BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「オーケストラ!  Le Concert (2009)」-120121。

※ネタバレしています。
核心にふれる言葉を
つかわないよう気をつけましたが。

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movie.walkerplus.com


「オーケストラ!」
(原題:Le Concert 
ラデュ・ミヘイレアニュ監督、2009年、仏)

ショックといってもいいほどの感動。

最後の20~30分間がよかった。
このクライマックスの
感動を味わうために、
前1時間半を「がまん」しなくちゃいけない、
そんなレビューを、見かけた。
たしかにクライマックスと
前1時間半とで
テイストがかなりちがう。
前1時間半は、コメディタッチだが、
笑いのセンスといったものは
人によって、地域によってなど
さまざまな条件で異なるものであろうから
笑えない人には 
なにがおもしろいのかちっとも だろう。

だけど、
はじめからちゃんと観てはじめて
感動が味わえる。そういう作品だ。

どなたも、本作をごらんになるなら、
よその国の映画を観るたのしみを
ぞんぶんに享受する、という姿勢で
ぜひ、映画とむきあってみてほしい。

・・・

主人公はボリショイ交響楽団
元・指揮者、アンドレイ。
彼はあるできごとをきっかけに
失職し、以来30年間、
自分がかつて指揮をしていた楽団の
劇場清掃係としての生活に甘んじている。
アルコール依存もあるが、
妻の生活力と献身的な支えのおかげで、
なんとかくさることなく生きている。

ある日の仕事中に
オフィスにとどいたFAXを、のぞき見。
それはフランスからの演奏依頼。
音楽と指揮への情熱を
捨てていなかったアンドレイは、
そのFAXを失敬し、
自分のオーケストラを結成して
「ボリショイ」をかたり、
フランスで演奏会をひらく!という
とんでもない計画をたてる。
ニセボリショイのメンバーとして当て込むのは、
自分と同時期に解雇された楽団仲間。
今はみんな、それぞれの生活に必死で、
偽ブランドバッグの販売とか、
アダルトビデオのアテレコとか、
あやしげな仕事をしてくらしている。
楽器を手放してしまった者や、
アンドレイのせいで失職したと
恨んでいる者もいるが、
それでも頭数がそろい、
なんとかフランスに行けることになる。

メインプログラムは
チャイコフスキー
ヴァイオリンコンチェルト。
ソリストはフランスの
アンヌ・マリー・ジャケ、
30歳くらいの新進女性演奏家だ。

実はこの曲目とソリストには、
アンドレイの強い強い
宿願がこめられているのだが。

演奏会を成功させられるか。
なぜアンドレイは
チャイコフスキーがやりたいのか。
ソリストがアンヌでなくてはならないと
アンドレイがいいはる そのわけは。
アンドレイとアンヌの関係やいかに。
アンドレイが30年前に
職を追われた事情は?

・・・

2時間のうち前1時間半と
クライマックス30分の
テイストがまったくちがうと先述した。

ニセボリショイ結成までと
フランス行、リハーサルあたりまでは
ドタバタコメディテイスト。
にやにやして観てればいいんだろうが、
ネタがきわどい。

アンドレイの仲間たちはみんな強烈キャラ。

とくにロマの男性ヴァイオリニストは、
ヘラヘラしていて、軽薄で
公文書偽造などの後ろ暗い仕事をして
裏社会を飛び回っている男だが、
ヴァイオリンの腕前は
コンサートマスター級。
おれにとってヴァイオリンは
芸術とか研鑽とかじゃなく
おまんまのもとさ、と うそぶくも
ちょっとパガニーニ
弾いてみただけで、
オケを見にやってきたアンヌの心を
わしづかみにしてしまうのだ。

そのほか、
パチもんの携帯電話を売りさばいて
一山当てようとたくらむ
ユダヤ人のトランぺッター父子など
へんな人たちが そろいもそろう。

オーケストラ結成を決めてから
ロシア出発まで2週間しかない。
人集めに手こずり、
オケはすこしも練習できない。
それに、フランスの一流ホールで
演奏だなんて そんなおいしすぎる話、
実現するとは
みんなじつは おもってない。
フランスに着くなり
給金だけもらって
観光(または商売)に散ってしまい、
リハーサルさえできないまま
ぶっつけで本番を迎えることに!

楽器や演奏の経験がまったくなくても
このヤバさは 想像がつくだろう。
マチュアだったら、たった1回の
演奏会のために半年~1年、
プロのオーケストラでも
3日~1週間はかけて
必ず 綿密な全体練習をするものだ。
30年 一度も集まったことがない
楽団のメンツが
ぶっつけで だなんて
まともな演奏会になることは
ぜったい期待できないかんじのながれだ。

・・・

ここからクライマックスの幕開け。
ついにコンサートが始まってしまう。

さいしょの何小節か、
楽団の演奏はボロボロだ。
練習してないんだからあたりまえ。
客席からは
咳払いと失笑がもれる。

けれどもアンヌの
ソロ・ヴァイオリンが、
みんなの音を、心を、
ひとつにたばね 導いていく。

この段階で、
アンヌという存在の真実を
知っているのは
アンドレイなど
かぎられた人たちだけのようだ。
楽団員の大多数は
おろかアンヌ自身も
まだよくわかってないかんじだ。
しかし
アンヌのヴァイオリンと
オーケストラとのあいだにうまれる
音楽の奇蹟が、
みんなに、すべてを悟らせる。

じつはアンヌの出生と、
アンドレイたちの過去には、
レアという
今は亡き女性ヴァイオリニストが
深くかかわっている。

優秀な演奏家だったレアは
かつて ある事情から楽器も家族も
人生のすべてを奪われて
狂気に堕ちた。
ひたすら
チャイコフスキー
ヴァイオリンコンチェルトの
弾きまねをして、
いつかまたこの曲を演奏することを
切望しながら死んでいった。

アンドレイの
つきせぬ悔恨と贖罪の念を、
そのタクトから紡がれる
音楽にみいだしたアンヌは
とまどいながらも
演奏でそれに応えていく。
そして、自分が何者で、
なぜこの舞台にいるかを 知る。
・・・

ふきかえの演奏がすさまじい。
こんな感情的な音楽、
なかなか聴けるもんじゃない。
チャイコフスキー
ヴァイオリンコンチェルトって、
こんなにエモーショナルで
熱い曲だったろうか・・・。

いかにも弾いているマネ、
そんな安っぽい演技ではなく
ほんとうのアンヌを
懸命に、さわやかに演じきった
女優さんもすてき。
彼女の表情の変化の
ゆたかさこそが、
すでにしてひとつの音楽。
楽器は彼女の専門ではないのに、
信じられなかった。
彼女が弾いてるんじゃないってことが。

演奏を終え
喝采あびるアンヌが、
急に小さな女の子になってみえて
切ないほどかわいかった。
演奏家の風格がふっと消え去って、
ただの幼女のようになる。
たったいま その手で起こした奇蹟が、
自分にもたらした強大な変化を
整理することができずに
アンドレイに抱かれて泣きじゃくる。
それまで知らなかった
自分のルーツを悟り、
彼女はもういちど
生まれたところなのだった。

レアの晩年の姿は
強烈だった。
弾きたくて弾きたくて、
でももう 楽器がない。
凍傷でボロボロになった指で
ヴァイオリンコンチェルトを
「弾き続けて」、
燃え尽きるように死んだ。
いつかまた弾きたいと、
すべてをまた取り戻したいと、
命まるごとで 願ったにもかかわらず
かなえられなかった人だった。
あの悲壮な姿は・・。

そんなレアとアンヌの姿が
ときに重なりあいながら
演奏会は 進行していく。
レアの願いは、
死して、いまかなえられた。
アンヌというみんなの希望で、
美しい未来によって。

アンヌのヴァイオリンを
数小節聴いただけで、
わたしの涙腺は決壊した。
ヴァイオリンが、
レアに代わって すすり泣き、
よろこびにふるえていたのだ。

アンドレイやレアや
楽団員たちの
うしなわれた30年間が、
すこしでも慰められ、
救われたことに安堵した。

オケ結成にむけて
奔走するシーンで
ふと弱音をはくアンドレイ。
「30年間、1日でも
チャイコフスキー
頭のなかで流さなかった日があったか。
おまえの哀れなチャイコフスキー
フランスで解き放て!」
チェリストで旧友のサーシャが
叱咤する姿が泣けた。

オーバーアクションで
図体も声もばかでかい
欧州の役者さんたちが 
だれもかれも感情をぜいたくに放出。
巻き舌の早口なので、
ケンカの場面なんか
縮みあがるくらい こわかった。
でも、こんなふうにストレートに
熱いもの投げかけてくれる
ドラマ、たまにはいいものだ。

現実に、
人生のすべてを奪われた
かなしい魂のひとつひとつに、
こんな奇蹟がふりつもってほしい。
わたしは、彼らの魂が
まだ苦しかったときのまま
癒されずに迷っているのを、
時にはっきりと感じとることがある。
どうしたらあの魂たちを救えるのか、
わかったためしがない。

だれもが、かならず過去から
うけついでつながって、
いま生きている
そのことを、
ときどきでもいい、思い出せれば
過去はもう救えなくても
未来を変えることができる
だろうか。

いまはもうどこにもない
過去という亡霊を
なぐさめるためだけに、
自分の人生を生きることは
わたしにはできそうにない。
でも、
惑う魂たちについて考えるために、
ほんのすこしでも自分の時間を
捧げたい。

いやあ それにしても
本作が公開されたときは、
サントラ
めっちゃくちゃ売れただろうな。