BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「オリエント急行殺人事件 Murder on the Orient Express(2017)」-180108。

※以下、原作ファンのかたには
申しわけない内容を多分に含みます。 
おイヤなかたは お読みにならずに。

オリエント急行殺人事件
(原題:Murder on the Orient Express
ケネス・ブラナー監督・主演、2017年、米)

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movie.walkerplus.com


74年ルメット版のほうが
グッときたことは事実だが、これはこれで。

ケネス・ブラナーのポワロ、イイ。
わたしはむしろ従来の
ポワロのルックスこそ、好みじゃないので(^^)
お国なまり満載の英語表現には驚嘆。
小説なら
「ポワロの英語は、なまってます」と
説明すればいいだけだが 
じっさいにやるのはたいへんなはずだ。

トム・ベイトマンは、
すくすく育った健康優良児体型といい、
ボンボンで、チャラ男で、
でも憎めなくて、頭も悪くない
アルスラーン戦記」の
ラジェンドラみたいな役をやらせたら 
天下一品だ。

ジョニー・デップは、まじめにやってない。
ポワロとの対比。
そこをもっとやってほしかったのに。

ミシェル・ファイファーには拍手を。
お歳相応の、・・・お肌のかんじとかを、
いさぎよく出していた。
華やかなマダムだが、
ポワロ視点のときだけ妙に老けてみえる、
という演出だった。
であるならば そう撮られることを
彼女が受け入れたはずだ。
わかる者にだけわかる
ハバード夫人の心のいたみは、
そう撮られることで効果的に表現できると
納得ずくだったのだ。一流だ。

古典ともいわれる小説が原作。
実写版映画は、
ストーリー、トリック、犯人さがしを
楽しむものではない。
雰囲気を、アレンジを、華麗な美術を、
豪華俳優陣の演技を味わう、
それが実写「オリエント急行殺人事件」だ。
その点は 成功してた。
(もっとも、数年前の、
三谷幸喜監督の特別ドラマ版は 
果敢にもストーリーやトリックまで凝ってた)。

エンディングまでゴリゴリに
装飾的にしてないところが 
個人的にヒット。
そこまでやられてたら
ノーサンキューだったが、
単色濃紺の背景に、
ポワロの瞳のブルーのクレジット。
スッキリしててよかった。

最終章
(「犯人はおまえだ」のところ)は
胸にせまった。
役者さんの熱演のたまもの。
脚色の妙もさることながら。 
実際にはそれほど詳細には描かれない、
各キャラクターの人生の苦みや、心の痛みが、
推し量られて、泣ける。

ちなみに 原作にかんして。

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www.hayakawa-online.co.jp


現代文学史にのこる作品ということで、
わたしも、
数年に1回 読みかえしさえするものの、
(こんなことをいうと
世界中のファンに1回ずつ
心臓にナイフをつきたてられそうなのだが)
おもしろいと 感じない。

数年に1回読みかえすと述べた。
その理由は、ほかでもない
「世界が認める古典的名作を 
良いと感じないなんて、
自分がおかしいのでは。
良さがわかる精神的ステージに
きてないだけでは」。
今回こそは良いと思いたい、から。
けれども 今のところいつ読んでも 
おもしろくない。

ミステリーは
だれがそれをやったか
どうやってそれをやったか
なぜそれをやったか
の どれかに主眼をおく形に、
ほぼ例外なく、なる。
それはアガサ・クリスティー以前に
発見され確立された ひとつの類型とみて
さしつかえないと思われる。だから
アガサ・クリスティーが物語の構成を
試行錯誤していた その中途段階の小説、
ということにはならないはずだ。
彼女ほどの人が 類型を知らなかったとは 
考えにくい。
しかるに小説「オリエント急行・・」は、
わたしが読むかぎり、
この3つのどれにあてはめても半端だ。
すべてに半端にあてはまる。
「なぜそれをやったか」に
力点をおこうとしたことは確実だが
(でないとそもそも成立しない小説)、
成功してるとはいえない。
3つの要素の「おもしろみ」の
希釈限界値を探る実験小説
じゃないかとさえ おもいたくなる。

では たとえば
シャーロック・ホームズ」シリーズが
いまとなっては
ヴィクトリア朝英国のかおりをつたえる
「雰囲気小説」と化しているのと同様に
オリエント急行・・」も 
もう昔の小説だし、雰囲気をたのしめば、
という話かもしれない、が
これがまた「オリエント急行・・」は 
文章表現が淡泊すぎて 
雰囲気もへったくれもない! 
文から映像をイメージする力が
貧弱な わたしのような読者には 
無理なのかも。

逆に 作品発表当時の読者たちは 
なんと想像力がゆたかだったことか。 
自力で補完し、読みとる力の、
なんと鍛えられていたことか。

でも、
「それでも、なにも感じない 
とは言わせないよ。
ほんとに駄作だとおもうなら 
たとえ名作の呼び声高くとも 
数年に1回読み返すなんて 
絶対しないはず」
そんな声がどこからか 
わたしの頭に響いて 無視できない。

この偉大な小説によもやガッカリしたくない 
という気持ちが 生む幻聴か、
それとも こういう種類のおもしろさだって
厳然とあるんです、世の中には。
という絶対的真実の、呼び声なのか。