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BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「乙女の密告」。「小さいおうち」。「ブラック・ダイヤモンド Cradle 2 the Grave」(2003)。

図書館で
赤染晶子「乙女の密告」(新潮社)
中島京子「小さいおうち」(文藝春秋
を読んだ。


前者は芥川賞
後者は直木賞を受賞している。


「乙女の密告」
は、何がなんだかさっぱりわからなかった。
意味が理解できない。
なんだこりゃ。

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的外れなことを言ってたらはずかしいんだけど、少しだけなら、考えた。


この小説、「乙女」、「乙女」と、
作中に乙女という言葉が100回くらい出てくる。
同じひとつの意味をあらわすにも、乙女という言葉以外に、
表現のしようはあったはずなのに、
しつこく「乙女」をつかってくる。
もう乙女ゲシュタルト崩壊

他にも、おなじ言葉が何度も何度もでてくる。

そして、外国語大学の女学生たちの
スピーチコンテストなどをめぐる、すごく狭い世界の、小さな物語だ。


ひとつの言葉の多用と、変化のすくない狭い世界、

ページをめくるのもおっくうになってきたとき、
「どうやらこの小説は、言葉それ自体について、
まずなにか、やりたがってるな」とは感じた。

ほんとに、飽きてみて初めて思ったのだが。

学生たちが、ドイツ語で「アンネの日記」を講読している
という設定なのに
ドイツ語が、まったくでてこない。
学生たちや先生がドイツ語を話しているとおもわれる場面も、
すべて日本語で書かれている。
そりゃあたりまえかもしれないのだが。
(ドイツ語がわかんない人には本作が読めないというんじゃ困るからね)

よくかんがえたら
たとえば
「ドイツ語で書かれているのを日本語に訳したという設定の小説」
かもしれないのだ。
そういうこともあり得るんだよなあと思ったら、
これは一種の叙述トリックってやつなのかな、と。
それでなにをしたかったのかは不明だが(-_-;)


一貫して「アンネの日記」が出てきて、
日記のなかのアンネと、
これを教材に勉強している女学生たちの心の動きが、
リンクしているようなしていないような。

アンネ・フランクたちのオランダでの隠れ家生活は、
何者かの「密告」によって、
ある日、強制終了させられたと言われているが、
この「密告」というキーワードも、物語にからんでいるようだし。


だがよくわからない。
わかるように見せかけてさっぱりわからん。

ただ「アンネの日記」やアンネ・フランクのことやなんか、
それなりにたくさん本を読んできた立場から感想を言わせてもらうと

アンネという少女の書いた、あのひとつの複雑で深遠な有機体を、
勝手にチョキチョキほしいとこだけ切り取って、
まったく関係のない現代の女学生のできごとに
リンクさせようとしているのは、
どうなのかと感じなくもなかった。

関係はまったくないはずなのだ。
なのに関係があるようにしようとしている。

自意識過剰なお年頃の女の子たちの、
ちょっとした青春と騒動、みたいなそんなかんじか?


よく理解できない。
なにが言いたかった小説なのか。

共感はしなかった。
好きでもなかった。
良いか悪いかは、わからなかった。




「小さいおうち」

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こちらはおもしろかったしよく理解できた。
第二次大戦前、中、後の一般家庭のかんじがよく書かれていて、
具体的なのに驚かされた。

ある会社重役一家。
そこで住み込みで10年あまり働いてきた女中さん。
彼女が、そのころから何十年も経過したいま、過去を振り返り、
手記らしきものを書きつづっている。
その手記を、彼女の甥がたまに盗み読みしているみたいだ。
甥が読んでいるらしいことに気づきつつ、
彼女はなお手記を書き進める。

なにかがあって
それを誰かが見ていて
見ていたころのことを回想していて
それをまた誰かが盗み見ていて
しかもそれは気づかれている

キャラクターの位置関係と
時間のありかたとが
入れ子構造になってておもしろい。

ちょっと、谷崎潤一郎の「鍵」みたいだ。

手記が読まれていることがわかっている、ということは
読まれる前提で内容を操作して書くことが
ありえるということだし、

回想であるということは
記憶の混乱や勘違いなどで
事実とちがうことが手記に書かれているかもしれない
ということにもなる。

なにがほんとなのか
もう誰にもわからない。

でも、完全に迷宮入りという形にはなっていなかった。
わたしのような雑な読み方しかしない者でもある程度
「こういうことかもな」と自分なりの結論を出せるくらいには、
ヒントを残してくれていた。

ドキドキさせられた。


やっぱりちゃんと結末があって理解できる本がすきだな(-_-;)











きょうお昼のテレビ映画枠で
「ブラック・ダイヤモンド」
(Cradle 2 the Grave、アンジェイ・バートコヴィアク監督、2003年、米)
がやっていた。

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movie.walkerplus.com



録画しておいて、さっき観た。

ジェット・リーがたぶん40歳手前くらいのときの出演作だ。

この映画に、ジェット自身はそれほど、
思い入れみたいなものがなかっただろうなと思う。

そうとうデタラメな出来の映画だ。
つまらないとはいわないが、ちょっと、いい加減すぎる。

なんだかほほえましいくらいだ(^_^)
いくらなんでも、もうちょっと映画として がんばれただろー!


だけどわたしには、ジェットに会える
貴重な2時間をあたえてくれる映画のひとつだ。

わたしはジェットを観ているとなにか
「いまの自分はジェットの前にでて
恥ずかしくないだけの生き方をしているか」
といったことを思う。

彼を観る資格が いま自分にあるかどうかなどと。

彼はわたしを知らないが、
わたしは彼に強く影響をうけている。



彼をめぐるすべてが、
わたしにはほんとに重要なことなのだ。