BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN(2016)」。

先々週の日曜日、「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を観た。

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち
(MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN
ティム・バートン監督、2016年、米)

movie.walkerplus.com

 

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テレンス・スタンプがでてておどろいた。
テレンス・スタンプいいよねえ。
エンダーズ・ゲームのエイサ・バターフィールドくんが
ずいぶん大きくなったことにもおどろいた。
エヴァ・グリーンがうっとりするくらいきれいだった。
あの人はふつうの現代劇ではなくてこういうファンタジーものとか
こう・・・ キッチリお化粧していかにもなコスチュームつけて
演じる役が ハマるよなあ。
れいだよね。目もとの、濃いお化粧が
ドキドキするくらいイイ。

今年にはいってからずっと、アクション映画ばかりみていて、
バイオハザードザファイナルも、マグニフィセント・セブンも、
それらはどれも、観ていてなんにも考えなくてよかったし、
観終わってからも、一生なんにも考えなくていい映画だったけど、
「ミス・ペレグリン」は、なにかを考えずにはいられない映画だった。

ティム・バートン監督は、いつも映画に、欠陥をかかえた人間や
まわりとうまくやれない人間を出すよなあ。
そういう人の映画ばかりだよなあ。
自分が、そうだった、もしくはいまもそうなのかもしれないけど。
そうして、それらの 欠陥ある人びとやふつうには生きられない人びとを
とても積極的に認めていて、たたえているようにおもうな。

「ミス・ペレグリン」では、ペレグリン夫人の保護下で生活している
子どもたちはみんな一種の異形であり、ふつうの人たちに
まじっては まず生活できないような力を持って生まれてしまった
子ばかりだった。
どれも使いようによっちゃ ほんととんでもない能力だった。
でも、どの子も、その力をつかってなにかスゴイことをやろうとか
そういったことはしていなかったし、
その手の「自分たちこそが優秀な人種」みたいな教育を
うけている形跡もまるでなかった。
彼らの世話をするペレグリン夫人なども、べつに
子どもたちに「その力をつかってよりよい世界をつくりましょう」とか
言ってなかった。自分たちが、力を持っていない人間よりも
優れた偉大な存在、とも なにもいっていなかった。
彼らはなにも変わらない世界、彼らだけの安全地帯で、
ただたのしく 生活しているだけだった。
お人形あそびをしたり、家庭農園から野菜をとってきてご飯をつくったり、
ホームシアターをみたりしているだけ。
なにもしてない。せっかくすごい力をもってても。
いさぎよいまでになにもしてない感が
どうもなんだかすごかった。
エイサが演じた主人公の男の子も、
一種 特殊な能力者であることがあきらかになった。
でも彼は、その力があったとしても、ふつうの人びとにまじって
生活することは不可能じゃないかんじだったとおもう。
とくに見た目が異形というわけではなかったし。
けども、この男の子も、最終的には
ペレグリン夫人の子どもたちとおなじ
閉じた世界にとびこんでいくことを選んでいた。
こういうときふつう「でも主人公の子は、この子どもたちとの
出会いを経ておおきく成長し やがて ふつうの人びとのなかで
力強く生きていくことを決意するのでした。」
とかいう結末になるもんじゃないだろうか。
ならなかった。
きっぱりと自分から あの不思議な子どもたちのいる
閉じたほうの世界へと旅立っていった。
たいへんな苦労をしてもあきらめずに 
閉じた世界への鍵を探し求め、そして探しあてて旅立った。
そのような結末をものすごく肯定的に前向きな雰囲気で
描いていたことがとても印象的だった。
ティム・バートン監督は 自分がまわりとうまくやれない
子だった、のかもしれなくて、
そんなかつての自分に「それでいいのさ。一生だれともうまくやれなくても
わかってもらえなくっても 自分の道をつらぬきとおしていいのさ。」と
言ってやりたくて
こういう映画を作り続けてるんだろうか。
自分自身のために。
でもそうなのだとしても こうして わたしにもその
メッセージが 熱く響くよなあ。
わたしはティム・バートンじゃないのだけども。

まじわれないならまじわれないでいい、誰になんといわれようとも
自分の道をすすんでいいと いうメッセージでもあったし、
けども べつにだいそれたことをしなくてもいい、
ただ いまそのままの自分でもべつにいい
というメッセージでもあったとおもうわな。
つまるところ自分の存在を恥じなくてよいということかな。
まわりになにかいわれて揺らぐようなものじゃないわけだから。
みたいな?

ティム・バートンだわなあ。