BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

能「道成寺」。-180203。

道成寺」みた。
(2月3日、宝生能楽堂

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宝生会公式サイト↓

公益社団法人 宝生会


道成寺」のストーリーは
ここでだいたい知れる。↓

www.the-noh.com

眠くなっちゃったらどうしよう、
と 心配だったが
杞憂におわった。

能。
親しむ気になれない要因
=「わからない」が山盛り、
におもわれる、
「ザ・伝統芸能」だ。
たとえば
・言葉が古い(話がわからない)
・動かない(やってることがわからない)
・お面で表情が見えない(感情がわからない)
・舞台装置がすくない(状況がわからない)
・音がすくない、音楽にとりとめがない
(どんな気持ちで観ればいいのかわからない)
・・・

わたしも
鑑賞しようと決めるのにちょっと、
勇気みたいなものが要った。
けれども、
同様にほんのすこし抵抗があった
「歌舞伎」を、先日「シネマ歌舞伎」で
初めて鑑賞した結果、おもしろかった。
それで、なんとなく、
お能もいいんじゃないかと考え、
チケットをとってみた。

じっさいにみて すぐに気づかされた。
「わからなそう」「難しそう」は、
思い込みであった。
みために情報がすくないぶん 
想像がかきたてられ
「わからない」にとどまることがない、
というのが最大のポイント。
「眠くなる」こともない。
理解するために五感が勝手にフル回転し、
眠くなるどころではないのだ。
わたしだけでなく、
お客さんのおおくが 
ものすごく集中して観ていた
(ちなみに会場は超満員)。

ただし、
「乱拍子」の舞のときだけは、
話は別だった。 
そろそろと足をうごかすだけの動きを、
体の向きを変えながら
30分にもわたってくりかえす。
お客さんたちが 
催眠術にかかったように
ばたばたと寝入っていった。
いびきの音がすごくて
(わたしはなにもわるくないのだが笑)
なんだか気まずくてしょうがなかった(^^)。

この乱拍子の舞については、
シテの佐野登さんが
プレトークショー
「乱拍子で意識がとおのいてしまう
お客さんがいっぱいいますが、
一見 足を動かしているだけにみえて、
じつは複雑なことをやっている、
奥深いシーン」
「ここで寝てしまうと、
直後の華やかな急の舞を
みのがしてしまうから、
がんばってみてほしい」
とおっしゃっていた。
自分はさいわい 
睡魔におそわれなかったので、
まばたきの回数すら最小限におさえ、
舞のすべてをこの目に焼き付けた。

所作、音、唄、衣装、雰囲気、
舞台装置、段取り、舞踊、
狂言とのバランス・・・と 
なにもかもが新鮮な2時間。

でも、DVDや
動画サイトなどで観ても
同じような感動を 
あじわえるものかはわからない。
緊張感、臨場感を満喫したければ 
能楽堂に足をはこぶのがベストだろう。
チケットは一般的に 
いいお値段みたいなのだが、
わたしが今回観たのは 
出版社が後援する企画もので、
演者によるプレトークショー
(ゲストにダンサーのSAM・・・)や、
衣装の展示などの
初心者向けオプションが充実し、
料金システムも多彩。
自由席3000円で、
なんの問題もなく観られた。

昨今は、やる側も、
伝統の火をたやさないために 
なんとかみんなに観にきてもらおうと 
いろいろ知恵をしぼってる。
この手の企画ものをチェックすれば 
比較的気軽にお手軽に、
お能も歌舞伎もみられるはずだ。

ただ、現代的音楽やサブカル
コラボしたものを
むやみに導入編として観るのは 
個人的にはどうかとおもう。
(たとえばJAZZ×能とか 
「ワンピース」×歌舞伎みたいなの)
 
「能」、
一度は生で鑑賞されることを、
みなさんにおすすめしたい。

聞き届けられる場合もある/充電器が燃えた/映画の感想-「マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年(2016)」-180205。

先日 某官公庁記者クラブ
記者会見に出席する機会をえた。
国内で目下 問題となっている 
とある件にかんして、
じつのところわたしは当事者であり、
また 当事者として名乗り出た
数少ない人間でもあるため、
記者会見の場に出席し、
発言をすることとなったわけだ。

会見終了後、
衆議院議員会館において、
この問題に熱心なことで知られる
衆院野党の先生と
面談する機会もいただいた。
そこには民主党政権時代の
某省・元大臣もいて、
かつてテレビで毎日のように
見かけていたお顔の人が
目の前にいて、話しかけてくる、
という状況に
かなりへんなかんじがした。

このような機会は  
突然 ふってわいた。
正直言うと、緊張したのだが、
まあこんな機会もまたとないから
どうおもわれようが 
なんだろうが別にいいやという
考えではあった。
知っていること、見聞きしたことは
わたしを信頼してくれている人を
売るような結果にならないと
確信できるかぎりにおいて、
すべて話して、
私見も聞いてもらった。

議員先生なんて
お忙しいかたばかりだと推察する。
2時間も時間をとってくださっており、
その時間をオーバーしたわけでは
なかったのだが、
お部屋をでると、そこには 
面談待ちとおもわれる人たちが
20人以上もずらりと並んで、
待っていた。

そんなことがあって、
そして先月末の
衆院予算委員会
わたしが 話したことがらを材料に
あの議員先生は 
首相に質問をぶつけてくれた。

わたしは予算委員会
テレビでみていなかったのだが、
公開速記議事録を
あとで読んで知った。

はっきりもうしあげると
お目にかかった議員先生たちは
この問題について、
すこしも内容を・・・
骨子さえも理解していなかった。
初歩的な法知識も 
ろくろく おもちでない。
話していてはっきりわかった。

というのも わたしは 
こうしたことについての知識が
ある程度必要な職場で
以前はたらいていた。
その職場の 20代そこそこの
バイトさんたちのほうが、
よっぽどこの問題にくわしく、
知識を実地に活かせている。
という状態であることがわかった。
なんにもわかっちゃいないのだ。
そんなでも国会においては 
「この問題に熱心に取り組んでいる人」
枠なのだ。
・・・ 
どういう人たちに
国の運営をまかせているのか
その一端がみえたかんじだ。

でも、公開速記議事録を読むに、
わたしが話したことを
彼らはちゃんと、聞いてくれていた。
理解してくれていた。
お呼びでない場面で
的外れな質問の補強につかって
議会場をビミョーな空気にしたり
していなかった。
わたしが言ったことは
言ったとおりに理解されており、
適切な場面で用いられていた。
ムダにならなかった。
わたしの話を聞きながら
真剣にメモをとってくれていた
あの紙を
彼らは ゴミ箱に捨ててなかったわけだ。

話せば、伝わるんだなとはおもった。
ひとりでやったって
なにも変わらないとか、
言ってもどうせ
聞き届けてもらえないとか
考える必要はない。
それは、実感できた。

ま もうちょっと勉強してほしいけど(^^)

・・・

充電用ACアダプターの
ケーブル部分が火をふいた(^^)
じつは旧年暮れにも
似たようなことが。
ケーブルのコーティングがやぶけて
中身の銅線的なものの束がとびでてきた。
充電が不安定となったのだが、
そのあっちこっちに飛び出た銅線を
人工的にショートさせて
なんとか接触をたもち、
一時的に充電を可能にする
ということを ずっとやっていた(あぶな!!)。
さすがに限界だったみたいで最近は
充電がますます
しにくくなってきていた。
でも、使い続けてた。
結果、火をふいた。
ちょっとまちがえば
けっこうな惨事になるところだ。
さいわい火力が 
お線香の束に着火するときの
火だねとしての新聞紙程度ですんだ
(わかりづらい。)ので
消火に成功。
あぶないところだ。
新品のアダプターは 
きょう到着した。

・・・

昼ごろ、映画を観た。

原題:MANOLO: THE BOY WHO MADE SHOES FOR LIZARDS
 マイケル・ロバーツ監督
2016年、英

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movie.walkerplus.com

高級靴ブランド
マノロ・ブラニク」の魅力の秘密と
同ブランドの創始者で 
現在もみずから 
すべてのシューズのデザインと
サンプル製作をてがける
ラニク氏の 
思考と理想にせまる、という触れ込み。

ドキュメンタリーだが、
回想シーンは
アーカイブ映像を
つなぎあわせただけでなく
新しく撮った映像に 
古いフィルムのようにみえる加工を
施して挿入したりといった
工夫がこらされていた。

一部のお金持ち
一部のファッションフリークが
キャッキャウフフしつつ
ホームシアターでながめる
オシャレ映画かとおもったが
ラニク氏の人間性
よく映し出され
観ていて たのしかった。
フルーツバスケット
植物園の草いきれ
海のにおいがただよう 
鮮やかな映像だった。

ラニク氏の
ビジネスパートナーが
インタビューで 
ノロのデザインの魅力を問われ
「ふつう どんな一流ブランドでも 
シューズのデザインは
既成のなにかのデザインを
ネットかどこかでひろってきて
『こんなかんじ』と やるものです。
けれども マノロは違う。
ノロの靴はひとつひとつのデザインに
デザイナー自身の歴史と思想が
反映されています」
と。
だから、わたしとしては
では ブラニク氏の人生の歴史とは
思想とは、と その部分を
知りたい気持ちになった。
しかし、その点は 
掘り下げられてなかった。

※そもそもなぜ「靴」だったのか、
服とか髪とかでなく、
それも よくわからなかった。
きっかけとかよくわかんない、
なんとなくなりゆきで、
人生 それがほとんどだということは
わたしも知らないわけではないが。※

ラニク氏が 
あんまりすてきなおじいちゃんなので
昔話を 聞かせてもらうよりも
現在の彼のありよう、
彼の表情を
一秒でも多く撮って残したいと
監督が もしかしたら
思ってしまったのかも。
気持ちはわかる(^^)
こんなすてきな老紳士は
世界中さがしても 
なかなかいないってかんじだ。

だがそれゆえに 
知りたいことがあまり知れない
映画になってしまってはいた。
靴に縫いこまれた
ラニク氏のヒストリーを
伝えようとせずに
「マノロの頭のなかは
複雑すぎてついていけない」
などと 
彼の友人に語らせて
ごまかすのは ずるい。

思考よりも体が先/映画の感想-「ホワイトハウス・ダウン(2013)」-180203。

わかってても やらないんじゃ、
わかってないのと同じだ。

このところ
気持ちが激しく
落ち込んでしまっていたのは
行動を起こしていないせいも
大きいということに 気づかされた。

やれることは
もう全部やってしまって
動こうにもやりようがない、
という案件もたしかにあるが
ほかの件であれば
探せばやれることは
まだまだたくさんある。
それらは個別案件なんだから 
関係がない。
進まない案件があっても 
ほかのことはやればいいわけだ
気持ちの落ち込みにまかせて
すべて停滞させるのは 
いかにももったいない

わたしのカウンセリングを
担当してくださっている
先生もおっしゃっていた
人は 頭よりも体のほうが 
ほんとは先なんだそうだ。
たとえば 頭では
大丈夫とおもっていても 
体が先に「NO」の反応をしめす場合がある。
頭では自覚がないから
なぜ自分の体が悪くなるのか 
見当もつかなかったりするが
だから、体の訴えには
耳をかたむけなければならない。
逆に 体を動かすことで 
頭も(気持ちも)変わることがある。
じつはこれは先生から聞いたのが
初めてというわけでもない
楽しい気持ちだから
笑顔になるんじゃなくて
笑顔をつくるから
楽しい気持ちになるんです
そんなことを
脳科学者の先生などが 言うのを 
本でもさんざん読んだ。
おなじことのはずだ。

カウンセラーの先生は
頭を(気持ちを)ととのえるためには
まず体をととのえよ、と
最初から、まさしく最初から 
話してくれていた。
なのにわたしは 
それらの価値あるアドバイス
すこしもまともに聞いてなかった。

きょう20年来の友人と
メッセージのやりとりをした
その子はピアノの先生だ
このたび指導者試験の課題として
小論文を提出する必要がある
自分はもとの仕事柄 
微力ながら添削している
友人の小論文を読むうちに
心がずいぶん 
ととのっていくのを感じた
それに彼女が
「悩みすぎると
ドツボにはまるので、
最近は今を生きることに
集中している。
今日やるべきことに集中していると、
すこし気分がラクになる。」
ということを書いてきた
「今に集中した結果、
未来が開けると信じて
がんばろう。なんとかなる!」と。

ああそうだった
やりゃあいいんだ、
どんなことでも、
今日やるべきことを。
って 思い出すことができた。

やるべきこと、
やったほうがいいことは
いくらでもあるのだが
つい 
あとまわし、先送りにし、
現在のわたしは
タスク管理状況がずさんだ。

これはいけない。
積極的に見直して改めていきたい。

直近でおおきなものとしては

・2本 書くべきものがあるから
 1本はあしたじゅう
 もう1本は日曜中に かたちにする。

これを完遂しよう。

あと、
この3日間、本をなんと1冊も読んでない
こんなことがこれまであったろうか。
なまけるのも
たいがいにしないと。


・・・

きょう
テレビで放送されていた。

原題:WHITE HOUSE DOWN  
ローランド・エメリッヒ監督
2013年、米

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movie.walkerplus.com


目もあてられないくらい 
つまんなかった。
古いのだ。
けど 
まずいところばかりでもなかった。

ジェイミー・フォックスはよかった。
かなりめちゃくちゃな映画の、
相当にでたらめな役柄を、
真剣に、誠実に演じてて、
頭が下がった。
チャニング・テイタムも 
いかにも米国の青年てかんじの
ルックスで 見ててたのしかった。
マギー・ジレンホールは
なんだか顔が変わった。
ノーラン監督の
バットマンシリーズのときよりも
本作のほうが すてきだった。
弟のジェイク・ジレンホールは 
どうしているんだろう。
プリズナーズ」はよかった。

ホワイトハウスの動乱に
巻き込まれた主人公の娘が
重要な役回りを演じていた。
大統領に 
「世界の人びとを救うために、
きみひとりを見殺しにするけど、ごめんね」
も同然のことを
言われたにもかかわらず 
気丈にも「わかりました」と答えるシーンと
大統領旗をかかげながら 
ホワイトハウスを駆け出し、
空爆中止を訴えるシーンは
なかなかいいとおもった。
彼女は自分が助かりたいからでなく、
ホワイトハウスに残った大統領と
父を救いたい一心で、そうしたのだ。

これらのシーンはおそらく
つまりアメリカさんは
「こういうのがすき」。
という 勘所なのであり、
それが意外なことに
自分もそんなに
きらいじゃないみたいだった。

計算ができない/映画の感想-『殺人の追憶』-180201。

降ってるけど、音を聞く限り 
いまのところは雨で、
雪に変わりそうなかんじはしない。

・・・

この2日間というもの
不在にしてたが、けさ戻った。
寒いし雪も降るかもというので 
ずっと家にいる。

暮れからこっち 
毎日ひまをみつけては
ちょっとずつ 部屋の整理整頓を
つづけている。
部屋というか、今や 
ほぼ書棚の整理を。
だいぶましになった。
床に積んでた本たちが
けっこうな量、
棚におさまったおかげで
ふつうに部屋のなかを
歩けるようになってきた。
作り付けの書棚は 
奥行きがかなりある。
空き箱とかで「ひな段」を作り
収納力を高める工夫を 
これまでもしてきた。
ひな段は 従来ひとつだったが 
ぎりぎりここまでなら
せり出してもおっこちない、
というラインと
ぎりぎりここまで
背表紙が見えれば
うしろにある本の見分けがつく
というラインが
経験から だいたいわかってきたので
今後はひな段をふたつ、
つまり3段組みにしようとおもっている。

だが計算のしかたが 
わからない。
容量確保のための
寸法的な閾値を割り出すには
目分量では不十分
ちゃんと計算しないとダメだとおもう。

そして市販の
カンとか箱やらではなく、
建築業の叔父にたのんで 
廃材かなにかを 
ぴったりの大きさに
切ってもらったものを
棚にはめ込むことで 
段をつくるくらいのことはするべきだ。

けど 計算ができない。
計算式を作ろうとすると
目の前にモヤがかかったようになり 
頭が割れるように痛みだすんだ・・・!
算数が得意な人に
おねがいするしかないだろうな。
イヤ 計算から叔父にたのめば
それでいいのかもしんないけど。
叔父におねがいすれば一瞬だろう。
まあ急ぐわけでもないし
もうちょっと悩むことにしようかな。

・・・

殺人の追憶』という
韓国製の映画を観てみた。

原題:살인의 추억  
英題:Memories of Murder
ポン・ジュノ監督
2003年、韓国

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www.youtube.com


かなりおもしろかった。
86~91年の韓国で実際に発生し
未解決の状態となっている
空前の連続殺人・死体遺棄事件
「華城連続殺人事件」をもとにした
フィクションとのこと。

事件の概要は Wikiでそれなりに知れる。
華城連続殺人事件 - Wikipedia


韓国製の映画は 
数本しか観たことがない。

観たのは
『春夏秋冬、そして春』
シルミド
JSA
『箪笥』
くらいのものか。
ほかにも観たかもしれないけど
思い出せない。
どれも、
なんとなく映像が黒っぽくて
陰翳がきつく、
雰囲気がしめっていた。

本作もそうだった。
本音をいうと 
このかんじがあんまり好きじゃないから
韓国製の映画を観ないのだ。
けど本作にかぎっていえば、
そうした感じが合っていた。

「所轄」特捜部の刑事たち
ソン・ガンホ、キム・レハら)と、
首都警察から派遣された刑事
キム・サンギョン)とが
協力して捜査をしていくなかで、
両者の基本的なスタンスが
逆転していくようすが
もう少していねいに
表現されていると よかった。
でもまあ あんまりそこは
重要じゃなかったかも。

「帰ってくる」
「戻っていく」
「入っていく」
「なかに詰め込む」
を連想させるシーン、エピソードが
全編にちりばめられ
ちらちらと光っては 
なにごとかを訴えかけてくる。
「収穫期の農村」の美しい風景で始まり
そのオープニングと同じ風景で終わる。
「農業用地下水路」にすてられた死体。
被害者が「全員女性」。
「柔らかく美しかった」犯人の手。
「雨」の日に事件が起こる。
刑事の「心と体をいやす女性」。
そして
最重要参考人の青年が 
「暗いトンネルの奥」へと消えていく終盤。
トンネルを猛スピードで駆け抜ける列車。
「メシ食ってるか」という場違いなセリフ。
その言葉を投げかけられて 
なぜか切迫したような表情を
うかべ涙ぐむ青年。
・・・これらを観察したとき、
この映画における事件のありかたが、
女性性、または母性への執着
(指摘するまでもないことだが暴力性を内包する)
もっというなら
「胎内回帰」への希求に
強く紐づけられていたことを感じた。

これに気づき始めたとき 
わたしとしては
最重要参考人の自宅から 
彼の母性へのこだわりを
感じさせるなにかが見つかるかな
とおもった・・・というか
そうでないとおかしいと
期待したのだが。
・・・
たとえば母を早くに
失っていることを示す写真とか、
逆に母との結びつきが
病的に強いことを示す何かの形跡。
・・・
そのシーンに戻って
何回か慎重に観返しても
明確には発見できなかった。
「赤色」へのこだわりだけは、
わずかに暗示されてたが、
これもこじつければそれなりに、
という程度でしかなかった。

青年が読んでた文庫本が
何かがわかればな(^^)
ハングルだったし 
何の本かわからない。

役者さんがだいたいみんな
わたしがぜんぜん
好きじゃないルックスであり
その意味で 
観ててちっとも楽しくなかったことは
たしかだ。
でもこのシンプルな
クリミナルサスペンスに
多くのメタファを
かなりうまくおりこみ、
なおかつ不自然さを感じさせず
すっきりと仕上げていて、
評価に値する作品だった。
どのシーンも緊迫感にあふれ、
暴力描写にも迫力があった。
あちらの国では
ほんとに警察があそこまで
やってたんだろうか、
30年まえまでは?
演技は どの役者さんも超一級。
ソン・ガンホ
韓国映画界の大御所ときく。
たしかにすごい存在感。
ただ 顔は何度もいうが
ぜんぜん好きじゃない(^^)

ファンタジーに逃げることなく、
鑑賞者が自由に解釈する余地をのこしつつ
それなりのきちんとした結論を暗示する
おわりかたが選ばれていたのも
本作らしさが保たれていたと感じて
よかったとおもう。

舞台化しても
おもしろいんじゃないかな。

苦悩/イースタンユース eastern youth-180131。

一生 何者にもなれなくても、
何ひとつ人並みにできなくても、
目的もなく、死ぬまでただ生きていていいと
自分に許すことができたなら、
いくらか気分もマシだろうに。
そんなことって 
いつまでも考えているのは
おかしいんだろうなあ。
でも、どうしようもなく
そんなことを考えてしまう。

・・・

みなさん もうごぞんじだろうが。

www.youtube.com

eastern youth吉野寿
「ナニクソ節」
(アルバム『ボトムオブザワールド』収録、2015年)


www.youtube.com

eastern youth
「ソンゲントジユウ」
(アルバム『SONGentoJIYU』収録、2017年)

イースタンユース
だいすき~。
ソリッドな音のかんじがねえ。
※ソリッドな、とか それっぽいこと言ってる
自分に 噴飯(^^)
歌詞が妙に文学的で 
めっちゃくちゃに感情的なんだけれど 
それでもどこか品が保たれ、
香気高いのもいいところ。
あと、
ベース 上手!!

最新のアルバムは昨年でた「SONGentoJIYU」。

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ジャケットもカッコイイ

ナンバーガールっていう 
オルタナロックバンドが
10年くらいまえまで あった。
ほんとにかっこよかった。
いまも聴くが、学生時代はとくに
ハマっていた。

www.youtube.com


まーナンバーガール
「透明少女」が比較的一般にも
人気あるかなと。
カッコイイ(^^)。

大学の一般教養科目
演劇関連の科目があった。
講師が わりと著名な
若手の舞台役者さんだった。
だからその講義、人気があって、
初回のときには前評判を聞きつけ、
教室が超満員。
わたし、3年次編入といって、
ようは転校1年めだったもんで、
前評判とかなにも知らないから、
シェイクスピアとかチェーホフとか
読めるのかなーくらいのことを
思って 聞きにいってみたら
この大盛況で、ほんとにおどろいた。
人数がスゴイので先生がめんくらって、
生徒数を減らすために、
レポートの回数を増やすとか、
みんながはずかしがるであろう
演技の実技試験をやろうかなとか
言い出したくらいだった。
・・・これは余談だった・・、
その演劇関連の科目の、
初回の講義のときに先生が、
自分はナンバーガールの音楽が
だいすきだとおっしゃった。
それを聞いてわたし、
あ、ナンバーガール
と 共感をおぼえた。
最前列の席にいたので、
講義がおわったときに
先生に声をかけ
ナンバーガールわたしもだいすきです」と
言ってみた
(だからなんだよって話だが)。
そしたら先生がずいぶん喜ばれて
いろいろ話してくださって、
ナンバーガール
イースタンユースとかの
影響を受けてるんだよねーって。

わたしがイースタンユース
知ったきっかけはそれ。
あとでネットで調べたら、
たしかに
向井秀徳さんなんかが、
イースタンユースから
影響を受けたと公言している、 
なんて書いた 記事を見つけて。
正直
ナンバーガールイースタンユース
音楽性が全然ちがうと 
わたしはおもう
向井秀徳さんが
ナンバーガールのあとで結成した
ZAZEN BOYSのほうが、
音楽的にイースタンユースっぽい。
しょせんわたしのいうことなので
本物の ナンバーガール
ZAZEN BOYSや
イースタンユースのファンが
このブログを読んだら、
刺客が20人くらい 
さしむけられるかもしれない(^^)
ま、でも、向井さん本人が 
影響を受けたといっているようだから、
まあ、そうなんだろう。

そんなこんなで
学校帰りにディスクユニオン
イースタンユースのアルバム 
とりあえず3枚くらい買って聴いて 
すみやかにハマった、
そんないきさつ。

イースタンユースの歌詞は
文学的で品があると
さきにのべた。
たぶん相~当~ 本を読んでいる。
吉野寿さんとかが。

たとえばこれは
「夏の日の午後」という曲の、
詞の一部

「神様
あなたは何でも知っていて
心悪しき人を打ち負かすんだろう
でも真夏の太陽は罪を溶かして
見えないが確かに背中にそれを焼き付ける

蝉時雨と午後の光
まだ生きて果てぬ この身なら
罪も悪も我と共に在りて」

・・・・
ちょっとカミュみたい(^^)
いや、山頭火っぽいかな?
谷中安規とか(作家じゃないけど)。

吉野さんが 島尾敏雄太宰治
坂口安吾の愛読者と聞いたこともあり
ますます好きになった。
島尾敏雄で卒論書いたくらい
島尾文学に夢中だったから、
学生のときは。

イースタンユース
歌うことの内容は、
わたしが 
生きていて苦しいとおもうとき、
人生につまずいたときに聴くと、
心にストレートに響く。

つまずいてしまったときに、というと
まるで つまずいてないときが
あるみたいなニュアンスだが
基本いつも つまずいてる。

こう思うことができたなら、
こうやって、自分で自分に 
マルを出すことができたなら。
解放されたい、
こりかたまった自分自身から。
わたしにとって彼らの歌は
なぐさめであると同時に、
苛烈な叱咤の歌。

イースタンユース 
みなさまも ぜひ(^^)

下北沢/賢者の横顔/映画の感想-『ヴァン・ゴッホ』-180129。

下北沢の茶沢通り沿いにある
タウンホールに行き
労働問題関係の無料講座を聞いた。
3年目だという 
女性の弁護士さんが講師を務め
ハラスメントなどの就労上のトラブルへの
対処法を教えてくれた。

質疑応答で、
セクハラってどうして
こんなにも横行しているのか、
加害者はどんな気持ちでハラスメントを
はたらくのだと思いますか?
との質問に対し、

労働社会にはまだまだ
男尊女卑的ムードが色濃く
従業員を人ともおもわず
搾取する使用者が
すくなからずいるのだ、と。
「こんなことを申し上げるのも
なんなのですが・・」
と前置きし
「じつは 弁護士の世界も
そういうところがあるのです。
古参の弁護士には
メンタリティがほんとうに
古い者がおおくて。
明治時代の人なのか
なんなのかしりませんが・・・」
とも 話されていて、その 正直な見解に
会場の人たちが くすくす笑ってた。

・・・

・・・

下北沢は、せまいエリア内に
いろいろなお店があって
楽しめそうな街だ。だが、
あのかわいいお店たち小劇場たちを 
すべて見て制覇したい、とか
そういう願望は持たないし、
長居したいとも わたしはおもわない。

渋谷なんかよりは
まだかなり健全な街だなと直感する。
わりとアカデミックな、というか・・・
理性と、自律的な選択、
知的好奇心みたいなものが
街に満ちているのを感じる。
街を歩く人たちの会話の内容も 
わたしにとって身近で受容しやすいものだ、
はっきり言うなら「まとも」
そんなかんじを うけるのかもしれない。

・・・

それにしても
この優秀な弁護士さんの
お顔立ちを見て 
おもったのだが
知力の高い人ってのは、
ルックスに似通っている
ところがある気がする。

気のせいだろうか
まず、総じて色白、総じて端正。
お顔のまんなかにきゅっと
パーツが集まったような顔立ち。
やや 細目の人が多い。
そして 高い確率で一重まぶた。
女性は眉があがりがち、
眼下がりがち。
男性は眉も目も上がりがち
(つまるところ『きつね顔』の傾向)
男女とも、眉が短い人が多い
(横向きだと見えるか見えないか)。
傾向的に、手の指が長い。
血液型が OかAB型のことが多い。
※血液型はわたしが
出会ったなかでは
BとかAの人ももちろんいた。
ただ、これはわたしだけの
勝手なジンクスなのだが
わたしの人生の一大転換点には
かならずOかAB型の人があらわれて
わたしになんらかの 
強い影響をあたえていくのだ。
(自分で その人に血液型を聞いて
チェックしているんだけど。)
なので
たぐいまれな頭脳の持ち主、
という特徴とあいまって
O型かAB型がとくに記憶にのこる 
のかもしれない。

ここに挙げたふうじゃないルックスで
賢い人もたくさん知っている。
眼がぱっちりおおきくって
健康的な地黒さんで、
ちっちゃな手の人も
もちろんいた。だから
自分で言ってて 
筋がとおってないことは
よくわかっている。
だが、
おなじ頭がよいといっても、
本人の努力のみで知識教養などを
詰め込んできたタイプとちがい
まず遺伝的に上質な
エンジンを積んでいて、
そこにきわめて恵まれた生育環境のもと、
良質の教育を受けてきた、
としか思えないたちの 
いわばサラブレッド的頭のよさを
発揮している人というのは たいてい、
顔立ちがこういうかんじだ。 

そう思われてならない。



賢者の血族とでも
いうべきものがあって、
今となっては 彼らのあいだに
実際的な意味での
血のつながりはないんだろうけど、
広い意味での 縁者なのかもしれない。
知らんけど。

・・・

ゆうべ、
ゴッホの伝記映画を観た。

『ヴァン・ゴッホ
原題:Van Gogh
モーリス・ピアラ監督
1991年、仏

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www.youtube.com


91年・・・
それにしちゃ 古さを感じさせないな。

最初はメディアプレイヤーの画面をちいさく表示しておき、
横目でちらちら話を追いながら別の作業をしていたのだが、
だんだん画面を大きくしていき、
最終的には作業そっちのけで映画に夢中になってしまった。
おもしろかったんだとおもう。

だが万人受けするおもしろさとはおもえない。

「説明」というものが、 
いかなる意味においてもまったくない映画だ。
本作を観てちっともおもしろくない、
なにがなんだかわからない、と思う人がいても、
わたしは少しもおかしいとは思わない。


描かれるのはゴッホの最晩年だ。
主人公や、その周辺人物たちの心が
ギリギリと追い詰められていくようすが、
あくびがでるくらい退屈な日常の描写のなかに
ぼつっ、ぼつっと描き出される。

容器のなかで ゴショゴショと混ぜすぎて
もう何色だかわかんないみたいな
ヘンな色の水彩絵の具を、たらしたみたい。
エピソードの配置のしかたが。

ゴッホがなぜ死んだのか、彼に何があったのか
自殺を望んでいたとして、それはなぜだったのか
心を病んでいたのか、具体的な理由があったのか
歴史的にははっきりわかっていないようなのだ。
本作を観ても、やはり、わからなかった。
明確な理由があったかのように、
解釈をつけて描く 手法もあるのだろうが、
本作はすくなくとも そうじゃなかった。

さっきまで家族と笑って食事をしていたのに
ひとり部屋に戻ると引き出しから拳銃をとりだす。
こめかみにしようか みぞおちにつきたてようか
今ひきがねをひこうか やめようかと
撃鉄をひっきりなしに 鳴らしながら
おいつめられた表情で思案する。
死にたいと考えるほど思いつめている人は、
はっきりとした兆しを見せるものだと
考えられがちではないだろうか。
怒りっぽくなる、沈みがちになる、
形見分けのようなことをしようとする、
「最後だから」などと思わせぶりなことを言う、
などなど。
だが 実際はそうとも言い切れない、と本作は言う。
どんなに激しく追い詰められた心でも
はたからまったくわからないこともある。
その切なさが、よくよく伝わった。

主治医の娘マルグリットが
不器用ながら真摯に、そして一貫して
ゴッホを「呼び戻そう」としていた。
彼の愛を もとめてもいた。
だが なにせゴッホ自身が 
彼女がさしのべた手をとろうとしなかったのだ。

愛されたからといって、愛し返すことは義務ではない。
手をさしのべられても、握り返す義務はない。
愛情をうけとろうとせず、自分の思う孤独のままに
死んでいく人もたくさんいると思う。
なんて自分勝手なんだ! こんなに愛してたのに、と
のこされた人は おもうかもしれない。
自分じゃダメだったのか、と。
でも そういうことじゃないのだ。

思いやりを込めて誠心誠意尽くせば、
あなたが必要だと耳元でささやいてやりすれば、
つなぎとめることができる、・・・と信じるのは、
まあ、美しい姿勢かなとはおもう。
結局、周囲の者はそれ以外にできることがないし。
でも その姿勢が絶対正しい、
そうすれば救えると信じることは
傲慢でもあるということを、わかっていたい。

でないと、
なぜ止められなかったのか
自分の力不足だったのではないか
そんなふうに、いつまでも考えてしまい
苦しむことになるんじゃないかな。
苦しむのはかなしいよ。

その人は死んだ。
みずから死に向かっていったかもしれない。
だが、
死んだのは、
あなたの愛を受け取らなかったからじゃない。
受け取らなかったにしても、
拒んだのではないかもしれない。
ただ、ほかのことで 頭がいっぱいだったのだ。

それが確認できて いま、すこしほっとしてる。

マルグリットの愛は、とても不器用だった。
ゴッホの心に それは届かなかった。
でも彼女の愛は 
彼に愛してもらえるかどうかとは関係なく
ずっと続いていく、強固なものだった。
そこが良かった。それがこの物語の救いだった。
マルグリットの愛情が
死者の魂のなぐさめになるはずだ、
と思わせる終りかただった。

ラストシーン、マルグリットの
「ええ、(彼はわたしの)親しい人だった」
というセリフに、ややおっかぶせて
オーケストラ曲が鳴り響く。
オネゲルかな? わかんないが)
場違いな大音量が印象的だった。
愛する人に愛されなかった心の傷の
生なましさを 思わせるとともに、
前を向いて生きていく彼女の強さを
あの決然としたフォルテシモが 
象徴してたように思う。

うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる-180126。

友だちのやさしさに
気づけるだけの 
心のよゆうが 
わたしになかったようだ。
あとになって真意に気がつき 
ありがとうのひとことも 
言えなかったことを悔いている

今までにも何度もこういう
ニブイことがあったのかも

いつも何かをやってもらったり 
たすけてもらったり、というばかりで 
わたしからは提供できず 
返礼もできていない。 
相手にとって 
割に合わない人間関係だ。
この友だちに限らず
どの人との人間関係も、こんなかんじだ。
もらってばかり。
すこしでもかえすことが
できればいいのに。

自分のことばっかりで
精いっぱいじゃなく
人が自分を思ってくれるように
自分も人を思えるような
ちゃんとした人間になりたい。