BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

生きていくうえでなにに重きをおくか/伝える

生きていくうえで何に重きをおくか、か。
え、それって 
具体的なかんじじゃなくてもいい?
家を買うこととか
結婚する、子どもを育てる
社会的成功
将来の安泰 とか
愛する人の幸福 とか
そういうのじゃなくてもいい?

この問いへの答えになってるかどうか
自分でもわかんないんだけど

わたしは
なぜ自分が生まれてきたのか、生きるのか 
答えを知らないでは死ねないんですわ。
そんなこと考えるのはつまらないから やめなはれ、
と いわれても むり。
重きをおくというか
気になってしかたがないのです。
これが わかるならば、
みんながほしがるような ほかのものが
なにも手に入らなくてもかまわない。
逆にそれらがすべて 手に入っても
自分がなんで生まれて生きるのかが
わからないなら わたしは苦しいままでしょう。
ずっと気になり続けるのだから。
棄てられるとおもっていましたが。なんらかの契機があれば。
でも、やはり、答えをつかまえられないかぎりは
棄てられないとおもいます。この気持ちは。
そんなことを思いますよ。

ほかの人も みんな、程度の差こそあれ
にたようなこと考えているんじゃないかと
わたしは 現時点では おもうことにしているのですがね。
そこんとこマジでどうなの(^^)???
似たようなこと考えているってんなら
たのむからわたしと たまにはその苦しみを
分かち合ってくれませんか(^^)!!
苦しいですよね! たまったもんじゃありませんよね!
わかるーってかんじじゃありませんかね。
そうならそうと お願いだからわたしに
耳打ちしてくれませんか。
そうしたら わたしもどれほど楽になれることか。
ほんのたまにでもいいんです。
だまってないで!
わたしはいつだって 公表してますよ、
このように。
はずかしがらずに、さあ(^^)!!


生きていていい、という絶対的な承認がほしいですね。
すくなくとも 生きるあいだ、消えない承認が。
それさえあれば 
なんかもうちょっとラクかもなあとか
思います。
しょっちゅう思います。
なぜ、それがない、と これほどまでに感じるんでしょうか。
なぜ それがないという感覚が こんなにも苦しいんでしょうか?
不明なのですが。
だからそいつを獲得することが
わたしが生きていくうえで重きをおくこと の内容
なのでしょうかねえ。
わからないな。
そうでもないようなかんじもするし。
もっとほかのことに重きをおいているのかもしれません。
これから変更になる可能性も。

でも そうした焦燥 渇望から
自由になったときのきもち、ってのが
もしもあって、
そして生きてるうちに そいつを味わえるんならば、
一度でもいいから体験してみたいとおもいますね。
意外とたいしたことなかったりするんでしょうかか(^^)

幸せの青い鳥はさいしょからそこにいたのです的な。

うーん ほんとにわからないな。
そもそも どうやったらそんなたいそうなものが
生存承認というものが
えられるのかもわかりませんよ。
どうなれば 承認をえた、と自分が感じられるのかが
わかりません(^^)!!!
なんなんでしょうか、それ!!!
承認をえたいと思っているふりをして
そのじつ ほんとは認められでもしたら困るんですけど、
と 内心逃げているんだったりしてね。
つまり苦しんでいる自分に酔っているとか?
(もう話がややこしすぎますね。)


大前提としまして、
わたしは自分の価値的なものは 
まるで信用できません。
これっぽっちも。
そんなもの信用できるわけないです。
自分の価値なんてもの信用できないってことを
自覚してしまっているから もう解除は困難です。
でも
あきらめているわけではないし、
なげやりになってもいません。
とてもイタイ人であるとしても。

というのも、
場合によっては「役に立てる」、ということは理解するのです。
人とかかわるとき そのかかわった人とのあいだに
ちょうどまんなかのところに
なんか生まれるな、ってことは理解するのです。
つかのまだが、そのときだけのことだが、
たぶんそれこそ 価値ってものなのかなとおもいます。
だとすればわたしという単独の存在には
価値なんてものは やっぱりないのかもしれません。
でも 人とかかわったときあいだにうまれるものが
価値だ というのなら、
それなら、 わたしは仮に 
自分自身に絶対的価値がぜんっぜんないという結論を
あらためて つきつけられたとしても、
(今はそれを 怖がっているけれども)
そんなこと ぜんぜん平気でしょうな。

なにそれ!! 
まだまだ思考がたりない思考が。
ぜんぜんたりてないですよー。

場合によって自分が役に立てることは理解。
だから勉強します。
新しいことをちゃんと吸収します。
成長する努力をおこたらないようにします。
なまけません。たゆみません。
そして人と できるだけちゃんとかかわります。
つらそうにしている人の味方にちゃんとなる努力をします。
つらそうにみえなくても つらいのかもしれないと
考えることをわすれないようにします。
自分にできることはそんなもんでしょう。


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人を愛するとき、
愛しているということを
伝えられればなあ。
できんのです、それが意外にも。

以前はそれをするにあたって
相手がわたしを 
求めてくれるかくれないかなんてことを
そんなに気にしてませんでした。

わたしがその人を愛しているということを
まえは いっさい怖がることなく
またある意味では 相手の都合も考えず
ばんばん 伝えることができてしまっていたのです。

人のことを好きになると
自分がそんなたいした存在じゃないってことを、
つい忘れがちになりませんか。
なんなんですかねこの変な 全能感。
バカなんじゃないかと(^^)
いかに異常事態であるかがよくわかりますね。

気持ちを投げたとき 
返ってくるかこないかの可能性について
考えて 当然なんですけど 
ちっとも考えませんわな。

いままでは たまたま、
同質のものが 返ってくる可能性が
いつもありませんでしたので、
ある意味 安心してたのかもしれませんけど、
(安心てなんだ! へこめよ(^^)!!)

でもよく考えますと
もし返ってきてたら とても問題になったことも
あったと 想像されます。
仮に返してもらってもですよ、
じゃあその人が望むなにかを ちゃんと与えてあげられますか。
っていわれると 与えられるものとか一個もない! 
みたいな。

お金を一銭ももってないのに これ買いたいんですけどって
レジまでもっていってしまう、
みたいなかんじでしょうか。←ちがう。

蛮勇というか無謀というか 無策というか
考えなしというか 間抜けというかまあ
アホですねえ。ほんとうに。

でも、
アホですけど 罪はないってかんじ。
なんか そのほうが 今の自分のスタンスよりも
まだよかったのかな とかおもうのは
まちがいなんだろうか・・。
すくなくとも まあよくいえば
果敢にして率直ではあったとおもわれ、
その点は評価。
また、正直でもありました。
べつに 悪いことではなかったでしょう。
うそはいいませんでした。
相手がイヤがっているのにしつこくせまるみたいな
そういうこともしなかったわけだし(^^)
わたしは常に本心を
伝えてもさして問題がないときに
さして問題のない程度で、伝えていたとおもいます。

それがいったいどうしたことか ほんとに
いまはそのような行動に ほんとに出づらい。
なんだというのでしょう。

もんだいは それだけではないのですが
しかし どれも 些末といえば些末。
一番のもんだいは 
畢竟・・・・、

わたしもムダに大人になってしまったものです。
傷つくことが こわいとは。