読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「灼熱の魂 Incendies(2010)」。

「灼熱の魂」
(原題:Incendies ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2010年、仏・カナダ)
を観た。

movie.walkerplus.com




強力。

これは去年、電車で40分くらいで行けるところにあるミニシアターで、
やってたのを知っていたけど、そのときは観なかった。
でもある意味では、それでよかったかなあとおもう。
容赦のない描写がたくさんある内容だった。
映画館の音響と大画面では、つらくなって、
まず最後まで観られなかったにちがいない。
テレビの画面で観ていても、何回か、ヘッドホンをはずしてしまった。
観るのをやめようと何度も思った。

だけど、最後まで観てよかったなと今は思う。
映画館で観て、ギブアップして帰ってたら、
最後まで観る価値のある映画だということに、
気づけないままだったろう。
休み休みでも、最後まで観てよかった。





中東系カナダ人の女性ナワルが、
娘のジャンヌと遊びに来ていたプールサイドで、
突然 謎の「放心状態」におちいる。

病気でもないのに、どうしてこんなふうになったか誰にもわからないが、
話しかけても、なにも反応せず、肉体的にもただただ弱っていく。
彼女はその後すぐ、病院で息をひきとってしまう。

でも、元気だったとき秘書として働いていたナワルは、
長年の上司だった公証人に、入院中ひそかに、遺言を託していた。
彼女が最後の力でつむいだ言葉を
公証人が文書化するという形で。


彼女の死後、
ナワルの子ども、ジャンヌとシモン(双子の姉弟)が公証人をおとずれ、
遺言書の内容が明らかにされる。

ナワルの遺言の内容が、ものすごく変わっている。

いわく
・あなたたちには父と、兄がいる。
(ジャンヌとシモンは一度として会ったことがなく、
むしろ死んだと聞かされていた)
 探し出して、ふたりに手紙を渡してほしい。

・父と兄に手紙をわたしてくれたら、
あなたたちふたりにも、読んでほしい手紙がある。

・(父と兄を探し出せないなら)わたしの墓に墓石を置かないで。
 名前も刻まないで。世の中に背を向ける姿勢にして、裸で埋めて。


・・・・・。


母ナワルに愛された記憶がないシモンは
エキセントリックな遺言に反発、
「葬式くらい人並みにふつうに、さっさとすませる」などといって
取り合おうとしない。

対して、弟よりは母と近しかったジャンヌは、父と兄の手がかりをもとめて、
はじめて、母の故郷・中東に旅立つ。

母の足跡をたどるうちに、ジャンヌは母の人生を知る。

ナワルが中東の小さな村で育ったこと。
宗教・民族間内戦が激化していた時期に、
異教徒の難民の青年とかけおちを試みて、失敗したこと。
これは、旧い考えにとらわれた村においては、
リンチにもされかねないスキャンダルだったため、
夜の闇にまぎれて体ひとつ、村を出たこと。
親戚のもとに身を寄せ大学に通い、学問とフランス語を身につけたこと。
内戦のあおりをくらった、大学の閉鎖。
異教徒系の過激派にくわわり、いわゆる鉄砲玉になったこと。
15年間にわたる監獄生活。

ジャンヌは母の身におこった出来事の数々を知り、
やがて父・兄、自分たち姉弟をめぐる、
ある大きな秘密に、たどりつくことになる。








その秘密がなんなのか、終盤にならないとわからないようになっている映画だ。


けど、知れば知ったであまりにも、
重く、痛かった。






わかっておかなくてはいけなかったのは、
まず、この物語の時制が、現代にあったということだ。
うんと昔の出来事を描いたものではなく、現代の物語だった。

息をひきとった時ナワルは、わたしの母とおなじくらいの年齢だった。
ジャンヌとシモンは携帯電話で、海をへだてて連絡をとりあっていたし、
服装もいまのものだった。

現代でも、
ナワルのようなつらい過去をかかえて生きている人たちが、
いるってことなんだよ。

母の形見のネックレスをつけ、母ゆずりの黒髪をまとめて、
紺色のシャツで旅をするジャンヌは、
女優さんどうしが親子というわけでもないのに、すごく母ナワルに似て見えた。

だが、ふたりをとりまく環境はまったくちがった。

かつてナワルがバスで通った道を、
ジャンヌもバスで通る、というシーンがあった。

ナワルが乗ったバスには冷房などなかったし、
定員をはるかにこえる人数が乗り込んでいた。
内戦中であり、
自分が「異教徒」であることがばれれば、
ただではすまない。
うたたねからナワルが目を覚ましたとき、そのバスは地獄と化しており、
そしてナワルは殺されかけた。

しかしジャンヌが乗るバスは冷房が効いて涼しそう。
窓ガラスも1枚も割れてない。
ジャンヌは音楽を聴きながら、きもちよく寝ているし、
目を覚ましても、窓越しに、
人体の一部が銃で吹っ飛ばされる瞬間を目撃したりはしない。
安全に、目的地に着くだけだ。







ナワルは異教徒系過激派に参加して鉄砲玉となり、監獄にまで入ったが
政治的にはっきりとした思想があって、
それにもとづいて行動してるようには、見えなかった。
彼女に政治的な意味での思想があったとしても、
それがどこでどういうふうに育ったか、
その動機づけの部分が映画にはでてこなかった。

だから、えっ、どうして急にそんな方向性に?とわたしは思った。

また、シモンに
「あの変わり者の母親にいつも手を焼いた。死んでくれてやっと解放された。」
とまで言われるほどのなにを、ナワルが子どもたちにしたのかも、
映画では語られてなかった。


そのへんの薄さみたいなものはあったような気もする、たしかに。


けど、ナワルという女性の歩んだ道の、壮絶さと
ナワルを演じた女優さんの、真に迫るあの演技にはやられた。



わたしは、
ナワルは活動家としてあのような結論をだしたのではないと感じた。
ただ女性としてひとりの母親として、
あのようにしなければ、だいじなものを守りきれなかったから、ああした。
ということじゃないかな。


そして自分の身におこったことどもに対して、結論をだしたところまでで、
もう彼女は疲れきって、精神の力が、まったくなくなってしまった。

だから彼女は死んでしまったのだ。

それまでだってもう、彼女の精神は焼き尽くされて黒こげで、
スミみたいになった状態でかろうじて生きていたのだろう。


そうか、だから「灼熱の魂」だったのか。
燃えろ闘魂!アツい青春!の意味の「灼熱」ではない。

まわりを焼き尽くしかねなかったほどの悲しみや怒り、憎しみをぜんぶ、
自分のなかに呑み込みつづけたから、
ナワルの心は、真っ黒焦げになってしまったのだろう。

呑み込むしかなかったのは理解できる。いちおう。
憎もうにも、憎みきれるものではなかったのだから、
彼女をめちゃくちゃにしたものは。


率直に言って、
ナワルは「死にたい」とか「死んだほうが楽だ」と思っても
おかしくないくらいの目にあわされてきたわけなのだが
でも 自殺はしなかった。死ななかった。
どうして死ななかったのか?
生き続けたのか?

たぶん、
彼女には 伝えなくてはいけないことがあったからだ。
伝えるべき相手がいたからだ。
伝えるべきときがくるのを、待っていたのだと思う。
もっと違う形を考えていたかもしれないのだが。
死にたかったかもしれないが、
そのたびに考え直させられるひっかかりが、
頭の中にあったのだろう。


でも かくもすさまじい離れ業を成し遂げるために
ナワルは、命をひきかえにしたのだ。

赦すということ。
憎しみ合うのをいまこの時点でやめるということ。
ひどい仕打ちをうけても、仕返しをしないということ。

それがどれほどむずかしいか、大きいことなのかを思って
重い気持ちになった。


彼女はただ、自分の手の届くところにあった、
自分だけのささやかな愛のために、
やりとげたのだろうけれど。



あーあ。なんてことだ。
まったくたまらない気持ちになった。



もし自分の家族や恋人などを想うように、
知らない人や嫌いな人をも、想うことができれば。


たがいの名前も知らないような、
「宗教」とか「民族」とか言ってみればただの記号、
ただの属性だけでザツに分けられた
区分けどうしで嫌いとかむかつくとか
そんなのをやめることができれば。



イライラするような、居たたまれない気持ちだ。


感動などという、さわやかなものではなく、
肉体的な痛みに近いような衝撃を受けた。


ナワルの魂が生涯、救われなかったかもしれないことがすごく悲しい。
宗教的に救われたかとか正しい行いをしたかどうかではなく、
ナワル自身が救われたと真実思えたとは、わたしには思えないから、悲しい。
彼女は人身御供でも聖人でもなく、ただの女性だった。
助けてほしかったにちがいない。





どえらい映画を観てしまったな。


でも
こういう思いを味わうことは人間ひつようだ。
映画によるバーチャル体験であっても。