BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

広末涼子さんのインタビュー記事(両親の離婚を体験した子どもについて)-160828。

昼間は美容院にいっていた。
美容院でだしてくれた雑誌に
広末涼子さんの
インタビュー記事が掲載されていた。
彼女はたしか1回離婚を
経験しているかとおもう。
離婚したときすでにお子さんがいた。

どのような過程を経て
離婚を決意しましたか、
離婚することにきめたとき、
子どもにどう説明しましたか、
という質問に
彼女は
「夫婦関係を立て直そうと、
一時別居や同居の再開など、
思いつくかぎりのことをやり、
それでもうまくいかなかったので、
自分と子どもの将来を考えて
最終的に決めた」
「子どもには、
『パパともう暮せないんだけど、
ママとふたりだけでもいいか』
ときりだした」
「子どもから
『どうして一緒に暮らせないの』
と聞かれたので、
『パパとママはうまくお話できなくて
ケンカばかりしてしまうので 
たくさん泣いてとても悲しいの』
というようなことを話した」
といった意味のことが書かれていた。
(詳細はこの文言のとおりではない。
わたしの記憶で書いている。
でも意味合いとしてはこんなかんじ)

そして、
「説明の結果 子どもは
『わかった』と、納得してくれたが、
本当に理解がえられたとは思わない。
大人になったときに 
受け入れてくれたらいいし 
そうなるように努力する」。

わたしは
「本当に理解がえられたとは思わない」
というところに感心した。
「『わかった』といったから、
わかってくれたんだ。あーよかった」
と思っているんじゃなくて
広末さんはえらいな、とおもった。

子どもに、わかるはずもない。
わかる、というのが
具体的にどんなことであるのかも 
規定は困難なのだが。
子どもは、両親の離婚の
最大の犠牲者となる存在だ。
どんな形での離婚であろうと、
離婚は、子どもにとって、
ろくなもんじゃない。
ろくなもんであるはずがない。
ほぼ例外なく弊害だ。
なぜか。
「離婚」は、離婚したという
そのときまでで終わることじゃない。
社会は、片親にきびしい。
とくに母親にきびしい。
離婚して母親が子どもを育てる場合
すごく大変な仕事になる。
ほんとうにやりとおせるほど
タフな女性などまずいない。
母親は、なんらかのかたちで
ほぼまちがいなく
不如意な生活を強いられる。
お金がない。
仕事が思うようにできない。
新しい出会いが望みにくく感じる。
生活が不安。
そうしたことが
まずまちがいなく起こる。
そのストレスのはけ口に、
一番なりやすいのが子どもだ。
わたしは、
「『片親だから』という理由で
子どもにつらい思いをさせたくない」
「『あの家は片親だから』と
世間にいわれないように子どもを育てる」
「片親でもどこにでても恥ずかしくないよう
子どもには最高の教育を受けさせる」
と決意した親が 子どもを育てる、
というケースさえも
離婚が子どもにおよぼす悪影響の
類型にくわえてよいとおもう。
そこまでひっくるめたとき
離婚は 
子どもの心にとって弊害となる。
だから子どもにとって
両親の離婚は 弊害なのだ。

修復できないレベルで
破たんしている夫婦関係を
継続することも それはそれで
子どもに悪影響であることは
もちろんまちがいないが。

補足的なことがらを 
長く書きすぎたかな・・・

話をもどすと、

子どもが離婚に
納得してくれたからといって
わかってくれたんだ。
あーよかった。さあ離婚だ離婚だ
なんて思っている親は
あとあとになって
えらい目にあうとおもう。

どういうことかというと、

夫婦間の浮気問題に話をかえて
ちょっと考えてみると
意外とわかるんじゃないか。

わたし結婚したことないけど(^^)!!

でもまあ こころみに
こんなかんじを想像しよう。

夫が浮気をした。
浮気が妻にばれた。
妻が追及すると、
夫は白状し、妻に謝罪した。
妻は、許すことにした。
初犯だし、夫が反省しているし、
自分もやり直したかったので。
夫婦関係リスタート。
でも、ここで夫が
「よかった!許してもらえた!
あしたからなにごともなかったかのように
やっていける!」
とおもったら、
これが、大まちがいなのだ。

もちろん妻も、いちおう
「夫の謝罪を受け入れた、
許すと自分の態度を表明した」ので、
「水に流した」つもりなのだ。最初は。
でも、そううまくいくものだろうか。
あとで愕然とするはずだ。
忘れられない。
そう簡単に許せるはずがない。
ふりかえると、
あのメールはウソだったんだな。
わたしのこと、
だませると思っていたんだな。
わたしのこと、
きっとばかだと思っていたんだな。
わたしとよりも浮気相手との
性交のほうがよかったんだな。
なんてことが 
いつまでも心にわだかまる。
最悪だ。
夫を責め足りない。
バカにしていたのね、と
泣いてわめきたい。
くやしくて哀しくてたまらない。
夫がきたならしい存在に思える。
土下座してほしい。
なんてことが、
心にマグマみたいにわきあがる。
いったん自覚してしまうと
日に日にすこしずつ
この憤激が、かなしみが堆積していく。
でも、
謝罪を受け入れた。
許すと言ってしまった。
なんなら仲直りのセレモニーもした。
その手前、
いまさらむしかえして 
不服を申し立てても
夫は自分の思いを
理解してくれないだろうし、
ぞんだ反応なんて
えられないだろうし、
それになにより、みっともない。
そう考えると、言えないのだ。
妻は苦しみ続ける。
じっさい、仮に夫に
自分のきもちをぶつけたとしても
夫が
そんな気持ちでずっといたのか。
ぼくのせいで苦しめてごめん。
なんていって
だきしめてくれるなんてことは、ない。
まれにあるかもしれないが。
たぶんない。
もうその話は終わったと
ぼくはおもっていたんだけど。
じゃあぼくはいったい
どうすればいいわけ?
あのとき「許す」って言ったのは
ウソだったの?
なんて逆ギレされるのが
いいところだ。
人は
自分のすることに
一貫性がないことには
けっこう寛大なのだが
他人の言動に一貫性がないと
がまんできない。
壊れた夫婦関係を修復するのは 
ほんとうにむずかしい。

・・・
なんて話をしたいわけじゃ
必ずしもないのだが

両親の離婚を経験した子どもは・・・
むろん個体差はある。
全員こうとは言わないが・・・、
この「妻」みたいなきもちの変化を 
そののちの成長を通じて
体験していくことになる、
ってことを考えてみたい。
変化というか、
両親の離婚と
それ以前に見せられてきた両親の不和
から受けた心の痛みは、
基本的に癒えない。
両親が離婚したときに、
自分で自分のことを
ちゃんと話せない幼児期でも
その子なりの受け止め形式で、
ちゃんと「両親の離別」を体験してる。
赤ちゃんであってもそうのはずだ。
小さいからなにもわかっていないなんて
思ってはいけない。
小さいときでよかった、
なんて思ってはいけない。
成長して、自分の言葉を獲得したとき、
叫びだすかもしれない。心の痛みを。
言葉だったらまだいいが 
腕力とかに訴えるかも。
言葉や腕力なら、表面化する分、
対処のしようもあるが
みえないところ、
心が壊れていったら、どうか。
しかも自分で自分の痛みの原因が
自覚できないような場合は
ますます目もあてられない。

本人に自覚があるか否かにかかわらず
その痛みのレベルにかかわらず、
はっきりいえることは、
夫婦間において配偶者のしうちから
受けた心の傷は、そうかんたんに消えない
のと同じように
両親の離婚をみた子どもの心の傷は、
基本的に癒えない、ってことなのだ。

さきにのべた夫婦の話において
妻が 
わたしもあなたの疲れをいやす
優しい家庭を作れなかったから
こんなことになったのね。
あなたが真剣に謝ってくれたし、
今回はおたがいに水に流して、
ふたりでやり直しましょうといって
赦してくれたからといって
よかったー 一難去った、と
安心してしまう夫が、
ダメなのと同じように

パパとママは離婚するの。
わかってくれるね?
と子どもにきいて
うん、わかった。ぼくも(わたしも)
そうしたほうがいいとおもってた。
パパが(ママが)笑ってくれるなら
それでいいんだ とかいって 
子どもがわらったからといって
ああ、よかった。
と安心してしまうような親は、ダメだ。

仮に、その家族関係を
継続したいと願うのであれば、

罪を犯した夫は、
配偶者への謝罪に一生をささげる
そのくらいの覚悟をしたほうがよい。
浮気事件から10年も経っていきなり
やっぱりわたし、10年前のことが
どうしてもどうしても許せなくて
あなたを責めたくなっちゃうの・・・
と 妻が泣き出したとき
驚いてはいけない。
そういうことがこのさき
何回も何回もあっても
驚いてはいけない。
すべて自分のせいいっぱいの
気持ちで受け止めないとだめだ。

離婚したふたりは、
そりゃ自分自身のことも
いろいろと大変だろうが、
子どもがいるならば、
なによりも子どもの気持ちを
見守らないとだめだ。
子どもは関係ないのだから。
何年も経って子どもが成長したとき、
あのとき、哀しかった。
どうしてお父さん(お母さん)は
いなくなってしまったの? 
ぼくを(わたしを)おいていったの?
などといって 涙したとき、
親は驚いちゃいけないし、まして
でも、そうしたほうがいいとおもってた
って あんた言ってくれたじゃん!
とか言ってはいけない
しょうがないじゃん、
もう離婚しちゃったんだから
とかいって
内心の動揺をおしかくして
きょとんとしたふりをしても 
もちろんだめ。

離婚した段階で、
無関係の人間(子ども)に
多大な影響を与えた。
今はよくても、
いつかあの子の心の傷が
再燃するおそれがある。
ということを、覚悟しておくべきだ。
痛む心をぶつけられたとき
全霊で受け止めてあげること、
それが 無関係の人を傷つけた者が
はたすべき唯一の責任だから、
その日のために
心の準備をしておいたほうがいいからだ。

べつに 
夫婦関係とか、離婚と子どもとか、
そういう話じゃなくてもいい。
ということに 書いてきて今きづいた。
人間同士のかかわりのことは、
すべてそうだ。
人によって傷つけられた人の心は
すべて、もうもとにはもどらない。
みんな、
傷つけたり、傷つけられたりして 
もうおわったことのはずでも 
何度もしつこくむしかえし、
あのやろーーー! とおもったり
あのときはなんであんなこと
言っちゃったんだろう なーんて 
あっちへゴロゴロこっちへゴロゴロ
のたうちまわって恥じ入ったり、
そうやって、
すべての人間が生きている。
死ぬまで引きずって生きていく。
それが、
人が生きるってことだろう。

心の傷が癒える、
という表現は正確じゃない。
心の傷は癒えない。
小さくなっていくか、
かくれていくか、
心が老いて執着できなくなるか
・・・のどれかだ。

ただ、
赤の他人同士だと、
年月がたつと
お互いの居場所が
わからなくなるなどして
恨みをぶつけたくても
謝罪をしたくても
二度と会えないおそれがあるが
家族ならば、そして 
その関係を継続したいと
お互いに思っているならば、
いっしょに苦しむことができるし、
一生をかけて謝罪をすることも
やりたければ 不可能じゃない。
そこが家族であることのまあ 
利点といえば 利点かもしれない。
やり取りの「やり直し」ができる
可能性が、赤の他人よりも高い。
まあそれがどうしてもできない
家族もあるが 
わたしにいわせれば 
そりゃもう家族じゃない。
関係を解消してしまっても 
べつにかまわないのではないか。
家族という肩書に
だまされたふりをしている
その時間がもったいない。
人生は短い。
・・・そうはいっても
できないのも また家族か

なにがいいたいかというと、
この場合、
親の離婚を体験した
子どもであるところの
わたしから言わせれば、
広末涼子さんの態度は正しい」
とおもった、ということだ。
「理解してくれたとはおもってない」と、
思い続けることは
つまり 
自分のいいように解釈せずにおくことは
ずっと継続させたい人間関係において
大切だと わたしはおもう。