BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

別冊UTA-KAI 20170819。

きのう、
上野恩賜公園野外ステージ(上野水上野外音楽堂)で開催された
音楽イベントを 聴きに行った。

別冊UTA-KAI official web site


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ずっと 疑っていたんだけど、
みなかみ野外音楽堂 ではなくて
すいじょう野外音楽堂 かも。
漢字でみたとき みなかみと思い込んでしまった。
じっさいに行ってみたら
不忍池のうえに建てられたというていのステージだった。
かんじんの水が(不忍池は確実に水をたたえていたけど
音楽堂のしたに引き込まれた水は)ほぼ枯渇していたから 
自信はないけど。
だとすれば みなかみ野外音楽堂ではなくて
すいじょう野外音楽堂なんだろう。


夜から別の場所でほかの予定があったため
第1部をすべてと、第2部のさいしょの出演者の歌だけ聴いた。
 
正直な感想をいわせてもらえば、

ごく一部をのぞいてほぼすべて、
わたしにとっては
おせじにもよいとはいえないステージだった・・・。
 
まず、
ほとんどの出演者が打ち込みでパフォーマンスを
おこなっていたことに かなり落胆させられた。
あんなにおおきな会場で演奏できるのに、
ライブイベントであるのに、
ドラムでもなんでも 持ってこようとおもえば
できないことはないのに、
なんでフルメンバー、フルバンドでこないのか
ちょっと理解に苦しむ。

生音じゃないとライブは絶対ダメ、と
まさか法律できまってるわけもないし、
べつにいいのだろう。
ミュージカルとかバレエの公演なんかでも
オーケストラピットに楽団がおらず、
打ち込みの音楽でパフォーマンスする場合は
いくらだってあるし。
ただ欲をいえば
打ち込みなら 打ち込みで
音響的にもその音楽の質的にも
文句なしのものが聴きたい。
「なんでフルメンバー、フルバンドでこないんだ」と
わたしが感じた時点で 
わたしのなかではもうダメということに、そりゃなるだろ。

とくによくわからなかったのが、
その打ち込み音楽と、
ステージにじっさいにたっている演者とが 
あまりにも なにもかも
かけはなれた出演者が いたことだった。
音楽は 97年くらいを思わせるような
ユーロビート/クラブ系なのだが
演者がアコースティックギター1台&ボーカルの2人組
というのがでてた。

もちろん 流れている音楽とまったく無関係の音楽を
2人が演奏していたわけではない。
ギターは流れている音楽のギターパートを演奏してたとおもうし、
ボーカルは音楽にあわせてその音楽の歌を歌ってた。
けど、音楽と演者の見た目があまりにもちがいすぎていて
違和感しかなかった。
あそこまできたらもう ギターいらなくないか。
ふたりで歌って踊っちゃえばいいのに。

あの2人組はいったい・・・・
一晩たったいまでも 謎だ。

あとで彼らの公式サイトを見てみたとき、
アコースティックポップユニット、
と紹介されていたのを読み
いやいやそれもどうなの、と おもわされた。

わたしはあのアコースティックギター
ギターの形をした完全オリジナルのシンセサイザー
あのギター型シンセからすべての音を出してるのかな、
もしかしてそうならスゴいな! とか
おもいたいような気がしたが
ありえない。
演奏中の指の動きが、そういうかんじじゃなかったし。

でも この2人組、
ふしぎなことに
パフォーマンスそれじたいは 
みてて たのしかった。
ボーカルの人は歌がうまかったし高音が美しかった。
2人が 歌っててとてもたのしそうなのが
見ているこっちにとっても 気分がよかったし
観客もずいぶん協力的で
(固定ファンもおおぜいきていたんだろう)
多くの人がたのしんでるようにみえた。


あとはEXILEのような歌をうたう
5人組の男声ボーカルグループや
男性のシンガーソングライターが出演していたのが
第1部だった。
全体的に
音の聞こえ具合が強すぎて
あまり歌声が楽しめなかった。
歌詞が聞こえないこともあった。
もしかしたら、
歌っているほうもやりにくかったのかも。

EXILEのような」とか露骨に形容されると
本人たちはさぞかし いやだろう。
 EXILEサイドからも 場合が場合なら
刺客が送り込まれるだろう。
でもそれ以外に連想されるものがなかったので、
こっちとしてはいかんともしがたい。
ゴスペラーズのような とか言うべきなのかなとも
おもわなくもないが
あの人たちほどの個性、技量は 
きのう聴いた5人にははっきりいって なかった。
みんな似たり寄ったりの歌声、歌いかたなのが
素人の耳にも 聴いてて変化に乏しく退屈だった。
ダメだとかおもったわけではないものの
とりたてて よくもなかった。

第2部のさいしょに出演した人は
バンドで演奏していた。
ピアノ(キーボード)がうまかった。
MCがおもしろかったような気がするが
ちょっとよくおぼえていない。
ファンがすごく多くて愛されているミュージシャンだった。
第2部のさいしょなのにアンコールがかかったほどだった。


演者の推定年齢と、
歌の内容とが 合ってない出演者が
少なくなかったのも
気になった。
(総じて 年齢のわりには歌の内容が幼かった。)


1部のトリは 自分もよく知る中里学だった。
わたしはこの人の演奏が聴けるからというので
このイベントに行った。

中里学 official website

 

ameblo.jp



彼にとって このイベントに出演することは
長年の悲願であったらしい。

彼が出演をそうまで 熱望したからには、
このイベントにはよほど 優秀なバンドや
シンガーが せいぞろいするのかなーと想像していた。
しかし ふたをあけてみれば、
まあ第1部しかわたしは聴いてないわけだけど
第1部の白眉こそは 中里学だった。

鍛えぬかれた声は美しく、 
音程は小憎らしいほど安定し、
(本人が弾くギターのピッチは
なんか微妙にずれてたけど(^^)、)
高い技量を示すサポートメンバーとの連携はきわめて密。
さして力みもしないのに
観客席のいちばんうしろの方まで
音楽がまっすぐ突き抜けていくかんじは
ほかの出演者の演奏には 
なかったものだろう。

音楽性、音楽的傾向という意味で、
中里学よりこっちのほうが自分はすき と
感じた出演者は ほかにいなくもなかったが、
それはいいからちょっといまは こっちにこいよ!と
ひきずりこもうとしてくる パワーが
彼の演奏には たしかに あった。

わたしが中里学のファンで ほかの出演者のことをひとりも
知らなかったように、
ほかの出演者のファンでその人を聴くためにきていて
中里学を知らない観客はおおぜいいたはずだが
その人たちの体が じゃっかん前のめりになっていき 
だまりこくって聴き入る
あの数分間の 雰囲気は・・
肌で感じたときなかなか異様だった。
そんな雰囲気があの短い時間で構築されてしまうとは。
中里学が演奏を終えたときの
幻がきえて元の世界に戻ってきたような
あのヘンな体感はなんだったんだろうな。


こんなことは できればいいたくはないが、
いまひとつなにかが足りない映画や
わるくないけど いまいちよくない音楽にふれたとき、
「よくない」という事実と 向き合いたくない、と
感じるものだ、観客は。
それだからこそ、いい面をわざわざ「探そうとして」しまう。
ほとんどないとしても、何か良いものを
かろうじてでも感じようとする。
絞り出すように。
良きものになろうとしているもの、
いうなれば可能性?みたいなものを。
でも あたりまえだが そんな無意味な努力は
本来ぜんっぜんしたくない。

やはり絶対的によいものにふれたいと思って 当然だ。
あまりよくないものばかりが集まったところにただひとつ、
絶対的によいと言えるものがまざっていた場合、
観客の反応は まったくもうしわけないくらい
正直かつ残酷になる。