BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

MOGURAワンマンライブ-180414。

アコースティックデュオ
「MOGURA」の、ワンマン。

4月14日 日曜 
エコルマホール13:30~

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mogura

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今年3月11日に行われた
中里学さんのワンマンライブの

york8188.hatenablog.com
プレイベントに、
MOGURAが出演しており、
数曲聴いた。
そのとき、今日のチケットを入手した。

結果、わたし個人には、
ややたいくつな2時間だった。

ワンマンは、基本的には
パフォーマーのホームだ。
なにしろファンばかり、
いわばパフォーマーの「味方」ばかりが
聴きに来る場だ。
「みんな自分を好いてくれている人たちだ」
そう確信できることは、心強いだろう。
実力が十二分に発揮される可能性が高い。
聴く側にすればワンマンは
パフォーマーの 最高の
パフォーマンスにふれられる
機会ではないだろうか。

だけど、それが
わたしにはたいくつだった。
今日のMOGURAは、
先述のような理由から
現時点で自己最高水準だっただろう。
それでもわたしは
すばらしかったとまでは感じなかった。
成長していくのだから、
可能性がないなんておもわないが、
今後(すくなくとも、あしたやあさってには)
今日以上の彼らの演奏が
聴けることはたぶんない。

演奏技術のレベルは高かった。
ギターの音は美しかった。
ボーカルの歌唱力には
ずばぬけたものがあった。
しかし、音楽が単調。
似たようなかんじの曲ばかりを、
新鮮な思いで2時間聴きつづけるのは難しい。

第2部で復調してきたと感じたのは、
たぶんカヴァー曲をとりいれていたからだ。
音楽性や歌声に
ノスタルジックなぬくもりがあるせいか、
30~40年前の歌謡曲のカヴァーがはまる。

音楽性が単調、
これをひっくりかえすと
「逸脱しない」
これがMOGURAの音楽の特長ともいえる。
じっさい彼らの客層は、
いったいどこからどうやって、
こういう客層をひっぱってくるのか、
と内心首をひねったほど、
広く、また厚かった。
MOGURAのふたり(30代前半くらい?)
と同年代の人はもちろん、
おひとりさまの妙齢の女性、
高校生や中学生、
家族づれ、
お年寄り。
午前中には駅前の公園で
ワンカップかっくらっていたに
ちがいないような、
太鼓腹に赤い顔のおじちゃんもいれば、
会場まで来ることじたい
ひと苦労だったであろう、
お体の悪いかたも、
付き添いのかたといっしょに
何人も聴きにきてた。
わたしがふだん聴いている、
だれを思い出してみても、
こんなにさまざまな人に
愛されるミュージシャンは、いない。

濃すぎず強すぎず、
どんな場にも水のようになじむ
そんな音楽性こそ、
幅広い客層を獲得するゆえんかも。

わたしは、やさしさでは
その音楽にひかれない。
音楽を自発的に聴き始めてから
いままでずっと
同じ嗜好だったかと聞かれると、
それはわからないが、
安定した技術を絶対条件に求めつつも、
その音楽のどこかに
乱数みたいなもの
(不均衡や傷、狂気、もろさ)を
勝手にみいだして、
ひかれていくところがある。
MOGURAの音楽にも、
聴きながら、ずっとその手のものを
探していた気がする。
なくちゃいけないわけじゃないのに。
ところが、MOGURAには
そういうのはなかった、
わたしが無意識的にもとめる分量や程度感では。
予測不可能性をみいだして
うれしがるというのも
よく考えるとヘンな話なのだが。

ただ、この曲からは、
求めるものに近いものを感じた。

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どうも厳密には
MOGURAの曲ではない?みたいだが。
この曲、たしか、
先述した中里学ワンマンの
プレイベントで歌っていた。
それを聴いて、
もっと聴いてみたいと思ったことが
きょうのワンマン鑑賞をきめた
直接の動機だった気がする。
ずいぶん前のことだから、
記憶が混乱しているかもしれないけど。

オーディエンスって勝手だ。
自分は何もしないくせに好き放題言う。
パフォーマーの事情や思いを知りもせずに
あることないこと搾取する。
もとめるものがないと
平気で文句をたれる。
(郵便局にホンマグロが売ってないとか
稀勢の里トリプルアクセル
跳んでくれないとか ムチャな
クレームをつけるようなものだ、
って意味の話)
パフォーマーの疲れを
おもんぱかりもせずに
無神経な手拍子で
舞台袖の彼らを呼びつける。
パフォーマーにはときに
実力以上のものを要求するが
そのオーディエンスはいつでも等身大。
気に入れば万雷の拍手、
まずいとおもえば・・・。
別のパフォーマーどうしを
露骨に比較してはばからない。
こんなにもアンフェア。
なのにパフォーマー
よくそれでもやりたいとおもうものだ。

斎藤ネコさんが
ゲスト出演したのにはおどろいた。
告知されていたんだろうけど、
知らずに行ったので。
ダマスク織の
まったくあたらしいパターンが
超高速で織り上げられていくさまを見るような 
理解のおいつかない体験、
あの大胆で複雑なアドリブを聴いたことは。
息もとめて聴き入った。

かかわりあい

きもちをうまく表現できない。だれにでもあることだ。
おおげさな話じゃなくても、たとえば
思いを行動にできないとか。心にもないこと言っちゃうとか。

だれにでもあることだから、
できれば、まあそんなこともあるもんだと、
受け入れあい、ゆるしあうのがいいんだろうなと。

でも、相手がいる。その人にはその人の、立場やきもちがある。
「いつなんどきも」受け入れあい、ゆるしあう、はさすがに困難だ。
・・ほんとは悪いことしたとおもってたんだ
・・あのとき言ってたのって、
もしかしてほんとはこういう意味だったの?
そんな、やりとりの やり直しというか・・・
微妙な調整作業ができればな。

すべての人と、すべてのケースでは、できない。
できない場合のほうがおおい。
最悪 また話がしたくてもいかんともしがたく 
もう会えない、みたいなこともあるし。

そのかかわりあいを たいせつだとおもうなら、
やはり今このときを、へたでもまじめに。
相手の真意、ねがい、伝えたいことは。
言葉以外の感覚も動員して。
もう会えないかもしれないから。
悔やむかどうか、あやまちを嘆くかどうかは
悔やんでみて、嘆いてみてはじめてわかることで、
まえもってはわからない。

かかわりあいっておおごとだ。
人にしか救われない 人のこと以外でこんなに傷つかない。

どうしてもうまくいかなくて、失敗して、
でもいつか、ずっとあとになって、
もし やり直し作業が可能になったなら、
そんな幸運、またとない。

『イワン・イリイチの死』考。

たしかトルストイの作家活動は、
アンナ・カレーニナ』『戦争と平和』を書いたころまでと、
イワン・イリイチの死』を書いたころからとで、
前期・後期と分けられると、学生時代に学んだ。

アンナ・カレーニナ』で
作家としての地位を確立してからしばらくたったころ、
つまり1870年代末くらいのことだが・・・、
すばらしく成功したにもかかわらず、心を深刻に病みはじめた。
この世の栄華をきわめた億万長者も 
あすの食事にことかく貧しい人も、
人もうらやむ絶世の美男美女も
生まれて死ぬまでだれにもかえりみられない路上生活者も、
みんないつかは死んで土にかえる、 
このむなしい真実に、心をわしづかみにされたようだ。
彼は、このままでは自殺するかもと、われながら危惧するほどの 
強烈なうつ状態におちいった。

トルストイは はたちになるかならないかというころに、
哲学と実生活の一致のために、との考えから 
大学をとつぜん辞めている。
東洋哲学専攻だしな。
まじめなところのある人だったからこそ、
ギチギチに思いつめてしまったのかも。

激烈に悩み苦しんだつらい時期を契機に、
トルストイは当時の社会のあらゆる 
ものの考えかた、既存の価値観を 
とにもかくにもなにもかも、まず疑ってかかるようになった。
人が・・・というか、たぶん彼自身が、
前をむいて生きていくための、
決してゆらぐことのない心の支え、真の価値・・・
そんなものを追い求め、
哲学から宗教から政治学から論理学から
ニヒリスティックな姿勢で研究しまくったという。
やがてトルストイがたどりついた(還ってきた?)のは
もともとの彼の敬虔かつ素朴な信仰・・・
神の国は心貧しい人のものとか、隣人を愛せよといったような、
シンプルなイエスさまの教えに立脚するもの、すなわち
なんの悪気もなく教会の権威をさらりと否定する、
そんな信仰であったのだ。
(だから教会や当局には彼の文学は嫌われた。
発禁になったものもあった、クロイツエルソナタとか。)
じっさいトルストイは一時、フィクションの小説を書くのを休み、
エスさまの教えの深奥に関する小論文や、 
一般民衆むけの教訓的な昔話集などを、書くのに夢中になった。
自身が獲得した宗教的真理を人びとに伝えるのに、
小説は手法としてちがうのかも、みたいなことを考えて、
より多くの人に刺さるスタイルを探ろうとしたのだろう。
こうしたトライアンドエラーのなかで、
トルストイ一流のキリスト教文学のかたちが
さだまっていったと言えるはずだ。

イワン・イリイチの死』は、
苦悩の体験や、あらゆる世俗の価値観への挑戦的な思考を経て
トルストイがひさしぶりに書いた小説だ。
それまでの彼の小説には、伏線が何本もはられ、
テーマがいくつも並立するような、複雑なつくりのものが多かったが、
後期からは、シンプルになった。
かわって、よりヘヴィーな主題と問題提起性、
読むとなぜだかおなかにこたえる重厚感
(単純にみえる描写のうちにアフォリズムやメタファーが
限界まで詰め込まれているために重厚、と感じるのだろう)
そんなものがでてきた、と評価されているようだ。

作家活動後期のトルストイがこのんであつかったのは
結婚、恋、愛、生、性、死、といった、普遍的なテーマだ。
しかし、どの作品も、目をみはるほど新しいスタイルで
でも正面切って、愚直に・・・、
そうしたテーマをくりかえしくりかえし、とりあげている。
病むほどまでに悩み苦しんだ時期はあった、
でも、何度も何度も似たことを書こうとしたのは
病的こだわりからというかんじでは決して、ない。
彼は悩みぬいたそのさきに、確実に何かをつかみ、
そして 確信して書いている。
つかんだものを人に伝えるためには 
このテーマで、このスタイルでなくちゃいけないと。

今週にはいってから3日ずっと、
イワン・イリイチの死』を読んでいた。
米川正夫版、木村彰一版、工藤精一郎版の3種類。

19世紀ロシアを舞台に、 
ひとりの裁判官の死をめぐるできごとが描かれる。

主人公のイワンは要職に就き、おもしろおかしくやっていたが、
病をえて、くるしい闘病のすえに死んでいく。

トルストイはこの物語をイワンの葬儀のところから始め、
つぎに彼の生い立ち、生きざま、そして死までの道筋をたどる、
というやりかたで書く。
主人公の死は当初、彼をみおくる同僚の視点から描かれるが、
後半からは、完全にイワン本人の視点にきりかわる。

なにがどうしてこんなことになったのかわからないが 
とにかく俺は確実に、もうすぐ死ぬ!・・・
残酷な運命とたちむかわざるをえなくなったイワンの心理が、
これでもかというほど克明に語られる。
死にゆく人の心の物語なのに、描写はぐんぐんと
疾走感を増していくようで、胸苦しい。
疾走感というと、すこしちがうのかも。
内側へ内側へ、いや、死へ、死へと、
なにか一点にギューッと凝縮していくかんじか。

死をテーマにトルストイが書いた小説は、
なにも『イワン・イリイチの死』だけではない。
しかし、ひとりの人間が死にゆくさまをこうまで一点突破的に
しかも多角的に、かつ総合的に、書いて書いて書きぬいた
(でも、みじかい。150ページもない。)
ものとして、本作は特徴的だとおもう。

今、読む側の立場でいえば、
100年以上も前の、外国が舞台の、
身分も立場も違う特定の、年上の男性の、
個人的なできごとの、物語にすぎない。
しかし、時も立場も性別もとびこえ、
重く心にうったえかけてくる作品だと、確実に言える。

本作で描かれる「死に臨む」という体験の、
圧倒的なリアリティに身ぶるいするにつけ、
作者の死生観て、いったいどんなものだったんだろうなと。
何を見てきたんだろうと。
彼の眼からは、世界はどのように見えたのかと。

ハイデガーか誰かが、
死は誰にも代われない固有の体験、
他者と完全に没交渉となる孤独な体験、
その向こうになにがあるのかがわからないいわば究極的な可能性、
でもいつ訪れるのか不明という意味で、未決定な可能性
そんなことを言っていた。
人は誰でも死ぬ、わかってはいた、
でも、このかけがえのない自分が失われる 
ということの意味を、やっぱり死に際して 
最初から考えないわけにいかない。
そんなイワンの体験を、客観的に解説するなら、
このハイデガーか誰かの言葉が近いだろう。
イワンは実際、世話をしてくれる家族やお手伝いさんがおり、
治療につぎ込める十分なお金もあり、その意味では
ちっとも孤独ではなかったんだけれど、
でも、こんなに気の毒な人がいるだろうかと
読んでいて途方にくれてしまうほど、孤独だ。

学生時代に、
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』という映画をみた。

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ジャクリーヌ・デュ・プレは実在した英国のチェリスト
英国ではパーセル以来の世界に誇れる天才などといわれた
すばらしい演奏家だったが、体が思うように動かなくなる病を
わずらって引退し、若くして亡くなった)
肉体的な苦痛のうえに、夫の裏切りにもなやまされ、
彼女を愛する人びとにかこまれながらも
激しい孤独のうちに死んでいった、という描かれかた。

最晩年のジャクリーヌが、
自身がかつて演奏したエルガーのコンチェルトを聴いて

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ひとり号泣するシーンがあり、
それが死の床のイワンの胸の内と かさなって思い出され、
銀幕のむこうのジャクリーヌにたいしてと同様、
わたしはイワンに深く同情した。
もっとも、この映画を一緒に観に行った友人が
「ジャッキー、かわいそうだったね」と感想をのべたのに
なぜだかすなおに「うん、かわいそうだった」と言えなかった
自分のダサさも、同時に思い出されてしまうもので、 
この映画のことをふりかえるのはいつも、しんどいのだが(^^)

・・・話がそれた。
イワンは、彼が属する共同体(貴族社会)に、
事実所属している社会的な人間として、
なにひとつ困ってはいなかったし、
だれからも「お前のそれはだめだ」などとは
いわれない生活を保証されてきたはずだった。
しかし、いざ死ぬことになって、
その共同体からあっけないほどかんたんに
疎外されてしまったことを知る。
誰もほんとうには俺の恐怖や苦しみをわかってくれない。
それに、数か月前までは自身、ちょっと女の子と火遊びしたり
仲間とカードゲームをしたり、バリバリ働くことが楽しかったのに、
いまやそんなものは少しも。
ひとりぼっちで、だれとも通じ合えず、未来もない。
暗い井戸の底へと落ちていくように、死を体験するだけだ。

だが、さきほど思い出したハイデガー(?)の
言葉のように、死は、可能性でもある。
当人にとって理屈にあわぬ、苦しい「死」だけれど、
それはイワンの心のめざめの、きっかけになった。

イワンの内心の葛藤にすこしの共感もしめさず
診るだけ診てそそくさと帰る、デリカシー皆無の医師たちと
学のない、ただの下男ではあるが
素朴な親切心でイワンをいたわってくれるゲラーシム、
この対比構造は、
生きてなにげなく送る生活のなかでは
ごちゃごちゃになっている世俗的価値・・・
地位や技能、知的娯楽、セックスアピール、財産とか?
・・・が、死に臨んではじめて
いつくしみ、同情、愛といった精神的な価値と
シンプルに相対化されたさまを、表現しているのでは。

(結局こむずかしい書きかたしかできない
文章力のなさがかなしい。)つまり、
生きて元気なときには見えないたいせつなものが 
いざ死ぬときになって、ようやくきれいによりわけられ
みえてきた、といったようなこと(微妙にちがうけど)。

ゲラーシムに下の世話をしてもらったイワンが、
「おまえもこんなことをさせられるのは いやだろう、
悪いね・・、でも、自分ではできなくって」と
すなおに思いを吐露する場面は、泣ける。
死にゆくイワンのあわれな心のために、
ゲラーシムのような人物がいてくれたことは
よかった、と、つい心からほっとする。
死に際してイワンの心はかたくなで、
最後の最後になってもなかなか、すなおになれず、
それがまた彼を苦しめるのだから。

昨年暮れに入院したときのこと。
病室でいっしょになった 奥さんやおばあさんが
昼間は気丈にしていらしたのに 夜になるとしくしく泣いたり
少女のようにワガママになったりするさまを目撃し、
正直なところ引いたわたしだが、
のちに、ああして体と心の両面にわたり
子どもにかえり、人に甘えることが、癒しにつながるのかもと 
思い直したものだった。
イワンの場合、ゲラーシム相手に子どもにかえる、甘える行為をへて、
すこしずつ、ゲラーシム以外の人びとにも心を開くようになった。
自身の人生の欺瞞にきづいたショックで、
死を丸抱えにした状態でかたく心をとざしていたイワンが
いまわのきわに、「家族への思いやり」というスタイルで
めざめた心のさまを、見せてくれるのだ。

トルストイはこの物語のなかで、
「死」を想起させるシンボルと
「生(性?)」をおもわせるシンボルとを
意図してか否か、まぜこぜにちりばめているようだ。
イワンはみずからの死のプロセスを
「まるで黒い巨大な袋のなかを体ごと通過していくようだ」と
イメージしているが、これは出産か、母体回帰をおもわせるものだ。
先述の、ゲラーシムへの甘えや、身も世もなく泣く行為などは
幼児退行を連想させる。

死んでいく人の心のイメージにもかかわらず
どれも、生まれること、または原初に還っていくことを
おもわせるそれに、つうじている。
でも、基本的にトルストイには、人格的な意味での復活とか
来世みたいな感覚は、なかったらしいことがわかっている。
たぶんこれらは、イワンの心が生まれ変わるんだとか
その手のことを言いたくて提出したものではない。
書き分けがむずかしいが、
死に直面してはじめて、真の価値にきづく
その瞬間が、人生のあやまちを洗い清めてくれる、
そんなかんじのことを言いたかったのかも。
イワンは、自分の人生はどうもいろいろまちがいだったようだ、
でも自分はまもなく死ぬのだし、とりかえしがつかない、
そんなふうに嘆いていたし。

また、人との心のまじわりを避けて
ステマチックな生活を送ってきた、
むなしいイワンの半生がしつこく描かれることも特徴的だ。
イワンは、元気だったときは、そうした自分を
「俺は器用で、うまくやってる」と考えて満足していた。
でも、そんな生きかたを選んできたのは、
じつのところ怖かったからなのだ。
人との心のぶつかりあいに おのれの心をさらして傷つくのが。
あやまちをみとめるのが。
愛しているのにそういえないことを、みとめるのが。

イワンのこうした生きかたは、
誰も自分のことをわかってくれないと
心をかたく閉ざす彼の「死にかた」につうじたので、
見ていてつらかった。
しかし、イワンは最終的には心を解き放った。
恐怖や痛みのさなかにあって
こりかたまった心からめざめることこそが
たぶんトルストイの言おうとした「死を体験することの意味」だ。
死ぬときになって初めて、なんて、かなしいが。

イワン・イリイチの死におもう。

強烈すぎる哀しみやさびしさ、
あせりやいらだちを
ひとり 心に抱えきることが、できそうにない。
とてもつらくて、すぐにでもこの荷物を降ろしてしまいたい。
それで わたしはろくろく考えもなしに、
こうして書いてしまう。
いてもたってもいられないから書く、
苦しいことをおわりにしたいから書く、
いつもそれだなと。
それでもかまいはしないのだろうが。

けれども、
こんなにも強く哀しむ そのわけは。
さびしいとおもうのは。
あせるのは。
いらいらしてしまうのは。
どだい、それはほんとうに、
哀しいというきもちなんだろうか、
さびしさなんだろうか、
いったいこのきもちって なんなんだろうか、
どこからきてどこにいくんだろうか、

ふとそのように気にかかる。
心を表現するのにいちばん適切な言葉を
えらんだと 言えるかどうか。

待ったほうがいい場合もあるのかも。
もっと近い言葉が見つかるまで。
できるかどうか自信がないけど、せめてもうすこしの間だけ。

イワン・イリイチの死」で
死にゆくイワンの苦悩に ひさびさにふれてみたところ
しんぼうのきかない自分だが、そんなことを 考えた。

いつ読んでも劇薬みたいなものだけれど
いつか初めて読んだときなんかよりも
いちだんとまた 胸にせまる物語になっていて・・・

生きることにもしも意味があるとしたら、
死ぬことにもなにか意味があるはずだ、
原因があって結果がある、
そんなふうに おもいたくなるものだ。
でも あるのかなあ・・・ 

父のこと覚え書き

叔父と会った。また父についての話を聞いた。
(母のこと、両親の夫婦関係のことも含む。)
できごとを言葉に変換すると、できごととは異なるものになる。
でも、書いたものを総合的に観察すれば
イメージがくっきりしてくるかも。
長い年月離れすぎて、父がもうよく見えない。
聞いて、書いたものから、父像が再構築できれば。

・母は病気で小学校を留年した。
 それにより、いじめに遭った可能性が考えられる。
 それに、祖母は療養中の母に自宅学習をさせなかった。
 これでは復学後、授業についていけたはずがない。
 母も勉強をあきらめたらしい。
 ※そのせいもあるのか、母はおもに学歴についての
 コンプレックスがきわめて強い。

・父が都内の紳士服店を客として訪れた際、
 そこに勤務していた母をみそめたと、記憶していたが、
 実際には父もその店で働いていた。職場結婚

・母との結婚を契機に別の仕事を探すことになったが、
 父は結婚当時、運転免許を持っていなかった。
 免許がないと職探しにさしつかえると考えた祖父母が、
 父に免許の取得をすすめ、自動車学校の学費を援助した。
 のちに父は大型ドライバーになった。父の車の運転はじょうずだった。
 わたしは車に酔うが、父の運転で酔ったことはない。

・両親の離婚の直接的な原因は、父の多額の債務。
 父が隠していた借用関係の書類を、母がみつけたことで発覚した。
 母は父が借金を抱えていたことを知り、叔父に相談した。

・叔父は、他にも借りているはずだと踏み、父をといつめた。
 父は、別口の借金が複数あることを認めた。

・どこからいくら借りているか、父は把握していなかった。
 父のだらしなさにしびれをきらした叔父は、父につかみかかった。
 自宅の居間でのことだった。
 叔父と父が争っているところを、帰宅したわたしの弟が偶然目撃。
 叔父はそうした場面を末の甥に見せてしまったことを悔いている。

・弟は現在、近所にお嫁さんと住んでいる。
 叔父が誘っても、弟夫婦はなかなか顔を見せにこない。
 叔父は、かつての失敗により、甥に嫌われたかもと気に病んでいる。
 わたしの印象としては、弟は気にしていないと思われる。
 弟は(兄も)、父から暴力を受けることがあった。
 でも、自分を殴った父にさえ、弟は憎悪や嫌悪の感情をみせない。
 お嫁さんに「父のことを知らない」と語ったこともあるという。
 弟が父のこと(叔父も?)をいったいどのように 
 心に住まわせているのか、わからない。
 しかし、少なくとも憎んではいないように見える。

・父の証言は不得要領で、債務の全体が見えなかった。
 叔父と母は、借用書類の問い合せ先を手がかりに、
 関連会社などをあたり、債権者を探しあて、
 場合によっては即金で返済していった。

・叔父と母は、父の兄姉を訪ね、債務問題の相談をこころみた。
 兄姉たちはみな、われ関せずといった態度。

・返済作業と前後して、父と母は離婚。

・債務に、母を連帯保証人としたものはなかった。
 しかし、自宅家屋を担保としたものがあった。
 自宅の土地は母名義だが、家屋は父名義だ。
 父に返済能力はない。家の差押さえを阻止するには、
 母(と叔父)が返済にあたるほかない。そして返済はなされた。

・父は3人の子どもが成人するまでの養育費の支払いを約束し、
 月々の支払額をみずから提示した。
   払込先が子どもの名前の方が、はりあいもでるとの考えから、
 末子であるわたしの弟の名義で、養育費の払込用の口座を作った。

・父は離婚に際して転居した。
 最初にみつけてきた住まいが自宅から徒歩圏内だったため、叔父が反対。
 父が再度提示した住所は、自宅から車で40分ほどの街だった。
 至近距離に住めば、元家族と顔を合わせる
 おそれがあるのがわからないのか、と叔父がたしなめたが、
 父はそのへんのことは考えなしのよう。
 わたしはこのくだりを聞き、
 父は現実を受け止めるのが好きじゃなかったんだろう、と。
 その性格は、わたしが受け継いでいる。

・引越し作業は、母と叔父のほか、父方の甥がひとり手伝った。

・父は、数千冊の蔵書を残して去った。
 職場のトラックを借りてきており、運搬は可能だった。
 叔父も母も、父が本を置いていくと主張したことを意外に思った。
 父の蔵書はわたしが受け継いだ。

・養育費の払い込みは途絶した。
 母は父の勤務先を訪ね、事情を話した。
 会社は養育費の給与天引きを申し出てくれた。
 しかし叔父が、気分の悪い思いをしてまで、これ以上父と
 関わり合いになることはないと、母に養育費の受け取りを断念させた。
 以後、叔父が母に、経済的援助を行った。
 長男であるわたしの兄の就職が決定するまでそれは続いた。

・父は存命のはずだが、所在など詳しいことは不明。
 何かあれば、父の兄姉が知らせてくるはずだと 叔父は考える。
 わたしは、父が死去しても知らせはないかもしれないと思っている。
 

映画の感想-『ジェイン・エア』-180407。

原題:Jane Eyre
フランコ・ゼフェレッリ監督
1996年、仏・英・伊・米合作

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www.youtube.com


主役のシャルロット・ゲンズブール
きれいだった。

原作もそうだけど
映画でこうして観ても、
あっけない筋書きで、
なんということのない物語だ。

作者がこの物語で
やろうとしたことが、
とてもシンプルで、
ほんとうに「それしかない」
というところが逆に新鮮。

当時の(ヴィクトリア朝
社会常識から逸脱する
「自由恋愛からの結婚」
を ジェインにさせること、
孤児という境遇への不満、
反骨精神、自立心、
男女同権意識を
ジェインに持たせること、
それによって新しい時代の
女性像を提出する。
作者のやりたかったことはこれだけ。
文学のありかたは
時代によってちがう。
当時は社会問題になるほど画期的でも、
いまはそうでもない。

ジェイン・エアの実写映画は
この96年版が好きだ。
犬の「パイロット」と、
教え子のアデールがかわいい。
ジェインと養母の和解が
結局成立しないシーンも、いい。

物語が単純なぶん、
風景や衣装の美しさを
心に余裕をもって楽しむことができる。
『リヴァー・ランズ・スルー・イット』
萌の朱雀』などが
夏にぼんやり観るのに最適な映画とすると
『スウィートヒアアフター
そして『ジェイン・エア』は
肌寒い時期にいいのかも。

モナリザから漱石へ。

ルーブルでは館が特定の人に、モナ・リザの模写を公認するとか。
史上その特権をえた人はシャガールと、斎藤吾朗だけ。
goroh-saitoh.com

赤に心が温まります。
赤といえば、漱石の「それから」。はじまりとおわりが、赤い!

冒頭にこう。
・・・
彼は胸に手を当てたまま、この鼓動の下に、
温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像してみた。
これが命であると考えた。
自分は今流れる命を掌で抑えているんだと考えた。
それから、この掌に応える、時計の針に似た響は、
自分を死に誘う警鐘の様なものであると考えた。
この警鐘を聞くことなしに生きていられたなら、
血を盛る袋が、時を盛る袋の用を兼ねなかったなら、
如何に自分は気楽だろう。

ラストはこう。
・・・
忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。
するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、
くるくると回転し始めた。
傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。
傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。
四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。
電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸けて来て、
代助の頭に飛び付いた。
小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、
又代助の頭の中に吸い込まれた。
烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。
電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。
仕舞には世の中が真赤になった。
夏目漱石『それから』新潮文庫

はじまりは拍動する血肉の赤。生の極みの狂気がきざす。
おわりは滾り襲う焔の赤。焦熱の果ての無が見える。