読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「ヘルプ 心がつなぐストーリー The Help (2011)」。

午後から鴨居に行って友だちと映画を観た。

ヘルプ 心がつなぐストーリー」
(原題:The Help テイト・テイラー監督、2011年、米)


movie.walkerplus.com




まえになにかの映画の予告編で、これを知ったとき
「おもしろそうだなあ」と思った覚えがあるが、
そう思ったこと自体を忘れてた。

結論としてはとてもよかった。
ほんとうにいい映画だった。
胸を打たれて、終盤ではじゃっかん泣いた。
この映画をいまわたしが観たことはわたしにとって大正解だった。
強力にはげまされた。


J・F・ケネディ政権時代のアメリカ南部ミシシッピ州の街が舞台。
黒人差別主義との戦いをめぐる、庶民の物語だった。

むちゃくちゃ雑な分け方をすれば、
世界地図でみたときアメリカ合衆国の「右下のほう」ってかんじだろうか、
たとえばミュージカルの「ヘアスプレー」はメリーランド州ボルチモアというところが舞台だった。
それから「ドリームガールズ」はミシガン州デトロイトから物語がはじまる。

ミシシッピは南部、メリーランドは東部、ミシガンは北東部とあつかいはちがうようだが、
この3つの州は地図でみたかんじ、そんなに離れてないように見える。
(じっさいはたぶんめっちゃ離れてるだろうが。)

映画にでてくる女性たちのファッションや髪型が似ていたから、
この3つの映画はだいたい同じくらいの時代を描いてるんだろう。
どの映画も、劇中でマーティン・ルーサー・キング牧師のことがでてきたし。

この時代、この地域では、黒人差別主義の風潮がたいへん強かったみたいだ。


ジャーナリスト志望の若い白人女性が、
白人家庭でメイド(Help)をしている黒人女性たちにインタビューをかさね、
差別の実態を告発する本を出すべく、奮闘するというストーリーだった。


映画の描かれ方の特徴としてはふたつのことをおもった。

まず男性の存在感がこれ以下はないというくらいに薄い。
みんな同じ顔にみえる。
この映画はまちがいなく、女性たちの物語なのだ。

それから、
「マジョリティとしての白人女性」の社会にも、マイノリティがいた。
マイノリティとして、ある意味 孤独な白人女性たちが、
これもまたマイノリティとして、孤独な黒人女性たちとつながってゆき、
そのつながりが、社会を動かしていくという流れになっていた。

ジャーナリストの卵、スキーターこそ、白人女性のなかにおける孤独な存在だった。
彼女は彼女の社会においてマイノリティ的な立場にいた。

たぶんこの時代、
「女性ははやくいい人と結婚して、赤ちゃんを産み、そだてるのがいちばん」
という考え方が、多数派だったのだろう。
いまがどうかは知らないが、
映画のなかでは娘の恋路に母親がのりだし、娘のドレス選びにキャーキャー言い、
娘とその彼氏候補を、家の庭先でデートさせるしまつだ。

そこへきてスキーターは、24歳にして男性とつきあったことすらない
(興味がないわけじゃないが)。
使命感みたいな向上心みたいなものにつきうごかされて、
キャリアウーマンとして身を立てようとしている。

女友だちどうしのあつまりやホームパーティーでもスキーターは浮いている。
みんな花柄のふわっとしたかわいいドレスなのに対し
彼女だけは体にぴったりした無地のスーツとかを着ているから、
地味にかんじるし目立つ。

とてもきれいな人だ。意志的で強い視線をもっている。
それはほかの女性たちにはないもので、
彼女だけがどことなく荒っぽいというか野性的に見える。

スキーターの家にも、コンスタンティンという黒人のメイドがいた。
20年以上も働いていた人だったが、彼女はスキーターが大学の試験で家にいなかったあいだに
突然仕事をやめて、いなくなってしまった。
コンスタンティンを深く慕っていたスキーターだが、
なぜコンスタンティンが急にいなくなったか、家族に聞いても教えてもらえず、困惑している。
このことが物語の伏線のひとつになっていた。


それからもうひとり、シーリアという白人女性。
彼女はスタイル抜群のセクシー美人だが、
なにやらいつもへらへらしていてちょっと頭がよわい人にみえる。
クスリでもやってるのか?というかんじの軽い躁状態にあり、
たいていコーラとかを歩きながらラッパ飲み。

学生時代はスキーターやほかの女友だちとなかよくしていたようなのだが、
恋愛関係の(男をとったとらない的な)いざこざやウワサが原因で、
いまは、女友達の輪から、つまはじきにされている。

街はずれの森の中にある豪邸にくらし、夫とはラブラブだが、
赤ちゃんがなかなかできないこと、家事が苦手なこと、
女友だちからなぜ嫌われてしまったのかわからないことなど、
実はいろいろ悩んでいて、もろいところのある優しい人だ。

シーリアは美しさ・富・愛情、と人がうらやむなにもかもを得ているのに、
なにも持っていないようにみえる。孤独で、彼女なりに苦しんでいる。


シーリアと女友だちとのあいだにおこった、いざこざの真相や、
ほかの家を解雇されて困っているミニーというメイドを孤独なシーリアが雇うことも、
物語を深くおもしろくする大事な要素になっていた。

はじめシーリアを観ていたとき、なんなんだこの人は。大丈夫か。とおもったし、
あんまり自分がすきなかんじの人じゃないなあ・・ともおもったが、

最後にはこの映画のなかで、彼女のことがいちばんすきになっていた。
すこし破滅的というか、まわりがかなり用心して支えてあげるべき人だが、
少女のように純粋で、心の優しいところがすてきな人だった。


スキーターが告発本を書くにあたり、
メイドとして働く黒人女性から、証言をたくさんとらなくちゃいけないが、
仕事や命を失いかねないことや、家族に危険が及ぶことを恐れて、
スキーターに協力するのを、みんな始めはためらう。
(じっさい当時は白人と黒人が親しくしてはいけないという法律があった。)
そのなかでひとりのメイドが、スキーターに証言すべく立ち上がる。
彼女は、教会の聖書のお話に勇気づけられるのだが、

この場面にはガツーンとわたしもやられた。

わたし、以前ゴスペルをやってたが、
じっさいに礼拝でうたわれるところはみたことがなかった。
ああいうふうに歌われていたのか・・
最高だなー。
エモーショナルなとこは、ほんとに、いかにもってかんじだ。


世界を変えるような、ばかでかい何かなど、わたしにはできないが、
わたしがわたし自身を変えることはたぶんできるし、
わたし自身をもっといいところ、もっといい状態につれていくのは可能。
それは決してちいさなことじゃない。
わたし自身が変わるのも世界が変わるということなのかもしれない。



黒人の地位について否定的、差別的な態度をくずさなかった、
何人かのキャラクターたちは、
「悪い」とか「間違ってる」とかいうのではなく、
たぶん「おろか」「浅薄」だったのだとおもう。

自分の家の用事をしてくれて、
我が子のおむつを取り替えてくれるメイドのことは差別するのに、
遠いアフリカの人たちのためのチャリティーオークションには
意欲的にとりくんでいる、
自分自身の、その矛盾について、考えようともしないところが、
おろかにおもえた。

自分がどうして泣いているのか、泣いている間に何ができたのか、
たぶんすこしは頭をよぎっても、すぐ忘れてしまうのであろうところが、
浅薄だった。

「悪い」といいたいんじゃない。
まわりがみんな黒人を蔑視してるから
黒人は蔑視されてしかるべき存在なんだと思ってしまった、
としたら、それじたいはしょうがない。
でも自力で、それについて考えることもできたはずなのに、
そうしなかった、
思考にふたをしてしまったところが、おろかにおもえた。




考えさせられたが、感動的だし、かわいい映画だったとおもう。

ひじょうにおすすめ。