BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

弾丸京都20171103。

日帰りで京都にいった。

友人に 京都にでかけることを話したところ
自転車を利用しての散策をすすめてくれた。 
トライしてみることにした。

嵯峨嵐山のほうにいった。

JR嵯峨嵐山駅→駅前のお店で自転車をかりる→大覚寺(だいかくじ)→
直指庵(じきしあん)→愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)→化野念佛寺(あだしのねんぶつじ)→お昼ごはんを食べる→祇王寺(ぎおうじ)→二尊院(にそんいん)→常寂光寺(じょうじゃっこうじ)→清凉寺(せいりょうじ)→JR嵯峨嵐山駅前のお店にもどって自転車を返却する→あるく→嵐電嵐山駅→北野白梅町駅→あるく→北野天満宮→ちかくのバス停からバスにのる→四条河原町バス停でおりる→周辺の繁華街をあるく→錦天満宮→(駅の名前をわすれたが)地下鉄にのる→京都駅→新幹線にのって帰る

古都の地名って なんて独特で美しいんだろうか。
書いているだけで心がはずむのを感じる。

おもしろかったこと。感じたこと。


・自転車、快適。
 →さいこうだ。こんな楽しいものはない。しかも早い。
 帰りの時刻がきまっていて みじかい時間でいろいろやりたいが
 自動車の免許はもってないし しかしバスはできれば乗りたくない 
 という わたしのような場合
 自転車こそ最強の移動手段となる。
 歩きではいつも 疲れてしまって
 あきらめちゃうようなところでも 
 あと、車では逆にいけないというようなところでも、
 自転車なら するするといける。
(自転車だからこそいけない、というところも もちろんある)
 次回から日帰りで京都や鎌倉にいくときは 
 積極的に自転車を使いたい。
 ただし自転車は あたりまえのことだが 疲れる。


・次回はぜったいに電動アシスト付き自転車に。
 →電動アシストのないふつうの自転車を選択した。
 ゆるやかではあるが地味につらい上り坂に出会うたび
 電動アシスト付きにすればよかったなーとおもった。

 
大覚寺門跡寺院大覚寺のセミがかわいい。
 →門跡寺院とはお公家さんや皇族のかたが住職をつとめる
 特定のお寺のことだ。
 大覚寺嵯峨天皇がおくさんのためにたてた別荘を 
 あとでお寺にし 皇孫の恒寂入道親王というかたを住職にすえ
 真言宗大覚寺派本山として開いた(876年)もの。
 菊のご紋が随所にみられ 建物は寝殿造
 ゆったり広々とした作り、どちらかといえば簡素なかんじで
 センスが抜群にいい。
 格子窓に 金細工のブローチ大くらいの精巧な
 セミの飾りがついていて すごくかわいかった。

公式サイト↓

旧嵯峨御所 大本山 大覚寺


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嵯峨天皇のご宸翰が美しい。
 →大覚寺では 嵯峨天皇のご宸翰(天皇直筆の書)も見学した。
 直筆の場合、
 ふつう 字は 上下左右のバランスをとりながら
 無意識に 大きさや 次に書く字との距離感を
 変えて書くものだ。
 1行めの3字めに書いた「安」の字と
 23行めの一番下に書いた「安」の字とを
 取り出して並べてみたときに
 ふたつがまったく同じ大きさ、同じ雰囲気の「安」に
 仕上がってることは ありえないということだ。
 けど、嵯峨天皇の字は とってもきちょうめんだった。
 もしかしたら別々の箇所から おなじ文字を抽出して
 並べて見比べても ぜんぶおなじ大きさじゃないかなと
 おもったくらい 統一感があったし 集中して書かれていた。
 たしか聖武天皇の文字も
 フォントか活版印刷をおもわせるほど
 機械的に美しかった という話をきいたことがある。
 昔の 天皇になる人というのは
 当然のことながら当代最高の教育をうけていたはずで
 それは 一般的にまず不可能なことができてしまうような
 ある意味で特殊な人間をそだてるかんじの教育だったのかもしれない。
 まあ 明治神宮の宝物館でみた 明治天皇のご宸翰は
 おそれおおくも
 あんまりきれいな字じゃなかった と記憶してるけども(^^)


・直指庵にくる人たち。仏さまのまなざし。
 →大覚寺の真裏にあたる位置に直指庵がある。
 江戸時代から
 臨済宗黄檗宗→浄土宗のお寺として
 すたれたり復興したりをくりかえしてきた。
 浄土宗のお寺になっておちついたのは幕末ごろとのこと。
 悩める現代人の いこいの場として人気があるそうだ。
「想い出草」なる手作りの和紙飾りのノートが 置かれていて 
 来た人はだれでもなんでも そこに書き込んでいい。
 わたしがいったときは 3冊 お膳の上におかれていた。
 それらをざっとだが 読ませてもらった。
 筆跡が それぞれ ぜんぜんちがうことや、
 書かれた思いのたけや 苦悩の内容の多種多様さに
 おどろかされた。
 けれども、しだいに、
 わたしにはみんなちがって思えるけど、仏さまにとっては
 みんなひとしくかわいそうでいとおしい 
 ちっぽけな子どもたち、
 なんだろうなと 感じるようになった。
 わたしはこのノートには なにも書かなかった。

公式サイト↓

直指庵



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愛宕念仏寺の石の羅漢さま軍団

 →愛宕山という山があり これは「あたご」やまと読むが
 愛宕念仏寺、これは「おたぎ」ねんぶつじと読む。
 この手前の化野念佛寺にのみ行く予定だったが、
 もうすこし坂をのぼると愛宕念仏寺があることがわかり、
 せっかくなので行ってみた。
 石の羅漢さまが何千体もならんでて 
 みんなお顔やポーズが違い、眺めているとたのしい。
 わたしはなにかに耳をすましているらしいポーズの
 羅漢さまが すきになった。おだやかな表情で。
 つい「写真とらせてもらってよろしいですか」と
 声に出しておうかがいをたててしまった。
 撮ったあとは 頭をなでなでしといた。

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公式サイト↓

おたぎねんぶつじ, Otagi Nenbutsu-ji Temple




愛宕念仏寺のカメムシ
 →愛宕念仏寺にはカメムシがいっぱいいた。
 お堂の縁側ですずんでいた美人の女性が、
 「カメムシ超いっぱいいますよ~」と話しかけてきた。
 「お寺で殺生はいかんので踏まないようにしないと」と
 答えておいたが 縁側の床には ふんづけられたらしいカメムシ
 無数のあとがのこってた。
 まああんなにいたら そりゃ踏んじゃうよ。

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愛宕念仏寺にあって興ざめした、なくて寂しかった。
 →お寺の公式インスタグラムアカウントが掲示されていたのが
 やや興ざめだった。
 もとはなにかの像が安置されていたと見られる場所が空っぽだった。
 廃仏毀釈で撤去されたものとおもわれ 寂しく感じた。


・化野念佛寺は特殊。やさしい。
 →化野念佛寺は
 1200年くらい前に空海が開いた、つまり真言宗だったお寺を
 のちに法然が浄土宗のお寺として 開きなおしたものだそうだ。
 空海が 周辺一帯にころがっていただれともしれない遺体や骨を
 ひろいあつめ 彼らを供養するために最初のお寺をひらいたのが
 はじまりであったという。
 化野念佛寺は 相当特殊なかんじのお寺だった。
 見た目が なにしろ異色だ。
 何千という ひざ下くらいのおおきさの
 こけむした石仏、石塔が ずらり8千体ちかくもならんでて、
 それらの真ん中におかれた仏さまが 石塔をやさしくみまもってる。
 石塔はすべて 昔 この化野に葬られていた人たちの
 お墓なのだそうだ。
 化野は昔は、葬送の地だったので。
 死者の係累が死に絶え 供養してくれる人がいなくなるなどして 
 無縁仏になって放置されていたお墓を
 明治時代にお寺と地元の人たちが せっせと拾ってお寺に集約し
 合祀したものという(この合祀エリアを西院の河原と呼ぶ)。
 集めたその意欲に感心させられた。
 お寺さんのこころざしも 
 同意協力した地元の人たちのやさしさも 
 ちょっと 現在だったらあるかどうか。
 西院の河原は撮影禁止だった。写真撮ってない。

公式サイト↓

あだし野 念仏寺




祇王寺大覚寺の塔頭であることとその事情。
 →自転車ですいすい走っても
 大覚寺祇王寺はけっこう離れているかんじがしたが
 祇王寺はそれでも大覚寺の塔頭なのだそうだ。
 (大覚寺祇王寺では両寺の共通拝観券が購入できる。)
 大覚寺でかい!
 とおもったら、あとでパンフレットを読んだところ、
 そういうことじゃなかった。
 祇王寺が明治時代に廃寺となったとき、ご近所さんだった大覚寺
 祇王寺で管理していた仏像やお墓をひきとって
 代理で供養するようになった。
 当時の大覚寺のご門跡は 祇王寺をいつか復建してあげたいと
 お考えだった。
 一方、当時の大物政治家で 祇王寺のなりたち、祇王の伝説
 (平家物語の一巻を参照。)を知って 心うたれた人がいた。
 この先生、「祇王寺の復建に役立てて」と
 自分の別荘を気前よく寄付。
 祇王寺はこの建物をもちいて めでたく復建の運びとなった。
 そして以後、大覚寺祇王寺を塔頭寺院として正式に登録した、
 ということのようだ。
 つまり他人だけれど養子縁組したようなかんじのことだ。
 大覚寺のひろい敷地内の一施設であった ということじゃない。
 大覚寺真言宗なので、祇王寺真言宗ということになる。

公式サイト↓

祇王寺 京都奥嵯峨 「平家物語」悲恋の尼寺 - 京都奥嵯峨「平家物語」悲恋の尼寺として知られる 祇王寺 の公式ホームページ



二尊院の総門と 参道・お堂から受ける印象がことなることの事情。
 →百人一首やら 古い歌集にさんざんっぱらでてくる
 小倉山の、ふもとにある 天台宗のお寺、それが二尊院だ。
 総門がすごく豪壮で、派手なかんじのものなのだが、
 中に入ると、すっきりひろびろとして、
 どちらかというと女性的な雰囲気のお庭に
 いかにも京風のお堂 という 印象のギャップがふしぎ。
 京風とかんじたのも、あとでパンフレットを読み返すとなっとくで
 本堂外観は京都御所の紫宸殿のデザインを模していて
 内陣も御所のお内裏のそれと同様につくられているんだそうだ。
 明治にはいるまでは 勅使による参詣もおこなわれており、
 旧摂関家菩提寺にもなっていて
 お公家さんとのつながりが深いお寺とのこと。
 なるほどなあ。
 でも、それは、中の雰囲気が京風であることの理由であって、
 総門と中の雰囲気がちがうことの理由とは 関係ない。
 総門だけ 印象があまりに異なるのは
 作られた時代や縁起が ちがうからかもしれない。
 と おもって調べたら 事実そのとおりで、
 総門は イケイケ大商人の角倉了以が 江戸時代に
 廃城となっていた伏見城の門を 移築したものだそうだ。
 二尊院の本堂再建はその100年くらいまえみたいだし
 再建にあたってデザインを一新した とかいう情報はないから
 承和年間の開山当初のデザインが継承されたとおもわれ
 そのときから一貫して「もちろん京風に」との意識だったはずだ。
 でも伏見城は 秀吉が建てたお城なんだからな・・。
 総門との印象のギャップだけはちょっと気になったものの、
 わたしは今回の京都行でみた お寺のなかで
 この二尊院がいちばん美しく感じ、だいすきになった。
 総門から続くひろく長い参道は
 紅葉のシーズンには いっそう美しさを増すことだろう。

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公式サイト↓

小倉山 二尊院|トップページ



清凉寺は秘蔵の仏さま出血大公開サービスキャンペーン実施中
 →清凉寺が あんまり人気がないといわれるのは
 たぶん京都御所の「清涼殿」と同名なのに
 別もの、というのの ちぐはぐ感がなんとなく・・っていう
 程度のことじゃないかな。
 清凉寺じたいには なんの好かれない理由もみあたらない。
 雰囲気のいい すてきなお寺だった。
 宝物館である「霊宝館」で
 国宝の「阿弥陀三尊」像などが特別公開されている。
 いまのシーズンは京都全域のおもだったお寺で
 こうした 秘蔵のお宝出血公開キャンペーンが実施されている
 ようだ。なかには何百年に1回ご開帳があるかどうかという
 ものもあるとか。
 「阿弥陀三尊」像は 入ってすぐ、左側にいさぎよくドーンと
 おかれていて大迫力だった。
 釈迦十大弟子像もみられ、アーナンダとサーリプッタ
 表情のちがいがたまらなかった。

公式サイト↓

HOME | 清凉寺(嵯峨釈迦堂)




・お昼を食べたお店のご主人の グチがスゴかった
 →化野念佛寺をみたあと、祇王寺にいくまえに
 とおりかかった洋食喫茶店でお昼にした。
 ほかにお客はほぼいなかった。
 そこにあとから大所帯の外人さんグループが来店。
 言葉は さっするにドイツ語だった。
 うち4人は7~9歳前後の子どもたち。
 彼らは10分くらいお店にいたとおもうのだが、
 子どもたちになにか飲ませた以外は
 ほぼなにもオーダーせずに水だけ飲んで帰っていった。
 あとでご主人が食後のコーヒーをもってきてくれたとき
 「外国の人は自分の都合だけをかまわずおしとおしてはばからないし
 ものすごくいろいろ困らされる。迷惑だ。」
 ということを
 相当くちぎたなく グチってきたのには驚いた。
 具体的に あの国、この国の人がいちばんキライ、
 でもどこそこの人は話がわかる連中で迷惑したことがない、
 テレビなどの影響でみんな「迷惑な外人観光客」というと
 アジアのどこそこを思い浮かべるだろうが
 自分にとってはかれらはかわいいもので、
 いちばんきらいなのはうんぬん・・
 あと、日本人でも 他県の出身なのに京都に引っ越してきて数年で
 京都人を名乗ったりする人も 自分にとっては京都人ではないので
 きにくわない
(これ外国人観光客の話と関係なくない(^^)!?)
 ・・・
 いさぎよいまでにストレートな グチのオンパレード。
 京都のサービス業にたずさわる人の
 生の声をきいたのはこれがはじめてだ。
 正直おどろいた。おどろいたし、
 こうまで心をひらかれても わたしとしては
 気分のいいものではなかった。
 でもよっぽど 腹にすえかねることが 毎日 あるんだろう。
 それはわかる。 
 言葉の壁 文化の壁ということをしりながらも やっぱり腹がたち 
 じっさいに これはできる、でもこれはできないと はっきり
 お客にいわなければきりがないという現実と闘っていることも。
 このお店の おとなりにある 着物レンタルのお店は、
 やはり「外国人の観光客のあんまりなところ」にこまりはて、
 会員制にふみきったとのことだった。
 まあ でも グチをきかされた身としては めいわくだった。
 「あちらさんは知能指数が低いから」とか
 「頭がおかしいから 郷に入りては、ということを知らない」とか
 そういう言いかたをしていたことも 下品であると感じた。 
 正直なところがっかりだ。
 だが お店の料理はおいしかった。
 コーヒーも。
 また きたいと おもうほどだった。 
 せつない・・



京都行をおえて
全体の感想としては
とりあえず当日の夜からもう 筋肉痛がスゴイ。
しかも、自転車にのったので、足が痛くなるのかなと
おもっていたのだが、
意外にも足の痛みはそれほどひどくなく、
脇腹、背中、腰、首のうしろなど
上半身、体の「うしろがわ」を中心とする筋肉の
痛みがすさまじい。
自転車に乗ると こういうふうになるんだったか・・。
ふだん乗らないからすごくめずらしい体験をしている。
けど あしたにはよくなってるだろう。

京都に行くといつも例外なく
美しいものが見られ、たのしいことがあり、
以前にいったことがある場所でもまた新しい発見があり、
そしてかならず 心が洗われる。
京都がすきだ。
また会いに行きたい。
京都もわたしに会いたいとおもってくれているとは
とくにおもえないが(^^)

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閉まる直前に行った北野天満宮
お守りを購入し 絵馬をおさめてきた。
夕方から夜にかけての神社ってだいすきだ。