BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「ヘルプ 心がつなぐストーリー The Help(2011)」-120416。

午後から友だちと
映画を観た。

「ヘルプ 心がつなぐストーリー」
原題:The Help 
テイト・テイラー監督
2011年、米

f:id:york8188:20190317143229j:plain

movie.walkerplus.com


とてもよかった。
胸を打たれて、
終盤ではじゃっかん泣いた。
いまわたしが本作を観たことは
わたしにとって大正解だった。
強力にはげまされた。

J・F・ケネディ政権時代、
アメリカ南部ミシシッピ州の街が舞台。
黒人差別主義との戦いをめぐる、
庶民の物語だ。
むちゃくちゃ雑な分け方をすれば、
世界地図でみたとき
アメリカ合衆国
「右下のほう」ってかんじだろうか、
ミュージカルの「ヘアスプレー」は
メリーランド州ボルチモアが舞台だった。
ドリームガールズ」は
ミシガン州デトロイトから物語がはじまる。
ミシシッピは南部、
メリーランドは東部、
ミシガンは北東部とあつかいは少し違うが
この3つの州は地図でみたかんじ、
そんなに離れてない。

この3作品は
登場する女性たちの
ファッションや髪型がよく似ていた。
いずれの作品も、劇中において
マーチン・ルーサー・キング牧師の名が
出てきた。
だいたい同じくらいの時代の
物語ということだろう。
この時代、この地域では
黒人差別主義の風潮が
たいへん強かったみたいだ。

本作「ヘルプ 心がつなぐストーリー」は
ジャーナリスト志望の白人女性が、
白人家庭でメイド(Help)をしている
黒人女性たちにインタビューをかさね、
差別の実態を告発する本を出すべく、
奮闘するという物語。

映画の描かれ方の特徴としては
ふたつのことをおもった。

まず男性の存在感が
これ以下はないというくらいに薄い。
みんな同じ顔にみえる。
この映画はまちがいなく、
女性たちの物語なのだ。

それから、
マジョリティとしての白人女性社会にも、
マイノリティがいた。
孤独なマイノリティの白人女性が、
孤独なマイノリティの黒人女性と
つながってゆき、
そのつながりが、
社会を動かしていく。

ジャーナリストの卵・スキーターこそ、
白人女性社会のマイノリティ。
観たかんじ、この時代においては、
女の子ははやくいい人と結婚して
赤ちゃんを産み、そだてるのがいちばん
という考え方が、多数派。
娘の恋路に母親がのりだし、
娘のドレス選びにキャーキャー言い、
娘とその彼氏候補を、
家の庭先でデートさせるしまつだ。
そこへきてスキーターは、
24歳にして男性とつきあったことすらない。
使命感、向上心につきうごかされ、
キャリアウーマンとして
身を立てようとしている。
女友だちどうしのあつまりや
ホームパーティーでも
彼女はあらゆる意味で 浮いている。
みんな花柄のふわっとした
かわいいドレスなのに対し
彼女だけは体にぴったりした
無地のスーツなどを着ているから、
地味にかんじるし、目立つのだ。
きれいな人だ。
意志的で強い視線をもっている。
それはほかの女性たちにはない。
彼女だけがどことなく
洗いざらしで、野性的に見える。

スキーターの家にも、
黒人のメイドがいた。
彼女 コンスタンティン
20年以上も働いていた人だったが、
スキーターが大学の試験で
家にいなかったあいだに
突然仕事をやめて、
いなくなってしまった。
なぜ彼女が急にいなくなったのか
家族に聞いても教えてもらえず、
スキーターは困惑している。
これが物語の伏線の
ひとつになっていた。

それからもうひとり、
シーリアという白人女性。
彼女は美しいし男性にもてるが
なにやらいつもへらへらしていて
ちょっと頭がよわい人にみえる。
クスリでもやってるのか?
というかんじの軽い躁状態にあり、
たいていコーラとかを
歩きながらラッパ飲み。
学生時代はスキーターや
ほかの女友だちと
それなりに親しくしていたようなのだが、
ある事情から いまは、女友達の輪から、
つまはじきにされている。
街はずれの森の中にある
豪邸にくらし、夫婦の仲は円満だが
子どもがなかなかできないこと、
家事が苦手なこと、
女友だちからなぜ嫌われてしまったのか
わからないことなど、
実はいろいろ悩んでいて、
もろいところのある 優しい人だ。
シーリアは美しさ・富・愛情、と
人がうらやむなにもかもを得ているのに、
なにも持っていないようにみえる。
孤独だから、ほかのすべてを
持っていても、不幸せなのだ。

はじめシーリアを観ていたとき、
なんなんだこの人は。大丈夫か。
と わたしもおもった。
だが 最後には
この映画のキャラクターのなかで、
彼女のことがいちばんすきになっていた。
破滅的でアンバランスではあるが
少女のように純粋で、
心の優しいところが 
とてもすてきなのだ。

告発本の執筆にあたり
メイドとして働く黒人女性の
証言が多数必要となるが
仕事や命を失いかねないことや、
家族に危険が及ぶことを恐れ、
みんな始めは、
取材協力をためらう。
じっさい、当時は白人と黒人が
親しくしてはいけないという
法律があったのだが。
しかし、ひとりのメイドが、
証言をすると決意し、ついに立ち上がる。
彼女は、教会の聖書のお話に
勇気づけられるのだが、
この場面にはガツーンと
わたしもやられた。

わたし、以前ゴスペルをやってたが、
じっさいに礼拝でうたわれるところは
みたことがなかった。
ああいうふうに歌われていたのか・・
エモーショナルで最高だなー。

黒人差別主義のスタンスを
最後まで崩さなかった
何人かのキャラクターたちは、
「悪い」とか「間違ってる」とか
いうのではなく、
「おろか」「浅薄」
だったのだとおもう。
家の用事をしてくれて、
我が子のおむつを取り替えてくれる
メイドのことは差別するのに、
遠いアフリカの人たちのための
チャリティーオークションには
意欲的にとりくむ
その矛盾について、
考えようともしないところが、
おろかにおもえた。

自分がどうして泣いているのか、
泣いている間に何ができたのか、
たぶんすこしは頭をよぎっても、
すぐ忘れてしまうのであろうところが、
浅薄だった。

「悪い」といいたいんじゃない。
まわりがみんなやってるから
正しいんだと思ってしまう
そんなことは誰にでもある。
でも自力で、考えることも
できるはずなのに、そうしない、
思考にふたをしてしまう、
それはおろかなのだ。

・・・

世界を変えるような、
ばかでかい何かなど、
わたしにはできない。
でもわたしがわたし自身を
変えることはたぶんできる。
わたし自身をもっといいところ、
もっといい状態につれていける。
そして考えてみれば
それは決してちいさなことじゃない。
わたし自身が変わるのも
世界が変わるということなのかも。