BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

マンガ『チェーザレ』-120128。

f:id:york8188:20200429112542j:plain

チェーザレ」は3巻くらいから
すこしずつ、物語が動き出す。
とくにアンジェロがあきらかに饒舌になる。
アンジェロってこんなにいろいろなことが
できる人だったのかあ。とおもう。
2巻までの彼はもっと感覚的で子どもっぽい。

3巻で、
ミゲルがアンジェロに、
「おまえがチェーザレをどう思おうが勝手だが
 あんまり信用しすぎるな。
 あいつに傾倒すればするほど、
 いずれあいつに失望することになる」
というような警告をする。

なんとなくわかる。

チェーザレは魅力的な人物だから、
みんな彼にひかれる。
でもチェーザレは誰も考えていない
もっと別の、もっと先の、
もっと全体的なことを考えている。
自分の身の周りのすべてのもの、すべての人間は
そのなにかを成し遂げるための布石、道具だと
思えるか思えないか、
そこがたぶん、改革者たる人かたりえない人かの
ちがいなのだろうが、
チェーザレは「思える」人物だ。
そこがもう他の誰ともちがうのだ。

こっちの価値観でチェーザレと関わって、
チェーザレに何かを期待すると、
痛い目を見ることになる。
チェーザレを好くのは、こっちの自由なのだが、
チェーザレははじめから、まったく別の目的のために 
すべてのことをやっているのだ。
みんなに気前よく振舞って良い印象を与えることも、
人との間に「友情」を育てることも、
チェーザレにとっては、
彼だけができる大きなことのための
過程にすぎないかもしれないのだ。

それに
チェーザレのように力を持って生まれた人間は、
やがてほかの者とはちがう世界へと旅立っていくし、
ほかの者とはちがう死に方をするものだ。

ミゲルがアンジェロに警告したのは、だからだと思う。

クリストーバルがピサに来たら、
また僕もいっしょに会いに行っていいですか、と
アンジェロがミゲルに聞いたとき、
ミゲルが「ああまた行こう」と笑う場面が、
3巻までのなかでわたしが一番スキな場面だ。

クリストーバルは、ミゲルがユダヤ人であるために
何かと生きにくい様子なのを心配していて、
「おれといっしょに新大陸にいこう」と
何度となく航海に誘っているらしい。
ちなみにアンジェロは、ミゲルがユダヤ人かどうかなんて
まっったく、これっぽっちも気にしてない。
アンジェロは、ミゲルがクリストーバルに誘われても
航海に出ることに興味を示さないのを不思議がるが、
チェーザレの自由な精神こそが、
 ミゲルの自由な精神のための新天地」
なのだ、
だからミゲルはチェーザレに自分を捧げるのだ、と
いともかんたんに真理にたどりついている。

クリストーバルもアンジェロも、
チェーザレとはまた全然考え方がちがうし、
べつの人間だけど、
でもミゲルという人間そのものに、
こだわりのない好意でかかわってくれている。

ミゲルにとってクリストーバルやアンジェロは
自分がそもそも何者であるのかということ
つまり「チェーザレの腹心」でも「ユダヤ人」でもなく
ただミゲルという人間なのだということを、
おもいださせてくれるというか、
彼の心の熱くやわらかい部分に
ふれてくる人たちなんだとおもう。
もっとも、ミゲルは今の所、
自分がチェーザレの腹心であることや
ユダヤ人であることを
イヤだと思っているわけではなさそうなのだが・・・。

友だち同士が、ただ友だち同士ということだけで、、
なんの利害関係もなく楽しく関わっていく、それは
だいたいの人にとってはあたりまえの、
人付き合いの形だ。
でも歴史上や立場上、そういうことができない人
というのもいたのだし、
いるのだとおもう。