BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『恋とボルバキア』-171218。

小野さやか監督
2017年、日本

ポレポレ東中野、12:30~

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映画『恋とボルバキア』公式サイト}

www.youtube.com

 

よかった。
今年観た映画では
ダンケルク』の次くらいに
よかったな。
井上魅夜さんのエピソードを
構成上の芯に据えた時点で 
この映画の「勝ち」が
決定したものと 確信する。
※上映後に、本作の監督と
話す機会をえたのだが
彼女によれば、著名な映画監督に
本作をみせて助言をあおいだところ、
井上魅夜の話は外したほうがよい
と いわれたそうだ('_') 
な~んでそんなことを 
その映画監督は言われたのか。
失礼ながら わたしには
ぜんぜんわからない。

井上魅夜さんのエピソードは 
「してやられた」と 
なんか思わされたくらい
心をわしづかみに 
つかまれた。

ゆれうごき 
グラデーションを描き続ける 
人間の心、サガを 
あの人こそが象徴してた。

なぜ、してやられたと 感じたか
あとで よくよく
考えてみたんだけれど、
わたしもけっきょく、
期待や はりつけたいラベルを
井上魅夜さんに押しつけて、
観てたんだとおもう。
井上さんは、悩み多き
「男の娘」たちにとっての 
頼れる姐御であり、
その界隈に根を下ろして
ずっと彼女たちを
支えていくのです・・・、
というポジションなんだと。
ポジションというのは
つまり本作にとっての、
ということであり、
社会における井上さんの、
ということでもあるんだけど。
勝手にそう思いながら
観てたってこと。

けど、井上さんは
そうじゃなかった。
わたしはその展開に 
当初かなりびっくりしたんだが、
いや、そうだった、
人の心は変わるんだ、と。
そうだったそうだったと。

LGBT LGBTっていうが、
自分は体も心も男/女だ、って
信じてうたがわない人でさえ、
そんなことはなにひとつ
「わからない」っていうのが
ほんとうのところなんだろう。
ゆらぐ。
やっぱり人の性って
人の数だけあるものみたいだ。

井上魅夜さんは 
性別どうこうじゃなくて
その人生の歩みというところで、
大きくゆらぎ 
ひるがえすさまを見せてくれたが
あの人をみていたら、わかった。
人はゆらぐんだ、
わからないもんなんだ、
だからこそ何かにしがみつきたいし
愛し愛されたいんだということを
この映画は言いたいんだ、と。

あと、女装を趣味とする
50代くらいの男性が
ひとり登場していた。
彼はこの映画にでてくる人たちのなかで
まちがいなく最年長。
おもえば年長の人ほど、
本作において 言葉少なだった。
若い人ほど赤裸々に悩みを吐露し、
迷っているということを
あきらかにしていた。

迷いや弱さを秘することと 
あきらかにすることと
どちらが強いのかとか
そういうのはわからない。
正直わたしには 
本作に登場するどの人も、
とっても心が傷ついて
弱っているように見えた。

また、本作は、
へたなフィクションの恋愛映画より
よほど ひりつくような、迫力ある、
しかもなんというか・・・うん、いや、
「恋」がみられる映画だった。

わたしは 
かなわぬ恋というのは、
けっきょくのところ自分に 
相手を振り向かせるだけの魅力が
なかった、それにつきるのであって
同性だからとか年齢がとか
そういうのは
あまり関係がないとおもう。
その前提にたつからこそ
本作にでてくる人びとの 
恋の苦しみ、胸の痛みがすごく
伝わってきた。
傷つきたくない
傷つけたくない
決定的なことを言って
相手の逃げ場を奪いたくない
早晩 終わりだとわかっているけれど 
それをいまはまだ 認めたくない
言っても大丈夫そうなときだけ
本当のことを言う卑怯さ
「結婚して、子どもがほしい」・・・
機先を制して相手の口を封じるずるさ
「この指輪の意味は?」
「意味とかどうでも良くない?」
心から血が噴き出す瞬間
その他もろもろ。
そいつはどれもこれも、
他人の眼から見たら
おろかなんだけれども、
でも 人をこれほどまでに
おろかにする
それこそが恋なんだろう。

安藤忠雄展。

国立新美術館で、
安藤忠雄展をみた。

国立新美術館開館10周年 安藤忠雄展―挑戦―|企画展|展覧会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

 

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自分は建築のことはまったくなにも わからない。
渋谷の松濤美術館を手がけた人とカンチガイしてた。
松濤美術館の設計は白井晟一という人みたいだ。)
友人が誘ってくれたので行ってきた。
※その友人も安藤忠雄のこと特別知ってるわけじゃなかったみたい(^^)

結果的には 行って正解だった。すごくおもしろかったし
山盛り もりだくさんの内容で 予備知識などなにもなくても楽しめた。

建築の美術展て、どうやってやるのかなと まずおもうよね・・。
手がけた建物を美術館に持ってくるわけにもいかないだろうし。
建築施工において、おそらくは、
プレゼンテーションや、施主への説明のために
何千分の一かのミニチュアの 完成模型を用意するようなのだが、
その完成模型が各セクションに多数展示されており、
また解説パネルのほかに、小型モニタで各作品の内外観の映像が
紹介されていて、みていてあきない展示構成。
じっくり全部ながめたところだいぶ疲れはしたが。
第1セクションを見るだけでざっと1時間はかかった気がする(^^)

コンクリート打ちっぱなしの スタイリッシュな外観の建物は
いまでこそわりと 頻繁に見かけるけれども、
あれが70年代初頭、ふつうに住宅街にぽこっとあったら
スタイリッシュどころのさわぎじゃなかったろう。
なんだなんだと思うわな。

安藤忠雄氏は海外でもおおいに活躍されている。
あるときは フランスで大きなプロジェクトの 国際コンペを勝ち抜き、
場所も決まってあとは着工するだけだったのに
いろんな事情で企画がたちきえになったことがあったそうだ。
しかし、そのコンペティションのとき知遇をえていた人物から
声がかかり、
イタリアはヴェネチアの街と 歴史的建築物をぜいたくに使う
一大アートコンプレックスを手がけるにいたった。
プンタ・デッラ・ドガーナという、昔の港湾管理施設かなにかの
建物を活用する現代美術館が目玉で、
巨大な完成模型がすごくかっこよくて見入ってしまった。
こういう模型ってたぶん3Dモデリングソフトで作ったのを
積層法か切削加工法で 形にしていくのかな・・・
ちっちゃなパーツをボンドとかでくみ上げていく
昔のプラモデルみたいなのとは ちがうとはいえ
あれだけ大きいと 作るの本当に大変だろうな。

でも2年くらいかけてでもいいから わたしも
プンタ・デッラ・ドガーナの模型作ってみたい(^^)
毎日ちょっとずつやれば できないことはないとおもうんだが(^^)

www.palazzograssi.it

 

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安藤忠雄展はほとんどの展示が 先述のとおり
文と動画による解説、模型だったのだが、
ひとつ 安藤氏の作品の原寸大レプリカが野外展示されていた。
大阪府茨木市 春日丘教会(通称「光の教会」)礼拝堂がそれ。

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正直なところわたしには、ああ、簡素だけど、たしかに美しいな
ということのほかには あんまり 心に響くものはなかったのだが
これはANDO作品のなかでも とくに有名なものみたいで、
じつにたくさんの人が 中に入って観ていた。
この 壁の十字架型の切り込みが意匠のすべてであり、
ほかには床にも壁にも天井にも
宗教的装飾がなんにもない、というのはおどろきだよね。
しかしながら、
外からながめると 
外壁のコンクリートの積み上げかたがザツにおもえて
しかたがなかった(^^)
あきらかにブロックとブロックの継ぎ目のところが
ズレてた(^^)
本物は もっとていねいに積まれていて
ザツさなど決してかんじさせないはずだ。
急ごしらえだからしかたがないのかな。


この2日後の土曜日に、
叔父の家を訪問したとき、
叔父は建築家なもんで、
安藤忠雄展を観に行ってきたと 水をむけてみたら
意外なほど目をかがやかせて食いついてきた。
「おまえ行ったのか! どうだった!??」。
気難しくて かなりおっかない人なんだけど
めずらしく話がもりあがって笑顔まで見られたので
それだけでも 安藤忠雄展行ってよかったなと 思っちゃったね。



『アルスラーン戦記』8巻~ラジェンドラ礼賛-171208。

あんまり考えないようにしてはいるが、
つくづく 疲れた(^^)
みんなやっていることだから、
みんなおなじ条件だから、
・・・そりゃいわれなくてもわかってる。
けど、そういうのをいくら わかったところで、
自分が疲れているという事実が 消えるわけじゃない(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コミカライズ版『アルスラーン戦記』の
8巻がでているのを書店でみたので
購入して読んでみた。
マンガを買うことじたい すごく久しぶりだ。

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kc.kodansha.co.jp


パルス王国の王太子アルスラーン
その側近たちが
隣国シンドゥラにとびこんでいく
シンドゥラ遠征編がまもなく完結するところ。

シンドゥラという外国とのかかわりによって
パルスのかかえる問題や
アルスラーンの葛藤が
浮き彫りにされていくのが
この遠征編のおもしろいところだ。
すなわち
アルスラーンラジェンドラ王子、
アルスラーンとガーデーヴィ王子、
アルスラーンジャスワント
バフマンとマヘーンドラ、
ダリューンとマヘーンドラ、
ダリューンジャスワントなどなどの
対比構造。

マンガならではの描きかたで
ものすごくよく表現されていた。

神前決闘もみごとに描かれていた。
アルスラーンが、ダリューンを案じるあまり取り乱して
彼にもしものことがあったら・・・、と 
ラジェンドラ王子にすごむシーンは
迫力にみちてよかった。

わたしはアルスラーン戦記の登場人物のなかでも
シンドゥラ国のラジェンドラ王子がけっこうすきだ。
脇役なのだがとっても良いキャラクターだ。
コミカライズ版は
ラジェンドラの個性がすごくよく出ていて
いつも感心させられる。

ルックスも 人間性がにじみ出ていていい。
わたしは、原作小説で、活字だけで
アルスラーン戦記」を読んでいたときは、
ラジェンドラのルックスは 
俳優のデイヴ・パテルのイメージでいた。
シンドゥラ国のモデルがあきらかにインドなので、
インドの男性というとわたしのなかではデイヴ・パテルだから
何となくそのイメージを作り上げていたんだと思う。
それだけにコミカライズ版のラジェンドラを初めて見たとき、
「あ、こういうかんじ?」と一瞬だけ 意外に思った。
だが、「イヤ でも、これもいい!」とすぐに受容できた。
がっしりとして動物的で、良くも悪くもしぶとそう。
あけっぴろげで悪びれず、健康的にずるがしこい。
表情も言うこともくるくる変わって、やや鼻もちならないが、
でもいつもなんだか楽しげで、気持ちに余裕があるのが良い。
彼が登場すると場面の雰囲気がパッと明るくなるのだ。

それに、ラジェンドラはあれで仕事もけっこうできる。
アルスラーン(と彼の側近)の能力が並外れているから、
ラジェンドラの優秀さがかすんで見えてしまうのだが
用兵もなかなかうまいし、
けっこう周りが良く見えている。
民衆に好かれるのも指導者としては大事な資質だろう。
もしもアルスラーンたちがいない世界観で、
シンドゥラ国が主役の物語だったなら、
名君・・・というか愛すべき 国民的英雄として
描かれるはずの男だ。

この8巻で、ラジェンドラは、
シンドゥラ国の新国王の座に就いた。

彼はこれまで次期国王の座をめぐって 
異母兄であるガーデーヴィ王子との
決戦にのぞんできたわけなのだが
一時、劣勢においこまれた。
いつも強気で自信家のラジェンドラも、
さすがにこの時はちょっとめげそうになり
どこかから援軍でも来てくれればなあ・・・とか
夢みたいなことを考えてしまう。
そこではっと我にかえり
俺も焼きがまわったもんだ、と
自嘲する場面は悪くなかった。
彼がこのようにひとりごちるとき、
部下たちの誰ひとりとして、
彼の内心の思いにきづいている者はなかった。
大勢の部下を従えていても、
本質的に孤独である、ということだ。
ラジェンドラ
「おい! 何か起死回生の策はないのか!」
などと部下に甘えない。
そこが良いと 思った。
ラジェンドラ個人の戦闘能力、
軍の最高司令官としての手腕がどの程度なのかは
はっきりわからない。けど、
すくなくとも彼は ことを他人任せにしない。
物見役が重大な報告をしてくれば、
自力で物見やぐらをよじ登り、その目で状況を確認する。
戦争に臨む部下たちを鼓舞するために投げかける
「奴隷の子でも王になれるということを見せてやる!」
というセリフも、
彼がリーダーとしてかなり優秀であることを、
示しているとわたしは思う。
最高に優秀ではないかもしれないが、かなり優秀だ。
「俺がおまえたちに見せてやる」だ。
「おまえたちが、奴隷の子である俺を王にしろ」ではない。
ラジェンドラは、自分が何もしなくても
まわりがやってくれるのさ、なんて思っていない。
自分の下にはたくさん人がつきしたがっていても 
自分と同じ高さのところには誰もいないということも、
本質的なところで案外理解している。
王たる者は独りなのだということを。
そしてそうしたことを受け止める胆力を備えてもいる。

異母兄ガーデーヴィには、ない。
ここまで何もないのもかわいそうだなってくらい何もない。
あったのは「血筋の良さ」と
過ぎた腹心マヘーンドラだけだった。

ガーデーヴィの処遇を寛大に、との
父の遺言を聞くラジェンドラ
本当なら兄なんて今すぐ殺してやりたいところだが 
他ならぬ父上の頼みだからなあ・・・、
弱り切る表情がかわいらしくてよかった。
この父、人としては好人物だが、王としては失格だろう。
兄弟どちらに王位を譲るか、
事前にしっかり意思を表明しなかったから
国が乱れることとなり、
結局 兄弟を殺し合わせる事態を招いた。
規律にもとることをした者は、それが誰であろうと
厳しく処断しなければいけないのに、
息子だからとそれができないのもダメなところだ。
ラジェンドラの決断は間違っていない、とわたしは思う。

わたしはラジェンドラがけっこう好きで、
高く買っている。
ラジェンドラには
これからも思う存分いいたいことを言い 
やりたいことをやって暴れまくってほしい。
こういう男が暴れてこそ 
パルスの対外政策のサブストーリーが盛り上がる。

試練はそれを乗り越えられる者にしか訪れないといわれるが/Fix You-171203。

このように なにかというといろいろ 
うまくいかなくなったり、
次から次へと 問題にぶちあたるのは、
そうしてそいつと対峙したすえ
例外なく
肉体が疲弊しゴッソリ削られてしまうのは、

自分が進もうとしている道に、
またはこの歩みそのものに、
またはこのわたしという存在そのものに、
なにか重大な
誤謬があるから 
そのことの、罰なのだろうか。

そんな よしないことを考えてしまうほど、激動の日々。

くるしい。

しかしまあそんなこといっててもしかたない
というか
人さまには関係のないこと。
そんなこともあったわな。と
笑い話にできるときが いつかきたならば、 
そのときに、話すとしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先々週くらいに、心がほとほと まいった際、
聴いた歌。


www.youtube.com


ColdPlay
「Fix You」(2005年発表)

イヤー 
これ。
ほかならぬわたしだけへの、
わたしのために書かれた、
贈りものかと思ったくらい。
※世界じゅうのファンがそう思ったにきまってるわ(^^)!!


すてきな歌だ。
しょせんわたしの貧弱な語彙力だが
さいしょのとこだけ
歌詞を日本語訳してみる。

When you try your best but you don't succeed
When you get what you want but not what you need
When you feel so tired but you can't sleep
Stuck in reverse
When the tears come streaming down your face
When you lose something you can't replace
When you love someone but it goes to waste
Could it be worse?
Lights will guide you home
And ignite your bones
And I will try to fix you

努力してもままならない
欲しいものはなんだって手に入っても
いちばんかんじんなものに限ってえられない
疲れすぎて眠れない・・・
そんなときは
がんじがらめ 身動きがとれないと感じる
頬を 涙がとめどなくつたうとき
たいせつなものを失ったとき
愛しても報われない・・・
そんなときは
人生のどん底にいるかのようだろう
けれども救いはきっと見いだせる
それを見失いさえしなければ また歩き出せる
家路を照らしだす灯りのように
きみを支え、癒してあげるから


こんなかんじだろうか。
わたし自身がこう理解したいという願望が
多分にこもっているんだけれども。

When you get what you want but not what you need
欲しいものはなんだって手に入っても
いちばんかんじんなものに限ってえられない

この部分 とくに深い。


コールドプレイは まえからすきだ。
でも、
これまでまともに 歌詞を理解しようとしたことはなかった。
洋楽は、
意味があんまりわからない外国語だからこそいい
(BGMとして、聴き流せる)
という面があって、
コールドプレイもそう。 
耳ざわりのよさが、すきなだけ。
MP3プレイヤーに何曲かだけ入れて、
いつも適当にかけているんだけど、
先々週の ほとほと疲れはてた ある夜、
この歌のタイトルが「Fix You」だということに
ふと 思いが至った。
Fixは第一義に「修復する」だから
「あなたを修復する」が直訳だが、
すると これ どういう歌なんだろう?と
よくある恋の歌とかじゃなさそうだ・・・と。
そこで初めて、歌詞を理解するよう努めつつ
まじめに聴いてみた。

夜も更けた帰りの電車のなか、
人びとがみてるまえで
ちょっと泣いてしまった。
よほどわたしも まいっていたんだろう。

でもこの「Fix You」との出会い。
一過性のことでなく、
自分にとって 今後もずっと、
大切な歌になるだろう。
すごく なぐさめられたし、
泣いたからか、心がすっきり洗い流される感覚があった。

コールドプレイ やるなあ(^^)

この曲が収録されているというアルバム
X&Y」のジャケット、独特。
モチーフは ・・軍事暗号かなにかかな?

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吉田兼好→古文は現代語訳で→おもいで→ボコられる自尊心→逃避

きょうはかなり寒かったです。
職場でついに一日中 上着を脱ぐことができませんでした。

自分のいる部屋は 比較的広く
窓から出入り口に一直線に風が
ふきぬけるかんじの間取りになっています
夏は風通しがよくて
たいへんけっこうなんですが
冬場は底冷えがします。
吉田兼好徒然草で 
家のつくりようは夏をむねとすべし、
冬はいかようにも住まう。
(家は夏の暑さ対策こそを大前提として作れ、
冬なんかはどうやったって暮らせる)
といっていて、 
まあそれはたしかにそうなんですけど。

徒然草でおもいだしたのですが
いぜん 自分の知っている人が
徒然草ってすごく変な作品だ、いったいなんであんな
おもしろくもなんともないものを 書こうとおもったもんか、
また、残そうとおもったもんか」と
あらたまって スゴイことを言っていました。
徒然草の存在意義とか 
つまるだのつまらないだのについて
考えたことなんて 自分はそれまで一瞬もなかったものですから
返答に窮しました。
たしかに なんでといわれると・・・・(^^)

そんな 古典文学のことでおもいだしたのですが
つくづく考えるんですけど
古典って
むりして原文で読まなくていいんじゃないですか。
現代語訳でばんばん読んだ方がいいですよね
意味がわかるだけおもしろいですから。

シェイクスピアとかチェーホフもそうだとおもいますよ
わからないところや読んでいると眠くなってくるところを
全部読まなくては・・・と むりに時間をかけなくてもいいのです。
もとが演劇なんですから。
照明器具やマイクや舞台装置がいまのようにちゃんとしていなかったせいで
表現しきれなかった部分を
観客席のうしろのほうにまで聴こえるように
すべてセリフで説明しようとしたから
(また、衣装替えなどの舞台裏の作業の時間をかせぐために)
あのように もってまわった長ったらしいセリフなどが
つらつらと続く、そういう側面があるのではありませんか。
わからないところ、読んでてあきるところは 
研究者でもないなら
とばして読んでいいのです。
まずWikiで調べながらでもなんでもいいですから
雰囲気を感じ、流れをつかみ、とりあえず読むと。
研究者だってさいしょはそうしたのではないですか。
そうでなくちゃおもしろさだってわかるわけがなかったはずです
つまんないとおもったら、べつにそれでいいし(^^)

希望者は、それから原文、それから細部へと踏み込めばいいのです。

でも原文で読んでもぜんぜんおもしろいと感じないけど、わたし(^^)
だって時代と、言葉がもう、昔すぎますので。
読みはしますし、理解もしますけど、
文章がうまいとかどうとか以前の問題で 
その意味でまったく楽しむことができないし。
ただ小さい子のかわいらしい様子を描くシーンなんかでは
筆が走ってるな というか、
ウキウキしてるな、作者が、
くらいのことは わかりますが・・
源氏物語の話ですが。
(若紫、夕霧、雲居雁、冷泉帝はほんとうにかわいいです。)
それ以上のことは 正直いってよくわかりませんよ。
外国語みたいなものですよ。
母語じゃありません。
母語じゃない言葉は、どんなに深くしっかり身につけたつもりでも
母語とおなじように 微妙なニュアンスまで感じ取れるようには
ならないとわたしはおもいます。
しらんけど(^^)

あと、確実にいえるのは、
国語の教科書にのっている源氏なんて
なにがおもしろいんですか あんなもの(^^)
そりゃみんな古文 苦手って言うわ。
どうだっていいのではないですか(^^)、品詞分解なんか。
(品詞分解まるでできません、わたし。)
もっと先のもっとおもしろいところを
娯楽として読んだほうがいいですよ。
現代語訳いっぱいでてますから。
なんでもいいんですよ。
谷崎潤一郎円地文子のはとくにおもしろく感じます。
登場人物たちが 勝手に動き出す感じがするところが
いいとおもいます、生き生きとして。
それでも54帖もあるし
昔のもので、冗長に感じることは否定できませんから
あまりずっと読んでいるとしんどくなりますが。

まず 文学のおもしろさにふれることからだということ。
おもしろさに分け入る術をしることからだということ。
その術とは必ずしも 文法を学ぶことではない可能性があること。
そういうこと わかってる先生がいたんです
高校3年生のときの現代文の先生。
あの人の授業はおもしろかった。
本人が、文学を愛していることがとてもよくわかる教えかただった
のではないかと。
定期試験の問題は、創意工夫と 今おもえば
生徒の潜在的知力や 自力で考える力への刺激にみちていて
好きな人にとっちゃ とてもわくわくするものでした。
点数よりもどんなふうに考えたのかを見ようとしてくれる試験でした。

安部公房のデンドロカカリヤとか
シュタイナーとか読ませてくれる先生なんて
あまりいないのではありませんか。
シュタイナー(^^)!! 
どこからもってきた!!
文学っていうの あれ!
あの先生よかったな。
おもいでぶかいのは 学年末試験のとき、
問題にとりくむ1時間があまりにもたのしくて
あっというまだったので
前の席の ぜんぜんそれまで接点がなかった
すごくおとなしい系の同級生の男の子と
おもわず「おもしろかったよねこれ!!!」って
目で会話をしたことが 心に残っています。
回答用紙をうしろから前に回収していくときに
目が合ってね。 その子の色白のお顔が紅潮して
瞳がきらきらしていたのをよくおぼえています。
わたし、その子とほとんど 話したことはなかったんだけど、
その子の文系科目の成績がたいへんに優秀だということは知ってました。
それで内心 いつも競うきもちでいたんですよね
自分も比較的 文系科目はすきだったものですから。
なんかわかりあった瞬間でしたねあれ。
よかったなあの問題。
またあの先生の授業 きいてみたい。
そもそも あのころ先生はおいくつで、
いま、おいくつなのか。
現役でいらっしゃるのだろうか。


平家物語吾妻鏡も教科書のはぜんぜんおもしろくない、
那須与一おもしろくない(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょうも職場で自尊心をボコボコにされてきました。
まいりましたね。
あまり考えたくはないけれど
パワーハラスメントの範疇とみていいだろうとおもいます。
バカだとおもわれているんだなとおもいながら働くのは
しんどいものです、
むくわれないんだなという思いがつのるから。
自分で自分をバカだとおもうことは いいのですが
他人にいわれると、なにを!! 
というきもちになるのは
おかしなものですね。
そんなにバカだとかいうんなら 
全部自分でやってくださいよーとか
ちょっとおもってしまうんですけれど(^^)
まあ相手には相手の考えがあるのでしょう。
とっくに 理解することを放棄してしまったからなあ・・
でも心はいたく傷つきます。当然のことです。
人の立場を 自覚的に奪うなんて最悪ですよ。
辞めて ほかの職場にいこうかな(^^) 
なんてね。

でも自分にとって 世界は仕事だけではない、
というのが
救いですね。
わたしは、
家に帰ることができれば、仕事じゃない時間をもつことができれば
の話ですが、
仕事とぜんぜん関係のない勉強に打ち込むことによって 
まったくべつの世界にいける本を読むことによって、
その日のしんどい気持ちを かなり忘れるか小さくすることができます。
勉強とは逃避のためにするものではないかもしれません。
でも逃避のためにやっちゃいけないという法律もありませんし、
たのしいからいいか。というきもちです。
あしたになったらまた きつい現実と立ち向かわなくちゃ
いけないわけですが・・。

さてどうなることか。
あしたの心配はまああしたに任せるとしましょうかねー。

オリヴァー・サックス「道程 On the Move」/ヨハネ8:3

仕事が進まず、たまる一方で 
しんどいです。
これほどまでに 進まないと感じて、
気が重くなる仕事はひさしぶりです。
こまったもんだ まったく。
自分としても 肉体的疲労がいちじるしいことも 
仕事が停滞してしまってることの原因なのかもしれない 
とはおもいます。
しかしですね! 
どう休めっていうんですかこれで(^^)!
みんな会社にとまりこんで連日徹夜してるよ(^^)!

休んでいる場合じゃないことは ほんとに毎日感じているんですが
きょうは日曜日というのもあり もう 休んじゃいました。
というか家にいて、家で仕事してました。
仕事のことがねー 
心配で 頭からはなれません。

ただですね!!
哀しいかな、
わたしはねー この仕事を愛しているんです!!!
仕事への愛を人質にとられちゃってませんか、
わたしってやつはバカだから!!

なんだかなあああーーー!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本は毎日ちゃんと読んでます。
いつどうやって読んでんだ、
そんなことしてるから仕事が遅れるんだ
いろいろ言われそうですが
読む時間はつくるのです
それには命をちょっとだけね、けずるのですよ(^^)
つまり睡眠時間をちょっとアレするのです。
あとは電車にのっている時間にね。
好きなことをするのにまとまった時間をとろうとすると
失敗しますね。
まとまった時間、なんてものが作れるとおもったら大間違いです。
そんなものは作れません。
すきまを つかうのです。
わたしはそれを理解し実践するのにずいぶん時間がかかりました。

意地でも最低5冊、最低1200ページくらいは
読むことにしてて、また、読めているとおもいます。
しらんけど(^^)

なかんずく
神経科医のオリヴァー・サックス氏の自伝
「道程」がすばらしかった。


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www.hayakawa-online.co.jp



レナードの朝」っていう映画、あります
ロバート・デ・ニーロロビン・ウィリアムズのやつ。


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movie.walkerplus.com


サックス氏はレナードの朝の原作となった本を書いた人です。

www.hayakawa-online.co.jp


わたし 映画観たことありますしだいすきですけど
その時点でわたしは一作も氏の本を読んでませんでした。

氏は2年前になくなりました。
新聞で訃報をみましたけど、
その時点でわたしは一作も氏の本を読んでませんでした。

「道程」を読み、
「いままでこの人の本を読んだことがなかったとか
わたしはいったいどういう神経をしてんだ!!バカか!!」
という わりと週に何回かくるあのろくでもないショックの
特大版を体験しました。

自由で闊達な感性
その正直さと臆病さ
心のやわらかさ
病み傷ついても走り続けた強さが
あまりにもいとおしく、また、うつくしいとおもいました。
とってもじゃないけど理解できない、
ってところも多々あったけど。
自分が力をつけていくことによって、
これからわかるようになっていく
・・・だろう、と 自分に期待します。

本書の、本筋とはややズレているのかなとおもいますが、
ふたつ、とりわけ心をうたれた部分がありました。
もう図書館に返してしまったので、引用は正確ではありませんが・・

ひとつは、
サックス氏が、老境にあった友人に、
「人びとに、自分のことをどのように記憶していてほしい?」
と尋ねたときのエピソードです。
その友人は、在野の人ながらきわめて多才で、たしか生物学方面の
研究、著述、教育、さらに実業家、法律家、政治家などなどとして
精力的に働いた人でした。
じつは本人は教育者の道にしぼって活動したかったみたいなんですけれど、
晩年はそれができなかったようです。
教師としてだけ活動したくても いろんな業界から引く手あまたなもので、
むずかしかったんですね。
※読んだかんじ、幅広い分野にずばぬけた才能を発揮した彼だけど
そのなかで教育者としての側面はあまり高く評価されてなかったような・・・
そんなニュアンスもあったかな。
(でも本人は やりたかったんですな。)
晩年の彼はサックス氏に「みんなにどのように自分のことを
覚えていてほしいとおもうか」と聞かれて、
「教師として。」
と答えたそうです。
うめくように、じゃなかったか とわたしは想像します。

自分がどういうふうに人におもわれて死んでいきたいかを
思うことは わたしは たまにあります。でも、
どういうふうに人におもわれて死んでいきたい?と
人に尋ねたことはこれまでなかったし、
尋ねようという発想が、そもそもなかったことを
ここで告白します。
人にそう聞かないのは、もしかして、
「どう記憶されたいか」について
じつは自分自身がまだちゃんと考えていないから じゃないかと
おもわされました。

また、結びの、謝辞の一節にも考えさせられました。

「人生で出会ってきた愛する人びとすべてについて、本書において
語ることができなかったのは残念だ。でも、自分が彼らのことを
忘れたわけではけっしてない。たとえ本書のなかに名前がでてこなくても、
自分があなたのことを心から愛していて、忘れないということを、
信じてほしい。」

さきにのべたように 引用は正確ではないですが、
主旨と、「信じてほしい。」は間違いなく正確です。
「信じてほしい」。
言葉のチョイスのおさなさ、シンプルさがいいですね。
原語がなんだかわからないけど。

本書をあらわしたころはサックス氏も
病気が重くなっていて、
死期について考えていたろうとおもいます。
人は死んだあとのことは自分ではどうにもできないわけなんですけれど、
「(いなくなっても)自分はこうおもっていたということを信じて。」
「(いなくなっても)けっして変わらないから、そう信じて。」と
彫り込むように刻み付けるようにこうして書き残そうとした
その せつなる思いが胸にせまりました。
人の心は変わりやすく 命は有限、しかし循環するということを
よくよく思い知って生きた人だということが 
わたしにもわかるから、
その人がこのように書いたということが 
いとおしく感じられましたね。

彼の、一般向けの
いわゆるメディカルエッセイ的なもので
日本語訳があるものは
この1か月くらいで どれもがっつり読みました。
とってもおもしろいので
氏の著書はどれもつよくおすすめします。

まー あれですよ、
大丈夫です。

わたしと会ったことがあり すこしでもわたしのことを知る人なら、
わたしがいかに 「理系っぽいこと」全般に弱いかをごぞんじのはずです。
「脳神経科」「医学」
このふたつのワードがわたしの口からでた時点で
「おまえ頭大丈夫か! 熱はかってみろ!!」レベルですよね。
そのわたしが読んだんです 全著作を最後まで。
そしておもしろいと言ってる。
だから だいじょうぶ。
みなさんはぜったいに読めるし、
わたしよりももっとふかく理解できておもしろがれるはず(^^)


「音楽嗜好症」には ひじょうな共感をよせつつ読みました。
どーでもいいけど表紙のデザインがかっこいい(^^) 
こういうのだいすきです。
図書館でかりて読んだあと 自分で新品を購入もしました。
氏の著書の文庫版は どれもハヤカワノンフィクションで
音楽嗜好症とおなじデザイナーさんが手がけたのであろう
表紙デザインのものがほかにもあります。
カッコイイです。
どーでもいいっていったけど やっぱりどーでもよくはないですね。
ルックスがかっこいいことはだいじです(^^)

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www.hayakawa-online.co.jp



あと
「見てしまう人々」

見てしまう人びと | 種類,単行本 | ハヤカワ・オンライン


「色のない島へ」

色のない島へ | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン



タングステンおじさん」

タングステンおじさん | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン




「火星の人類学者」

火星の人類学者 | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン


などなどなどなど・・・・・

ハヤカワノンフィクション文庫に感謝します。
高いけど(^^)!!
まえに
高橋和巳澁澤龍彦バタイユをいっぱい出してくれる河出文庫にも
同様の感謝をよせたことがありましたが。

サックス氏の文章の魅力は、
論理と時制をとびこえる発想。
直観と連想と転換。
文章で書ききれない種類のことを 書いているからですね。
そういうものを見てきたことについて、書いているわけなので。
人の脳の不思議、知覚の不思議。
だからこういうかんじになるのでしょう。
子どもの落書きさながらの熱と 賢者の知性が混交しまくってます。
すばらしい~。
おこがましいにもほどがあることをこれからいいますが、
なんか、こういう自由なスタイルでいいんだとおもうと
自分ももの書きのはしくれとしてはすごく勇気をもらえます。

それにサックス氏の著書は
翻訳もとてもいいんじゃないかなと感じます。
いつも大田直子というかたが担当されているようですが。
柴田元幸氏のポール・オースターみたいに
ブドウのかおりがちゃんとします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、
まえはいろんな 人間のいとなみのなかで、
社会的にうしろゆびさされるようなことについては
わりと杓子定規というか、
ぱきっと 子どもみたいに
「そんなのってありえない!」という
スタンスを示すことがおおかったです。わたし。
ダメなものはダメ的なね。
社会的に認められてないこと、倫理にもとることは
当然、してはいけない。あたりまえだ。
というかんじのことです。

でも、そんなことって 言えんよな。
どこのどいつですか 
そんなつまんないことをまじめぶって言う輩は(^^)
そういう自分がどれほど おキレイだというんですか(^^)
あやまちをおかしたことのない人間なんていない(^^)
そんなことくらいわかっているんじゃなかったのか おまえは(^^)

人の心を檻にいれて カギとかかけておくことは できない(^^)

まったくつくづくまいります。
毎日生きるごとにひとつひとつ 
自分のそういう 心の未熟さにあきれ、
がっくりきますわ。

しかし檻のカギがかかっていないからといって
じゃあ そこから
「やったー! 出ちゃえ出ちゃえ」と
あとさき考えずに飛び出していくか
(出たその足下が地獄の窯だとしても)
いや、慎重に、と
とどまってさらに一考するかを
自分できめられるのが 人、ではあるとおもいます。
いちおうね。
理屈としてはね(^^)。







忙しくてどうしようもない/知識と教養は依存しても困ることはない/JK3とシガー・ロス

こんばんは。
どなたか存じ上げませんが、毎日、ほんとに
多くのかたが このブログを読みにきてくださり
心からありがたくおもっています。
おどろいてます。
1週間に10人もきてくれたら、スゴーイ!という
かんじだったのに、
いったいいつのまにこんなことになったのでしょう。

御身の人生のたいせつな時間を割いて、このような
ブログをのぞきにきてくださって ありがとうございます。
殺風景なつまらんデザインのブログで
まことに気の利かないことですみませんが
どうぞお気のむくまま ゆっくりしていらしてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

暮れにかけて じつに仕事が忙しいです。
なにしろ終わらない! 進まない!
心配ごと、不確定要素がおおすぎて
毎日不安でしょうがなく、仕事いくの気が重いです ほんと。

正直 家に帰ってきている場合じゃないというかんじなんですが
会社にずっと詰めて 朝から晩までろくろく寝ずに机にむかって
なんてことを際限もなくやってると、病みますからね。
体も心も。
そういうことはやっちゃいけないです。
一時期ほんとにそれをやって凝りましたから。
意地でも毎日家にちゃんと帰り、自分の部屋で2時間でも寝て、
新しくつぎの1日を始めなくちゃいけないとおもっています。

それよりなにより、忙しさにかまけて
多方面に不義理をかさねていることになやんでます。
まいっちゃったなあ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仕事は忙しいですけど 
勉強をしたり本を読んだりをかかさず
いっしょうけんめいやっています。
読む本の種類がさいきん 激変しつつあります。
考えることの内容も 激変しつつあります。
性格とかが変わったわけじゃないですが。
でも・・・すこしだけ、
以前よりも へこたれない性格にはなったかな?
これは読む本が変わったこととは関係がないか(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人はだれしもなんらかのものに よりどころを
求めつつ生きているもんなんだろうとおもいます。
恋人や家族、ペット、友だち、
趣味とかそういうの、
それから、お酒、買い物、クスリなどなどに
なると 病気扱いにはなりますが、
でも よりどころという意味ではまあおなじなのかなと。
なければ生きることはむずかしい気がします。

わたしの場合、よりどころは、
知識、教養です。
知識を吸収する、教養をえることは
すごくわたしを救ってくれます。
おもえば子どものときからそうだったかなと振り返っています。
それにこのたぐいのことは、吸収してもしすぎることはないし、
むだには絶対になりませんからね。

学問がこの世にあってよかった。
学問がわたしを拒まないでいてくれてよかった。
心からそう感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分のアイデンティティにかかわることについて 
けっこう 真剣におもうところができはじめ、
手探りながら そろそろと 実践にもうつったほうがいいのかな?
とか おもっているところです。
でも、深刻な話のつもりはありません。
いやー どうなんですかねえ。
でもべつに 答えがでなくてもいいのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨今 すきな音楽シリーズ。
身近な友だちとかにはしょっちゅうこの人たちイイ!って話
しているので もう飽き飽きされてるかもしれませんけど

www.youtube.com


やっぱり イイなあ~。
わたしは速い音楽が好きなので
もう「Running」というタイトルと このすがすがしい
疾走感からして この世に生み出されたときからもう
わたしに好かれることが決まってた、みたいな
音楽だとおもいます。
いいなあ。

しかしさきにものべたとおり、
わたしはこのところJK3の話を人にしすぎているので
もう みんな飽きているでしょうから
ほかの音楽も今回はあげたいとおもいます。

これ。

www.youtube.com

 

シガー・ロス
「Olsen Olsen(オルセン オルセン)」

「Agaetis Byrjun(アゲイティス・ビリュン、『良き船出』の意)」
っていうアルバムにはいってます。

あれ、速い音楽がすきとか ついさっき言ってなかった、
ってかんじなんですけど 
気にしない気にしない。

アイスランドのバンドなんですけれど。
アイスランドのミュージシャンというとビョーク
メジャーなんでしょうかね。
わたしビョークもだいすきです。
いわゆるポストロックでしょうかね。シガーロスは。
わたしが知っているくらいだからすでに著名なはずです。
寒いところで生まれた音楽だな、いかにも、というかんじがします。

シガー・ロスでは 
これもしょっちゅう聴いています。↓
疲れすぎてて眠ることもままならないような夜に
まっくらな部屋で音量を極小にまでしぼってかけておいて
ボケーっと聴き流していると、
眠れなくても、心がだいぶやすらぐかんじがします。

www.youtube.com


あと、これも。

www.youtube.com


「Hoppipolla(ホッピポッラ)」
なんかいい。
ひやりとしているけれど優しくて、祝福されているかんじなのが
いいですね。
あと、おもいもよらないところで 聴いたこともないような
音がきこえてくるのも 意外なかんじでたのしいです。
おなじアイスランドmumっていうバンドもそういうかんじですけど。