BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

誕生日によせる。

まあ
これから生きていくうえで
いちばん自分に必要なのは
感じすぎない心。
心。もう いらないくらいだ。
これだけが重い。
生きるのに じゃまなだけにおもえる。
あんまりにも重い。
感じすぎない心さえ手に入れば。

そう思い切れたらどんなに楽だろうな。

でもやっぱり そのようにはおもえない。
性懲りもなく心は痛む。
痛まないことなんて 生きているかぎり ありえない。
いかんともしがたく苦しい。
棄ててしまいたくても棄てられない。
ほんとにつらいものだ。

わたしがこのように思うのは
けっきょくのところ もう傷つきたくないからだが
でも わたしも 気をつけているつもりでも、
どこかでだれかの心を傷つけていることだろう。
きょうも、きのうも、数日前、数年前にも。
自分の傷には敏感でも
人さまのそれには気づけない。
ならば 人さまがわたしを傷つけたとき
その人がそれと気づかなくても 当然だ。

傷つけてしまったときに
あなたの言動によってわたしの心は傷ついた、と
はっきり わたしに伝えてくれたらなあ。
そうしたらおわびでも釈明でも
必要を感じれば すぐにさせてもらうし、
やりとりの やり直しが可能になるのだが。

たのむから わたしに何も告げないまま
その心を 閉じてしまわないでほしい。
なにをいってもどうせ通じない、とか
真意を聞いてもしかたがない、とか
その心のなかだけで なにもかもあきらめてしまうのを
あと一回だけでいいから 待ってほしい。
あきらめるまえに 
なんとかその気力をちょっとふりしぼって 
わたしに聞いてみてくれないだろうか。
なぜだったのかと。
どうしてそうおもったのかと。
どんなつもりでしたのかと。
意外となにも考えてなかったかもしれない。
ましてあなたのことを 傷つけるつもりなんかでは
なかったかもしれない。

そんなふうに食い下がるのは 
うっとうしいだけなんだろうか。

けれども
わたしにとって大切な人であればあるほど
やっぱりそう願わずに いられない。
うしないたくないとおもってしまうんだ。

慎重にやっているつもりだ。
なのにそれでもまちがえてしまうことが 
まったく うんざりくるほど多すぎる。
だから話すことがイヤになる。
話さなければ弊害も生まれないとか
つまらないことを考えてしまう。

わたしはそのとき 
たしかに無神経だったかもしれない。
でも、そんなつもりじゃなかった可能性が高い。
そのことを
もう一度 話す機会がえられればなあ。

でも
わたし自身が だれかの言動によって傷ついた時
傷つきました、と相手に伝える気力も意思も
たしかに ないわなあ。
すこし時間がたてば 違ってくることもあるけれど。
人には人の そのときにはそのときの
タイミングってものがあるから
そりゃたしかにしょうがない。
相手には相手の 
受け止めて意思決定をするだけの
時間というものが必要なのだ。
つまりわたしにも。