BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

二階堂ふみとロミー・シュナイダー/映画の感想-「墨攻 A BATTLE OF WITS(2006)」-170717。

ゆうべ、串焼き屋さんにいった
いっしょにいた友だちと
テレビにでるような有名人で 
すてきだとおもう人、カッコイイと
おもう役者さんなどを つぎつぎに挙げて、
単純にそのルックスを批評してたのだが
ひとり、どうしても、
顔はわかるが名前がおもいだせない
若手の女優さんがいた。
帰宅してだいぶたったころ、
おもいだすことができた。
桐谷美玲
有村架純高畑充希と3セットで、
脳内のおなじ引き出しのなかに
はいってる、あの子だ。

ところで、
わたしは若い女優さんでは 
二階堂ふみちゃんにこそ
別格の評価をしてる。
彼女をみていると、
ロミー・シュナイダーをおもいだす。

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ロミーは・・・
イングリッド・バーグマン
グレース・ケリー
カトリーヌ・ドヌーヴみたいな
女優さんではなかった。
道ですれちがったら
バラの香りでもしそうな、
正統派の美女、ではなかったのだ。
もっとなまなましく、
特別な存在感があった。
そういうかんじを、
当時の女優さんは
たいてい隠していたはず。
でも、ロミーは違ってて
女の体温というのか 
道ですれちがったら、
バラの香りなんかではなく、
彼氏の香水と、たばこと、肌のにおいが
混ざったにおいがするだろうな、って。
そういうことを思わされる。

そのロミーをおもわせる。
二階堂ふみちゃんは。
「プレイボーイ」の
バニーガール姿のグラビア
ロミーが思い出されて、
なんか
「あーーーーーーーーーーーーーーー」
っていうきもちになった。
ロミーはバニーガール姿にならなくても
いるだけでなまなましいのだが。

・・・

墨攻」を観た。

墨攻
原題:墨攻 A BATTLE OF WITS
ジェイコブ・チャン監督
2006年
中国・日本・香港・韓国

movie.walkerplus.com

 

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この映画、けっこうすきだ。
レッド・クリフなどにくらべると
バトルシーンに迫力はないし
もっとほかにどうにかできたのではと
感じる箇所は数多い。
しかし、複数の要素を
うまくまとめていて
かなり意欲的な映画だ。

かくしようもない安っぽさは、
感覚の違う 異国の映画を観る
たのしみのひとつとして
受け入れられる範囲内だ。

ところで、
墨家は博愛・非抵抗を説く集団だった。
自分からは決して「攻め込まない」。
墨攻」なんて言葉は生まれえない。
でも、邦題は「墨攻」で
本国でもこれが採用されている。
酒見賢一の原作どおり。
墨攻は原作者の造語だ。
映画でも採用されたところが
とても特徴的だと 
わたしには おもわれる。
中国語に墨攻って言葉はないはずだ。
中国語を母語とする人は この熟語から 
なにか まったくちがう印象を
もつんじゃないかとおもう。
それでも変えなかった。
日本の小説作品が原作であることを
尊重してくれているんだとおもう。

作品としての
厚み、気迫、品格
どれをとっても
くらべるべくもないが、しかし、
内容的に、まあ「七人の侍」に 
近いところをかすっている映画だ。
それに、
墨家思想がなぜ絶えたのか、
なぜ受け入れられなかったのか、
考える機会をくれる。
思想をひろめていくために
戦争に参加せざるをえなかった
その自己矛盾が
彼らの集団をだめにしたのだ。
不器用な人たちだ。
存在する時代をまちがえている。

どんな弱小国の王だって、
軍の指揮権を、
どこの馬の骨ともしれぬやつに
渡したいわけがない。

梁の王も民衆も、いい気なもんだが、
でも ああいうもんだろう。
革離目線でみるから
梁王が愚か者にみえるけど
梁王にしてみれば、
雇っておいてなんだが、
この墨者ってのは
なにを企んでいるんだと
うたがわしくて当然だ。
本人に利益がないのに 
なんの約束もしてないのに、
他人のために命を賭ける人間、
そんなのもしほんとうにいたら、
そりゃ信用できない。

日本でのキャッチコピーは
「10万の敵にたった1人で挑む」。
軍の指揮権と城内のマンパワー
ちゃんと王から借り受けたわけなので、
「たった1人」ではない、
という声もあったようだが、
でも、映画をみれば、
たった1人 というのも
おおげさではないとわかる。
革離は趙だけでなく 
雇い主の梁までも敵にまわして
戦うはめになった。
気の毒な男だなあ。
苦労ばかりで、みのりがない。
本人がそうしたかったんだから 
しょうがないのだが。

革離を慕う女騎士が 
東伯が死んで以降 軍務から離れて
平服でうろうろするようになった理由が謎。
彼女は梁王の重臣の娘というが、
その重臣て、東伯だろうか?
ならば、父の服喪で軍務から離れた、と
納得してもよいのだが、
喪に服してたんじゃないみたいなんだよな。
敵軍の地下道侵入事件のとき、
彼女は、
「ほかの持ち場にいたから、顛末はみていない」
と話していた。
どんな持ち場か知らないが、
仕事をしていたことになる。
なのに東伯が死んでから、 
勤務中の彼女のシーンがでてこなくなる。
女だてらに騎士、ということは
当然 娘を危険な目にあわせないように
親が相応のポストを口利きしたものだ。
たとえ名誉職でも上官は、
そうたびたび 軍務を抜け出せない。
梁は人が足りてないし。
あの人どこいった!ってなるはずだ。
 
そういうとこ ザツだ(^^)

彼女が革離の居室に
出入りしてるという情報を、
なぜもっと早くキャッチしなかったのか。
墨者が雇われ者の分際で
仮にも王の家臣に手をだした と
革離を殺すこともできたのに。
だれもそこには目をむけず、
革離の「謀反」をでっちあげた。
謀反もなにも、革離は梁人ですらない。
無理がある。
それで王子を死なせてる。 
国のえらい人にしては
仕事がずさんだ。

あの女騎士、
原作には でてこないキャラクターだ。
ファン・ビンビンはきれいだが、
存在に必然性がない。
やっぱり、
なぜ女騎士に手を出したぬれぎぬを
革離にひっかぶせなかったのか
いよいよ謎だ。もったいない笑