BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

二階堂ふみとロミー・シュナイダー。「墨攻」(2006)。

毎日暑い。
もう、これから8月いっぱいくらいまでは、
日中はへたに 外にでるもんじゃないだろうな。
仕事か約束でもないかぎりは。

窓に触れてみると、
冷房のきいたこちらがわは ひんやりしているけど、
外のすさまじい熱気を、感じるもんね、手のひらに。

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ゆうべは、友だちがバイトをしている串焼き屋さんに
いって お酒を飲んだり焼き鳥を食べたりした。
夏場になるとどうしても食欲が減退しまくるが、
みんなでいっしょに食卓をかこむと、
楽しいからけっこう食べられる。
このときに、いっしょにいた友だちと
テレビにでるような有名人で すてきだとおもう人、カッコイイと
おもう役者さんなどを つぎつぎに挙げて、
単純にそのルックスについて批評してたのだが
ひとり、どうしても、顔はわかるが名前がおもいだせない
若手の女優さんがいて、
夜おそく、帰宅してようやくパッと おもいだすことができた。
桐谷美玲ちゃんだわ。桐谷美玲ちゃん。
有村架純高畑充希桐谷美玲の3セットで、
脳内のおなじ引き出しのなかに入っている。

ところで、
わたしは若い女優さんでは 二階堂ふみちゃんにこそ
別格の評価をしてる。
単純にその雰囲気、そのルックスの話だが。
彼女をみていると、ロミー・シュナイダーをおもいだす。

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ロミー・シュナイダーって女優さんは・・・
ドイツとかフランスで活躍した人で
一時期アラン・ドロンの婚約者でもあったようなんだが。
あの人、イングリッド・バーグマン
グレース・ケリーカトリーヌ・ドヌーヴみたいな
あっち系の女優さんでは断じてなかった。
道ですれちがったらバラの香りでもしそうな、
正統派の美女ではなかった。
けども、ロミーには、
なにか、なまなましい 特別な、女の存在感がすごくあった。
こりゃあ 近づいちゃいけないぞ、
大変なもんだぞみたいな(なにが大変なんだかわかんないが(^^))。
そういうかんじを、
当時のきれいどころの女優さんは
どこの国の人であろうが
ぜったい隠して売り出していたはずで。
でも、ロミーだけは、
生きた女の体温というのか・・・ 
腕とかさわったら熱いだろうな、みたいな。
顔や首に、ちゃんと毛穴あるだろうね、みたいな。
道ですれちがったら、きっとバラの香りではなく、
香水とたばこと、肌のにおいが混ざったにおいが
するだろうな、って。
そういうことを思わされる存在で、
そこに、すごくわたし、ひかれるんだが。

そのロミー・シュナイダーをおもわせる。
二階堂ふみちゃんは。
まえに、「プレイボーイ」でバニーガールのかっこで
グラビアやってたけど、
わたし、あれをネットのニュースで見たとき、もう、
あまりのなまなましさ 特別さに
ロミーが思い出されてしょうがなくて、
なんか
「あーーーーーーーーーーーーーーー」
っていうきもちになったからね
あーーーーーーーーーーーーーーー
っていうきもちに(^^)。

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きのう、おそくに帰宅してからは、
墨攻」という映画を観た。
(ジェイコブ・チャン監督、2006年、中国・日本・香港・韓国)

movie.walkerplus.com

 

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わたしはこの映画がなかなか、まあまあすきだ。
正直レッド・クリフなどにくらべるとバトルシーンに迫力はないし
いろいろと、もっとほかにどうにかできたのではと
感じないこともない。
しかし、難しい複数の要素を けっこうわかりやすく
まとめあげていて、かなり意欲的に、
がんばっている映画におもえる。
かくしようもない安っぽさテキトーさは、
いかにも中国というかむしろ香港というかんじがして、
べつに、そんなにイヤじゃない。
外国の映画を観るたのしみのひとつとして
受け入れられる範囲内だ。

ところで、
現代にものこる言葉で、墨家思想が語源のものとして
「墨守(なにがなんでも決まりごとなどを守って変えないこと)」
があり、博愛・非抵抗を説く集団だったわけだから
墨攻」なんて言葉は生まれえなかったのだが、
邦題では「墨攻」だ。
原作のタイトルどおり。原作者の造語だそうだ。
この「墨攻」を墨守してるところが
とても特徴的だと わたしには おもわれる。
中国語には墨攻って言葉がないんだろうし、
むりやり字からなにがしかを解釈しようとすると
彼らは彼らの価値観で なんか まったくちがう印象を
もってしまうのかもしれないから、それはしょうがないんで、
日本だけ、日本における漢字文化のなかでだけ、
ありえたタイトルなんだろう。

墨攻」は
映画としての厚み、気迫、品格どれをとっても
くらべるべくもないのだが、しかし、
内容的に、
まあ「七人の侍」に やや近いところを
かすっている映画だ。
それに、
墨家思想がどうして けっきょく絶えたのか、
まちがってはいなかったように思えるのに、
なぜ受け入れられなかったのか
ということについて考えさせられる映画でもある。
墨家も自分たちの思想を当時 ひろめていくためには
どうしても戦争にかかわらなければならなかった、というのが
すでに自己矛盾になってしまっていて、
気の毒だし、
みててイライラするくらい 不器用な人たちだったんだなと。
主義主張的に 存在する時代を完全にまちがえている。

どんな弱小国の王だって、
軍の指揮権を、どこの馬の骨ともしれぬやつに
渡したいわけがない。

梁の王も 梁の民衆も、いい気なもんだが、
でも ああいうもんだったんだろう。
革離目線でみるから革離が気の毒におもえ、
梁王が救えないあほうにしかみえないけれども、
梁王や梁城の民衆からしてみれば、
雇っておいてなんだが、見れば見るほど
いったいこの墨者ってのはなんなんだ、
なにを企んでいるんだと
うたがわしくなって当然だったろう。
本人に利益がないのに なんの約束もしてないのに、
他人のために命を賭けようとしている人間なんて、
もしほんとうにいたら、そりゃ信用できない。


この映画の 日本でのキャッチコピーは
「10万の敵にたった1人で挑む。」だった。
革離は梁の軍の指揮権をちゃんと王から借り受けて、
梁城内の民衆もつかって防衛戦を展開したわけなので、
ぜんぜん「たった1人」ではない、という声もあったようだが、
でも、映画をみれば、たった1人 と言うのもおおげさではないことが
わかってくるとおもう。
革離は趙だけでなく 雇い主の梁までも敵にまわして
戦うはめになっていたので。
つくづく革離は気の毒な男だなあ。
苦労ばかりで みのりがない仕事をしてる。
本人がそうしたかったんだから まわりがどうこういっても
しょうがないのだが。

騎馬隊の女騎士が 東伯が死んで以降
軍務から離れて平服でうろうろするようになった理由が謎。
彼女は梁王の重臣の娘らしかったが、
その重臣て東伯なんだろうか?
そうならば、父の喪に服すから軍務から離れた、というので
納得してもよいのだが、
それでも、あんなに革離の力になりたいといって 
昼夜をわかたず働いていた騎士だったのに、
きゅうに鎧を脱いで ふつうの服で城を徘徊するようになった。
それに、やっぱり東伯の喪に服してたんじゃないみたいなんだよな。
そのあとに起こった、敵軍の地下道侵入作戦のとき、
彼女はほかの持ち場にいたから、作戦の顛末はみていない、と
話していたから。ふつうに仕事はしていたはずなんだよ。
なのにぜんぜん 勤務中の彼女のシーンがでてこなくなるんだよね
東伯の死以降。 
そういうとこ ザツなんだよ~(^^)
あと、彼女が革離の居室に出入りするようになったという情報を、
だれかがもっと早く キャッチしなかったものかとおもう。
そうすれば、革離が気に入らないっていうんなら
雇われ者の墨者が仮にも王の家臣に手をだした ということで
こじつけて、殺すこともできたのに、
だれもそうしたことには目をむけず、
革離の「謀反」をでっちあげたことは 納得がいかない。
革離は謀反もなにも、もともと梁の人間ですらないのだし
謀反で 革離を追い出そうという動きには 無理があったとおもう。
それで王の嫡子を死なせてるんじゃあ 仕事がずさんにもほどがある。

あの女騎士の存在じたい、
墨攻」には そぐわなかった。
たしか原作にはでてこなかったとおもうんだよね あの女騎士。
画面に華をそえるためだったのだろうし、
ファン・ビンビンはもちろんきれいだったが、
必要性がかんじられないキャラクターだった。


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先週も本をずっと 何冊か読んでたが
感想は別枠であらためて。

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