BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「灼熱の魂 Incendies(2010)」-120707。

「灼熱の魂」
原題:Incendies 
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
2010年、仏・カナダ

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強力。
去年、電車で40分のところにある
ミニシアターで、
上映されていたのを知っていたけど、
そのときは観なかった。
でもある意味では、
それでよかったかなあとおもう。
容赦のない描写がたくさんある内容だった。
映画館の音響と大画面では、つらくなって、
まず最後まで観られなかったにちがいない。
テレビの画面で観ていても、
何回か、ヘッドホンをはずした。
観るのをやめようと何度も思った。
だけど、最後まで観てよかった。
映画館で観て、ギブアップしてたら、
最後まで観る価値のある映画だということに、
気づけないままだったろう。
休み休みでも、最後まで観てよかった。

中東系カナダ人の女性ナワルが、
娘のジャンヌと訪れていたプールサイドで、
突然 謎の「放心状態」におちいる。
病気でもないのに、
なぜこんなふうになったか
誰にもわからないが、
話しかけても、なにも反応せず、
肉体的にもただただ弱っていく。
彼女はその後すぐ、
病院で息をひきとってしまう。
だが、生前、秘書として働いていたナワルは、
長年の上司だった公証人に
ひそかに、遺言を託していた。
彼女が最後の力でつむいだ言葉を
公証人が文書化するという形で。

ナワルの死後t、
彼女の子ジャンヌとシモン(双子)は
母の遺言の内容を知る。
それは非常に奇異なものだった。

いわく
・あなたたちには父と、兄がいる。
(ジャンヌとシモンは会ったことがない。
むしろ死んだと聞かされていた)
 探し出して、手紙を渡してほしい。

・(父と兄を探し出せないなら)
わたしの墓に墓石を置かないで。
名前も刻まないで。
世の中に背を向ける姿勢にして、
裸で土中に埋めて。
・・・・・。

母に愛された記憶がないシモンは
このおかしな遺言に反発。
葬式くらい人並みにふつうに、
さっさとすませる!などといって
取り合わない。
対して、弟よりは母と近しかった
ジャンヌは、父と兄の手がかりをもとめ、
はじめて、母の故郷・中東に旅立つ。

ジャンヌは母の人生を知る。
母が中東の小さな村で育ったこと。
宗教・民族間内戦が激化していた時期に、
異教徒の難民の青年とかけおちを試みて、
失敗したこと。
因習にとらわれた村においては、
リンチにもされかねない醜聞だったため、
夜の闇にまぎれて村を出たこと。
親戚のもとに身を寄せ 大学に通い、
学問とフランス語を身につけたこと。
内戦のあおりをくらった、大学の閉鎖。
異教徒系の過激派にくわわり、
いわゆる鉄砲玉になったこと。
そして15年間にわたった監獄生活。
・・・
ジャンヌは母の身におこった
できごとの数々を知り、
やがて父・兄、自分たち姉弟をめぐる、
ある大きな秘密に、
たどりつく。

その秘密がなんなのか、
終盤にならないと
わからないようになっている。
知れば知ったであまりにも、
重く、痛かった。

わかっておかなくては
いけなかったのは、
まず、この物語の時制が、
現代に置かれていたということ。
うんと昔の事件を描いたものではなく、
あくまでの現代の物語なのだ。
息をひきとったとき、
ナワルは、わたしの母と同年齢くらい。
ジャンヌとシモンは携帯電話で、
海をへだてて連絡をとりあっていたし、
服装もいまのものだった。
現代でも、
ナワルのような
あまりにもつらい過去をかかえて
生きている人たちが、
いるってことだ。

母の形見のネックレスをつけ、
母ゆずりの黒髪をまとめて、
紺色のシャツで旅をするジャンヌは、
女優さんどうしが親子という
わけでもないのに、
すごくナワルに似て見えた。

だが、ふたりをとりまく環境は
まったくちがった。
かつてナワルがバスで通った道を、
ジャンヌもバスで通る、
というシーンがあった。
ナワルが乗ったバスには
冷房などなかったし、
定員をはるかにこえる
人数がすしづめに乗り込んでいた。
内戦中であり、
自分が「異教徒」であることがばれれば、
この地域ではただではすまない。
うたたねからナワルが目を覚ましたとき、
そのバスは地獄と化しており、
そして、ナワルは殺されかけた。
しかしジャンヌが乗るバスは
冷房が効いて涼しそう。
窓ガラスも1枚も割れてない。
ジャンヌは音楽を聴きながら、
きもちよく寝ているし、
目を覚ましても、窓越しに、
人体の一部が銃で吹っ飛ばされる瞬間を
目撃したりもしない。
ただ安全に、目的地に着くだけだ。

ナワルは異教徒系過激派に参加して
鉄砲玉となり、監獄にまで入ったが
政治的にはっきりとした思想があって、
行動してるようには、見えなかった。
特定の政治思想があったとしても、
それをどこで身につけたのか
動機づけの部分が作中には描かれない。
だから、えっ、どうして急に
そんな方向性に?と思いはした。

また、シモンに
「あの変わり者の母親に
いつも手を焼かされていた。
死んでくれてせいせいした」
とまで言われるほどのなにを、
ナワルが子どもたちにしたのかも、
映画では語られていなかった。

そのへんの薄さみたいなものは
あった、たしかに。

しかし、ナワルという女性の
歩んだ道の、壮絶さと
ナワルを演じた女優さんの、
真に迫るあの演技にはやられた。

ナワルが
あのような結論をだしたのは
活動家として、ではない。
ただ女性としてひとりの母親として、
あのようにしなければ、
だいじなものを守りきれなかったから、
ああしたのだとおもう。

そして自分の身におこったことどもに、
結論をだしたところまでで、
もう彼女は疲れきって、
精神の力が、尽きたのだ。
だから彼女は死んでしまった。
ただでさえ
彼女の精神はすでに
焼き尽くされて黒こげだった。
その状態で かろうじて
生きていたのだろう。

そうか、だから
「灼熱の魂」だったのか。
燃えろ闘魂!アツい青春!の
「灼熱」ではない。
まわりを焼き尽くしかねないほどの
悲しみや怒り、憎しみをぜんぶ、
自分のなかに呑み込みつづけたから、
ナワルの心は、真っ黒焦げに
なってしまったのだろう。
呑み込むしかなかったのは
理解できる。いちおう。
憎もうにも、
憎みきれるものではなかったのだから、
彼女をめちゃくちゃにしたものは。

ナワルは
早々に自死を選択しても
おかしくないくらいの目に
あわされてきた女性だった。
あのような残酷の運命のもとに
いたら 心が壊れてしまう。
でも 彼女は自殺をしなかった。
なぜなのか。なぜ生き続けたのか?

たぶん、
伝えなくてはいけないことが
あったからだ。
伝えるべき相手がいたからだ。
伝えるべきときがくるのを、
待っていたのだと思う。
もっと違う形を
考えていたかもしれないのだが。
どんなにつらくても死にたくても
そのたびに思いとどまらされる
心のひっかかりが、あったのだろう。

かくもすさまじい離れ業を
成し遂げるために
ナワルは、自分の命をひきかえにした。
赦すということ。
憎しみ合うのをいまこの時点で
やめるということ。
仕返しをしないということ。
それがどれほどむずかしいか、
大きいことなのかを思う。
ナワルはただ、
その手の手の届くところにあった、
ささやかな彼女の愛のために、
それをやりとげたのだろうけれど。

なんてことだ。
まったくたまらない気持ちになった。

もし自分の家族や恋人を想うように、
知らない人や嫌いな人をも、
想うことができれば。

たがいの名前も知らないような、
「宗教」とか「民族」とか
言ってみればただの記号、
ただの属性だけでザツに分けられた
区分けどうしで
嫌いとかむかつくとか
そんなのをやめることができれば。

イライラするような、
居たたまれない気持ちだ。
感動などという、
さわやかなものではなく、
肉体的な痛みに近い衝撃を受けた。

ナワルの魂が生涯、
救われなかったかも
しれないことが悲しい。
宗教的に救われたかとか
正しい行いをしたかではなく、
ナワル本人が「救われた」と感じた
ときがあったとは思えないから、
それが悲しい。
彼女は人身御供でも聖人でもなく、
ただの女性だった。
助けてほしかったにちがいない。