BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

手記-其の拾参(仮題)-20171204~20171205-前夜

「彼に(わたしを約1か月にわたり恫喝した上司のこと)に
惜しまれる人材になることが 最終目標だった時期がありました」

「上司にいわれたこと、されたことに少なからず傷ついたけど
彼に伸ばしてもらった部分も多々あり、
(それだけにうらぎられたような気持ちにもなっててつらいですが)
パワーハラスメントうんぬんにかんしては
訴えなくてもいいかなあというかんじがしています」

これが、上司にうけた しうちにたいする
2017年12月4日時点での 自分の考えだったみたいだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2017年12月4日 職場復帰初日、
専務に話して、年末進行の超忙しい時期ではあるが
プロジェクトの進行役からは はずしてもらった。
進行役だからといって べつにとんだりはねたりするわけじゃないし
できるんじゃないかなーと 復帰前までは考えていたのだが、

パフォーマンスのいちじるしい低下が問題だった。
進行役は プロジェクトのメンバー全員の進捗に目をひからせ
制作がどうしても遅れるページがあれば
まず自分が代わりにその分をかぶることを検討するのだし、
版元が 約束の日に資料をとどけてくれなかったり
版元が 一方的に納期の短縮を通告してきたり
そんなとき 渉外として矢面にたつのももちろん 進行だ。
それにくわえて、進行自身も ページ制作を担当する。
自分のぶんは自分で、メンバーの誰よりも早く完成させるくらいのつもりで、
進めておかなくてはならない(すごく難しいことだけど)。

でも、このとおりの ぼろ雑巾となって 帰ってきた自分には
自分のページを自分でやるという
大前提のところさえ おぼつかない。
進行は 無理と考えを改めざるをえなかった。

ない袖は振れないというか 動くためのパワーがぜんぜんなかった。
退職日まで せめてまた倒れないこと、生きて走りきること、
それしか考えることができないとおもった。

なんとか初日を終えて帰宅した夜、
チャットを利用して G夫妻と 話し合った。

ここまでほとんど チャットに参加されてこなかった
だんなさんのほうが、この日はじめて本格的に入ってきてくれ、
奥さんがかねて提供してくれていた情報・・・「うまく辞める」に
あたってわたしがとりうる選択肢について・・・に
さらに詳しい補足をしてくれた。

1.在職中の傷病手当金
在職中、病気やケガでやむをえず働けなくなり
給与が支払われない状態になった場合、
加入している健康保険組合(けんぽ)が
給与の何割かを保証してくれる。
申請にあたっては、医師から
「あなたは労務不能状態(だった)」という内容の
診断書を書いてもらう必要がある。
ただし、欠勤した日が有給休暇の場合は、
会社から給与が支給されるわけだから、
申請することができない。

2.退職後の傷病手当金
在職期間中に、病気や怪我で働けなかった
時期があったことを証明したうえで申請すると、
退職後最大18か月間、健康保険組合
給与の何割かを保証してくれる。
在職中の傷病手当金のことと混同されやすい。

3.失業給付
つぎの職がみつかるまでのあいだ、
ハローワークが現給与の何割かを保証してくれるもの。
会社都合退職であったか、自己都合退職であったかによって
受給できる期間が変わる。
受給のためには退職した職場から所定の書類をもらい
ハローワークに提出する必要がある。
1および2と同時に受給することはできないが、
1および2を受け取り終えてから失業給付を受けられるように
手続きをすることはできる。

4.未払いの残業代の請求
タイムカードなどの客観的証拠が必要となるが
証明できれば退職した職場に請求できる。

5.解決金
上司から受けたパワーハラスメントについて会社と争う。

1~4と、5は まったく種類のちがう話。

・・・

お金の話ばかりでまったく恐縮だ。
じつのところわたしも こんなこと書いてて、
楽しくはぜんぜんない。
けど・・・、きっと のちのち 
くわしく述べることになるだろうけれど、
やはりとても重要なポイントになっていったのだ、
お金のことは。

辞めてからしばらくは ともかくも体を休めたかった。
G夫妻のいう うまく辞める、安心して辞める
というのを、
退職後、お金の心配をできるだけせずに 
休んでいられる時間を作ること、と ほぼ同義と
わたしはとらえていた。
したがって、
自分がどうしても確保したいと考えたのは、
2.退職後の傷病手当金 だった。
これなんだけど、
調べてみたところ、申請・受給条件がものすごくややこしい!
退職日を含めた4日以上前の日付で書かれた労務不能状態であったことを
示す医師の診断書、かつ退職日を含めた4日以上出社していないことが条件
未来の日付では申請できない 「過去の〇月〇日から〇月〇日まで働けませんでした」という証明を、受給したい間は1日ももらすことなく しつづけなくてはならない。
うんぬん うんぬん・・・

このへんを見てもらえばいいのかな。↓

病気やケガで会社を休んだとき | 健康保険ガイド | 全国健康保険協会

hoken-connect.jp


これを病気で頭が回ってないときに正確に読み取り
申請にこぎつけるのは 
文字情報取扱いの専門家のはしくれといえども
いっかな ムリというものだった。
「待機期間」の意味がわからない(^^)!!
「考え方」とかいわれても(^^)!!
わたしの場合はのちに 健康保険組合
電話窓口のおねえさんを 3日間で合計50分ほど拘束
電話をスピーカーにきりかえて録音、
何度も何度も質問をくりかえし、
あとで聞き返して確認してもまだ理解できず、
しょうがないから 書類にわざと 
あきらかにまちがった内容を記入して
健康保険組合の管轄支部に持っていき、
窓口の人にまちがいを指摘させ、
「で、けっきょく何月何日と書けばよいのでせうか。」
それでようやく答えをもらう ということをやった。

今は、なにをむずかしいと感じることもなく
理解できるなあ。 おかしなものだ。

ちなみに 健康保険組合の 退職後傷病手当金の申請用書類は
3種類1セットになっている。
1に申請者本人が記入する書類
2に退職した職場に記入してもらう書類
3に、お医者さまに書いてもらう書類
だ。
1と3は容易にそろえることができるが、
気まずい辞め方をしちゃったような場合、
2の申請がしにくかったりする。
しかし、健康保険組合のかたに事情を話せば、
組合がかわりに会社に確認して書類をそろえてくれるそうで、
案外心配はいらないとのことだ。

みなさまも もしものときのために いま、
こんな制度もあるよというのを多少なりと
頭に入れておかれるといいかもしれない。
じっさいにそういう状況におちいってから
調べようとしても、自力では、まず無理だから。
手続きがものすごく煩雑で、弱った体と心には、
まずまったく 響いてこないから。
元気なうちに、アンテナだけでも立てておくべきだと
わたしは考える。

・・・

だんなさんは、この時点では、わたしが5の手段にでる
つまり されたことについて上司とあれやこれやする的なことを
考えてはいないだろうと 思っておいでで、
チャットにおいても、

「5は〇〇ちゃん(わたし)もする気ないと思うんだけど、
2~4は普通に手続きをすれば普通にもらえるものだよ」と
強調されていた。
わたしも ほぼ同様に考えてた。

また、3日夜にNPO法人POSSEさんの窓口のかたと話した感触で

4.未払いの残業代の請求
も、証拠が十分でないから、望み薄と感じていた。

退職後の自分を支えてくれそうなものとして
いちばん現実的(というか波風たてずにすむ)、という意味でも
やはり 確保すべきは 退職後の傷病手当金におもえた。

在職中の傷病手当金については 欠勤していた6日間が
有給休暇に充当される可能性が高いので
今回は申請が必要ないかも、ということだった。

だんなさんへのわたしの返信
NPOの人と 6日に電話で話すことになっているので
2~4のこと相談してみます。
5(解決金)は、いいかなあ・・・
1は、まだ、どのような扱いになっているかちゃんと
専務にきいたわけではありませんが、
きょう、会社を上がるとき自分のタイムカードを見たら
(休んだ)先週1週間分にラインがひかれて『傷病』と
書き込まれていたので、
傷病手当金扱いになるようだなと おもいました。
むこうから、(医師に)診断書を書いてもらってくれと
言ってくるでしょうね。あした(出勤したら専務に)
正確なところを確認してみます。」

だんなさんは、職場において、賞与の支給があるなら
それも遠慮なく受け取っておくようにと 
アドバイスをしてくれた。
賞与はさいわい支給される。受け取っておくつもり。

じつは、これも いままで
ちゃんとは お話してこなかったことなのだが、

2017年10月から、通信制の大学に入学し、
科目履修生資格で 勉強を始めていたところだった。
このとおりの事態におちいった時期と、
期末試験の受験資格をえるための
レポート提出期限が完全にかさなっており、
わたしはせっかく、・・・せっかく!
暮れは年末進行で忙しくなるからとめずらしく周到に
すべてのラジオとネット講義を前倒しで聞き終え 
小テストもぜんぶ提出しておき
レポートを!レポートを 書き終えていたにもかかわらず
提出にまにあわず。
意識を失っているうちに期限が過ぎてしまったのだ。
結果 履修していた4科目中3つまでも 
落とすことに。
落ち込んだ。

そもそも、おかしな話だ。
わたしは かつて大学に行ったのに、卒業しなかった。
そのことで親などを落胆させ哀しませたものだ。
なのに今になって また勉強したいなどと考え
卒業を目指そうとしているどころか
大学院まで行けるものならいってやれ、といった
無謀なことを夢想しつつある。
大学さえ、卒業できなかったくせに。
バカなんじゃないか・・・じゃなくて、バカだ。確実に。
やっぱり今回も卒業できないんじゃないかなあ(^^)

しかも 生還したはいいものの 
ゴミクズのほうがまだしも世の中の役に立ってる、みたいな状態で
娑婆にもどったいま・・・ 
生命維持だけでせいいっぱいのくせに・・・??
それでまさか・・
勉強を続行だと・・・・・?

だが なけなしの 最後の賞与は来年度 
大学に入りなおす際の費用に
まわすことにした。迷わなかった。
大学に入りなおす、そこ ゆるがない。
(こうなった以上 いちばん先に 
ゆるがすべきなんじゃないのか・・・。)
なにも考えてはいない。
勉強をやめたくない、とだえさせたくない
ただそれだけ。
勉強をやめたくないというきもちだけは
ずいぶん健康・・・いや、頑固な形で心のなかに残っていた。
春入学はさすがにむずかしいかもしれない。でも
秋入学枠(2018年10月)で 
ふたたび大学の門をくぐるつもりだ。












谷崎潤一郎『春琴抄』についてこんなことを考えたこともあった。

これまでに読んだすべての本のなかで
読み返した回数がもっとも多いのは、
たぶん谷崎潤一郎の「春琴抄」。

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www.shinchosha.co.jp



わたしは・・・
自分が耽美主義だともマゾヒストだとも 
とくになにも 自覚はしていません。

ただ谷崎潤一郎の作品にはすきなものがたいへんおおいです。

この人の小説って
見た目と やろうとしていることとのギャップがすさまじくて、
それで、両方とも楽しめるところはいいとおもっています。
新しい。迷いがない。大胆である。果敢である。
作者のプライドが感じられる。

でもべつにそこまで深く考えていません、
ただすきだから読むのです、もちろんね

春琴抄、たしか初めて読んだのは小学校高学年あたりだったか。
あんまり美しかったからなのか、はまっちゃって、
以来ほんとうに 何度となく読み返してきました。
白檀の香りと、
3月はじめあたりの・・・つまりいまくらいの
ひんやり肌寒く清新な大気が感じられ、
深呼吸したくなる小説です。
思い返すに 小学校高学年というと
父方の祖母、さらに母方の祖父と祖母が
あいついで亡くなったころでした。
白檀の香り・・・ よいお線香の香りがきまってするのは
もしかしたら弔事がかさなって そういう香りが
心にこびりついていたときに
この小説を読んだから、なのかもしれません。
一級の文学作品からはブドウの香りがするもんですが、
春琴抄はもちろん一級品ながら ブドウでなく白檀。

ただ 谷崎潤一郎がもし、
自分の小説のなかで春琴抄がいちばんすきと
言っている読者がいるらしいと 知ったら、
「あんたはいったい よりにもよってなんで
こんなのがいいんだい」
と むくれるかもしれません、
他にも力作はいっぱいあるんですから。

ところで、
春琴抄にはマゾヒズムの極致が描き抜かれている、
といわれるけど、
わたしはわかんないな。
何をもってそういっているのかが わからないわけじゃないけど、
それをマゾヒズムというかね、とおもうのです。

もちろんきれいだな、めずらしい文体だな、
華麗だなと そんなことばかりではなくて、
さらにさらに深いところまで
わけいって考えてみたことも 多々ありました。
たぶんそうして考えて でてきたことの一部が
見ようによってはそりゃたしかに
マゾヒズムってことになるんだろうなとは、
理解できています。

たとえばこんなことです。

言葉というのは 圧倒的に、絶対的に、
正しくないものです。
でもその言葉というものを駆使して、
なにごとかを表現しようとする者たちが 
なぜだかいるんだよね。という話なんですけれど、
読書って、
そこに書かれていることが
なにもかも真実とはかぎらないと知りながら
それでも読む、そして楽しむ、というものなんだとおもいます。
(ただ わたし自身はこの・・・そもそも言葉にした時点で
もう絶対的に ウソであるのだということが 
今こうして書いてみたほどには じつは
よく理解できてないフシがあり、われながらこれは
まずいなと 感じることがあります。)
真実とはかぎらないと知りながら それでもあえて読み楽しむ、
そしてやっぱり真実じゃないと知ったとき、
わかっていながらおおいに傷つく、そこまでふくめて1セット、
それが読書ということの一面じゃないかなと。

そして春琴抄って小説には
まさにそのことを表現してるんじゃないかと
おもわせる場面がたくさんあるとおもいます。
春琴と佐助の関係のありかたをえがくシーンです。

えーと たとえばこんなかんじだったか

春琴は『もうええ』と云いつつ首を振った。
しかしこういう場合『もうええ』といわれても
『そうでござりますか』と引き退がって一層後がいけないのである
無理にも柄杓を捥ぎ取るようにして水をかけてやるのが
コツなのである
(「春琴抄」)

・・・

主人がかんしゃくを起こしたりすねたりして
もういい!やらなくていい!なんて言ったとしても、
それを真に受けてちゃしょうがない、
そこを意地でも いえ、お嬢、わたくしが、と 
やってやるほうがいい場合もあるんだというのが
主である 春琴の身辺の世話 いっさいをになう
佐助のスタンスです。

主人の意にかなうためには、
主人のいうことが本気である、真実であると
すんなり受け入れていればいいのではなく、
その裏にあるもの、ほんとうの要求を
読み続けなければならない。

あと、
春琴がとある事故で顔に重いやけどを負うんです。
彼女はたいへんな美貌でならしているんですけれど。
そのうちケガが治ってきたら、いまは
ぐるぐるまきに巻いている包帯を とらなくちゃいけません。
深窓のお嬢さまですから 
顔を見られたくないからもう一生だれとも会いたくないとでもいえば
まあそれも不可能じゃないかんじなんですけれど、
じつは、春琴は全盲で、身の回りのことを佐助に
てつだってもらわないといけません。
そうしたら、どうしたって佐助にだけは
顔をみせなくちゃいけないことになるでしょう。
主従だけれど いろいろじつに複雑で のっぴきならぬ関係にある
ふたりは このことで深く葛藤します。
春琴は どうしても 自分の顔を佐助に見せることになるのが
いやだといいます。
だれにもみられたくないではなくて、
おまえにだけは、佐助にだけはみられたくないと。
そういってめずらしく、泣くんです。

佐助はそんな彼女を見て、このように。

佐助も諳然として云うべき言葉なくともに
嗚咽するばかりであったがようござります、
必ずお顔を見ぬように致します御安心なさりませと
何事か期する所があるように云った。

・・・
熱誠をささげる主が
ああおまえにだけは顔をみられとうないと言って泣いた。
それで、佐助は 健康な自分の両眼をね、
つぶしてしまうんですよ。

春琴と同様に盲目の身となった佐助ですが、

彼は老いて春琴をとうに見送ってからも みちたりた表情で
このように語ります。
・・・見えなくなったけど、いまも自分のまぶたの裏には
美しく誇り高かったご主人さまの姿が まざまざと見える、
あの小さく繊細だったお手てが、きれいだった髪の一本までも、
自分にはみえているんだよ、と。

理想の主人の姿を心のなかに作り上げて、
それを崇めて生きたということになります。

佐助はそうやって春琴がいた過去の記憶の世界に住み続けます。
春琴は盲目であったから、当然 佐助の姿は
さいしょからさいごまで見えてなかった。
そして読者は読者で、春琴の本心も佐助のほんとうの心も
わからないままです、
ほんとうのこと、 そんなものわからないですよ
だって小説だし。お話なんですから、これ。
どう読んでもいいようになっているんですけれど、
どうだかほんとのことはまったくわからないんです。

たとえば
長い年月のなかで
春琴は子をみごもるんですけれど、
子の父が佐助かどうかはついにわからない。

ふたりの関係がいったい なんであったのか、
ふたりのあいだにどんな感情のゆききがあったものか、
わからないのです。

ほんとのことなんてなにもわからない、
そのことによって心をすり減らされる悦びこそが
読書なんだ、ってことを、
春琴抄を読むと感じる。
読書ってのはもともとそういうものなんですけれど
そういうものなんだということを 小説のディテールにも
仮託して 表現している側面がある、春琴抄には。
っておもうんですけれど、どうかな。

気づいたこと。

気づいたこと。

なんらかの「対立」に直面したときの自分の対処方法として
特徴的なこと、または行動のクセ
→なにはともあれ 
 一対一で、真正面から向き合って、本音で話し合おうとする。
 相手の事情やきもち、タイミングなどを考えることなく。
 そうすることが、最良にして唯一の方法だと
 おもいこむ。

チームで協力しようとするときの、自分の特徴やクセ
→まず自分が発言しようとする。
 それによって、事態などが動くことを期待する。

今後、対立を超えて協力し合う必要が生じたとき、実践していきたいこと
→情熱やら意志やらのみにものをいわせて
 独力で状況を打開しようとしないこと。
 相手の事情(対立が生じている問題と直接関係のないことでも。)や
 きもち、考えをよく知る。
 自分の周囲にも、相手の周囲にも、
 当該案件に通じた協力者をつのる。


手記-其の拾弐(仮題)-20171205~2017120*-白昼夢

思い返せば 11月末ごろから、
夜、ほとんど夢を見なくなっている。
(理論上は、かならず見ているはずと聞くけれど。)
朝まで覚えているようなものを ほんとに、見ないな。
夜、眠ることができないのもあるのだろうか。

2017年12月ごろの
気持ちと体の状態をおもいかえすと
われながらほんとにおかしな話だと感じるのだが、

とにかく だるい。重い。
いつだって何かによりかかって
だらーんとしていたくてたまらない。
できればペン1本だって持ちたくない。 
もうなんというか・・・
何もしなくていいというのなら1年でも横になってたい
なのに、
頭は休まるときとてない。
いつも、なにかにびくびくしてる。肩に力が入ってる。
動いてないと落ち着かない気がするけど、何してても苦しい。
いつもあせっていらいらしてる。
何かが怖くてたまらない。

あ、ところで、
12月4日、職場に復帰したところ、
きかんしゃトーマス」の いまいましいプラレールは、
役目をおえたらしく、片づけられていた。
2017年11月いっぱい、わが職場を席巻した
あの むちゃくちゃに大変だった雑誌の作業は
おおかた峠をこしていた。そのためか、
結果、退職まで、さいわいにもわたしは二度と
上司に恫喝されることはなかった。

わたしは、職場に復帰することが怖いとは感じてなかった。
感じてなかったつもりだ。多少不安はあったが、それは
上司にまた怒鳴られたら・・・というのよりも、
みんなにどんな風に思われているだろう、
あんなに何もかもほったらかしにした状態でいなくなり
みんなに仕事をかぶってもらって1週間も休んで・・・
というものだった。

あのすさまじかった雑誌の作業は
12月にはさすがに終わっているはず、と踏んでいた。
上司があれほどの叱責を浴びせてきたことの要因も
制作実績のない新しいタイプの雑誌の
慣れない作業による ストレスがあったことが
容易に想像できたから、
あの雑誌の仕事がおわれば、
たぶんもう上司に つるし上げをくらうことも
ないだろうと、ほぼ確信してた。

だから、また怒鳴られることが怖いから復帰することが怖い、
とは 感じてなかったつもりだ。
不安は意外とそんなにはなかった。

それなのに、こうもビクついている心は、
こわばりのとれない体は、どうしたことか。

なんの問題もないというふりで 
自分自身をもだましつつ 仕事をしおおせていたが、
内心 ものすごい高所で命綱なしに
綱渡りをしているような・・・
いや、ちがうな
震えあがるほどコワいホラー映画かなにかを観た夜、
お風呂で髪を洗っているときに
うしろにおばけが立っているのでは・・・という 
ばかばかしくも深刻な不安感に
おそわれることがあるが、あのかんじだ(卑近!!)。
あれに近いかんじに 絶えず おしつぶされかけながら
すごすこととなってしまった。

日中には、
もう過ぎ去ったはずの11月の、あの職場の光景が
眼前にぱっとよみがえり、自分をおどろかす・・・ということが
日に数回も起こるようになった。
幻覚やら夢やらにしちゃ、強烈にリアル。
あの耳元にひびく怒鳴り声。
「ツラもみたくねえ!!」。
ただビジュアルが目の前に展開されるだけでなく、
当時味わったきもちや体の感覚までも
くっきりと再現され、たまったものではない。

これ、以前勤務した職場でいじめにあったときに
体験ずみ。
そのときは、退職後 半年ほども同じことが続いたものだ。

まあ、精神医学方面では、
「フラッシュバック」というのだとか。

またなのか。
しんどい目にあったら わたしでなくてもみんなこういう
追体験的な現象に くるしめられるものなんだろうか。
もうイヤな思いをしたくない。
まえに いじめにあったとき、長い間ああやって
過去にとらわれ時間をむだにしたように、
今回もまた、自分の心を過去にがんじがらめに
してしまうのか。
今度は 抜け出すまでにいったいどのくらいの時間を
要することだろう。

この身に起こっていることが何であるかが
経験上わかるだけに、先の先の先のことにまで
しかも悪い悪い悪いほうへと思いがかけめぐり、
たまらない気持ちになった。

早く終わらせないといけない。もうくりかえしたくない。
こんなところにひとりでいたくない。
おねがいだ、誰か助けてくれないか。
信頼する友人などにすがりたい思いで 胸がいっぱいだった。
けれども、助けてなんて 言えたものじゃなかった。
なぜなら、
これはたぶん、専門家の(たとえば医療の)領域のことなのだ。
背負ってしまった荷物がどんなに重くても、
いや、重いからこそ、こんなやっかいなもの 
みだりに降ろすもんじゃない。
当時は ぎりぎりのところにいながらそれでも
こんなふうにおもって 
できるだけ口をつぐもうと 努めてた。

現実の職場は、もうわたしにとって
ちっとも つらいものじゃなくなってた。
わたしは退職の日まで、結果 一度も 
上司に怒鳴られることはなかった。
自分の頭のなか以外のどこにもない
「先月のあの職場」なんて ばかばかしいものに、
わたしは苦しめられることになったみたいだった。











小休止

よみにきてくださって

本当にみなさま ありがとう。

それにしても長くなってきました。
毎回かるがる6000字超え、
ほっとくとすぐ1万5000字。

人が1分間でむりなく読んで
内容を理解できる 母語の文字数は
平均たしか600文字だったか。

それから考えますと、
みなさまにごしんぼういただき
最後まで読んでやろうかなと
おもってもらえそうな 
ボリュームの上限を
完全に毎回 超えていってることになります。

なんの苦行ですかこれは。
・・・
なんの苦行ですかじゃねーわ(^^)!!

もうちょっとなんとかしろや(^^)!!
人さまに読ます以上は(^^)!!!

と いちおう 
もののわかったふりをしてみましたが
じっさいには 改善とかなんとか
そんなこといっさい考えてません
(白状してどうする。)
考えるとしても まだまだずっとさきだなあ。

自分のダメさ、おろかさを
すべて言葉にして表現しさらけだす、
ただそれだけで けっこう心が軽くなる。
自分で やっていることですから、
おのれの身がかわいいですから、
しょせん ほんとうのほんとうには
つらくなりすぎないように、
頭の何かしらの機能がうまいことはたらいて、
心を守ってるに違いないんでしょうけれど・・・。
そんな 甘々な手法でも やれば、心が軽くなる。
そうなってみると ふしぎなことに、
もう1回だけこの痛みを、この苦みを、
じぶんで背負ってみようか・・・
という気にもなれるのです。

ハイこれで600字。頑張った。








痛恨

だれよりも大切におもう人が
寄せてくれた厚意を、やさしさを、思いやりを
わたしはけっきょくのところ すべて無視した。
何度となくさしのべられた手を とろうとはしなかった。
無視していなかったら どうなっていたかなとおもう。
手をとっていたならば どうなっていたかなとおもう。
思いやりに気づいてないふりをしたことを
後悔してないわけがない。
後悔している。これ以上はないほど。
ここまで生きてきてしまったものだから、
どうしたってわたしは
ほかにもいろんな罪深いことを
いろんな人にしてきたのであり、
こんなことを考え出したら もちろんそのすべての人に
命とひきかえにしても謝り倒さなくっちゃ 
いけないわけだけれど。

わたしは心からあやまりたい。
立場を侵してしまったこと、
やさしい心をふみにじるようなまねをしたこと。
自分があの人の立場であったなら
このようにされて 
いったいどんな気持ちがしたことか。

けれども、当時はそうするよりほかにしかたがなかった。
いや、
そうしなくちゃいけないと おもってた
ということになるとおもう。
また同じシチュエーションのことが起こったならば、
たぶん また 同じようにしちゃうとおもう。

どうしようもなかった。
わたし自身の心情的にも どうしたものかわからなかったし
正常な判断などとってもじゃないができないときだった。

なぜ ああも無条件に ああも考えなしに
手をさしのべてくれたのかとおもう。
事情を話してもその手をひっこめずにいてくれたのかとおもう。

いや、ちがうんじゃないか。

そうか、ここまで書いてみてようやくわかった
いろいろ 格好のいいようなことを言ってきたけれど
畢竟
「事情を話してもその手をひっこめずにいてくれたのかどうか。」
それをまのあたりに確かめるのを 恐れたのだ。
わたしが。
どうだってよかったのに、そんなこと。
あなたの思いやりに救われていると ただそういえばよかった。
助けてほしい、どうすればよいのかわからないと
たとえ受け止めてもらえなかったとしても 
本心を話せばそれでよかったはずではないのか。

自分の臆病さに反吐がでる。
相手がどうであろうと関係がない。
わたしが自分を信じることができないからこうなった。
なんてつまらない、なんて貧弱な心の持ち主だろうか。
すごくばかばかしい。
あの人のことよりも、
わたしはつまるところ自分がだいじだったのだ。

また同じシチュエーションのことが起こったならば、
たぶん また 同じようにしちゃうとおもう。だと?

だからわたしはおろかだというんだ。
なんてことだ。
これほどばかだとは。




手記-其の拾壱(仮題)-20171204-復帰-1。

眠れないのも こまりものなのだが

それよりなにより
まいらされていることのひとつに

かなしくもなんともないのに
まえぶれもなく 
常識では考えにくいほど大量の涙がながれでて
数十分も 止まらない、という
不気味な反応がある。
これは退院後まもなく はじまったもので、
2018年3月の いまも おさまることがなく、
けっこうな頻度で起こっては わたしを困惑させる。
たいがい2~3日に1回程度の割だ。

電車内などで はじまると 
周囲の人にあやしまれるし
びっくりされるし 
あと、はずかしいしで
始末に負えない。

そこで、
最悪 泣いちゃってもいいように、
毎日、できれば早朝に家を出発し
電車でいうと4駅分くらい・・・
6.5~7キロメートルくらいの距離を 
とにかくひたすらに歩くようにしている。
この間、1時間ちょっとを
「涙がでてくるんならでてきてしまえ」アワーに
設定しているわけだ。

道ではそこそこ多くの人とすれちがうが 
当然みんな知らない人だ。
電車などの身動きのとりにくい場所とちがって 
お互いすぐにそれぞれの目的地へと
向かっていくのだし、
もう二度と 会わない人たちでもある。
いい大人が けっこうないきおいで(しかも無表情で)
泣いてる・・・ というシュールな姿をみられてしまっても
べつにはずかしいことはない。

泣いちゃってもいいや、とおもえる時間を
こうして自分から つくりにいくことで
泣けてくる時間をすこしは 
コントロールできるようになった気がする。

いや、多分に、「気がする」だけのことだ。
この時間帯にちゃんと涙がでてきてくれるともかぎらない。
というか ほとんど はずしてしまっている。
やっぱり電車のなかで泣いてしまったり
家族がテレビの「アメトーク」とかを観て
爆笑しているそばで わたしひとりが号泣してたり
現実には そう うまくはいってない。

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2017年12月4日(月曜日)、
心づもりしていたとおり、
いったん職場に復帰することにした。
朝、
玄関で靴をはいていると
鬼みたいな顔をした母があらわれ
「どこにいくの!!」と。

「会社。復帰するから。」

「辞めろといったはず。行くのはいいけど
きょうで辞めますといって
荷物をまとめて すぐ帰ってきちゃいなさい!」

退職の意思は たしかに かためていたから
母のいうことも あながちわからないではなかったが
当時のわたしにしてみれば 
あまりといえば、な 言われようで、
復帰初日そうそう 
すごく くさくさした気持ちになった。

何回か前の項で すでに述べたが、
じつはこの前日、3日(日曜)に、
母は わが社の社長に勝手に連絡をとり、
わたしを辞めさせる、と宣言していたのだった。
ただ、この朝の時点では 
わたしはそのことを 知らなかった。

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始発駅から私鉄に乗るので
時間をえらべば まずまちがいなく座ることができる。
出勤の時点では 体がつらいとは思わなかった。

だが、出社してみて パソコンの前に向かってみると
イヤでもおもいしらされた。これはダメだと。

これまでのように仕事をすることなんて
もうできなくなってしまった、
取り戻すのに何日かかるかしれたものではない。
なんだこの 暴力的な頭痛。
体に力が入らない。
頭と指とデザインソフトの接続が
断絶してしまっている。
話にならない。

なかば やっぱりね、的なきもちながら
やはり落ち込みつつ・・・
上司が出社してくるころ合いをみはからい
彼のデスクがある部屋にいってみた。
ちょうど出てきて コートを脱いでいるところの上司に
「復帰しました、ご迷惑をおかけしました」と
頭をさげた。

「なんだ、でてきたの。」
「あなたの担当のページ、誰もやってないから、
まずそれからやって」。

11月に取り組んでいたあの雑誌、
まだ 終わっていなかったのか。
それに、やはり できなくなった者の分を
だれかが代わりにやるなんて措置、不可能だったんだな。
こうしてぜんぶ 手つかずのまま 残っていたんだから。

上司へのあいさつをすませて部屋を出、
自分のデスクのある居室に戻り、
ドアをぱっと開けた。

すぐのところに、先輩がふたりいて
小声で会話をしているのに でくわした。

ひとりは、わたしをのぞけば ただひとりの、女性社員。
入社間もない頃 わたしの教育を担当してくれた。
同年代なのだが、わたしとはなにもかもが違う。
頭が抜群によくて仕事ができるし、それに、とってもタフな女性だ。
入社後 すぐにその能力の高さをみとめられ
先輩たちや上司などから「神童!」とまで称されたと聞いてる。
だが それだけ優秀な人材にもかかわらず
「仕事」「働く」ということに ちっとも思い入れがなく、
口を開けば「一生遊んで暮らした~い」「働きたくな~い」。
もっと簡単な DTPオペレータかなにかのバイトを在宅でやって
月に18万円くらい稼いで・・・ あとは家で 
ドラクエやって過ごしたい。みたいなことを 
話していたこともあった。
わたしのイメージとしては それだと、
1DK6畳間お風呂なしのアパートに 
なぜかチューンナップ全開のランボルギーニ
どんと1台 置かれてて
いつ走るとのあてもなく 
エンジンをうならせているのを 見るようなものだ。

もうひとりは男性社員で、
わたしはこの人ともじつは同年代なんだけど
ぜんぜんそんなかんじがしないな。
この人と相対すると、わたしは
この人のほうが自分よりもはるかに
経験豊富でずっと年長の大先輩・・・みたいな感覚に
なんの疑問もなく ひたってしまう。
彼は わが社で扱う さまざまな雑誌のなかでも
アダルト系や、あと、コンビニの500円本・・・
ペーパーバックを 担当することが多い。
たいへんな切れ者で、人脈が広く精力的、いつもすごく元気で、
すきもきらいも いいもわるいも したいもしたくないも、
じつに率直な物言いをする。
あんまりストレートだし 強気でもあるから
周囲に敵を作りやすいとお見受けするが、
でも、およそ裏表のない わかりやすいキャラクターの持ち主だ。

足音で、近づいてくるのがわたしであることに気づいていたのか、
ドアを急に開けても ふたりがあせったようなようすはなかった。

彼らはわたしを どこか暗い表情で見つめてきた。
「でてきて大丈夫だったの? 
ていうか・・・顔 まっさおだぞ!
自分でわかってる?」
「死にかけといて1週間で復帰とか、ありえんし」。

「はい、ご迷惑おかけしまして。
本調子じゃないですけれど、
せいいっぱいやってみます。
復帰しろと 強いられたわけじゃなくて、
自分で出てきただけです」

「今回のことでほんと愛想がつきたわ、この職場」

「・・・」。

「体がつらいときに、こんなこと知りたくないかもだけど、
あの人たち(専務ら上層部) きみが倒れたこと
迷惑とか 使えないとか さんざん悪く言ってたんだ」

「労災とか申請されるのかな~、なんて言ってね」

「そういうのあの人たちが デカい声で話すの聞きながら
1週間ずっと仕事しててさ うんざりってかんじだった」

「・・・」。

「復帰はいいけど、とにかくもう 絶対に無理すんな。
バカみたいだから、ほんと。死ぬとこだったんだから。」

「もしもだけど、もしも、
退職考えているならだけど・・
辞めてからも、また同じ仕事つづけたいっておもったら、
そのときは教えて。あのね、
まだこの会社にいる立場だから
表立ってはいろいろできないけど、
それ相応の協力をするから。」

「・・・」。

結局 わたしがドアを開けるまでのあいだ
ふたりが何を話していたのかは わからない。
ふたりは ともかくこのようなことを 早口で告げ、
わたしの肩を1回ずつ ぽんとたたき、
そろって部屋をでていった。

彼らが でていくとき 
むこうの居室の あけ放たれたドアから
上司のおおきな声が漏れ聞こえた。

「駒が1個 消えるかもしれねーんだし!」

そして、それに応じるように
同僚のだれかの笑い声。

あーらら。
「駒」。
わたしか、それ。
がーん。

でも いったい何に落胆しているんだ、わたしは。

・・・
よけいなことなんだけれど、
わたしは 上司に乗っかったらしい
あの笑い声の主であるところの同僚たちに
(たいへんおこがましい考えだが)同情?してた。
いま、笑ってた彼らも・・・
態度を決めかねるというか
立場的にどうしようもないことがいろいろあるんだろう。
上司に気に入られているあいだは 
すくなくとも わたしみたいな目には 
あわずにすむ可能性が高い。
あんなふうに連日どなられるようになって、
それでも仕事するなんて。
彼らはみんな大の男だけど・・・いや、そんなの関係がない
やっぱり イヤなものなのだ。
それだったら、逆らわないように、不興を買わないように、
ああして適当にお相手してたほうが ラクにきまっている。
確実なのだ。そのほうが。
もし彼らの立場なら 
わたしもおなじようにするかもしれない。

だが白状する。
まだ こちらの居室に
自分しか出社してきてなかったのをいいことに
ちょっとだけ 泣いた。
なんでだったんだろうな。
鈍くって、つまらないメンタリティの持ち主であるわたしも
さすがになにか 腹にすえかねたのかもしれない。
くやしかった? のかな?
しかし 何が?

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それから数時間は、上司の指示通り、
自分の仕事の 止まってしまっていた部分を
とりかえすことに注力した。
先に述べたとおり コンディションはひどかったが
しかし、倒れるまでのあの1か月間にくらべたらそれは、
かなりましに感じた。
あのとき、6時間かかってもなぜか完成させられず
「今まで何やってたんだ」と怒鳴られても答えようもなかった
たった2ページ分のラフを 
2時間ちょっとで作れたとき、
「やっぱり先月は、体調が悪かったんだなあ。」
と あらためて おもった(←何いってんだ今さら)。
※ちなみに2ページ分の あの内容のラフ作成というと
元気だったら本来 50分~・・・かかっても1時間15分。

さらに2ページ完成させて
プリントアウトを上司に提出しに行くと、
専務が出社してきていた。
時間をもらい、こちらの居室の会議室で
退職の意向を告げた(口頭により)。
専務はその場に、上司と 役職で言うと主任にあたる
先輩社員をひとり呼び、
わたしが退職することになった、と報告した。
上司は
「そうですか・・。まあ・・・ 
しかたがないですね。」
と いつもの 苦虫かみつぶし顔で ブツブツいい、
しかし決定を受け入れた。

なんだよ。
人間とはわからぬものだ、いろいろと。

「20日締めだから、出社はいちおう
12月20日までということにしておこう。」
「本調子じゃないんだろうし、病院も行くだろうし、
つらかったらまわりと相談して、
早退とか、休んだりしてもべつにいいから。」
「今年は仕事おさめが28日で、
その日に忘年会をやるわけだから、
それまでは有給消化って形で、休んで・・
28日は、送別会も兼ねてやろう」
と、専務。

「有給消化」!!
専務!!
年次有給休暇の概念 いちおう 
この会社にも 息づいていたんですね!!

「それはそうと、きのうはおどろいた
病院運ばれたときは きみは復帰したい的なことを言ってたから
そうなのかなとおもってたんだけど
きのう、おふくろさんから俺の母親(社長)に電話があって
辞めるからって言ってた っていうから」
「でも、おふくろさんはスタンドプレーだったにしても、
意思としては両者とも ちゃんと一致してたんだね。
それならいいんだけどさ」

母が 勝手に社長に電話を入れ
退職させる、と宣言していたことを知ったのはこのときだった。

さきほど合計4ページのラフを提出したとき、
「今日はもうこれで上がってもいいよ」と言われていた。
しかし、まだ17時前だ。
やることは山ほどある。
ふつうに定刻まで仕事をした。

仕事のあいまに、同僚たちの何人かが、
なにかのついでといっちゃあ こちらの居室にあらわれて
大丈夫ですか、たいへんでしたねなどと
声をかけてくれた。
この会社って マジでどいつもこいつも
コミュニケーション死亡集団だよなあ・・・・と 
かねて あきれていたほど 
ほんとにコミュ障な人たちばかりの職場なのだが
そんな不器用な人たちが おずおずとこうしてやってきて
なにごとかを 伝えようとしてくれることには 
すくなからず胸をうたれた。

倒れていたわたしを
救急車が到着するまで介抱してくれたのが 誰であったかは 
まえもって専務などに確認してあったので
自分から彼らのところにいって お礼を申し上げてあった。

後輩の男性社員さんに
「びっくりさせちゃったよね。ごめんね。」
と話したところ
「びっくりしたかどうかで言えば、びっくりしました(笑)!!」
「机のうしろのこのへんに、こんなかんじで倒れてました」
と、その場にねっころがって再現してくれた。

第一発見者となった 同室の先輩は
「最初は、寝てるのかなあとおもったんだけど
脈なかったから。」
※心停止したとは聞いていないから、おそらく
 心拍はあったんじゃないかとおもうけれど、
 先輩も医者じゃないし、うまく脈がとれなかったのだろう。
「まえに働いてたところに、持病がある同僚がいて、
たまにきゅうに倒れることがあって、そのせいで
救急車呼ぶのとか慣れてたんで、
そんなにね、こまらなかったけど」。

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やがて定刻となり、いちおうやるべき仕事はすべて
終えたので 上がることにした。

玄関で自分のタイムカードをふと見たとき、
とある記述があるのを発見した。

欠勤した2017年11月27日(月)~12月2日(土)
の欄が赤線で囲まれ、
そのなかの空いたところにボールペンの手書きで
「傷病」。

「傷病」?
これは なんのことだろう。
健康保険組合の あの 傷病手当金のことか?
それともただ この期間 病気で休んでた、という意味かな?
でもだとしたらなぜ 傷病、と?
病気で休んでた、というだけの意味なら
病欠、とか そんなふうに書くんじゃないかな。
傷病、なんて専門用語を わざわざもってきたってことは
やっぱり 傷病手当金のことをいいたいのかも。
この期間は休んでいたから給与の出しようがないので、
健保に申請して傷病手当金をもらいなさい、と
わたしにすすめるために、
覚え書きとして このように書いたとか。
けど 今日 専務と話した段階では
そんなことなにも 言われなかったけどな。
どういう意味で書いたのか、
専務に聞いてみるほうがいいだろうな。

こんな 総務系の専門ワードを
普通に用いてくるなんて・・・、
もしかしてわたしがおもうよりも、
この会社の経営陣は 総務関連のこと
ちゃんとわかっているのかもしれないな。
でも わかっていて 
それであの不備満載の雇用契約書・・?
だとすれば いったいなんのつもりだろう。

「ちゃんとわかってるけどあえて無視してる」系?

・・・・・。

まあ、
どのみち休んでいた間の 給与は出るはずもない。
健保への 傷病手当金の申請は 必要になるだろうな。

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この夜、携帯電話に 着信とSMSがあった。
週末に相談を申し入れたNPO法人POSSEさんからだった。
専任の相談員が詳しく話をききますと。
12月6日の午後、まずは電話で話すこととなった。
休憩時間を使って、近くの公園にでもいって話せば
職場の人に聞かれる心配もないだろう。

・・・・・・・