BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

自分について書かないなら 書く意味はない。

自分のことも書かなくてはならない。

本来はそのつもりで 始めたブログではあった。

なかなかそれができないことが、自分でもはがゆい。
正直なところいうと、
自分のことを書くと、自分がけずれていき、
いつか、書く必要を感じなくなってしまうんじゃないか、
というかんじがする。
わたしは 表現すれば けずれていって
まもなく失くなる程度のうすっぺらい存在だから、
書いたらけずれて こんりんざい回復しないかも、と

書く必要がないと感じるようになる ってどういうことか。
完全な人間になれるわけでは絶対になさそうだ。
書かないでいて それでどうやって
わたしは 日々を消化していくんだろうなあ。
そんなことがほんとに可能なんだろか??

なにか 言いようもなく怖くて、
書くことができない。
というのも、書く必要を感じなくなるというのが
どういうことなのか いままで経験したことがなく、
なくなったら自分はどうなるのかと 思う。
どうなるのかなというか、
たぶん 死にたくなるか、
死ぬんじゃないかなと 予感する。

わたしのなかにあるものって
けっきょくその程度のものかもわからん
という すごくなにか
ばかばかしい 恐怖感があり

自分を手ばなすのがためらわれる。
自分のなかにあるこの なんか
ガサガサしたきもちのわるい
つねにわたしの胸の裏側にぴったりくっついているこの
不快感というか
これがなくなるというのが。
毎日、むしろ、なくしたいと思っているはずなのに。

でも
おまえ そんなたいそうな人間じゃないだろ そもそも
たかがしれてるだろ、あってもなくても

やっぱり
どうなるかは
自分のことぜんぶ書いてみないとわからないので、
書いてみないとしょうがないんだろう。


自分の核心について書く勇気が 
意外にも、これほどまでに、ない。

書いてるつもりでいた時期もあったけど
そのじつ やっぱり 全然書いてなんていなかった。

他人のことや、他人が作ったなにかについて
あーだこうだと好き勝手なことを言うのは 
わたしじゃなくてもできる。
むしろ わたしなどが そういうのをやらなくても
もっと上手に、より的確に
なにかを言える人は いくらだっている。


書くのであれば、
わたしはわたし自身のことを
書かなくっちゃ 意味がなかろう。
わたしがそれで けずれて、いなくなったとしても。
なのかな?

この、書いたら自分が削れてなくなってしまって、
書く必要を感じなくなってしまうかもしれない
っていう感覚は
気のせいなんだろうか。

それと、

書いてだれかが喜ぶんだろうか?
それは もう答えでてる。
もちろんだれも喜ばない。
だけど書かないといけないようなかんじはずっとある。