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BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

あとさき考えない性格。映画を800~1000本みてきたかとおもう。中里学さん。「シン・ゴジラ」礼賛。

「(きみって)ガみたいだね。」といわれたことがある。
ガとは「蛾」だ。ちょうちょの、人に好かれないほうのやつ。
その人がわたしのどこをガみたいだといったかというと
人に好かれないところじゃなくて(そうだったのかもしんないけど。)
「動かない」ところ。
一回落ち着いて座って、何かしら自分がするべき作業を始めてしまうと
やめろといわれないかぎり、時間的な制約でもないかぎり
何時間でも一日中でも ひとつところに座っていられる。
事務仕事とかに向いている性格のはずだ。

冒険心や探究心、遊び心はもちあわせた覚えがない。
どっちかといえば変化することがすきではない。
さわいだりしたくない。
急ぎたくない。あせりたくない。怒りたくない。
落ち着いて、凪いだ気持ちでいるときの自分こそが
われながらいちばん好ましく感じる。

でも、そういう気持ちでずっといたいのに、
たまにわれながら おまえ頭大丈夫かとおもうような
とっぴな行動をとって 
いろいろとまずい状況をつくりだしてしまう。

どう考えても話し合いが通用しなさそうな
犯罪方面のかんじの雰囲気の場所に ノコノコと丸腰で入っていく。
学生時代に 電車の車内で勃発した 
屈強な男同士の 暴力ざたにもなりそうな
ケンカの場面にのりこんで 
仲裁をこころみた結果、
頭をバチーンと殴られて一瞬で失神したことがある(マジでなにやってんだ)。
学生時代にというか、現在でも2年に1回は似たようなことがある。

家の前の路上で 露出狂のおじさまVSうら若いお嬢さんの
遭遇の瞬間を目撃した。
おじさまが上着の前をぱっとひろげて 中身を露出あそばしたのを
わたしは家の2階の窓からたまたま見たのだが
(もちろん至近距離から見せられたお嬢さんはキャーと絶叫してた)
なにをおもったのか わたしはおじさまの 「中身」をみて
「美しくないですなあー。」と 爆弾を投下。
おじさまは それでいつのまにか上からわたしがみていたことに
気づき いちもくさんに逃走していったが
なんというか もし あのおじさまが
一筋縄でいかないタイプのヘンな人だったら
わたしは所在を完全に知られてしまったわけで
のちのち報復とか逆恨みとかされたら 逃げ場がなかった。
でもそういうことをまったく考えずに
「美しくないですなあー。」とか言ってしまったのだ。
いや そもそも美しくないってなんだよ(^^)!!

わたしはそういうことをたまにする。
あとさきかんがえないところがある。
波風立てたいなんてまったくおもっていないのに
静かにしていたいのに、ヘンな行動をとってしまうのだ。
非力な自分が半端な「がんばっちゃおうかな」感をたまに
もちだしてふりかざしてみても
なにひとつ状況が変わることなどなく
自分が痛い目にあって終了である。
そんなことはよくよくわかっている。
わかっているのに 気持ちがそっちにいってしまうと
もうあとさき考えず またおんなじことをしちゃう。
つまり頭が残念なできばえの人間だ。

わたしはそんなバカは家族で自分だけだとおもっていた。
でもそうじゃないのかもしれないと今朝おもった。

週1回の貴重な休日である日曜日は
いつも日がかなり高くなるまでぐっすりなのだが
今朝は朝から暑かったからか 早朝に1回目が覚めた。
母親の声が外からきこえた。
前半は自分のみていたなにかの夢とミックスされて
現実のことかどうかあやふやだったが
「やめなさい!」とか言っているように聞こえた。
頭と耳がはっきりしてきて やはり「やめなさい」と
母が誰かに言っているらしいことがわかった。
窓を開けて外を見てみると
家の前のちいさな公園に朝から集結しているポケモントレーナーたちに
「そんなことを朝からやっているなんてばかばかしいからやめなさい」と
教え諭している母親の姿がみえた。
(どうもうちの前の公園って出るらしいんだよねポケモンが。)

自分の親はそっち系のキャラじゃないと
いままでおもっていたのだが。
ああ、あの人にもそういうとこあるんだな・・・
と 初めて知った。



生まれてはじめてスクリーンで観た映画が なんだったかは思い出せない。
でも 親に連れられて見に行ったものとして
はっきり記憶している最初期のものは
ジュラシックパーク」。
お小遣いで、親の同伴なしで、友だちとみにいった映画の最初は
(確証はないが)「モスラ」だったか。
怪獣ものがすきだったのかな・・・わたし(^^)
本格的に自発的に 映画を愛するようになったのは大学時代からだ。
そこからカウントしてだいたい15年くらいで
1000本くらいは映画をみた。きもちわるっ!
スクリーンでみたやつだけだと もちろんそんなにはいかないが、
ビデオやDVDでみたものも入れればまちがいなくそれくらいになる。
すくなくとも800を下回ることはない。

これといった感受性がなくても、
映画のなにがわかっているわけでもなくても、
それだけみればサルでもそれなりの 映画をみる目が育つ。
そのうえ、ほかの人はどうかちょっとわからないが、
わたしは1回でもみた映画や 熟読した本は基本的に忘れない。
忘れないというのは、観た(読んだ)というデータを
いつまでも覚えているというのとはちょっとちがい、
観たシーンや目に入ったページをスクリーンショットとして
そのまま保存してあるということだ。
だから観たってことを忘れている映画でも 自分の脳に保存されてれば
場合に応じていつでもデータをひっぱりだせる。
そういう性質のデータベースを持ったうえでの 映画好きなせいか、
履歴書にはかけないたぐいの特技が
いつのまにか いくつか みについていることが
きょうわかった。
具体的にはこんなかんじだ

テレビのなんとか映画劇場なんかをぱっとつけたとき、
最初に目にとびこんできた映像をみて、
タイトルをあてることができる(観たことがあれば百発百中)。

海外の映画のエンドクレジットに 日本人のスタッフの名前が
何人いるか 正確に抽出できる(できてどうすんだってかんじだが
確度は100%のはず)。

その映画がいままでにみたことがないものでも、
目に飛び込んでくる情報と頭のなかのなんやらかんやらの情報から
「たぶんあの映画。」と あたりをつけることができる(9割5分)。

初見の映像が 仮に人物が出てこないただの風景などでも
日本の映画か海外の映画かを正確に判別できる(9割5分)。

予備知識なしにみても 監督がだれかをまあ7~8割の確度であてられる。

タイトルから その内容を6割5分くらいの確度で予測できる。

履歴書には書けない。
だからここに書いてみた。



昼間、電車で4駅のところにあるショッピング施設でおこなわれた
ライブイベントをきいてきた。
午前中から夕方までずっとやっていて
何人かのミュージシャンがいれかわりたちかわり
30分くらいずつのパフォーマンスをするというようなイベントだ。
ここに中里学さんが出演したからいってきた。
中里学さんのライブを今年の春先にきいたがとてもすばらしかった。
いっしょにライブをききにいった友だちが
中里学さんは初期のころ(ソロでなくユニットを組んでいたころ)も
とてもよかったんだと いっていたので
あとで 中里学さん本人に連絡をとり 初期のころのCDとかは
まだ残っていたりしますかときいてみたところ
かろうじて何枚かあるとのことだった。
次の機会に購入する約束をした。
その次の機会ってのが またこれが わたしがクソ忙しくて
なかなかこなかった。
今日やっとその日がきた。
それでいってきた。
あいかわらず よい歌声だ。
しずかに でも たしかな重みをもって
心に押し入ってくるような よい歌声だ。
清潔感のあるとてもいい歌声だ。
聴くほうの心をいつのまにか開かせてしまう声だ。
あれってたぐいまれだ。
演奏がおわってから ちょっと声をかけて
約束のCDを2枚買わせてもらった。
3枚もってきてくれていたが
内容がわからないからいわゆるジャケ買い
彼が厚底ブーツとかはいてる写真の おもしろいやつにした。
あした職場に持って行って仕事しながらきこう。


そして帰りに 地元の映画館で
シン・ゴジラ」(庵野秀明監督、2016年、日本)
をみてきた。

www.shin-godzilla.jp

これは傑作であった。
客席にもしも自分しかいなかったなら
まよわずスタンディングオベーションしてた。
これ、「すごかった!」って早く誰かに言わないと
言わないうちにもし自分が交通事故にでもあって死んだら
絶対化けて出るなとおもったもんね。
早く誰かに教えなくちゃって。

わたしはこれまで 日本映画もいっぱいみたはずだけど
まだまだそれでも 日本映画のすべての面を知ってたわけでは
なかったのかもしれないなとおもった。

というか まがりなりにもいっぱいみてきたからこそ
こういう気持ちになったのかもしれない。
たぶんそうだろう。

近年のわたしは、映画にたいして
とにかく「いままでどの映画でもみたことがない」とおもわせてくれる
ストーリーや映像をみせてほしいと 望んでいる。
ほんの1シーンでもいい。
たわいのないシーンでもいい。
ちょっとでもいいからほかのどの映画にもなかった どれとも似てない
ものを観たい。
それについで、内容よりも、ひたすらスカッとさせてくれるものや
ドカンと心になにか物理的な衝撃を与えてくれるものを みたいと
おもっている。
なにをいっているのかが理解できないどころか
なにをやっているのかわからないような映画でも
ビジュアルがほんとにものすごかったら ぜんぜんOKみたいな
そういう種類の映画をみたい。
いつもそうってわけじゃないが。
なにがおこるかわからないような映画をみたいのだ。
そうすると どうしてもアクション映画とかが増えていく。

こうした願いは基本的に日本映画では叶わない。
日本映画って、そういうのじゃないとおもうから。
「ああ、そういう気持ちになることってあるよね」
「そういう思いを持ってしまうと人はどうなってしまうんだろうね」
みたいな 自分の心のなかのすでにあるものを
知っている言葉で、知っている所作とスピード感と世界観で
描き出してくれるもの、それが日本映画だ。
日本映画に「なにがおこるかわからない的な映画」は望むべくもない。
って、わたしはおもってた。

でも、
シン・ゴジラ」は、
かなえてくれた。
日本的な、どこまでも日本的な映画でありながら、
「いままでみたこともないような映像」をみせてくれたし、
同時に
「そういう気持ちになることってあるよね」的な
日本映画が得意な 日本人の心理描写をたくみにこなしていた。

ただ歩いているだけ、立っているだけのゴジラ
「哀愁」をみいだすのは
たぶん日本人だけなんだろうな。

いままで、わたしもそれなりに いろんなアプローチのしかたで
たくさんの映画をみてきた。
ジェット・リーに会いたい」
「音楽とダンスのシーンをたのしみたい」
「アクションをみたい」
「映像美を堪能したい」
「だれそれの演技をみたい」
「ストーリーをたのしみたい」
とかいろいろ。
そのどれとも違うみかたを求められる映画だった。
求められるといっても 努力しなきゃいけないわけじゃなく
自然に 新たな みかたになっていくのだが。
「こんなふうに映画を観たことっていままでなかったな」と
あとで 気づかされてうれしくなるかんじだ。

そしておもった。 これってきっと、
元祖ゴジラシリーズを夢中になってみてた
昭和の時代の人たちの視点の追体験てことなんじゃないかなあと。
そうだとしたら それがいま体験できちゃうってすごいことだけどな。

いや シン・ゴジラは実際 秀作ですよ。
日本映画にあまり期待しなくなってしまった人
映画をたくさんみてきた人にこそ
すすめたい。
どれとも似てないものをみられるはずだ。
似てないのになつかしさを覚えるはずだ。
いままでどんな映画をみても感じたことがなかったような気持ちを
みたあとに 感じることができるはずだ。