BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

もしもシリーズ:ベーシックインカム

ベーシックインカムをもし日本で導入するならばという話なのだが、

導入するならば、
生活困窮者への継続的な生活支援、みまもりをわすれないでほしい。
さらに、幼児段階から、生活のしかた、お金とのつきあいかたを
おぼえさせるべく、教育をかえてほしい。
みんながそれを学ぶ機会をえられるようにする意味でも
幼児教育から義務化してほしい。

つまりベーシックインカム関連の施策は
ベーシックインカムの導入
生活困窮者への継続的・包括的生活支援とみまもり
幼児教育の教育課程の改革
幼児教育の義務教育化(大学の無償化よりもこっちが先かと)
の4つを一体化、セットでやってほしい。

ぎゃくにいえばそれができないうちは 
ベーシックインカム導入はしてほしくない。

日本まるごと根元から腐らせたいなら話はべつだが。

お金にこまりがちな人は お金だけでなく 
ほかのこともいろいろこまりがちなのであり、
いってしまえばおよそ社会生活をおくることじたいが
壊滅的にヘタクソなのだ、と わたしは考えている。
今月だけどうしても要り用で 貯金にちょっと手をつけちゃった、
みたいなのとはわけがちがう。 

わたしの身近(連絡先をおたがい知ってて会うこともあるような
関係ということ)にはたまたまいないにせよ、
世のなかには ほんとにほんとに かなりまずいレベルで
生活がヘタクソな人がじっさいにいることを
だれもが知っておくべきなのだとおもう。
存在だけでなく そのヘタクソぶりの深刻さをも。

その人は、お金があればあるだけ(なければかりてでも)
一瞬でお酒などに使ってしまい、
「それで今月生活するのだ」というふうに考えることを知らない。
ある意味 けものにちかい生き方をしてる。
単身者だけでなく家族がいる人でもだ。
なんとか依存症みたいな病気とかじゃない場合もある。
ただ、生活のしかたを知らない。

ふつうの社会生活は ふつうの社会生活をおくれるだけの 
基礎的な養育をうけてこそみにつくものだということを
わたしたちは改めて理解しなくてはならない。
教わってないものは身につかない。
大人になってから勉強したかったらどうぞしてくださーい、というものと、
そういうもんでないものとが世のなかにはあって、
お金とのつきあいかたを含む「社会生活」は
「そういうもんでない」ほうのことだ。

社会生活ってのは、人に生まれたらだれでも自然に
できるようになるってもんじゃないわけだ。
自分が知っていることを、知っているようにしか、人はできない。

お金とのつきあいかたを含む一般的な消費生活、
ごくふつうの社会生活、それは、
できない人はほんとにできないし 
できないまま大人になる。

くどいようだが「ほんとに」できない。
その「ほんとに」の内容の深刻さを、
深刻じゃない人たちこそ
ちゃんと知っておくべきではないだろうか。

でないと 国のなにをどう変えようが
その人たちをおいてきぼりにしてしまい、やがて、
「できる人だけ」が生きられるという体制を
積極的におしすすめる国になってしまう。
最初はそれもいいのかもしれない。
ただなりゆきでそうなった、未熟ではあるがとりあえず
やってみるだけだから最初はこれでいいだろうということにして
やった、そんなかんじでおのれをだまくらかして
できない人をおいてきぼりにした事実をわすれたふりも
できないことはないだろう。
あたかも なにかが成功したように見えることだろう。
できる人だけでサクサクやったほうが
なにごともラクにきまっているのだから、
おそらくおおくの国民に歓迎されるはずだ。
でも、
そうして、見てみないふりをしているうちに、
できない人たちは着々と ふえていく。
これは確実だろうとおもう。

ことは、次の世代に連鎖するからだ。

日本は 子どもと若い人がへりつづけており
おじいさんおばあさん、お父さんお母さんの年代が
どんどん増えていっている。

国民全体のなかの生活ヘタクソさんの割合がいまより増える。
べつのいいかたをすれば、
国民ひとりあたりの
「支えなくちゃいけない生活ヘタクソさんの人数が増える」。
ひとりあたりの負担がそうやってずっしりと
こなきじじいのように重くなっていく。
そしてみんな、その状況をかかえて高齢になっていく。
するとどうなるかというと、
わたしがおもうに 
「めんどうみるのがめんどうくさいし実りもすくなくて、支える側がつらいだけ」
だから、
「生活ヘタクソさんに死んでほしいと思うようになる」。

さすがに今生きている人に 「そんなわけなので死んでください」とは
言えないが、
まだいない人に「生まれてこないでください」と
言うことは できるだろう。

「どうせどう教えたって一生できない人に、
その状態でこの社会で生きていってくださいと言うほうが、
本人にとって酷というものだよ。そもそも、
なんでちゃんとできる人たちが、わざわざできない人を
支えてあげなくちゃいけないの?
わたしだってぼくだってそんなに余裕があるわけじゃないなか、
一生懸命まじめに生きているのにさ」。

これは、わたしがおもうに、
優生思想とむすびつきやすい考え方だ。
優生思想そのものは そのなりたち的にみるとべつに
悪い考えかたではない と わたしはとらえているが 
勘違いが起こりやすく、人は弱いから、
自分の都合の良いように拡大解釈してしまい、
結果、まずい心理とむすびつきがちだ。 
相模原の障害者施設で起こった あの19人が犠牲になった事件の背景に 
この思想があったとみられているように。
あの事件は、それだけがすべてでは、なかったと
わたしは想像してるけども・・・。

優生思想は、たぶんいまのわたしたちの手には 
あまる思想であるとおもう。

このように、
「できない人」たちに、合法的にいなくなってもらいたい・・・
と思うきもちが、国の空気のなかに蔓延し始めると、目も当てられない。

蔓延・・・いや、ちがう。
すでに たぶん 国民のなかに眠っている
そうしたきもち・・・
ルサンチマンともふかくかかわっていそうなきもちが
「隠さなくってもいいもの」として扱われるようになり、
はっきりと外にだされるようになってきたら、大変なわけだ。

カッコイイ言葉でいうと 日本の社会に生きる人間としての
最後の矜持を捨てるということなのだが。
つまりおもってても口が裂けても言っちゃだめ方面のことを
言ってしまうということ。
武士は食わねど的精神をかなぐりすてるということ。

こうしたことこそが、先述した、わたしのおもう 
「日本をまるごと根元から腐らせる」ということだ。
そして、それは、わたし個人のかんじでは
すでに、ちょっと、はじまってる。

できる人だけでサクサクやったほうが
なにごともラクにきまっていると さっき書いたが、
これはほんとうにそうにきまっている。
だから、いったん「もうそういうことでいいよね!」と
誰かが言って、それをみんなが受け入れてしまえば、
「できない人は生きられない」国づくりなんて
あっというま、まさにあっというまだとわたしはおもう。

やったことがあるのだし。
ユダヤ人であるというだけで何百万人という人を殺したことがある。
黒人だからというだけで奴隷として働かせた。
ネイティブアメリカンやロマの人たちを差別した。
精神障害や同性愛やハンセン病の人に断種手術を強制したことがある。
在日朝鮮人の人たちを ただそれだけでいじめたことがあったではないか。
われわれは いろんなことをやってきた。

言ってもいい、やってもいいと誰かが言いだし、
そうだそうだという空気があったということにさえしてしまえれば、
こんなことはかんたんにやれてしまう。
そういうところがあるのが人間だ。
時代もなにもかんけいない。
いつでもこうなる可能性がある。
わたしたちは無関係ではない。

でもわたしはやっぱり、それでもいいはりたい。
すくなくともわたしはなんだけど、
国民がその矜持を堂々と捨てる国には住みたくない。
そんなところには怖くて住めない。
なにがおこるかわかったもんじゃない。
「(なにがであろうと)できない人は生きられない」
そんな場所にはわたしだっていられない。

なにせ、わたしだって、できないことばかりの人間だ。
わたしのできない数多くのことのなかのどれが、いつ
「それができない人は 残念ですがこの国では生きないでください」
の条件に当てはまるとされるか、わからない。
たとえば泳げない、
たとえば視力が低い、
たとえば結婚をしていない、
たとえば子どもがいない、
・・・
いまはなんでもない こうしたことが、
足切りポイント」に絶対ならないと、だれにいえる?

わたし以外の人はどう思っているんだろ?

話をひろげすぎと 人はいうだろうか。
でも、
本気で そういったことから、
安易なベーシックインカム導入は まずいと 
いまはわたしはかんがえる。

数カ月まえまではベーシックインカムってなに、っておもってて
「インカム」という言葉から「ベーシックなトランシーバー」みたいな
通信機器的なものを想像してたレベルだったけど・・・。

お金のつかいかた、お金への態度のとりかたが
一般的に想定しうる範疇をおおきく、しかもマイナス方面に
逸脱してしまってる人に、
お金でだけ 生活保障をしても それは生活保障じゃない。

そのお金はすぐ 消えてしまう。
彼らをすこしも活かしてくれないうちに。

お金で生活保障をするのがわるいとはいわないが、
それはお金とのかかわりかたを
ある程度理解している人にとって、の話にすぎない。

お金とうまくかかわれない、またはそうなる危険性が高い人
(お金とうまくかかわれない人の、子ども。)
がどこにいるか、それがだれかを
がっちり把握してサポート体制を構築しないまま
かんたんに施策を導入しちゃまずい。
ベーシックインカムをすでに導入している国のやりかたを
よく勉強させてもらい、けっしてうわべだけ、骨組みだけマネするような
ことがあってはいけない。
やっている国にあって 日本にないもの、なければならないものを
よく確認しておく必要がある。
なぜ実現が可能だったのかをしっかりたしかめ、
なんのための、だけでなく 施行したことによる社会への影響や効果までも
シミュレーションしてほしい。

生活が上手にできない人に、生活するのがもうすこしうまくなるように、
似たようなことで二度も三度も困窮することがないように、
お金のつかいかたと暮らしかたの基本をおしえ、
継続的に支援するという 盤石の用意が必要だとおもう。

ベーシックインカムをもし導入するなら
そこをまずかためてほしい。

つまり包括的支援、 
ようするに福祉、
しかしおおもとをたどれば幼児教育であり、
けっきょく
話がとっぴすぎるといわれるかもしれないが
幼児教育を義務教育化するとこからだと わたしは思う。
なんで幼児から、小学校からではいかんのかという意見も
もしかしたらあるのかもしれないけど
わたしは幼児教育からだろうとかんがえる。
そのわけは また時間があったら書きたい。