BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

2017年5月7日の思い出/映画の感想-「ワイルドスピード ICE BREAK THE FATE OF THE FURIOUS(2017)」-170522。

5月7日は
ワイルドスピード」を観た。

ワイルドスピード ICE BREAK」
原題:THE FATE OF THE FURIOUS
F・ゲイリー・グレイ監督
2017年、米 

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movie.walkerplus.com


今回はドミニク(ヴィン・ディーゼル)が
仲間を裏切ってサイバーテロリストに加担するという話だった。
シャーリーズ・セロンが、
ずいぶんうまく、サイコな悪役をやっていたとおもう。

ジェイスン・ステイサムがすっごくかわいらしかった(^^)
あと、ヘレン・ミレン姐さんもすてきだった。

車を使ったアクションは、シリーズをかさねるごとに
派手に、手がこんできている。
今回の敵は、街中にある何台もの自動車を遠隔操作して、
弾丸代わりに使う(じっさいの映像をみればわかる)
という とんでもないやつらなもんで
街がもう、スゴイことになっていた。よくやるわなー。

めちゃくちゃなところは数多く、
ドミニクが部屋の入り口にかけた十字架のネックレスが・・・
というところを観たときはもう
ツッコミを入れる気力もうせてたが、
そんなところがいくらあったとしても
観ていてあきることがなく、ずっとたのしめた。

ただ、これいっちゃ身も蓋もないかもしれないが、

「車」がすごくだいじなポイントのシリーズなのに
車をそまつにあつかいすぎってかんじがする(^^)
壊しすぎでしょ車!
シリーズの最初のほうはここまでじゃなかったと
記憶しているんだけどなあ。
もうちょっと、車をだいじにしたらどう(^^)???


2017年5月4日と5月5日の思い出/映画の感想-『帝一の國』-170521。

2017年5月4日は、
高校生のときに所属していた
市民楽団でお世話になった
ご夫婦のところに遊びにいっていた。
当時楽団でなかよくしていた
同年代の友だちといっしょにいった。

ご夫妻のあいだには
中学にあがったばかりの女の子と
小学校高学年の男の子がいて、
とってもかわいい。
まだまだ、遊ぼう遊ぼうと
甘えてくるが
このまえにあったときよりも
ずいぶん大人っぽくなっていて
おどろかされた。

子どもってかわいい。
すぐに成長してしまうから、
おちおち目をはなしては
いられないだろうな。

奥さんがいつも 
びっくりするくらいたくさんの
美味しいごちそうを
作って迎えてくれて
ありがたい。
しかしほんとこっちはなにひとつ
おどろくほどなにひとつ
役にたてないので
恐縮でもある。

・・・

翌5月5日は、
帝一の國』を観た。

永井聡監督
2017年、日本

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www.youtube.com

かねて観たいと
おもっていたわけでもなんでもなく
なんとなく映画観たいなとおもい
映画館にいって、
ちょうどいい時間にやっているものを
選んだらこれだった。

結果、かなりおもしろかった。

いろいろ、弱かった部分もあり、
それはときに
ストーリーのかなり
重要なとこにまで
及ぶ問題ですらあった。

たとえば、
主人公の帝一が
「自分の国を作りたい」
と熱望する理由が
のちのちあきらかになるが、
あれはもうちょっと、
彼の幼少期のエピソードを
時間をかけて描いてたら
より納得感がでて、
よかったはずだ。

また、帝一が通う学校では
学内の権力闘争がさかんで
ライバルどうしの足のひっぱりあい、
頭脳戦がすごいわけだが、
帝一に恋人がいるという
超重大な情報を
最後の最後になっても
本気でだれも把握してない、
という点が気になった。
帝一本人が
「恋人がいるだなんてすごいスキャンダル」
と言っており、
彼女と会うときにはわざわざ変装し
盗聴防止に、連絡には糸電話を
使っていたくらいであるから 
これは完全にフリで、
ぜったいあとで
だれかが彼の恋人の存在をかぎつけ
帝一を失脚させるための
切り札にしてくるだろうと
おもって観ていたのだが、
ほんとうにだれにもバレてなかった。
これはおかしいんじゃないか。

また、
帝一が最初についた生徒会長候補が
帝一の父の政敵側の人物と発覚、
それがバレると
帝一にとってもマズイ・・・
という話になっていたが、
そのくらいのこと、
なぜ事前に腹心に
探らせておかないのかとおもった。
政界の重鎮である
父親同士のライバル関係が
息子たちの生徒会長選にも
影響をおよぼすということの
表現が、どうも中途半端だった。

生徒会長候補のキャラが
いまいち立っていなかったため
最後に彼が大変みっともないところを
見せたときも、
「うわー みっともなーい」と
思い切ることができなかった。
みっともなさに説得力がでるように
もっとおもいっきり高慢に、
おもいっきりイヤなかんじの
キャラ造型をしておいてほしかった。

千葉雄大はハマってた。
さわやか苦学生を演じた
役者さんもよかった(^^)

スピード感がおとろえず、
観る者の感情にむりくりうったえかけ、
パワーで引っ張りきるかんじは最高。

おなかかかえて笑ったシーンも
多かった。
とくに「拍手」に笑わされた。
あの拍手をきっと
みんなで練習したのだろう。
撮影現場を想像するだけで
コーヒーの一杯や二杯は
噴き出しそうだった。

帝一を演じた若い役者さんが、
多面性のある強烈な男子学生を、
あきれるくらい
まじめに生ききっていた。
うまいのかどうかは知らないが、
力いっぱいやってて、よかった。
最初は、だれだこの人、
って思ったけど、
だんだん、彼がいないシーンが
たいくつに感じるようになっていった。

彼ら若い役者さんの
父親を演じたベテラン俳優陣も、み
みんなかっこよかったし、
いてくれてほんとによかった。

いろいろと、粗さや不十分さは
あったような気がするが、
これからも国産の映画を
応援していくという前提にたつとき、
どうも、ぜひ観ておいたほうがいい
映画のような気がする。

2017年5月3日の思い出-小林賢太郎さんのコント公演 KAJALLA #2 『裸の王様』。

5月3日は
ラーメンズ小林賢太郎さんのコント公演
「KAJALLA #2 裸の王様」を観た。
(日経ホール 14:00開演)

 

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kentarokobayashi.net



前作「大人たるもの」は
自分には響かなかったのだが
今回はすごくたのしかった。
おなかかかえて笑ったし、
「裸の王様」の物語の
新解釈的なセリフには
「なるほどなー」と。

まったく別々の短いコントの
よせ集めにみえても
ひとつのテーマにつらぬかれている、
そういうつくりのものが、
小林賢太郎氏のコント公演
じゃないかなとわたしはおもう。
でも前作はなにか散漫で
らしくないようにおもえた。
でも 今回は
おしつけがましくなく、
深刻にならず、それでいて
どこか響いてくる
重みを帯びたメッセージが
ちゃんとあった。
わたしは
やっぱりこういうのがいい。
でもまあそれは観る側の願望
作るほうがどうしたいかと
違っていてもふしぎはない。

春夏秋冬
それぞれの国をめぐる
仕立て屋を演じた
役者さんがよかった(^^)
かわいらしかった。 

夏の王さまを演じた
役者さんがすごい筋肉マン。
彼が衣装をぬいだときに、
ムキムキの腕がのぞき、
観客席からちいさく
歓声があがっていた(^^)

あと、ラーメンズ
コントに 以前でてきた
あのキャラクターが復活してた。
うれしかった。
うれしかったというか 
一瞬わが目を疑った。

次のKAJALLAもぜひ観に行きたい。

それにしても
いまでも気になっているのだが、
日経ホールの各座席の背中に、
主電源マークが描かれた
ちいさなスイッチみたいなものが
ついてた。
なんだったんだろう。
開演を待つあいだ、
気になって気になって、
押してみたくて押してみたくて
しょうがなかった。
スイッチじゃなかったかも。
ただのランプだったのかも。
なんだ あの主電源マーク。
いったいなんだったのか。
押せるのか
スイッチなのか
押すとどうなるのか
確認したかった。
でも、座席の背中に
ついているということは、
わたしがみている
スイッチを押した場合、
わたしの座席に
なにかが起こるのではなく、
わたしの前の座席に
起こるということになる。
とりかえしのつかないことを
しちゃうといけないから
やっぱり押せなかった。
自分の後ろの席の人に、
「わたしの席が
どうなってもいいですから
ちょっとこの背中のスイッチを
押してみてくれませんか」と
頼もうかとおもったけど
開演前のこのみじかい時間に
めんどうなことになるのも・・・ と
だまっていた。
押してみたかった(^^)

2017年4月30日の思い出-修善寺

2017年4月30日は、静岡県修善寺にいっていた。
まえに働いていたことがある会社で同僚だった子が
静岡出身の子で、
結婚していまは静岡県修善寺に住んでいる。
わたしは、この友だちが結婚したとき、
お式に招待にあずかっていたのに、行くことができなかった。
不義理をしたことと、用意していたお祝いを渡せなかったことが
ずっと気になっており、
いつかはかならず会いにいかんとなと考えていた。
ところが、そうこうするうちに
自分が失業したり、仕事を探したり、
仕事が見つかってみるとこれがまためっちゃくちゃに
忙しくなり、しばらく休日にちゃんと休むことさえ
おぼつかないようなときが続いたりした。
ようやっと、そんな日々が落ち着き、
とりあえずカレンダー上の休日はちゃんと休めるくらいに
なったもんで、
いよいよ予定を調整して、会いにいってきた。


自分の地元から修善寺までは、
新幹線を使わない場合
電車で3時間弱くらいだ。
事前にインターネットで
乗り換えのしかたや運賃を調べたときに、
新幹線に乗るとしても、乗る時間がそんなに長くないことと、
新幹線を使わない場合との所要時間が案外それほど
かわらないような気がしたので、
1時間も新幹線にのらないんじゃ、あわただしいし、
べつに新幹線じゃなくていいか、とおもい、
普通の電車だけで行くことにした。
やってみると、電車の乗り継ぎをくりかえすことが、
冒険みたいで、わくわくした(^^)
ぜんぜん混んでなかったし。
最後に三島から乗った電車だけちょっとこんだけど。


東海道線の窓から美しい朝の海がみえたときは
おもわず「わー」と声をあげてしまった。


友だちがお嫁にいったおうちは兼業農家で、
訪ねたときはちょうど、田植えの準備をする時期だった。
そこで、自分もその作業をてつだわせてもらった。
あらかじめ土を敷いた薄いプレートのうえに、
手動式の機械をつかって種をまき、
そのうえに3重にまた土をかぶせるという作業だった。
そういうプレートを何枚も作成して、
温度管理が可能な専用の棚にセットし、
一定期間おくと、芽がはえてくるということらしい。
芽がはえてきたら、5月末ごろそれを田んぼに植えるそうだ。


プレートのうえに種をまんべんなくまいていくのが
なんかすごくむずかしかった。
でもなにもかも初めてやることなもんで
すごくたのしかった(^^)


おうちの軒先にツバメの巣があったのが印象的だった。
ツバメって でっかいなあ(^^)


作業がおわって、みんなでお昼をたべたあと、
友だちに車をだしてもらい
修善寺のハリストス正教会をみにいってきた。
教会の中にはいることはできなかったので
外観だけ見学した。
修善寺駅周辺は修善寺温泉をふくむ観光地エリアになっていて、
なつかしいかんじの温泉街をちょっと歩いた。
射的ゲームとかができる、おばあちゃんが経営しているような
ゲームセンターがあったりした。
竹林の小径というところと、
橋がかかっているところもすこし歩いた。

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ミニ観光からかえってくると、
夜まで友だちとその夫君と 
ワインを飲んだりしながらいろんなことを話した。

友だちとその夫君が何度もひきとめてくれて、
またいつでもおいで、こんどは泊まりがけでおいでと
いってくれたのがほんとにうれしかった。
夫君が東京で仕事がんばってつかれたら
いつでもここに休みにくればいいと言ってくれたのが
心にしみて 正直にいうとちょっと涙ぐみそうになった。

家族のように迎え入れてくれてふたりには心から感謝している。

次の日ふつうに仕事だったんだけど、

農作業を手伝わせてもらったうえに
夜遅くまでお酒も飲んで、何時間も電車に乗って
けっこう体力的にハードだったはずなんだが、
ぜんぜん疲れがのこっていないことにおどろいた。
朝スッキリ目が覚めたことといったらなかった。
いつも、起きたそばから頭が重いし、腰や背中も痛いのになあ。
ほんとうに1日すごくたのしく過ごさせてもらったからな。
しあわせだった。
友だちにずっと渡せなかった結婚のお祝いを
わたせたので、気になっていたことをすませることができて
すっきりしたのもあるだろう。
だがいつか行こうというか いつか行けるはずだという
気持ちのままずっときていて、いざそのときがきてみると
いろいろギリギリになってしまい
前日の夜に確認したら、お祝いの紙幣が新札じゃないという
驚愕の事実をまのあたりにしたわ。
まさか新札に交換していなかったとはな。
そんなことも忘れていた。
結婚式のとき どうするつもりだったんだっけな。
前日までのどこかしらで銀行に行って
新札両替をするつもりだったとおもうんだが。

もう夜だし、当日は早朝から出発だから
銀行にも行けないという。
そんなツメの甘さがまた、自分らしいといったところだ。
やれやれ。







映画の感想-『美女と野獣』-170515。

原題:BEAUTY AND THE BEAST
ビル・コンドン監督
2017年、米

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www.youtube.com


ディズニーだけあって 
あいもかわらず非のうちどころのない
「美」ってものを味わわせてくれる作品だった。
まったく、感嘆させられた。
人間の力でも、これほどまでに完璧なものを
作ろうと思えば作れるんだな。

だがまあ 内容について正直なとこいうと
これだったらわたしは
アナと雪の女王」のほうが
まだしも好きだったかもわからん。

美女と野獣」は、
とってもすてきだったけれど、
ほんのすこしでも自分のこととして考えられる部分というか
つまり共感しやすさみたいなものが 
なかった。
わたしはそうした不足感をまさに 
ディズニーランドやディズニーシーに
行ったときに、きまって感じるのだが。
それがイヤとか、悪いこととかおもうわけではないものの、
まあようするに、
「わー スゴイね!」
「わー きれいだね!」
「わー 華やかだね!」
っておもうんだけれど、
おもうんだけれど ただそれだけ、というか。
そこに体ごと飛び込んではいけないわけだ。決して。
ディズニーの世界ってのはわたしにとっては
ともすれば他人ごと になりやすいんだわな。
ディズニーが、完璧な夢を、完璧な美を
追求すればするほど、
それに触れるとき、わたしは
この不足感を自分のなかでつよめていくことだろう。
もちろん そんなのはわたし個人の問題で、
ほかのだれにとってもどうでもいいことなんだけれど。

あと、本作は、観たあとで
はっきりとした疑問点が意外にも いくつか残った。
いままで観たディズニー映画ではそういうことって
あんまりなかった気がするんだけどなあ。

・ガストンはその後どうなったのか。
・ベルの父のその後は?
・ベルは王子の哀しい事情をいつだれから聞かされたのか。 
 なんか気づいたときにはもう全部わかってるって感じだったが。
・王子の事情や彼の存在は、魔女の呪いによって、人々の記憶から
 消されてしまっていたようだが、呪いが解けて、人々のなかで
 存在が復活したいま、王子と民衆の関係はどうなっていくのか。
 まあこれは考えるだけ野暮ってものか。
・民衆にとって、王子はいったい誰なのか。
 どこの国の、なんという領土の、なんという王の子なのか。
 これも物語の本筋には関係ないことだとわかってはいるが
 すごく気になる。
・王子は今後 民衆から税金とか徴収するんだろうか(^^)
 王家なら税金とっていたはず、呪いをかけられる前までは。
 でも呪いのせいで民衆の記憶から王家が消えてしまってからは
 税金はとれなかっただろう。
 どうやって暮らしていたんだろう、呪いがかかっていた間。
 食料とか燃料の確保をどうやってしていたんだろう(^^)
 森から採ってきて適当にやっていたのかな。
 でもまあこれは完全に 夢ぶちこわしのケチをつけているだけ
 というかんじが、われながらする。けど気になる。
・ル・フウは、終盤で、
 王子の城に過去に来たことがあるようなことを
 言っていたが、そのあたりの事情が 
 自分が観ていたかぎりでは
 語られておらず、いっさいが謎だった。
 まえに来たことがあるってのは いったいなんでだ。
ヴィルヌーヴ村と王子の城の距離関係が、どうも不自然。
・ベルの父は 王子の城にもう一度たどりつくことができなかったのに 
 なぜガストンはああも苦しまずに城に行けたのか。
 ベルから奪った魔法の鏡は持っていたが、あれはナビ機能までは
 ないみたいだったしなあ。
・その点にかんしては、ル・フウも、
 ベルの父に案内をさせたときには城の存在を
 疑っていたのに、
 終盤で「まえにこの城に来たことがある」ようなことを
 言っていたのは、やはり
つじつまがあわないだろう。
 ベルの父についていったときは、
 城に行くのが面倒くさくなってきたから
 どうせ城なんかないだろうということにしたかった
 ・・・のかもしれないが、
 それはむしろガストンのほうの言い分で、
 ル・フウはそういう感じじゃなかった。
 観ていたかぎりでは、ル・フウはもう少し気のいい人間だ。
 城が本当にあるかどうかはともかくとしても、ベルの父に
 つきあってやろうくらいの気持ちは持ち続けていたように見えた。
 城があるってんなら(ガストンがベルを救出しに行きたがっているし、)
 行ってやってもいいんだけど、と考えていたということだ。
 しかるにル・フウはあとになって
 城に前にきたことがある的なことを言った。
 城に見覚えがあるというんなら、昔むかしの人の方向感覚は
 現代人とはぜんぜんちがうんだから、
 山道、けもの道でも、
 城へのルートや周辺の地形まで見覚えがあるもんじゃなかろうか。
 そもそもル・フウが心酔するガストンは
 猟師のようなこともしているみたいだったし。
 ガストンといっしょに行動するなかでル・フウの方向感覚も
 さぞかし磨かれてきたことだろう。
 なのになぜル・フウは 城に来てみてはじめて
 ここに来たことあるなあ、なんて言ったのかなとおもう。
 逆に言えば 城を知っているんであればなぜル・フウは
 率先して道を進み ベルの父を城に連れて行ってやらなかったのか。
 ガストンが城に到着できてしまうと
 ガストンとベルがくっついちゃうから
 それだとイヤだから、ってことか?
 うーーーーん。いや、弱いわな。それじゃ。おかしい。
 「城に来たことがある」自体が、誤訳だろうか?
 なんでだったんだろう。
 日本語吹き替えを観ればわかるかなあ?
・ベルが幼少期をすごしたパリのアパートの部屋に
 医師用の防疫マスクがおきっぱなしになっていたのが腑におちぬ。
 なにがあったのかしらないが、 
 患者の家で、マスクとらないだろ、医者は。
 でも母の死の真相を知りたいというベルの思いが
 あのアパートの部屋の幻影を作り上げた、ということならば、
 そこは夢と魔法の物語ってことで、
 まあ、目をつぶってもいい。
 でもペストなどが流行ったときに、ああいう鳥のクチバシ型の
 マスクが用いられていたなんてこと、
 欧米の子でも、大人に解説してもらわないともうわからない知識だと
 おもうのだが、ずいぶんマニアックな小道具 持ってきたなと感じた。
 もっとわかりやすく 過去の事情を説明しようとは思わなかったのかな。

 

あと、疑問というか、不満だった点もあった。


・ベルに、個性ってものがほとんどなかった。
 読書好きの美しい娘、というのはわかったが、
 もうすこし「風変り」感を実感させてくれるエピソードが欲しい。
 ベルの晩餐のミュージカルシーンと
 ラストの大団円の舞踏会シーンを
 それぞれ20秒くらいずつ削ってでも
 ベルの性格や人間性をもうちょっとだけ掘り下げる
 エピソードを散りばめていって欲しかった気がする。
エマ・ワトソンにはもうちょっとでいいから
 やる気ありげに演技をして欲しかった。
 「思慮深く心優しい性格」はかならずしも
 「無表情で声が小さい」という
 演技で表現するもんではないとおもう。
・王子がベルにやさしくなるタイミングが唐突すぎた。 
 バカがつくほど丁寧なストーリーテリングのくせに
 なんでそこだけそんなに性急なんだ。
・いろんな人がいる、いろんな愛のカタチがあるという
 現代の風潮を意識して、じつにきめこまかくそのへんの
 教育的配慮がなされているのを感じたが、
 さすがにこうまで いろいろ気を遣ってくれなくても、いい。
 ル・フウのダンスシーンとか。
 いや、べつにいいけど(^^)
 かえってディズニー側の基本的なスタンスが
 映画とは真逆です、ってことが強調されている気がして
 だいじょうぶなのこれ、って思っちゃったんだけど(^^)。
・エンディングのデュエットは、歌いかたが下品だった。
 とくに女声のほう。
 だれが歌っているのかしらないけど すくなくとも本編は
 そういうかんじの音楽性じゃなかったじゃないの、全然(^^)。
 なんか上質なフランスのオペレッタを観たあとにいきなり
 なんだろうな 
 和田アキ子かなんか聞かされるような気分だった。
 和田アキ子がわるいわけじゃないけどな(^^)


けど 本作は 楽しめたところもいっぱいあったな。
・ガストンの人気者っぷりが歌と踊りで表現される、
 酒場のミュージカルシーンはたのしかった。
 「お山の大将」感がすごくうまく描き出されていた。
・こまかな時代設定はよくわからないが、
 医師のマスクの形状からみて たぶん
 18世紀のフランスがベースかなというかんじが
 したのだが、当時の民衆のあいだにあった、
 特定の身分の人
 (未亡人、お嫁にいきおくれた女性、物乞い、精神病患者など)
 にたいする差別感情や、
 そうした人たちがすごく生きにくかった、という事情が
 それとなく、しかも案外シビアに表現されていて、
 おっ、と思った。
・ル・フウが歌がうまい。
・ガストンも歌がうまい。
・馬の「フィリップ」がかわいくておりこうさん。
ティーカップの「チップ」がカワイイ。
・時計と燭台のコンビの友情に泣けた。
・城の蔵書に感激するベルがかわいかった。
・ベルを愛しながらも解放してやったときの王子の表情が
 かなり泣けた。「オペラ座の怪人」のあのシーンみたいで。
・城の面々と民衆のバトルシーンは 工夫が凝らされていて
 すごくよかった。暴力をおさえて光と音で表現してたのが
 よかった。でも女は殴ってたけど(^^)
クラヴサンの鍵盤をマシンガンみたいに発射して
 戦うっての笑った。
・そういやクラヴサンに変身させられていた「マエストロ」は
 だから変身が解けたとき歯が何本か抜けてたのか。
 いや、あれはマエストロじゃなかったかな??
・ベルが、呪いが解けたときの王子の顔をみて、
 「あなたってこんなにイケメンだったのね!」じゃなくって、
 「野獣だったときのあなたの面影はどこに?」と
 いう表情をしたのが、わかっちゃいるが すてきだった。
 王子の顔に野獣とおなじ碧眼がかがやいているのを見て
 「あなたなのね」と安堵の表情をうかべたのが
 じつにドラマチック。


いろいろとケチはつけたが
良いところもたくさんあった映画だった。

しかしながら、こうしてふりかえってみて、
今いちばんやっぱりここは、と
残念におもうのは、
「ベルに個性ってものが感じられなかった」
というとこだった。
わたしは、『アナと雪の女王』(2013年)では
エルサにけっこう、個性を感じた。
心の通ったひとりの女の子、ってかんじがして、
いまでもエルサのことを、
「こういう子だった」と思いだせる。
そして、エルサにかなり強く共感した。
でも、ベルには、わたしはそういうのがない。
だから、その意味で『アナと雪の女王』のほうが
まだしもよかった、と感じるのだとおもう。

ベルが、こう、もうちょっとなー。
覇気の感じられる子だとよかったんだけど(^^)

映画の感想-『ラ・ラ・ランド』『ひるね姫』/小林泰三-170416。

ゴールデンウィーク進行で
あしたからしばらくまた 
うんざりくるほど大変になる。
休んでいる場合ではないような気がして
ものすごくきもちがそわそわしてる。
が、きょうは日曜日だから休んだ。
どうかんがえても、
休んでる場合じゃないどころか
むしろ休んでる場合だ。

先週の話なんだけど、
渋谷のBunkamura ザ・ミュージアム
「ゴールドマンコレクション 河鍋暁斎展」
をみにいった。
あれがとてもたのしかったので、
きょうもまた行ってきた。
最終日だった。
また会いたい。だいすきだ。
才気と気迫が 紙をはみ出して
ほとばしってる。
なんといっても新しい。
こんどいつ 
これほど大規模な展示があるかわからないが
埼玉の河鍋暁斎美術館にもまた行きたい。


これも今日の話ではないが、
先日
ラ・ラ・ランド』を観た。

原題:LA・LA・LAND
デミアン・チャゼル監督
2016年、米

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www.youtube.com

これはとってもよかった。
わたしには 響くストーリーだった。
ただ、
ミュージカルとしてというよりは
ただのドラマとして観てた気がする。
ミュージカルであることを
もちろん認識していたし、
形式としてはまちがいなく
ミュージカル映画なのだが、
役者さんたちが、「表現の手段」として
ダンスや歌をやっている感じではなかった。
技術的な意味で「必死すぎる」。
音楽劇とは、キャラクターが、
あふれるきもちを言葉では
表現しきれないから歌や踊りであらわす、
という、ものだとおもう。
そうでなかったらなんで
普通にしゃべればいいところを
わざわざ歌い踊るのか。
それだからこそ、
歌や踊りを表現の道具として
自分のものにしきっていない役者さんが
いくら一生懸命歌って踊っても
それはあくまでも歌であり踊り。
心の表現ではない、と感じる。
だから本作は、
ミュージカルと言える域には達していないと
言わざるをえないと思った。

その点やっぱり
メトロゴールドウィンメイヤーなどの
ハリウッドミュージカル映画黄金期の
作品を彩った役者さんたちは
ほんとうにすごい。
彼らは 息をするように踊り、歌う。
あと、
『ウエストサイドストーリー』
サウンド・オブ・ミュージック
屋根の上のヴァイオリン弾き
心そのものだ。歌や踊りが。

ああいったのが
まさにミュージカル映画だ。

だがべつに 
ラ・ラ・ランド』において
そこはそんなに深刻に考えていない。
つい長々説明してしまったから
マイナスポイントみたいな印象を
与えてしまったかもしれないが、
言うほどそこにマイナスを感じてはいない。
わたしはすごく楽しんで
この映画を観た。
後半など迷わず号泣であった。

オーディションで、
自分のことを語ってといわれたミアが
女優をめざしたきっかけ、
叔母さんの思い出を
語るシーンに感動した。
「どうか乾杯を、夢追い人に
愚か者に見えても 彼らの混沌に
どうか乾杯を、心の痛みに・・・」
泣かされる歌詞だった。

また、ミアと恋人の
ケンカのシーンもよかった。
お互いに、
「ほんとはこんなことが 
言いたいんじゃない・・・」
とおもっている感じがすごくあり、
それなのに口がとまらないというか、
なにかおかしな狂った空気に
なってしまっているかんじが
じつにリアルに出ていてよかった。
あのギリギリとした緊迫感に
かなり緊張させられた。

自主興行に失敗した
夜のシーンもとてもよかった。
あわててかけつけた恋人の顔を
まともにみようともせず
ミアは車で はしりさる。
彼女の傷ついたみじめな心が
痛いほど伝わった。

夢と現実。
大人ならぜったいにだれもが
ぶつかったことのある 
問題について。
そしてそれでも前をむいて
挑戦しつづけることの
せつなさと重みと傷とについて。

とても愚直に語りかけてくる
ドラマだったとおもう。

おもえば 
エマ・ストーンが出ている映画には
きまってこれまで やられてきたな。
『ヘルプ 心がつなぐストーリー』
『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

www.youtube.com

www.youtube.com


エマ・ストーンが出演していることそれ自体とは
関係がないと思うが、
このふたつの映画も、今ふりかえると 
ラ・ラ・ランド』のような
要素をもったドラマだった。

エマ・ストーン
ハリウッドにおいては
この手のドラマのメインキャストとして
登場させるのに適しているとみなされる
年齢層の人なのかもしれない。
メリル・ストリープ
ジュリアン・ムーア
ミアやスキーターの役は
もう向かない、それは確かだろうから。
(バードマンでは エマは主役じゃなかったが)
・・・


それで先週の話はおわりで、


きょうの話にもどると、
河鍋暁斎展2回目をみたあと、
地元にかえってきて、まず図書館にいき、
小林泰三『人獣細工』(角川書店
をかりて、読んでみた。

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www.kadokawa.co.jp


この作家さんのことは
数か月前まで知らなかった。
知り合いからすすめられ、
まず短編集
玩具修理者/酔歩する男』を読んだら、
怒涛のおもしろさ。
その知り合いにこのまえ 
「『玩具修理者』おもしろかった」
と感想をつたえたところ、
こんどは短編集『人獣細工』
に収録されている
『本』をすすめられた。
その『本』を読むために
『人獣細工』を図書館でかりた。
そのあと映画をみる予定であったので、
映画がはじまるまでの数十分だが、読んでみた。
まず表題作『人獣細工』を読んだ。
わたしは夢中だった。
すごい作家さんだ。
なんでこのような力ある作家さんが 
もっと文壇でちやほやされないのか。
『酔歩する男』なんかは
似たようなかんじのテーマを
東野圭吾さんが
パラレルワールドラブストーリー』で
扱っていたと記憶しているが
こう言ってはなんだが
『酔歩する男』の方が圧倒的におもしろい。
パラレルワールドラブストーリー』の
半分のページ数で 
あれよりもずっと深いことを書ききっている。

・・・

時間になると、映画館に行き、
ひるね姫 知らないワタシの物語」を観た。

神山健治監督
2017年 日本

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www.youtube.com

清新、ということばがぴったりの、
よい映画だった。
ファミリーにもおすすめ。
何回も観たい美しい映像。
ブルーレイがでたら 
買って またみたい。
映像表現における
イマジネーションと
ハイテクノロジー
ノスタルジー
混ぜぐあいが
わたしにはちょうどよく
とても快適だった。
物語は、あまり深く考えないで
みたほうが受け入れやすいだろう。

でも観おわった今
深く考えたくなってしまっている。
一部 説明が不明瞭に思えた部分があった。

ワタナベの狙いが よくわからない。
完全自動運転車のお披露目を
オリンピックのセレモニーという
大舞台でわざと失敗させ、
あとで自分がその製造ノウハウを
モモタローから奪って完成させることで
名声を横取りし
会社を乗っ取ってやろう
ということだったのか?
だが、正直あのワタナベという男、
そこまでのことができる器には
まったくみえない・・・。
仮にその目論見が成功したとしても
そこから何をどうやったら
会社が乗っ取れるのかよくわからないし。
イクミが会社の中枢から引き離され、
末端の系列会社にとばされたことは、
エピローグで理解できた。
本編では そのころのイクミと
モモタローの記念写真がでてきて、
すみっこにワタナベがうつりこんでいた。
イクミが、左遷されても社長の娘であり、
優秀な人材であることを知っていたから
いずれ利用できると考えて 早くから
へつらっていた、ということだろう。 
目端がきかないわけじゃないらしい、
それはわかる。だが、
なんかちっちゃいんだよな。
どうせちっちゃいなら、
話ももっと小さく
まとまってたらというか・・・
たとえば、
オリンピックのセレモニーで
自動運転車のお披露目をしたいのに
車のシステムがうまく動かない
だがセレモニーでは失敗が許されない
いまさらシステムの開発が
うまくいってないという事実を
社長に言い出せず、それで
モモタローが持っているノウハウを
奪おうとした・・・とか
そのあたりの もう少し
けちくさい話だったら 
ワタナベの小物っぽさも 
納得できた気がする。

もしそちらの線でいくなら
夢の世界でも・・・
エンシェン姫が
幽閉の憂き目にあっているのは
彼女が機械至上社会において 
いまわしい存在であるところの
「魔法使い」だからなんだけど
彼女の幽閉を王に進言したベワンが
「じつはかくいう自分も
魔法使いなんです」という
王さまに言えない秘密の部分で
いろいろやってくれれば
現実と夢との話が
それなりにリンクするので 
ムリはなかったとおもうのだが。
ワタナベが会社を乗っ取りたいと 
考えていたことは理解できるのだが、
彼にそれができそうには
とてもおもえない感がすごかった。

エピローグはよかった。
モモタローと亡き妻の
なれそめの物語が語られていて、
妻が亡くなった原因も、
ほのめかされていたのがうまかった。
モモタローの顔に 
ちょっと出すぎだとはおもったが。

ひるね姫は、とくに 
ずっとみたいとおもってて 
みたというわけじゃなかったけど
すごくたのしい映画だった。
またみたい。 
映像がうつくしかった。

R・シュトラウスの「サロメ」。ブラスフェスタ多摩2017。-170320。

9時くらいにおきて何冊か本をよんだ。

そのあとDVDで「サロメ」をみた。

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www.universal-music.co.jp

R・シュトラウスのオペラ。
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
ドホナーニ指揮
リュック・ボンディ演出のを
もっている。

カナーンが、サロメの愛情に、
関心がないわけではないかのように
演出しているのが このバージョンの
特徴ではなかろうか。
カナーンが、
すがってくるサロメを追い返したり
ヒザにしがみつくサロメの頭を
両手でかかえたりする
手つきが、ちょっと、やさしい。
サロメの誘いに
懊悩しているようにみえるのだ。

サロメ役のキャサリン・マルフィターノは
オペラ歌手であって
ダンサーではないのに
「七つのヴェールの踊り」を
ちゃんと踊っていて えらい。
キャサリン・マルフィターノは
このDVDの収録のとき
たぶん50歳はとうにこえていた。
なのにそうとはおもえないほど
踊りに迫力があり、
自信に満ちてすごくきれいで、
みていてドキドキさせられる。
こういうのこそがほんとうの
セクシー、ということではないだろうか。
最後のほうは、つかれてくるらしく、
足がぜんぜん上がってないけど(^^)
むりもないとはおもう。
しかも10分くらい踊ってそのあと
やすみなく、長い歌をうたうんだよ。
ものすごく殺生なオペラだ。

衛兵部隊長の
自殺にいたるまでの心の動きを
もっとちゃんと描いてほしいような気もする。
何度みても、なんで死んだの?
ってかんじがする。
愛しいサロメがヨカナーンイカレていくのを
これ以上みるくらいなら死にますという
ことだというのは 理解できるのだが、
やや唐突におもえるのだ。

ユダヤの祭司たちのところや
ヘロデ・アンティパスの狂いっぷりは
とても観ていてたのしい。

オスカー・ワイルド
やっていいこと わるいことというのを
考えない人だったんだな とおもうけど
それなのにぜったいに
品位をそこなわないし、深い。
そして、いつまでも古びない。

歌劇サロメのDVDは
ほかにもいくつか
図書館の視聴覚サービスなどで観て 
比べたこともあったが
もうこのコヴェントガーデンので
観慣れちゃった。
でもほかにもいいのがあったら
みてみたいかなあ。

・・・

夕方からは、多摩センター駅にある
パルテノン多摩というホールにいき
「ブラスフェスタ多摩2017」という
吹奏楽のイベントを聴いてきた。

(BRASS FESTA多摩 2017
パルテノン多摩、15:00開場、15:30開演)

関東県内の高校の吹奏楽部や、
一般の楽団などが出演して演奏し
さらにさいごにはそれらのメンバー
+公募参加のプレイヤーの
巨大合同バンドの特別演奏がおこなわれた。
この合同バンドに友人が参加したので
聴きにいってきた。

高校生たちの演奏は
きらきらしていてとてもよかった。
でもなんだか それを見るのが
たまらなくはずかしかった。
自分もおなじ道をとおってきたので
いろいろなことを思い出して
彼らをみていることが
それはそれは尋常でなく恥ずかしかった。
ほとんど赤面しどおしで
下をむいて、顔を両手でおおい、
目をつぶって聴いてた。
まわりからみたら 
この人なにやってんだろうという
かんじだったにちがいない。
とにかくはずかしくて。

でも、高校生たち、とてもかがやいていた。

片倉高校の演奏は
折り目正しく、正統派そのもの。
決然としつつも 
音のしっぽの処理にこまやかに
気を遣っているせいか 
とてもやわらかい感触の演奏で、
彼らの誠実なきもちが伝わった。
スキでやっているんだな
というのがわかるのだ。

永山高校が披露したマーチングも
元気いっぱいでかわいらしかった。
バスーンが、マーチングに
ちゃんと参加していたどころか
むしろほかのどの楽器の子よりも
動きがキレッキレだったのは
みていて驚いたし、応援したくなった。
あんなに動きまくって 
クルークがひん曲がらないか
またはリードがぱっきり割れて
口の中が血まみれにならないか
はらはらしたけども
意外とそんなことにはならないようだった。

中学校のときに1回だけ わたしも
自分の部活でマーチングにトライしたので
参加したけども、
そのときはバスーンではなく、
臨時で打楽器に入れてもらって、
グロッケンを演奏した。
オーボエの子も、打楽器に入ってたな。
バスーン
マーチングできるなんておもってなかった。

コンクール全国出場常連校として有名な
淀川工科高校の指導者・丸谷明夫氏が
片倉高校と合同バンドの指揮をしていた。

わたしは丸谷氏におそわったことが
あるわけじゃないからわからないが
もし自分が あのバンドのバスーンの席にいて
丸谷氏の手がける練習に参加したとしたら、
たぶん、たのしいだろうなとおもった。
というのも、プレイヤーたちの表情が
とてもなごやかで、不要なストレスを 
かかえてないようにみえた。
わたしも片倉高校や合同バンドの
演奏を少しも緊張しないで聴けた。
ライブって、聴くだけでも、
なんだかイヤに緊張することや、
聴いていてたのしくない、
力がはいるなあ、と感じることが
ままあるものだ。
でも、かれらの演奏には、
そういうのがなかった。
だから、きっとみんな 
練習がたのしかったし、
練習をまたしたいと おもうような
練習だったんだろうなと。
またとないステージに立っているんだろうなと
そうおもいながらたのしんで聴いた。

ラストの合同バンドは
総勢170名だかいたようで、
演奏はものすごい迫力。
フォルテやピアノのコントロール
まったくきかないようだった(^^)
ステージの床が抜けないかどうかが
いちばん気がかりだった。

若い人たちの熱い演奏が
きけてたのしかった。

自分はもう吹奏楽はやらないかも。
とにかく、なんかもう、
はずかしかった。
いろいろおもいだしちゃって。
もうあのようには自分はできない。
わたしにとっての吹奏楽は 
すぎさった青春そのもの。
それにわたしは
バスーンのプレイヤーだから。
また団体やるとしたら
今度はオーケストラか
アンサンブルをやりたい。