BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

こんなのでも迷える人の役に立てば とおもうから。

自分のダメすぎる学生時代と
そのころの心の変遷について 書く。

変遷といったが、変遷してない(^^)

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学生だったころ、
向学心のようなものはまったくなかった。

基本的に 文字通りの能なしであり、
感覚としては「穴の開いたタイヤをつけた自転車」
みたいな人間
(つまり「ここというときに頑張れない人間」)
であることを自覚していたため、

社会に出ることをそれはそれは恐れていた。

社会に出るのを先延ばしにするために
学生の身分に隠れようとした。
これは ほんとに白状しときたい。
わたしは社会に出るのが怖かったから
学校に隠れていた。
ただそれだけだ。

もう少しはっきり言うと、
「自分はなにもできない人間なんです。」と
だれにも告白できなかった。

なにもできないし、とくになにかをやりたいとも思っていませんと
なにをすればいいのかなんてぜんぜんわからないんですと
そんなことを 言うことは許されないと考えていた。
若者は 目標や夢をもち目をきらきらさせているものだから。
やりたいことがないなんて言えない、と。
なにか そういう前向きなことを言っている子でないと
存在を許してもらえない、とおもっていた。
なんでそんなふうに思ったのかな―。
さらに「なんで」を突き詰めようとすると
ちょっとすぐには わからない、としか言えない。

もしもわたしが 当時 友人などから、
「自分はなにもできないし やりたいことなんてない・・・」と
告白されても
そんなやつはダメだ!なんて決して思わなかった。
いまだって、仮に 誰にそう打ち明けられたとしても、
おかしいだなんてちっとも感じない。
だから 当時のわたしも、そこまで心配しなくても、
意外と 言ってみればよかったんじゃないかな?と
考えることもある。
別に 言ったところで、命までとられはしなかったろう。
でも 当時はそうは考えられなかったのだ。

たぶんなのだが、
誰よりも自分が、自分を許せなかった。
なにもできない自分を。
やりたいことなんてなにもない自分を。
ほかの誰でもなく 自分こそ、
自分を受け入れてやることができなかったのだろうと。

わたしの通った高校では、
7〜8割が進学していたとおもうし、
学生になっておけば、
勉強がしたいようなふりをしておけば、
ひとまず4年間は逃げられる。
そんなかんじだったとおもう。
学校だってタダではなく、お金持ちの家の子でもないのに
(お金持ちの家にとってさえ 大学の学費は安くないだろうが)
ひどい考えだ。
それはもっともだ。
同じ年ごろでも もっときちんと考えて
主体的に積極的に 人生設計?をしてた子は少なくなかった。
わたしは自分がそういうちゃんとした若者じゃなかったことを
悪かった、とおもう。
そういうちゃんとした若者が
どれほど まぶしかったことか。

しかし どうがんばっても 自分はそうした若者でないという
事実を変えることはできないもんで。
高校3年生あたりから
この不安感、焦燥は次第に強まっていき 
やがて おさまりがつかなくなった。
「自分は社会に出ることが怖い、
なにをすればよいのかわからないし、
なにもできないだろうとおもう。
それでも生きていていいと いってくれませんか。」と
一度でいいから 大声で 叫んでみたかった。

「それでも生きていていいといってほしい。」
むしろこれだけかもしれない。
叫びたかったのは。
まったく たまらないものがあった。
このころの気持ちは、
ほんとに今でも頻繁に思い出して、苦しい。

叫んでたら、どうなっていただろう。
もしかしてもう少し いろいろとラクだったかもしれない。
いや、やはり そんなことはなかったかもしれない。
ただ、墓場までもっていくレベルで耐えしのぶ自信もないくせに
けっきょく 試みることなく
すべて胸のうちひとつにおさめてしまったことを
けっこう悔いている。
(だが もうおわったこと。)

周囲に よゆうのありそうな人などひとりもおらず、
自分のほんとうの気持ちを言っても、
受け止めてはもらえないだろうと。


学ぶことがきらいというわけではなかった。
幼いころは今にもまして ひ弱だったせいもあり
本を読むことくらいしか 
「これならやってていい」と言ってもらえる遊びがなかった。
そのために
相当早いうちから 鼻持ちならない本読みに成長しており、
また、興味関心がたまたま
アカデミックな方面に向かいがちな子どもでもあった。
(体を動かす系のことがいっさいできないのに「アスリートに
なりたい!」とか言い出すほうではなく、与えられた本の世界と
その延長線上に想像の翼をひろげることで
満足していられるタイプの子どもだった。)
そんなだから
総合的にいえば学力・一般教養レベルは 
べつに特別いいわけでもないにせよ
目も当てられない ってほどではなかったと言える。
(ひどい科目は、ひどかったが。)

したがって、
学生の肩書きが欲しければ、その意味では 可能だった。

唯一 これならやりたいと めずらしく志した音楽は
故障で断念することを余儀なくされたが、
(もっとも、仮に演奏力を高めることができても こうもひ弱では
本格的プレイヤーとしては とてもやっていけないであろうことは 
もっと以前から ほのめかされていた。だったらムリなんだろうなと 
内心あきらめていたフシはあったとおもう。
音楽でさえ その程度だった、と言えば言える。)
そのあと 方向転換を図り、 浪人もなしに
短大、さらに大学の文学部に進むくらいは
そんなにがりがり勉強なんかしなくても
むずかしくなかった。
きょうび、大学の入学試験にはじつにいろいろな方式があるし。


当時のわたしが はためにどう見えていたかは知らない。
周囲には このあたりのことについて
正直なところなんてひとつも、話さなかった。
楽器を断念したころから、
自分についてのことを人に話せなくなった。
もともと お前は自分のことを話さない、と複数人から
指摘されてきてたが(話してるつもりだったんだけども。)
ますます 押し黙り、周囲と距離をおいた。
聞かれれば、
誰にたいしても、もっともらしい理由をつけ、
さも これが自分がほんとに望んだことであるかのように
言ってたことを ここで告白しておく。
信頼しあった友人にさえそんなだった。
信じなかったからじゃない。
彼らを大事におもうから逆に恥ずかしくて言えない、
つまんないことにほんのすこしでも巻き込んだり
足をひっぱったりしたくない
というところがあった。
よく考えれば
巻き込むも足をひっぱるも ないもんだが。


まあ うそでも、実際そんなふうに言っていると
これはこれで ちゃんと頑張ろうかなと
ほんとに真剣に思ってみたり しなかったわけじゃないし。

まわりもまわりで各自の人生の処理があるので、
そうあれこれ まわりがどう思うかとか 気にしなくても
大丈夫なものなのだ。
それは案外当時からわかっていたので
がんじがらめにはならずにすんでいた。
逆に あまりにテキトー、ずさんな対外処理と 言えば言える。
周囲に誠実でなかったとおもう。


本心はあくまでも 依然として
「社会に出ることが怖い」。
目的はどこまでも
「自分がなにもできない人間だということを隠すため」に
ほかならなかった。
これが事実だ。
この気持ちから目をそらしたくても 
とうていできなかった。
あまりにも強い気持ちだったから。
何をやってても結局 逃れられやしなかった。
なのにこれが事実じゃなくてなんだろうか。


ただ、
大学って、本来そういうところでは断じてない。
逃げ場ではない。学究の場だ。
大学にたいする侮辱、わたしのような姿勢は。
そんなにとりたてて たいしたもののように言うつもりもないが
偉大なるヘンタイどもが集まる、
もっとちゃんとした いいところだ、大学ってのは。


「やりたいことを見つけるために大学に行く」?
まあべつにそれをあたまから 
否定するつもりはないが・・・。


わたしの学生生活は そのようなわけで
初めから破綻してた。
単位のことなんて、卒業のことなんて、
ぜんぜんほんとは気にしてなかったとさえいえる。
このまま 崩壊してしまえばいいと どこかでおもってた。
崩壊とは つまり、自分の来し方がだ。
ばれてしまえばいいのになと。
自分がなにもできない人間だってことが。
自分で言わないで まわりが気づいてくれれば楽なのにと。
自分で言えなかったから。
いよいよどうしようもなくなって ばれてしまえば
楽なのになと。
犯罪者や 考古学的ねつ造の張本人の心理に 近いものがあるね。

気のおもむくまま図書館にこもって本をよみあさり
専攻とまっっったく関係のない分野の
論文とか勝手に書いて 学内誌に載せてもらい
指導教授にばれては しこたま怒られた。

そんな学生ってどうかしている。

もちろん わたしの場合、
どうかしている=天才的 みたいな
そういうあれでもなんでもない。

どっちかといえばむしろ
狂えないことで困ってたのだ。
どこまでも平凡、凡庸な人間だということを
よくよくわかってた。

あったのはただ、何度でも言わせてもらうが ただ、
社会に出ることへの恐怖心と、
「自分がなにをしたいのかわからない」という本心を
だれにも告白できないことのつらさだけだ。

言えないくせに だれかにわかってほしかった。
いつもいらいらしており、絶望しており、
ひどくあせっており、泣きそうだった。

甘えてた。

これは 短大とも大学とも関係がないことなのだが
ちょうどこのころ 人間関係にすさまじくやられ
(わたしは学内にあまり友だちがいなかったが
数少ない友だちは みな とてもいい人だった。
だからその意味で ほんとに 短大も大学も関係ない。)
学校に行ってる場合じゃないほど 参らされたことも重なった。
そいつは長く続いた。
以後10年以上ひきずることになった。
この件のファーストインパクトを体験したのは短大時代だったので、
そのときはそれこそ 心がギリギリのところまで追い詰められてしまい
学生課の顔見知りの職員さんが見かねたか
カウンセラーさんに話をつけてくれ、
2年間ずっと 学内のカウンセリングセンターにかかる始末。
大学でもまだまだ尾をひいて 
ますます図書館にこもりきり。
専門外の まったくなににもならないレポートやら論文やら雑文やら
1本につき段ボール1箱分くらいもだらだらと書いて遊ぶ
みたいなことを繰り返しながら、
首がぎりぎりと、しまっていくのを ただ感じていた。
いかなる意味においても わたしのなかに
「力」なんてものはまったくなく、 
どこからもほんのちょっとも出てこなかった。
日々をとにかく消化するだけでせいいっぱい。

なにかがやりたかったわけじゃない。
なににも、興味なんかぜんぜんなかった。
書いてたって読んでたって
たのしくもなんともなかった。
肉体がどうでも心は死んでたようなもんだった。

やれることをやってただけだ。
本を読んで 書けることを書く。
あたりまえだが 書けないことは書けない。
そして 時間を埋め、
せめて
ムダなことはやってないという気持ちになろうとしてた。
結果 ムダなことしかやってなかったのだが。

狂えないことに困らされた。

やはり、つくづく、
苦しい、悩んでいる、どうしたらよいかわからないと
言ってしまえばよかったのかもしれない。でも、
そんなことを言っても受け止めてもらえるはずがないと。
なぜかそのことにだけ確信があった。

そうして自分が心のどこかで望んでいたとおり、
崩壊のときはきた。
案の定、
だれにもわかってはもらえなかったが
しかし終わった。
一種の挫折。

わたしは社会に出ざるをえなくなった。
やはりできることだけやって生きている。
できることだけやっていると 意外と死なない。
なんだ、できないことはやらなくてよかったんだな、と
こうなってみて初めて知った。
今は心がだいぶ自由になり 
できないことはやらなくていい、誰にもそんなことは
強制されない。と知っているぶん
とても楽だ。

社会に出てしまってよかったとおもっている。

わたしが 学生時代にやってきたことは全部 
まったく 言い訳以前、人生以前のことであり、
はっきりいってすべてがムダだったとおもうが、
でもこのムダがなければ 今ここに立ってないわけで、
そうなるとやっぱりしょうがなかったか?
と おもわざるをえない。

そのへんについてはほんとに何度も考えてるが。
どうかな。
もう今日は書かない。

ただ 最初のところに戻ると
学生だったときはまったくなかった 
希望のようなものが、いまはある。
「のようなもの」なしに
向学心、ものすごく純粋な 熱い好奇心が
いまはある。確実にある。
これからどんなことが知れるだろう、
何が変わっていくだろうと
この先になにがあるだろうと
それが いま 自分の気持ちのよすがになっており
ここへきてまったく新しい 
自分の原動力になりつつある。かもしれない。
穴の開いたタイヤみたいに すぐ空気が抜けちゃうやつじゃなく
長く走りつづけることができるかもしれない。
タイヤの交換が可能だとは 夢にもおもってなかったが。

わたしはここにきて またしても 
ほとんどのものを失ったのだが、
でもこれだけは残ったことになる。
怖いけれど、だから手放すまいとおもう。