってかんじだ。

養育費の支払いがとまってしまったこと
この額を払うと自分で言ったくせに約束を反故にしたこと
・・・これも、まあ、
ほめられたことじゃないのはたしかなのだが、
しかし、
父を恨む気にはならない。
ばかだなあとはおもう。
約束をやぶったらわれわれ子どもと余計に会いにくくなることが
わかっていても、それでも 養育費を払いたくなかったんかいと
ややガッカリみたいなきもちには なるのだが・・
約束したけどできない、
思ったよりも大変で、ムリだった、
・・・そういう失敗って、 あるよね・・・
それに、ほんとにすごく大変だって聞くし 
養育費を払い続けることって。
なんか、きもちは理解できるんだよな。
自分が父の立場だとして、いや自分はぜったい父みたいに
いいかげんなことはしないと 言えるかはわからない。
想像でなく 本当にその立場になってみないと わからないことだとおもうわ。

・・・
叔父も叔母も、わたしの父をあしざまには決して言わない。
なかなかどうして しょうもないエピソードだらけだが
あくまでも淡々と 事実だけを話してくれる、いつも。
ウソがあるとはおもわない。
「話してくれてないこと」は、もしかしたらあるかもしれないが。
そして叔父も叔母も、
どうもほんとうに 父の現在については知らないようだ。

きょう、叔父夫妻に、
父の現状について、
いまのわたしが 知る必要はないのではないか、
と言われた。
父を探し出すことができたとして・・・
父が支援を必要としていて わたしを頼ってくるかもしれない。
でも いまのわたしには 父を支える力がない。
わたしに 必要とあらば老父を全面的に支援する、という
心づもりと実際的な余裕があれば、
父の捜索も接触を試みることもかまわないだろうが、
それができない状況なら知らないままにしておいたほうがいいとのこと。
知っても父のためになにもできず 苦しいだけとすれば。

たしかにそのとおりだ。

また、叔母はこうも言ってた。
母とわれわれ3人の子どもは、離婚後も、
父と暮した家にそのまま住み、引っ越さなかったのに、
(たとえ会わないという約束だったとはいえ)父はわれわれを
たずねようとしなかった。
われわれ子どもの様子を知ろうという姿勢をみせなかった。
その父に、わたしが会いたいとおもって 仮に叶えても、
わたしにとってよい結果、よい父のリアクションが待っているとは
おもえない。

まったくもっともな話だ。

けど・・
わたしはこれからも父のことを知りたいと
言い続けるだろうとおもう。

14年間 おなじ家で暮らしてた。
おなじ家で暮らしてたけど、その人はある日家を出て行き、
そしていなくなった。
いない理由はわかっている。べつに謎の失踪とかじゃない。
離婚して家を出て行った。だからいないのだ、父は。
けど、よくよく考えると
いたのにいなくなった、って すごくへんなかんじだ。

ちなみにわたしの本読みは 
あきらかに父からうけついだ性向だ。
そして読むこと、書くことだけがいままでずっと
わたしを助けてくれた。
子どもが人に頼らず自力でできる心の整理方法として、
また、もっと単純に、食べていく手段として。
おもえばまがりなりにも、これだけでわたしはずっと食べてきた。
もしも、今ほどにも読めて書けてなかったら 
もっと早くのたれ死んでたんじゃないかとおもう。
すくなくとも
子どものころのわたしの 心のなかの世界は
信じられないくらい貧弱だったことだろう。
だから父に感謝しているかと言われると
そんなおおげさには考えてないと こたえるしかないのだが。

父がどうしているか、死んだのか生きているかを、
父のことで わたしが知らないことを、
知ることを求める。
わたしは知りたいと言い続けるのを やめないだろう。

そういや、このまえ、近所の図書館の古い貸し出しカードを
発見した。なくしてしまったかもしれないと思っていたのだが。
近所の図書館は10年くらい前に貸し出しシステムが刷新され
貸し出しカードもそのときリニューアルされた。
古いカードは、持っていけば引き取って処分してくれることに
なっていたのだが、
わたしはあえて手元に残した。というのも
その貸し出しカードに父の筆跡が残されていたからだ。
初めて利用者登録をしたときに父がわたしの名前を書いてくれた。
ラミネート処理されているため 文字が消えることもなくきれいに
残っている。
自分の持ち物で 父の筆跡といったらもうこれしかないので
失くしていなくてよかった、と心から安堵した。
とくに びっくりするような場所に隠れてたとかいうわけではなく
めったに使わないカード類をまとめて保管しているファイルケースに
ふつうに入ってた。