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BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「オーケストラ!  Le Concert (2009)」。

※ものすごいいきおいでネタバレしています。
核心にふれる言葉をつかわないよう気をつけたけど。

movie.walkerplus.com


オーケストラ!
(原題:Le Concert ラデュ・ミヘイレアニュ監督、2009年、仏)


ショックといってもいいほどの感動を味わわされた。

最後の20~30分間がよかった。
このクライマックスの感動を味わうために、
前1時間半を「がまん」しなくちゃいけない、
というような映画評も、あったようだ。
たしかにクライマックスと前1時間半とでテイストがかなりちがうので。
けど、はじめからちゃんと観ていなければわからない感動だったとわたしはおもう。
たぶん、わたしにはたまたまそっち方面の予備知識が昔からあったから、
感度が高かった分、苦にならなかったというのもあったろうが。



ロシアのボリショイ交響楽団の元・指揮者、アンドレイ。
彼はあるできごとをきっかけに失職し、以来30年間、
自分がかつて指揮をしていた楽団の劇場清掃係としての生活に甘んじている。
アルコール依存もあり、ヨレヨレだが、
よき理解者である奥さんの生活力と支えのおかげで、
なんとか生きている。

ある日アンドレイは、
掃除中にオフィスにとどいたFAXを、こっそりのぞき見。
それはフランスからボリショイへの演奏依頼。
音楽と指揮への情熱を捨てていなかったアンドレイは、
FAXを盗み、自分のオーケストラを結成して「ボリショイ」をかたり、
フランスからの招きに応じて演奏会をひらく!という計画をたてる。
ニセボリショイのメンバーは、アンドレイと同時期に解雇された楽団仲間たち。
いまはみんな、それぞれの生活に必死で、
バッタもんの販売とか、アダルトビデオのアテレコとか、
あやしげな仕事をしてくらしている。
すでに楽器を手放してしまっている者や、
アンドレイのせいで失職したと恨んでいる者もいるが、
それでも 少なくないメンバーがあつまり、
なんとかフランスに行けることになる。

メインプログラムはチャイコフスキーヴァイオリンコンチェルト。
ソリストはフランスのアンヌ・マリー・ジャケという30歳くらいの女性演奏家

実はこの曲目とソリストには、アンドレイの強い強い宿願がこめられていた。






アンドレイたちがぶじにオーケストラを結成し渡仏できるかどうか、
演奏会を成功させられるかどうか、
なぜアンドレイはチャイコフスキーヴァイオリンコンチェルトがやりたいのか、
なぜソリストがアンヌでなくてはならないのか、
アンドレイとアンヌには関係があるのか、
アンドレイが30年前職を追われた事情と今回のこととはつながりがあるのか。


というような物語。



ニセボリショイ結成までと
フランス行、リハーサルあたりまではドタバタコメディ路線。
にやにやして観てればいいんだろうが、ネタがきわどい。
笑っていいのかどうか微妙にさえおもえたところも。
大丈夫かよ、こんなことやって・・(-_-;)

アンドレイの仲間たちはみんな強烈なキャラクターでたのしい。
とくにロマの男性ヴァイオリニストは、超ヘラヘラしていて、
公文書偽造やら後ろ暗い仕事で裏世界を飛び回っている男だが、
ヴァイオリンの腕前はコンサートマスター級。

そのほか、パチもんの携帯電話を売りさばいて
一山当てようとたくらむユダヤ系のトランペット親子など
へんな人たちがそろいもそろった感じ。

アンドレイがオーケストラ結成を決めてから
ロシア出発まで2週間しかない。
なんやかんやでオケは1度も練習できてない。
それに、フランスの一流ホールで演奏なんておいしすぎる話、
実現できるなんて、みんなじつはおもってないので、
フランスに着くなりお金だけもらって観光(または商売)に散ってしまい、
リハーサルさえまともにできないまま本番を迎えることに(@_@)

楽器や演奏の経験がなくてもこのヤバさは想像がつくとおもう。
まともな演奏会なんてぜったいできないかんじのながれだ。



ここからラスト20~30分間くらい。
ついにコンサートの幕が開いてしまう。

さいしょの何小節か、楽団の演奏はボロボロ。
満員の会場からは咳払いと失笑がもれる。

けれどもアンヌのソロ・ヴァイオリンが、
みんなの音を、心を、ひとつにたばね導いていく。

この段階で、アンヌという存在の真実について、知っているのは
アンドレイなどかぎられた人たちだけのようだ。
楽団員はおろかアンヌ自身もまだよくわかっていないはずなのだが、

アンヌのヴァイオリンとオーケストラとのあいだにうまれる音楽そのものが、
みんなに、すべてを悟らせてしまう。


じつはアンヌの出生と、アンドレイたちみんなの過去には、
レアという女性ヴァイオリニストが深くかかわっている。

レアはすでに亡くなっている。
優秀な演奏家だったのだが、
ある事情から楽器も家族も人生のすべてを奪われて狂気に堕ち、
ひたすらチャイコフスキーヴァイオリンコンチェルトの弾きまねをして、
またいつかこの曲を演奏することを切望しながら死んでいった人だった。


レアとアンヌにたいするアンドレイの悔恨や、
(アンドレイはなにもわるくなかったにせよ)贖罪のような思いを、
音楽からしっかりとうけとめて、
アンヌは自分が何者で、なぜこの舞台にいるかを知る。


ヴァイオリンコンチェルトの演奏がすごい。

こんな美しい感情的な音楽、なかなか聴けるもんじゃなかった。

アンヌ役は、本職のヴァイオリニストじゃなく女優さんなので、
だれかが演奏をふきかえたわけなのだが、
そのだれかの演奏がすばらしかった
だれなんだ・・。

チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトって、
こんなにエモーショナルで熱い曲なんだなあ・・

そしていかにも弾いているまね、という安っぽい演技ではない、
ほんとうのアンヌを演じきったこの女優さんもすてきだった。

彼女の表情の変化のゆたかさこそが、ひとつの音楽だった。

楽器は彼女の専門ではないはずなのに、
信じられなかった。
彼女が弾いてるんじゃないんだってことが。

演奏を終え大喝采をあびるアンヌが、
急に小さい子どもになってみえてほんとうにかわいかった。
ふっと演奏家オーラが消え去って、ただの小さな女の子になっちゃって。
たったいま自分で起こした奇跡が、自分にもたらした変化を整理しきれずに、
泣きじゃくっていた。
それまで知らなかった自分のルーツを感じ取ったから、
ある意味で彼女はもう1度、生まれたところなのだった。

ちゃんと事情をわかろうとしてくれる、
真面目で繊細な人でよかったなあとおもった。


わたしにはレアの晩年の姿がすごく印象的だった。
ヴァイオリンを弾きたくて弾きたくて、でももう楽器がない。
凍傷でボロボロの指でヴァイオリンコンチェルトを
「弾き続けて」、燃え尽きるように死んだ人だった。
いつかまた弾きたいと、なにもかもまた取り戻したいと、
切望したにもかかわらずかなえられなかった人だった。

あの悲壮な姿は・・。

そんなレアとアンヌの演奏場面がときおりかぶりながら、演奏会が進行していくので、
アンヌはみんなにとっての希望で、美しい未来だった。
レアの願いは、死していまかなえられたのかもしれなかった。

こんなに感情に直接的にうったえかけてくる音楽はひさしぶりだった。

アンヌのヴァイオリンが数小節、奏でただけで、もうだめだ!と涙腺決壊。
ヴァイオリンが、レアのかわりにすすり泣いているような音だった。
あんな音あるのか・・。

アンドレイやレアや楽団員みんなの、うしなわれた30年間が、
すこしでも慰められ、救われたことが、ほんとうによかった。

オケ結成にむけて奔走しているとき、弱音をはくアンドレイに、
チェリストのサーシャが
「30年間、1日でもチャイコフスキーを頭のなかで流さなかった日があったか。
おまえのなかの哀れなチャイコフスキーを、フランスで解き放て!」
と言い聞かせるところが泣けた・・


ロシアっぽいオーバーアクションで だれもが感情をぜいたくに放出し、
巻き舌の早口なので、ケンカの場面なんか縮みあがるくらいこわかったが、
こういう熱いものを見せてくれる映画ってすばらしい。


現実に、人生のすべてを奪われた人たちの魂ひとつひとつに、
こういう奇跡がふりつもったらいいのにとおもう。


わたしは、彼らの魂がまだ苦しかったときのまま癒されずに迷っているのを、
時にはっきりと感じとることがあるが
どうしたら彼らを救えるのか、わかったためしがない。


だれもが、かならず過去からうけついでつながって、
いま生きているんだってことを、
時々でも考えられれば、
もしかすると過去のなにかを、すこしでも救えるのだろうか。

見えもしない過去のなにがしかを、慰めてあげるためだけに、
自分の人生を生きることはできそうにないが・・、
彼らのことを考えるために、
ほんのすこしでも自分の時間を捧げたいとわたしはおもう。







いやあそれにしても
この映画が公開されたときは、
チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトのCD
めっちゃくちゃ売れたろうな(@_@)


わたしもほしいし。