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BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「ドラゴンタトゥーの女 The Girl with the Dragon Tattoo(2011)」。「海洋天堂(2010)」。

映画館で映画を観るのが好き。
映画が好きだし映画館も好き。
かなりしょっちゅう映画館で映画を観ている。
映画館でなくても ひまさえあればたいがい映画を観ている。

もうデートプランのひとつとかイベントのひとつといった、
特別っぽいかんじではない、
生活の一部だ。

いちいち誰かをさそって観に行ったりはまずしない。
そんなにたくさんの友だちなんていない。
もし自分の「映画館で映画を観る」行為すべてに、友だちをつきあわせていたら、
すぐみんなから「えー!またー?!」といわれるようになってしまうだろう。

この週末も映画館で映画を観た。

土曜日は
ドラゴンタトゥーの女」。
(原題:The Girl with the Dragon Tattoo 
デヴィッド・フィンチャー監督、2011年、米・スウェーデン・英・独)

movie.walkerplus.com



日曜日は
海洋天堂」。
(原題:海洋天堂 英題:Ocean Heaven シュエ・シャオルー監督、2010年、中国・香港)

movie.walkerplus.com





ドラゴンタトゥーすごくおもしろかった・・
楽しみにしてきたかいがあった。

かなり衝撃的だ。むごい場面が多い映画が苦手な方は、
やめといたほうがいいんだろうとおもう。
わたしも、ところどころしんどくなって目をつぶった。

ただし、気持ち悪いだけ、怖いだけの映画ではなかった。
「観てよかったな」という思いの方が、強く残った。


リスベットのことがいとおしくてたまらなくなった。
リスベットは、年齢は大人だけど、中身がちいさな女の子のままだった。


デヴィッド・フィンチャー監督の映画をみてると、
監督が、性愛をあんまり良きものとしてとらえてないのかな?
という感じをうける。

彼の映画の性行為シーンを、
観て喜ぶ人がいるようには、あまり思えない。
すくなくともわたしは、どちらかというと妙に不潔?というか、
なにかこう 場違いで暴力的だなという気持ちになったり、
うしろぐらいことをしてるように見えたり、寒々しい気持ちになったり、
痛そうだな!!と思ったりする。
しかも妙に何度も、執拗に、そういうシーンが出てくる。
これはなにか監督に、おもうところがあるんだな、と思わずにはいられない。

あと、彼の映画のなかでは、男性がかっこよく描かれることがすくない。
どちらかというと女性(さらにいうなら赤ちゃんを産む存在としての女性。)の強さや偉大さありきの男性、
という描き方をしている場合が多い。
本作ではダニエル・クレイグ
「セブン」ではブラッド・ピットと、
男前の俳優さんをわざわざ出しておいて、
物語中で彼らに、とりかえしのつかない失敗をさせたりする。
身も世もないほど泣きわめかせたり、女性を傷つける役回りをあたえたりする。
出てくる男たちが 早い話が情けないのだ。

男性をおとすことで女性を上げたいのか、女性にたいする畏怖なのか。

いや、まてよ。ちがうかなあ。
妊娠している女性を映画の中で苦しめたり、
少女を傷つけることもよくあるからなあ。

恋愛や結婚が機能不全におちいったところから始まるストーリーも多い。



人間というものの存在をあまり肯定していない・・か、
人間のばからしさ愚かさをいやというほど見つめ、悲しんでいる、
みたいな姿勢をかんじる。
ばかで愚かだ、でも見限ってしまうこともできない、というか。



デヴィッド・フィンチャー監督の映画をぜんぶ観てるわけじゃないけども
ファイトクラブパニック・ルーム、セブン、ソーシャルネットワークドラゴンタトゥーの女・・
あたりを観たかんじでは、そういう感想をもつ。

もっともデヴィッド・フィンチャー監督がストーリーづくりに一から噛んだわけじゃない映画もあるはずで、
ドラゴンタトゥーの女なんかは、れっきとした原作があるのだから、
デヴィッド・フィンチャー監督が「そういう映画を作りたがってる」というよりは
「そういう要素を持ったストーリーやプロットに惹かれやすい監督だ」
ということなのかもしれない。
または
「そういう映画をつくらせるとすごくうまい監督だ。」かもしれない。

それから、
かなり強い、宗教のにおい。
それも、どちらかというとアンチ的なにおいかなあ・・



わたしはそんなデヴィッド・フィンチャーがつくる映画がなんだか好きだ。
彼の映画だと知らずに観ても、良かったなと思ってあとで調べたら
「これデヴィッド・フィンチャーだったのか」となることが続いたので、
いまや彼が監督の映画は、出ればかならず観るようにしている。

暗くてハードな物語が多く、観るとたいてい、「トホホ(T_T)」となって
1週間くらいメンタルの低迷に悩まされるが、
それでもなにか、観たくなるし、すきだなあ。と感じる。


クリント・イーストウッド
ラース・フォン・トリアー
デヴィッド・フィンチャー
マーティン・スコセッシ
クリストファー・ノーラン
是枝裕和
堤幸彦
黒澤明
河瀬直美
といった映画監督さんの映画については、
「この人が監督だから観たい」
という考え方を、する。

ラース・フォン・トリアーに関しては厳戒態勢をしいていて、
観るか観ないかさらなる吟味と、
いずれにせよ決断には、一種の覚悟が必要だ。


でもどうして「この人が監督だから」とかおもうんだろう。
映画監督がなにをする仕事なのかよく知りもしないのに。
もしかしたらその映画がおもしろいのは監督うんぬんではなく、
映像や脚本や、俳優さんの演技のためなのかもしれないのに。

ただ、スコセッシや河瀬直美フィンチャー監督の映画は、いつも、おもしろい。

なんなんだろう。
なにがちがうとおもっているのか自分でよくわからない。

それがわかったら映画を観るのがもっとたのしくなりそうだし、
おもしろい映画に出会える確率が上がりそうだなあ。

考え方がかたよってつまんなくなってしまうかなあ?








日曜日に観た「海洋天堂」は、もう去年の夏からいまにいたるまで、
ゆうに10回以上は観てきたかとおもう。
都内と神奈川県内、電車で行けるところならすべての上映館をおいかけた。


わたしはこの映画を深く愛している。
一昨年の秋くらいからずっとずっとこの映画のことを考えてきた。
2011年7月9日の公開初日をそれこそ指折り数えて待ち望んできた。
いまでもかわらずこの映画の存在を励みにして、毎日がんばっている。

こんなにも長くわたしを支えてくれて、偉大な映画だとおもっている。

わたしは「海洋天堂」について思い入れや主観ぬきの、
冷静な感想を書くことが、とてもできない。
おどろくべきロングランだが、さすがにもうさよならの時期がちかづいてきている。
いまさら人に「映画館で観てください」と言うのも、
あんまり現実的じゃない。

春に、DVDが発売されることになっているから、
お店で見かけたら手にとって、カバーだけでもながめてみてほしいとおもう。











海洋天堂」がおわってしまったら、ほんとにさびしい。

つぎは10月の「エクスペンダブルズ」を待たなくてはいけないのか・・

ニュー・ドラゴン・ゲート・インと白蛇伝説はいつ日本で公開されるのかな(T_T)