BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

ノンストリングスオーケストラ NSO 第4回公演(20171017)

数か月前に会社に申請して 早退手続きをとっておき
きのうは なんとかかんとか 仕事をきりあげ予定通り早退した。
申請がとおり、手続きをすませたからといっても、
じっさいに仕事がおわんないんじゃ、早退はできないもんで、
そこはほんとに必死だった。
きゅうな取材とか 自分にまわってくることがないように
原稿をいつもよりおおめにひきうけ 周囲の手伝いもかかさず
みんながやりたがらないページをすすんで担当し
恩を売っとくというと聞こえがアレだが 根回しは抜け目なく。
上がれてよかった。

もうこのさきしばらくは、平日に休暇をもらったり
早退したり遅れていったり的なことをする予定はない。
なんといっても「年末進行」がひかえている。
暮れまでは がんばって仕事ひとすじに
駆け抜けるつもりだ。

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なぜ早退する必要があったかというと
「ノン・ストリングス・オーケストラ」という特殊な編成の
オーケストラの公演があり、
それを なんとしても聴きに行きたかったからだ。

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が、それに行くまえに
職場から歩いて25分くらいのところにある病院にいって、
ここに入院している友人をおみまいしといた。
新大久保駅周辺には 初めて行った。
東京にはほんとにいろんな地域があるね。
外国みたいだったな。
職業安定所交差点あたりも たいしたもんだとおもってたけど。
場所によってぜんぜん雰囲気がちがうんだなあ。

おみまいに 本を数冊もっていった。
事前に約束したものではあるが
かさばって わるいことしたかもしんない。
一両日中にも退院のようなことを言っていたし。
けど まあ 夫君が持って帰るなりなんなりしてくれるだろう。

退院して外でまた会えるのをたのしみにしている。

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南北線 六本木一丁目または溜池山王駅ちかくの
サントリーホールにむかい
目的の公演を聴いてきた。

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www.kazuofujii.com


クラリネット演奏家で 楽団の創設者・公演指揮者の藤井一男氏のサイト。

ノンストリングスオーケストラ
第4回公演
サントリーホール
2017.10.17 19:00開演
藤井一男 指揮

シベリウス 交響詩フィンランディア Op.26
モーツアルト オーボエ協奏曲ハ長調 k314 全曲
 ※オーボエ:宮村和宏
チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調 Op.74「悲愴」 全曲
およびアンコール
J・S・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」BWV147

標準的なオーケストラの管打楽器編成に、
コントラバスをのぞく弦楽器群を クラリネットに総入れ替え
という すごく実験的なフォーメーションのオーケストラだ。
吹奏楽のようだけれども想像するとあきらかにちがい、
話をきいただけでは、
わたしにはちょっと サウンドをイメージすることができなかった。
東京クラリネットクワイアー的な 大規模アンサンブルを聴く限り
クラリネットという楽器は
徒党をくむと 音がどこにも溶け込まなくなるというか
悪浮きし 妙に硬質になるという印象があり、
オーケストラの弦の部分を担当することがはたして
可能なのかなという きもちもあった。
弦がやるのとまったくおなじことをクラリネットでとなると
ものすごい技術力が要求されるとも おもったし・・

公演があると知って 聴いてみたくなり
仕事を早びけしてやってきたというわけ。

結果としては、
率直に言って想像をはるかにこえるハイレベルな演奏だった。
胸をうたれた。

クラリネット群の鍛えられかたが なにしろすごかった。
あの ぜったいにヨレない!って思わせてくれる
伸びとまとまり、色彩感は
往年のフィラデルフィア管弦楽団の弦みたいだなとか 
おもってしまった。
いーよね フィラデルフィア管弦楽団。だいすき(^^)
きっと なまはんかな練習ではなかったろう。
サウンドが悪浮きし硬くなるものなんじゃないのかな、という
印象はすっかり払しょくされた。
どうやってその問題を解消してたのかぜんぜんわからないけど。
(その問題じたいが わたしのかんちがいで、そもそも
問題なんて なかったのかもしれないけど。)
サウンドはどこまでもやわらかく あたたかく、
ボリュームの幅は無理なく しかも際限なくひろく、
音色と音の扱いはみごとに統一がはかられ、
パート間 他セクション間の連絡連携もばっちり。
弦がやることを クラリネットでやるというのは
相当たいへんなことだとおもってたが
個々の技術力、集中力ともにすぐれ
高水準の演奏が一貫して実現されていた。
安心してたのしくのめりこむことができる。
悲愴の第3楽章と アンコールのバッハの冒頭・中間あたりで
あ、疲れてるな・・ということは少し感じたが、
ちいさなほころびをすばやく収拾・回復していて
感心させられた。

第1ヴァイオリンにあたるセクションの
コンサートマスターの左斜め後ろか、さらにその真後ろで吹いていた
ノースリーブの衣装の女性奏者だとおもうが(位置を忘れちゃった。)
ものすごく上手だった。高い音がきれいだった。
一瞬 ミスをしたらしい音がきこえてきたときがあって、
たまたまその瞬間に その人のことを オペラグラスで見てたので 
わかったのだが。
異様に美しい音だったのでずーっと執念深く
彼女の音だけを全体からとりだして 聴き入ってしまった。
途中でこれはつまらんことをしている。と気づいて やめたが。
演奏会がおわったあとに 
奏者がロビーにでてきてあいさつをしていたので
もしもあの女性がいたら いい音でした、と一言 つたえたいと
おもったくらいだったが ロビーがすごく混んでて
彼女がいたとしても とてもそこまでたどりつけそうになかった。
まあ面識のない客にいきなり あなたとてもよかった!と
ソロもないのに 言われても 本人も困るだけだとはおもうが(^^)

フィンランディアは わたし個人にとり
鬼門的な曲であるため
感想は書かない。
あの曲は わたしは冷静に聴くことが一生できない。
好きすぎるから。

オーボエ協奏曲はとってもよかった。
オーボエの演奏に 心がいやされたことなんて
いままで一回だって なかったけど
今回はそのオーボエへのイメージが
おおきく変わるきっかけとなったとおもう。
心がはずみ しぜんと笑顔になってしまうような たのしい演奏だった。
アゴーギクがめちゃくちゃ上手。
いやらしくならず おしゃれなかんじだ。
それに、難しくって 聴いてるこっちの胃に穴があくかんじの楽器を
あれほどたのしそうに よゆうありげに吹く人なんて 
ついぞ お目にかかったことがない。
もっとこう 眉間にしわよせて青筋立てて
必死な顔で吹くもんでしょ オーボエって(^^)
リードのこととか 絶えず超気にしてて。
それがあのソリストのかたは
まるで音楽そのもの、楽器そのものみたいな。
あんな演奏家がいるんだねえ。
聴けてしあわせだった。
アルビノーニとか 聴きなおしてみるかなあ。

それに、彼と対話をくりひろげるオーケストラのほうも
力がいいかんじにぬけた演奏で よかった。
ソリストが カデンツァを終えてもどってきたときに
見た感じ ほんのちょっとだけだが おそらくリハーサルと
ちがうことをやろうとした局面があった。
アドリブというほどでもないが、
入りのテンポを落とそうとした・・・というか
テンポをあげていくタイミングをすこしだけ遅らせた?のと、
同じフレーズを2回くりかえすところで、
2回目の音の 処理の内容を 予定と異なるものに変えた 
のではないかとおもう。
そこは、ソリストがやったこととまったくおなじ
ことを オケが繰り返すことで会話する、というものだった。
ソリストが「たららら」と吹いたら
オケも「たららら」、
ソリストが「ららららん」とやったら
オケも「ららららん」と 返事するのが
原則、会話というやつだ。
だが2回ともまったくおなじふうにやる予定が
2回目はちょっと変えたいかな、となった場合にそなえて
集中してソリストの音を聴いてないと 
的確な返事は できない。
コンサートマスターソリストの要求をちゃんと見ていて
あわてずさわがず 全体に伝達し 対応してた。
ソリストも「これやってだいじょうぶだよね(^^)?」って
ちゃんと空気をわかって やってたとおもう。
オーケストラにはこの程度 当然の仕事ともいえるけれども
ノンストリングスオーケストラは まだ百戦錬磨の常設オケではない。
かわいらしくって イイ場面をみたとおもった。

・悲愴なんかは むしろ
ノンストリングスオーケストラのために
チャイコフスキーが書いた曲なんじゃなかったっけ。
クラリネットのちょっぴりさびしそうで みずみずしい音色や
とくいのピアニシモが 図ったかのように 活きていたとおもうけど。
え、ノンストリングスオーケストラのための交響曲「悲愴」じゃ
なかったっけ(^^)??
第2楽章と最終楽章は あまりにきれいで
ちょっと泣きそうになっちゃった。
マーラーの9番のおわりかたもいいが
悲愴もほんと 胸にせまるよ。

今回の公演にはゲストアーティストというので
コンチェルトの独奏のオーボエにくわえて
クラリネットバスクラリネット、フルート、トランペット、
トロンボーンに ほかのプロオケなどで活動している演奏家
参加していた。
彼らの指揮への反応、集中力の発揮のされかたは
やはり ほかのプレイヤーとなにか・・・違ったとおもう。
見た目(アクション)もそうなのだが、
オーラとでも言わないことには表現のしようのない
なにかが にじみでていて、遠くからでも歴然とわかるのだ。
ほかのプレイヤーたちもみんなそれぞれにとてもいいのだが
ゲストアーティストたちは 息の扱いかたとスピードとが
段違いであり、彼らにひっぱられて全体の演奏のクラスも
うなぎのぼりにアップし 
刻一刻 高次に変容を遂げていくのが 
聴いていてはっきりとわかった。
世の中 一流のなかにもやっぱり一流っての いるもんだとも言えるが、
どんなインフルエンサーがいようとも
変わる力が 受け手になければ変わらないのだから
変わることができる力をもったオーケストラということだ。

指揮の藤井一男氏が書かれた
プログラムの「ごあいさつ」に
こんな一節があった。

吹奏楽もここ数年は素晴らしいオリジナル曲が増えたお陰で、
以前のようにクラシックの管弦楽曲を取り上げる頻度が
減少する傾向があります。その分、吹奏楽部に所属する人たちが、
いわゆるクラシック音楽から距離を置く傾向も見えます」。

それが事実ならほんとにさびしいことだ。
市民楽団とか大学のサークルなら
わかってて選ぶことだから 自由だが
学校、なかでも小中高の クラブ活動としての吹奏楽
若い人たちの教育のために やるもんでもあるのだから
指導者がある程度 導いていくことがだいじなはずだ。
せっかく吹奏楽をとおして 音楽に深くふれるのに
若い人たちクラシック音楽から 離れていくことを
看過するなんて もったいない話だ。
若い人たちが あの宝物のような音楽たちを
愛でていけるように 導いてほしいとおもう。
とても楽しいものなんだから。

なんで距離を置いちゃうかねえ~。

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考えてみればスゴイ位置から聴いたものだ。