BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『あゝ結婚』-120617。

外出先で、入り口のかさ立てにかさをいれておいた。
帰る頃にはなくなっていた。ちょっと悲しくなった。
たまたま雨が弱まっていたので、かさがなくても
結果としては困らなかったが、もし雨が強く降っていたら
きっとすごくまいっただろう。

・・・

あゝ結婚
原題:Matrimonio all'italiana 
ヴィットリオ・デ・シーカ監督
1964年 カラー
伊・仏

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テープがもう古くて古くて。
映像がときどき飛んで、重ね録りした下の映画が
見えたくらいだった。

ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』の4年後かー
たった4年でも だいぶ感覚がこう・・新しいというか
理解できるというか。
女性のファッションや、美しさの種類的にも、
今とけっこう近いかんじだ。

いま、日本で公開中の映画や、話題の映画のなかに、
イタリア製のものがあるとして、
そのタイトルを挙げてみたくても正直わたしは思いつかない。
でも、かつてイタリア映画が世界的に人気を博した時期があった。
ハリウッドものと並んでイタリア映画がさかんに観られていた。
そのことはわたしも一応知ってる。
どうしていまは、イタリア映画が観られてないのか。
事情はよくしらない。お金の問題かもしれない。

あゝ結婚』は、その、イタリア映画が隆盛を極めていた
時代の作品だ。


あゝ結婚』。
映画雑誌なんかで、もし紹介されたとしたら
巨匠デ・シーカが手がける腐れ縁の男女の結婚騒動、
心温まる人情喜劇。マストロヤンニ&ローレンの
黄金コンビが安定感を見せつける。
・・・
とかいうかんじかもしれないが
観た感想としては、もっと複雑なものがあった。

第二次世界大戦後、お菓子とパンの闇商売で成功した
ドメニコ(マストロヤンニ)は、
お店の若い売り子との結婚を控えてウっキウキ。
そこへ、長年内縁関係にあるフィルメーナ(ローレン)が、
病に倒れたという連絡が入る。
こんな時に・・・、と思いつつ一応訪ねてみると、
彼女はすでに危篤だった。
神父さんによれば、彼女は最期にドメニコと結婚したいと
言っているという。
どうせもう長くないのだから、
気休めに「結婚する」と言ってやっても、別にいっか! と、
ドメニコは神父さんの立ち会いのもと、彼女との結婚を承諾。
枕もとにつきそいながらフィルメーナとの20年を回想する。

・・・

このまえ観た『若者のすべて』では、
人間の描かれかたが怖いくらい等身大で、
誇張というものがまったく感じられなかった。
キャラクター造形の点でもリアルをつきつめていたがゆえに、
彼らのすることにすごく残酷かつ容赦ないかんじがあった。

たとえばシモーネの、おぞけが立つようなダメ人間っぷり
彼がなぜああなったのか、理由の多くが彼自身の中にあるから、
他人のわたしにはわからない。と思った。
まるで本当にいる人かのように
「あの人がダメなのは、あの人自身のせいだ。
 わたしが考えることじゃない」
そう思った。
彼のことを考えたくない、切り捨てたい、と思うくらい、
リアルにイヤだったのだ。シモーネという男が。
これに対し、ロッコは良い男だし、良いやつだったが、
悪気のない無神経さと、無自覚なしたたかさがあった。
彼のそういうところが、詰めが甘く一貫性に欠ける、
中途半端な行動となっていて、でもその一貫性のなさが、
悲しいほど人間的だった。
若者のすべて』に出てくる人びとはみんな、
現実にいそうな人間なのに、その行動は映画的だった。

その『若者のすべて』とくらべてみると
ああ結婚』では人物が、デフォルメ・・いや・・
それだけでなく、・・類型化されていた。
「男ってこんなかんじ、女ってこんなもん」。
だから彼らと彼らのすることはどこか、
マンガっぽく思えたりもした。
そしてそこからふわっとにじみでる、
妙な現実感、切なさや苦さ。

ドメニコの軽薄な伊達男っぷり。あれはヒドイ。
イタリア男を絵に描いたような。
潔いと言って良いほど人の気持ちに鈍感で、
せっかくこんなにも自分を愛してくれている女性を、
炊事係兼介護人兼夜のお供としてしか見てない男が
ほんとにいるなんて、信じたくないんだけど、
しかしドメニコを見ていると、ここまでじゃないにせよ
「ドメニコ的な」ものの考え方が、現実にあり、
それが誰かの心を確かに傷つけてるということが、伝わった。

ドメニコにはお金と地位がある。
でも せっかく戦争時代を乗り越えて生きてきたのに、
それにしては心が成熟していなかった。悪人とまでは言わないが。
戦争があまりにつらかったから、反動でああなったのか。

フィルメーナを演じているのはソフィア・ローレンだ。
見た目からしてすでに過剰。過剰なんだよ美貌が!
ここまでくるともう一周まわって不細工だよ!
こんな人ほんとにいるのか・・
お化粧バッチリの若かりしころのフィルメーナよりも
30代、40代の彼女の方が個人的にはきれいだとおもった。

フィルメーナはいわゆる「だめんずウォーカー」だが、
ドメニコに惚れたのは恐らく初めての人が彼だったからだし、
以降ずっとドメニコに囲われていたのだから、彼だけなのだ。
「ダメ男にほれる悪癖」が彼女にあるかどうかはわからない。
ドメニコしか知らないんだから。フィルメーナの恋人は、
生涯、ドメニコただひとりなのだ。
フィルメーナは、
「戦中戦後にはどこの国の人にも、
こういう不幸なことがあったんだろう」
そう思わされるような、あの時代におこりえそうな
ありとあらゆる不幸の類型を一身にせおったような女性だった。
ドメニコなんかに惚れたばかりに、生涯泣かされどおしだったが
その心の強さと根性に驚嘆。護るべきものをもった女性は強い。

貧しい育ちで教育がなく文盲、自分の名前を書くのにも一苦労。
お金も地位もない。でもフィルメーナは断じてバカではなかった。
なりふりかまわぬ彼女の強さが、気高かった。

心の強さや本当の美は、お金で手に入るもんじゃない。
社会の底辺に生まれ半径100メートル圏内の人くらいにしか、
自分の存在を知ってもらえぬまま一生を終えるとしても、
動物的にものごとの真理をつかみとり、力強く生きる人もいる。

ラストシーンが秀逸。まっすぐこっちを向き、
生まれてはじめての幸福の涙を流すフィルメーナと
その背中越しに なにがうしろめたいのか、
ちっちゃくなってるドメニコ。

なにやらグサリと心につきささったが、
幸せな気持ちになれる映画だった。