BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「ああ結婚 Matrimonio all'italiana(1964)」。

外出先で、入り口のかさ立てにかさをいれといた。
帰る頃にはなくなってて、ちょっと悲しくなった(/_;)
たまたま雨が弱まっていたので、かさがなくても結果としては困らなかったが、
もし雨が強く降っていたらきっとすごくまいったとおもう・・






「ああ結婚」
(原題:Matrimonio all'italiana ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1964年、カラー、伊・仏)
という映画を観た。

movie.walkerplus.com




なぜか家に録画ビデオテープがあった。
テープがもう古くて古くて。
映像がときどき飛んで、重ね録りした下の映画が見えたくらいだった。
いやホントに。


若者のすべて」の4年後かー
たった4年でもだいぶ感覚がこう・・
あたらしいというか理解できるというか
女性のファッションやら美しさの種類的にも、今とけっこう近いかんじだったし。


いま、日本で公開されてる映画や、話題の映画のなかに、
イタリア製のものがあるとして
そのタイトルを挙げてみたくても
いっこも思いつかない。

でもかつて、イタリア映画が世界的に人気を博した時期があった。、
ハリウッドものとならんで、イタリア映画がさかんに観られていた。
そのことはわたしも一応知ってる。

どうしていまは、あんまりイタリア映画が観られてないのか、
事情はよくしらない。

お金の問題かもわからん。
内容がまずいからじゃないとおもう。





「ああ結婚」
映画雑誌なんかで、もし紹介されたとしたら

巨匠デ・シーカ監督が手がける
ある腐れ縁の男女の結婚をめぐる騒動、心温まる人情喜劇。
マストロヤンニ&ローレンの黄金コンビが抜群の安定感を見せつける。

とかいうかんじかもしれないが
観たかんじとしてはもっと複雑なものがあった。


第二次大戦後、お菓子とパンの闇商売で成功した
ドメニコ(マルチェロ・マストロヤンニ)は
10も年下の、お店の女の子に手を出し、結婚を間近にひかえてウっキウキ。

そこへ、20年以上も内縁関係にある
元娼婦フィルメーナ(ソフィア・ローレン)が、
突然倒れたという連絡がはいる。

めんどくさいなーとおもいつつ訪ねてみると、彼女はもはや危篤。
神父さんによれば、彼女は最期にドメニコとの結婚をのぞんでいるという。

もう長くないのだから気休めに結婚してやっても構わないだろうと、
ドメニコは神父さんの立ち会いのもと、彼女と夫婦になることを承諾。

枕もとにつきそいながら フィルメーナとの20年を回想したりするが・・




このまえ観た「若者のすべて」では、人間が怖いくらい等身大で、
誇張がかんじられなかった。
キャラクター造形の点でもリアルをつきつめていたがゆえに、
彼らのすることにすごく残酷かつ容赦ないかんじがあった。

たとえばシモーネの、みてて寒気をおぼえるようなダメ人間っぷりだが
彼がなんでああなっちゃったのか、理由のほとんどが彼自身の中にあるから、
他人のわたしにはわからない。とおもった。
まるでほんとうにいる人かのように
「あの人がダメなのはあの人自身のせいだ。わたしが考えることじゃない」
とおもった。
そういうふうに考えて彼のことを切り捨てたくなるくらい、
リアルにイヤだったのだ。シモーネが。
そしてロッコはいい男だし、いいやつだったけれど、
悪気のない無神経さと無自覚なしたたかさがあり、
彼のそういうところが、詰めの甘い、一貫性を欠く行動となって出てきていて、
「一貫性のなさ」が、悲しいほど人間的だった。
彼らはほんとうに現実にいそうな人間なのに、その行動でもって映画的だった。

それとくらべてみると
「ああ結婚」では人物がデフォルメ・・いや・・それだけでなく、・・
うん、類型化されていた。
「男ってこんなかんじ、女ってこんなもん」
っていうふうに。
だから彼らと彼らのすることはどこか、マンガっぽく思えたりもした。
そしてそこからふわっとにじみでる、妙な現実感、切なさや苦さがあった。

ドメニコの軽薄な伊達男っぷりはひどかった。
世に言う「イタリア男」を、絵に描いたような。
こんな、人のきもちを考えない、
自分を愛してくれる女性を炊事係兼介護人兼夜のお供としてしか見てない男が
ほんとにいるなんて、
ちょっとわたしにはおもえないんだが。
しかしながらドメニコを見ていると
ここまでじゃないにせよドメニコのようなものの考え方が、現実にあり、
それがだれかの心を、まちがいなく傷つけてるということが、伝わってきた。

ドメニコにはお金と地位があった。
でもせっかくつらかった時代を乗り越え生きてきたのに、
それに見合う心が育っていなかった。
悪人とはいわないが、
うーんそうだなあ
まあ、わたし、嫌いだねあいつ。
彼に惚れてるフィルメーナにはわるいけど。


フィルメーナはソフィア・ローレンだから、見た目からしてすでに過剰。
過剰なんだよ美貌が(@_@)
ここまでくるとむしろ不美人だよ。
こんな人ほんとにいるのか・・
わたしはお化粧バッチリの若い時代のフィルメーナよりも
30代、40代のほうがきれいだとおもった。

フィルメーナはいわゆる「だめんずウォーカー」っぽいが、

彼女がドメニコに惚れたのは初めての人が彼だったからだとおもうし、
以降ずっとドメニコに囲われていたのだから、彼しかいなかったのだ。
「ダメ男にほれるいかんともしがたい悪癖」みたいなものが
彼女にあるかどうかはわからない。
フィルメーナの恋人は生涯をとおして、ドメニコだけ。

「戦中戦後にはどこの国の人にも、こういう不幸なことがたくさんあったんだろう」
とおもうようなものを、すべて一身にせおっているような女性だった。
ドメニコなんかに惚れたばかりに、生涯傷つき泣かされどおしだったが
その心の強さと根性に驚嘆した。
護るべきものをもった女性はなんせ強い。

「サッド・ヴァケイション」を思い出した。

フィルメーナはスラム街育ちで教育がなく文盲、自分の名前を書くのもひと苦労。
お金も地位もない。
でも断じて、ばかではなかった。
なりふりかまわぬ強さが、気高かった。

ほんとの心の強さや美しさは、お金で手に入るもんじゃないというか。

社会の底辺に生まれ、半径100メートル圏内の人くらいにしか、
自分の存在を知ってもらえぬまま一生を終えるとしても、

動物的にものごとの真理をつかみとり、力強く生きることはできるんだとおもう。

ラストシーンが秀逸そのものだった。
まっすぐこっちを向き、生まれてはじめての幸福の涙を流すフィルメーナと
その背中越しに なにがうしろめたいのか、なんかちっちゃくなって屈んでるドメニコ。

 

なにやらグサリと心につきささったが、幸せな気持ちになれる映画だった。