BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

吉田兼好→古文は現代語訳で→おもいで→ボコられる自尊心→逃避

きょうはかなり寒かったです。
職場でついに一日中 上着を脱ぐことができませんでした。

自分のいる部屋は 比較的広く
窓から出入り口に一直線に風が
ふきぬけるかんじの間取りになっています
夏は風通しがよくて
たいへんけっこうなんですが
冬場は底冷えがします。
吉田兼好徒然草で 
家のつくりようは夏をむねとすべし、
冬はいかようにも住まう。
(家は夏の暑さ対策こそを大前提として作れ、
冬なんかはどうやったって暮らせる)
といっていて、 
まあそれはたしかにそうなんですけど。

徒然草でおもいだしたのですが
いぜん 自分の知っている人が
徒然草ってすごく変な作品だ、いったいなんであんな
おもしろくもなんともないものを 書こうとおもったもんか、
また、残そうとおもったもんか」と
あらたまって スゴイことを言っていました。
徒然草の存在意義とか 
つまるだのつまらないだのについて
考えたことなんて 自分はそれまで一瞬もなかったものですから
返答に窮しました。
たしかに なんでといわれると・・・・(^^)

そんな 古典文学のことでおもいだしたのですが
つくづく考えるんですけど
古典って
むりして原文で読まなくていいんじゃないですか。
現代語訳でばんばん読んだ方がいいですよね
意味がわかるだけおもしろいですから。

シェイクスピアとかチェーホフもそうだとおもいますよ
わからないところや読んでいると眠くなってくるところを
全部読まなくては・・・と むりに時間をかけなくてもいいのです。
もとが演劇なんですから。
照明器具やマイクや舞台装置がいまのようにちゃんとしていなかったせいで
表現しきれなかった部分を
観客席のうしろのほうにまで聴こえるように
すべてセリフで説明しようとしたから
(また、衣装替えなどの舞台裏の作業の時間をかせぐために)
あのように もってまわった長ったらしいセリフなどが
つらつらと続く、そういう側面があるのではありませんか。
わからないところ、読んでてあきるところは 
研究者でもないなら
とばして読んでいいのです。
まずWikiで調べながらでもなんでもいいですから
雰囲気を感じ、流れをつかみ、とりあえず読むと。
研究者だってさいしょはそうしたのではないですか。
そうでなくちゃおもしろさだってわかるわけがなかったはずです
つまんないとおもったら、べつにそれでいいし(^^)

希望者は、それから原文、それから細部へと踏み込めばいいのです。

でも原文で読んでもぜんぜんおもしろいと感じないけど、わたし(^^)
だって時代と、言葉がもう、昔すぎますので。
読みはしますし、理解もしますけど、
文章がうまいとかどうとか以前の問題で 
その意味でまったく楽しむことができないし。
ただ小さい子のかわいらしい様子を描くシーンなんかでは
筆が走ってるな というか、
ウキウキしてるな、作者が、
くらいのことは わかりますが・・
源氏物語の話ですが。
(若紫、夕霧、雲居雁、冷泉帝はほんとうにかわいいです。)
それ以上のことは 正直いってよくわかりませんよ。
外国語みたいなものですよ。
母語じゃありません。
母語じゃない言葉は、どんなに深くしっかり身につけたつもりでも
母語とおなじように 微妙なニュアンスまで感じ取れるようには
ならないとわたしはおもいます。
しらんけど(^^)

あと、確実にいえるのは、
国語の教科書にのっている源氏なんて
なにがおもしろいんですか あんなもの(^^)
そりゃみんな古文 苦手って言うわ。
どうだっていいのではないですか(^^)、品詞分解なんか。
(品詞分解まるでできません、わたし。)
もっと先のもっとおもしろいところを
娯楽として読んだほうがいいですよ。
現代語訳いっぱいでてますから。
なんでもいいんですよ。
谷崎潤一郎円地文子のはとくにおもしろく感じます。
登場人物たちが 勝手に動き出す感じがするところが
いいとおもいます、生き生きとして。
それでも54帖もあるし
昔のもので、冗長に感じることは否定できませんから
あまりずっと読んでいるとしんどくなりますが。

まず 文学のおもしろさにふれることからだということ。
おもしろさに分け入る術をしることからだということ。
その術とは必ずしも 文法を学ぶことではない可能性があること。
そういうこと わかってる先生がいたんです
高校3年生のときの現代文の先生。
あの人の授業はおもしろかった。
本人が、文学を愛していることがとてもよくわかる教えかただった
のではないかと。
定期試験の問題は、創意工夫と 今おもえば
生徒の潜在的知力や 自力で考える力への刺激にみちていて
好きな人にとっちゃ とてもわくわくするものでした。
点数よりもどんなふうに考えたのかを見ようとしてくれる試験でした。

安部公房のデンドロカカリヤとか
シュタイナーとか読ませてくれる先生なんて
あまりいないのではありませんか。
シュタイナー(^^)!! 
どこからもってきた!!
文学っていうの あれ!
あの先生よかったな。
おもいでぶかいのは 学年末試験のとき、
問題にとりくむ1時間があまりにもたのしくて
あっというまだったので
前の席の ぜんぜんそれまで接点がなかった
すごくおとなしい系の同級生の男の子と
おもわず「おもしろかったよねこれ!!!」って
目で会話をしたことが 心に残っています。
回答用紙をうしろから前に回収していくときに
目が合ってね。 その子の色白のお顔が紅潮して
瞳がきらきらしていたのをよくおぼえています。
わたし、その子とほとんど 話したことはなかったんだけど、
その子の文系科目の成績がたいへんに優秀だということは知ってました。
それで内心 いつも競うきもちでいたんですよね
自分も比較的 文系科目はすきだったものですから。
なんかわかりあった瞬間でしたねあれ。
よかったなあの問題。
またあの先生の授業 きいてみたい。
そもそも あのころ先生はおいくつで、
いま、おいくつなのか。
現役でいらっしゃるのだろうか。


平家物語吾妻鏡も教科書のはぜんぜんおもしろくない、
那須与一おもしろくない(^^)

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きょうも職場で自尊心をボコボコにされてきました。
まいりましたね。
あまり考えたくはないけれど
パワーハラスメントの範疇とみていいだろうとおもいます。
バカだとおもわれているんだなとおもいながら働くのは
しんどいものです、
むくわれないんだなという思いがつのるから。
自分で自分をバカだとおもうことは いいのですが
他人にいわれると、なにを!! 
というきもちになるのは
おかしなものですね。
そんなにバカだとかいうんなら 
全部自分でやってくださいよーとか
ちょっとおもってしまうんですけれど(^^)
まあ相手には相手の考えがあるのでしょう。
とっくに 理解することを放棄してしまったからなあ・・
でも心はいたく傷つきます。当然のことです。
人の立場を 自覚的に奪うなんて最悪ですよ。
辞めて ほかの職場にいこうかな(^^) 
なんてね。

でも自分にとって 世界は仕事だけではない、
というのが
救いですね。
わたしは、
家に帰ることができれば、仕事じゃない時間をもつことができれば
の話ですが、
仕事とぜんぜん関係のない勉強に打ち込むことによって 
まったくべつの世界にいける本を読むことによって、
その日のしんどい気持ちを かなり忘れるか小さくすることができます。
勉強とは逃避のためにするものではないかもしれません。
でも逃避のためにやっちゃいけないという法律もありませんし、
たのしいからいいか。というきもちです。
あしたになったらまた きつい現実と立ち向かわなくちゃ
いけないわけですが・・。

さてどうなることか。
あしたの心配はまああしたに任せるとしましょうかねー。